表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/34

19、幻人の世界


良はもがいていた。

まるで飛び込み岩から海に突き落とされた時のよう。訳もわからず、液体のようなものに揉まれながら暗闇に沈んでいく。

『息ができない、早く出たい…』

やがて急に上昇しはじめた。明るい光が射したかと思うや、柔らかく弾力のある物の上に投げ出された。

荒々しく呼吸をしながら辺りを見回せば、そこは鬱蒼とした森の中だった。地面にはスポンジのような厚い苔が生えている。目の前には、大きなウロが開いた幹まわりが三メートルはあろうかという大木があり、神社の神木のように細い注連縄しめなわが巻かれている。周囲にはやはり太い木々が立ち並び、空に向かって伸びていた。


「ぶはー、到着したか」

良の隣に横になっていた圭太と新一が目を覚ました。

「うっ、た、助けて」

良の顔を見上げた二人は、目玉をひんむいてのけぞった。二人の横にあった灰色の塊が、ムクリと頭を上げた。それを見た良も驚いた。ハスキー犬よりも大きな灰色の毛並みの犬。それは狼だった。

「私よ、蒼。そんなに驚かないで」

白く尖った牙から風の唸りのような低い声が漏れた。蒼は狼に変身していた。

「こっちが犬神さんてことは、そっちは良か?」

圭太が、蒼と良を順ぐりに見つめた。

「僕に決まってる。何を言ってるんだよ」

ひどく話しにくかった。

顔に手を当てると、鋭く伸びた爪が鼻を引っ掻いた。長い犬歯が唇から突出している。手に見える肌の色は黒色に変わり、周囲に淡く光が滲み出ている。

「僕、どんな格好なの?」

「黒くて、背中に翼が生えてて、牙が生えてて目は金色に光っている。デーモン族みたいに見えるけど、体の周りが光ってるから黒い天使みたいにも見える」

「ほら、犬神さんの家で、おまえが変身しかけた…あれと似ているみたい」

「翼もあるって?」

二人の言葉に良は首を回した。なるほど背中には薄い膜をもった翼が制服のブレザーを突き破って生えていた。

「私たち、幻人まぼろしびとの世界にやってきたのよ。ここでは、宿している波動や精霊に似た姿になるのだわ。でも、安西君が半分人間の姿を残しているのに、私はほとんど変わってしまったわ」

蒼が唸った。

「ほとんどっていうか、全部のような気がするけど」

圭太が小さく突っ込んだ。

異世界に突入する際の緊張がほぐれたこともあって、三人の男子はフワフワの苔を叩いてげらげらと笑った。一方で蒼は自分の姿を再確認しようと、首を回しながら身を踊らせた。


少しして圭太が口を開いた。

「けど、ここが幻人の住む世界なのか?木がいっぱい生えてて、いい感じで落ち着くみたいだ。それにぬくぬく温かいや」

そう言いながらジャンバーを脱いだ。

「ほんと。ここって何気候なんだろう」

と、後に続いてジャンバーを脱いだ新一は、そのポケットからスマートフォンを取り出して、あれこれいじっていたが、

「だめだ、壊れてしまってる」と放り投げた。


背中に強い圧迫感を感じた良は、「もったいないけれど」と、翼の生え際で破れている制服とワイシャツを引きちぎった。中のTシャツも破れていたが、圧迫感はなくなったので、そのまま着ておくことにした。

毛皮に変わってしまったのか、周囲に蒼の着ていた服は見えなかった。


一度顔を見合わせてから、四人は誰からともなく木々の間を歩きはじめたが、

「これって?」と、すぐにも奇妙なことに気がついた。

四人が歩いている地面に、二つの黒い影が恐ろしい速さで回転しながら移動していたのだ。形はぼやけていてよくわからないが、四人のあとを追いかけているように見える。

木陰なので、日に当たった時にできる影ではない。

「これって もしかしたら、長老さんと犬神さんのお父さんの波動みたいなものかな。いや、ここは下方の世界だから、二人の波動は空のずっと高い所にあるはず」

良は話しながら木々の梢の先を見渡したが、木々の葉のすき間には、鉛色の空らしきものがチラチラと見えるだけだった。

「たぶん、父さんたち二人を現しているものだと思うわ。でも安西君、ここでは上の世界とか下の世界とかいう考えは、捨てなくてはだめよ」

蒼が笑うような唸り声で話した。

「ほんと頭が混乱する。だいたい狼が女言葉で話すのもおかしいよ」

「何っ」

ぼやいた圭太の足を、鋭い牙がかみついた。

「ごめんごめん。悪気があったわけじゃないんだ」


少し進むと、さざめく水の音が聞こえてきた。そしていきなり森は終わった。


四人の前には、白銀色の砂浜が弧を描いていた。その先には、紺色の海が澄みわたり、幾つもの島が浮かんでいた。あちこちの波間には小舟が揺れ、中に乗った人が忙しそうに働いていた。

