5-1 TS美少女とまた明日
キャンプ専用に買ったごついブーツを脱ぎ捨て、和也に手を引かれてテントの中へ入っていく。
光量を下げて一つだけ残したランタンの明かり。
小さなテントの中に、二人だけの空間が広がって、私はもう、自分を抑えることができなかった。
ゆっくりと顔を近づけると、大きな手で私の頬が撫でられて、すぐに唇が塞がれる。
繰り返し、何度も唇を合わせながら、テントの床に敷いたマットの上で、お互いに上になったり下になったりしながら、もつれるように抱きしめあう。
寝袋を下敷きにしたまま、和也の慣れ親しんだ匂いに包まれていると、自分の心がすうっと暖かくなって、そして同時に驚くくらい、自分の女の身体が熱く、その行為を求めているのがわかった。
だんだん荒くなっていく和也の呼吸に、自分の心が満たされていくのを感じる。
誰もいない山の中、聖域のように立てられた小さなテントの中でこれから、私はようやく本当の意味で、身も心も女になるのだ。
◇◇◇◇◇
「さあ、私の言葉を大きな声で復唱してみましょう。……女の子に、なるぞー!」
「「「女の子に、なるぞー!」」」
「お化粧ファッション大好きだー!」
「「「お化粧ファッション大好きだー!」」」
「恋愛だって頑張るぞー!」
「「「恋愛だって頑張るぞー!」」」
今日のメス塾の講義は、最悪と言って良かった。
もはやブラック企業みたいな力業。洗脳みたいに何度もメス発言を強要され、精神がガリガリ削られていく時間だった。
講師の先生も、たぶんもう俺たちに何を指導すればいいのか、良くわからないのだろう。
化粧やファッション、性教育なんかは、何を説明すればいいのかわかりやすいところだろうが、メンタル面の話なんて、結局のところ根性論でしかないのだから。
でもこんなクソみたいな講義が続く中、もういくらかのTS患者仲間は退院し、メス塾の参加人数は減ってきているみたいだ。
周りを見てしまうと、焦る気持ちもあるが。
だけど、まだ俺はあやふやな自分の感性が体についてこられずに、スマホすら与えてもらえない軟禁生活が続いている。
「へー、和也はキャンプ料理は手抜き派なんだ。私は色々作るのもけっこう好きだけどなあ」
今日も俺は和也の病室でだらだらとベッドに横になり、勝手に和也のスマホをいじっている。
もうこいつと出会って、1ヶ月くらいは過ぎただろうか。
いつのまにか、毎日のこの和也との時間は、自分の中にしっくりと馴染みきっている。
案外真面目な和也は今、休学中の高校の教科書を開き、なにやら勉強を進めているみたいだ。
せっかく私が来ているんだから、もっと構ってくれてもいいのにな、とも思うけれど、きちんと勉強も頑張る和也の姿勢は、高校生のくせに立派なものだと思う。
「米を炊くくらいはできるんだけどな。いい肉を使うと金がかかるし、結局いつもラーメンに逃げてるよ。……あーだめだ。なんだよ微分って。わかんねえ、意味不明だわ」
数学の問題に頭をなやませているらしい和也のノートを見ると、懐かしい高校の問題が並んでいた。
俺にとっては10年以上前の知識だが、高校で習うことの内容なんて、そう変化はしていないようだ。
俺もここを退院したら、病院に近い場所の県立高校に通うよう、国から勝手に手配されてしまっている。
確かに高卒くらいの肩書きは欲しいし、退院後もカウンセリングでたまにこの病院にも通うことになるらしいから、まあ仕方ない。
ありがたいような、迷惑なような話だが、とりあえず勉強では苦労しなさそうで安心した。
「ここの数字を、エックスの前に出して、ここはマイナス1すればいいんだよ。簡単だって。微分ってのは、変化の度合を数字で示す、みたいなことなんだ。短い時間の間にどのくらい変化するのか、みたいなさ」
理系で大学を出た俺には簡単な話だが……いやだいぶ昔なので結構あいまいな記憶ではあるが、和也はそんな俺を見て、目をぱちくりさせていた。
和也は最近だいぶ怪我も治ってきたらしく、痛々しい傷痕は多いが、片足のギプスも外れ、頭の包帯も無くなっている。
「……紬って、意外と頭いい? ていうか、もしかしてオレより年上とか……?」
「……私は今年で高校一年だよ。あと、意外でもなんでもなく、私はかしこいから。かわいいだけじゃく、かしこい美少女なんだよ私って」
思わず手助けしてしまったが、高校生の数学を俺が理解しているのは確かにおかしい。
和也は困惑したような、情けない表情をしているが、適当にあしらっておくのが正解だろう。
「和也先輩は年上なのに、数学もできなくて残念でちゅねえ。キャンプはできても数学ができなきゃ、将来が心配でちゅね」
私に赤ちゃん言葉で挑発されて、悔しそうな顔になる和也を見ていると、本当に心が満たされていく。
性格が悪くて申し訳ないが、心を許した相手を好き放題にからかったりするのは、本当に楽しい。
「ちくしょう、覚えてろよ。オレは負けねえからな。休んでる間の分の勉強も、絶対取り戻してみせるから」
もどかしそうにまた教科書とにらめっこをはじめる真面目な和也の横顔に、ほんわかと暖かい気持ちになりながら、勉強に関しては余裕たっぷりの俺はまたベッドに横になる。
ぼすんと枕に頭をのせると、ふわりと和也の男っぽい匂いがして、少し体が熱くなった。
枕に顔をうずめると、その匂いがもう少しだけ強く感じられて、頭がふわふわするような、それでいてなんだか眠くなるような、落ち着いた気分にもなった。
「え、お前それ、臭くねえの?」
俺の珍妙な姿に、頭の上から和也の戸惑う声がするが、ぜひ放っておいていただきたい。
ベッドだろうが枕だろうが、私ほどハイレベルな美少女には、好きにそれを接収する権利があるのだから。