「あの人たちが幻人?漁師にしか見えないや」

一番手前、八十メートルほど先の小舟を見つめながら、良はつぶやいた。

「のどかだね。水、触わってみようっと」

新一が普段では想像できないほどの素早さで、砂浜に向かって駆けだした。

胸騒ぎがした良は後を追いかけた。波打ち際のすぐ前で、先に蒼が疾風のように走り寄り、新一の前をさえぎった。

「だめ!」

新一はつんのめって転び、砂だらけになった。

「どうしたっていうんだい」

三人の後を追いかけてきた圭太が聞いた。

「ここは私たちの世界ではないのよ。美しく見える物が、優しく受け入れてくれるとは限らないわ」

「そりゃそうだけど、こんなに綺麗な海だよ。悪さをするなんて思えないよ」

新一は頬を膨らませた。

四人はザワザワと砕ける波を見つめた。白い泡の向こうでは、澄み切った水の底で、薄緑色の砂が煌めいている。


『確か昨日、ここで波動を広げた時に激しい痛みを感じた。あれはいったい?』

良は視線を巡らした。

「あれ」

圭太が疑問の声を出した。

「影がないぞ」

空は鉛色だが決して暗くはなかった。今は木陰ではないので、薄いながらも影はあるはずである。だがどこにもなかった。目の前で飛びはねながら砂を落としている新一の足元にも、影は見当たらない。そしてその胸にぶら下がっている石は煌めきをなくしていた。


『この世界には影がない。光の現象が僕らの世界とは違っている。そしてこの世界で、僕は波動そのものに似た姿を現している。じゃあ、僕の体の一部が海水に触れたらどうなる』

ふと思いついた良は、鋭い爪で手の甲を引っ掻いた。薄く出た墨のような黒い血をTシャツの裾で拭き取り、それを破った。

「良ちゃん、何するの?」

皆が不思議そうに見つめる中、良は破った裾を海に投げ込んだ。


波に揺れる布地から黒い血が滲み出ていく。

と、見る間にも海水の一部がどす黒く濁り、なまこの化け物のような形になった。そしてとげを持った触手を伸ばし、波間に漂う布を掴んで大口を開けて飲み込んだ。そのまま小さく縮んだかと思うと、跡かたもなく消えた。


「見ただろう」

良は振り返った。

「今のが、海に入った時の僕の運命さ。この美しく見える海?に飲み込まれて消えてしまう。たぶん、みんなも同じじゃないかな」

新一の口元が震えていた。歯を打ち鳴らすカチカチという音が漏れた。

「俺たち、これからどうするんだい?」

圭太が良に向き直った。見慣れない親友の恐ろしい顔を目前にして、口元が少し引きつっている。

「やることは一つ。この世界に住む銀の衣の三郎太に会いに行くんだ。あの人は、まちがいなく話を聞いてくれる」

良は答えた。


「でも、どうやってその人を見つけるんだ?海には入れないし、第一、俺たちは舟なんて持っていないんだぜ」

「一応、舟は来てるけどな」

良は圭太の声に答えながら、波間に揺れる小舟に視線を注いだ。舟はすべて先ほどより近づいていた。乗り手は四人に気づいていたのだ。

「良ちゃん、どうする」

新一が破れたシャツにしがみついてきた。

「慌ててはいけない。まず、こちらから敵ではないことを示さなくては」

良は海に向かって手を振った。

自分の見かけが恐怖を呼ばないように、優しく、優しく。それに応じて、近づく舟のスピードは速くなった。乗り手たちは皆、骨ばっていて背が高かった。穴の開いた布を首から通した簡素な服を着ている。こちらを向きながらを漕いでいる。


やがて、浜辺は数十隻の舟に囲まれた。

新一は良の背に隠れるように立った。さすがの圭太も灰色の狼にぴったりと寄りそっている。

「異形の者よ、おまえたちは何者か?」

舟の乗り手のうち、一番大柄な男が口を開いた。赤い唇に上下に生えた長い犬歯が剥き出した。鼻は白色系の人種の人よりもっと高い。その周囲で、他の男たちは物干し竿のように長いモリを構えていた。

『あれは』

獲物をつく鋭いモリの刃先は、氷柱つららの先のように透明で、それは四人に向けられていた。

良はその刃先に見覚えがあった。自分たちの世界で、凍りついた男性の足元に見えたものだ。

『幻人たちは、あのモリで人々を突いて、命の波動を奪っている。とすると』

舟の上に視線を走らせると、銀色の桶のような物があり、中で黒い魚の背がうごめいていた。

『人の持っている命の波動は、この世界では黒い魚となっているんだ』

良は悟った。


波間には、二匹の黒い魚が、残像を引くような速さで泳いでいた。わずかだが止まっている時もある。砂浜にさしかかると、魚は形のない影のようになった。付かず離れずいつも良の近くにいる。やはり長老と蒼の父さんの波動に違いない。

先ほど話した男は、チラチラとそちらに視線を走らせている。 


「僕たちは、別の世界からやってきたのです。銀の衣の三郎太という人に会いに」

良は問いかけた幻人に答えた。

「ここは、光の精霊が宿る神聖な場所だ。だが先ほど、木々は奇妙な色に輝いた。さては、おまえたちこそは、青き空を奪った邪悪な者なのではないか。それに三郎太などという者はここにはいない」

男は紫色の目を光らせて話した。良の後で新一が歯をかち合わせる音が大きく響いた。

「怪しい者たちよ。すぐにも自分の世界へ帰れ。ここはおまえたちの訪れる場所ではない」

男は鋭く言い放った。

「駄目だ。僕らは自分の世界を救うためにここにやってきた。探している人に会わなければ帰るわけにはいかない」

強く発した良の言葉に、男たちは構えていたモリを大きく後ろに引いた。


「安西君、この人たちには話が通じないわ」

蒼が低く話した。

「なんと!」

鼻にしわを寄せて男が唸った。

「獣が口をきいた。やはり、こやつらは邪悪な者だ。皆の衆、帰してはならぬぞ。はらいの儀式にかけるんじゃ。放て!」

体を低く構え直した男たちが腕を振るった。

「危ない!」

良は振り向きざまに、新一と圭太の腕を掴んだ。背中にぐっと力が入った。翼がバサリと広がったのを感じた。何十本ものモリが空気を切り裂いた。

『飛ぶ!』

心に念じた。

翼が力強く打ち下ろされ、良は二人を抱いたまま空に舞い上がった。


一瞬の出来事だった。

さすがに、目まぐるしく泳ぐ黒い魚を突いているだけあって、モリを投げる幻人の腕の動きは尋常の早さではなかった。二人の友人は驚く暇さえなかったに違いない。

下方に、灰色の狼が予想もできないような走り方をしながら、森の奥に消えていくのが見えた。

『犬神さん、無事でいてくれ』

祈りながら夢中で羽ばたいた。


『この感じ…僕はあの洞窟の中で羽ばたいたんだ』

良はおぼろげながらに思い出した。あの時はただ飛んでいただけ、翼があるなど意識していなかった。だからうまくいったのかも知れない。だが、今回は背中の翼をはっきりと意識していた。その事が飛ぶことを邪魔していた。

…翼よ、羽ばたけ…と、どうしても背中の翼の根本がある所に力を入れてしまった。その為に、ただ高く上昇していくので精一杯だった。水平に飛ぼうとして体をよじると、羽ばたきは遅くなり、海に落ちていきそうになった。

「良、よけいなことを考えるな!」

腕の中で圭太が苦しそうに呻いた。新一は何も言わなかった。


そのまま恐ろしいジグザグ飛行がしばらく続いたが、やがてグライダーのように空を滑ることを覚えた。

『これが大空を羽ばたくということ…』

風を切る翼の音を聞きながら、飛びたい方向に頭を傾ける。それだけでよかった。


良は先ほどいた犬の頭の形をした島を目の奥に刻みながら、大きく旋回した。

破れたTシャツの背をハタハタと風が抜けていく。遥か遠くに、白く霞む山が見えた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