15、波動を引き付ける穴
二人の友人と別れた良は、自宅の玄関の前に立っていた。
長老がクラスメートを招いて、引っ越しのパーティをしていると嘘の電話を入れてくれていた。始業式の日にしては遅くなりすぎたが、そのことで怒られることはないだろう。
『けど、先生は家に電話している。居残りはばれてしまっている』
こっそりと庭にまわった。窓の隅からのぞいて母の顔が引きつっていないかを確かめるために。
松、柊、赤い花を咲かせた椿…
庭木は全て凍っていた。冷え込みは朝よりもひどくなっていたが、寒さを感じない良にとっては、別世界の出来事のようだった。物干竿の下に黒ずんだ小さな塊が落ちていた。
「雀」
腰を屈めて、そっと手の中に包み込んだ。羽毛におおわれた体は、硬く冷たかった。
『いくら寒くても、鳥が凍ってしまうなんて…。長老さんが話していた通り、育みの気が減ってきているんだ。母さんに叱られる?そんなことを気にしている場合ではない』
良の頭の中で、チャンネルが切り替わったようだった。奇妙な波動を宿したことについては、きっちりと説明されて不気味さは消えていた。代わりに、さらりと聞いた育みの気の減少の話が、現実味を帯びた怖さを持ちはじめていた。
家に明かりがともった。
テレビの前でスナックの袋に手をかけている満、台所のカウンターの向こうで忙しく動く母の姿が浮かびあがった。
いつも通りの光景だった。人間は、動物や植物のように凍ったりはしないのかもしれない。しかし、何かのきっかけがあったら…
『この当たり前の日常は、不意にかき消えてしまう』
良は視線を自分の手元に移した。
「どうにか どうにかできないのだろうか…」
つぶやきとともに開いた手から、雀が飛びたった。
「死んではいなかった」
また凍りついてしまわないかと、ひやひや見つめていたが、小さな点は無事、夕焼けの空の彼方に消えていった。
喜びとともに頭がクラクラした。雀ほどの小さな生き物でも非常に力を使うのだ。もしも、人が凍りついてしまったら、とてもではないが、たやすく助けることはできそうもなかった。
『ただ、僕にはできることがある!』
見当もつかなかったが、良は、自分が何か途方もないことに足を突っ込んだことに気づいていた。ぶるりと武者震いをして玄関に戻り、力強くチャイムを押した。
「早く開けて、お腹ペコペコだよ」
夜も十時をまわり、良は自室に入った。
居残りをさせられたことについて、母は叱ったりはしなかった。一年生とはいえ、さすがに高校生相手に口出しすることではなかったのだろう。それでも、帰宅が遅くなることについて自分で連絡をしなかったことを注意された。
都合よく昼食は残してくれていたので、夕食と一緒にあっという間にたいらげた。食事の量はすごかったが、「今日は、光にお祈りしていなかったからね」と、ご機嫌な様子で二階の自室に上がろうとする良に、父も母も、ほっとしたように「お休み」と言った。
「さて、仕事のはじまりだ」
部屋の中で一度深呼吸をした良は、口元を引き締めた。カーテンを開けて電気を消し、ベッドに横になった。
『幻人が口にしているという禁じられた食べ物。犬神さんの父さんは首を捻っていたけど、きっとそれが育みの気の減少に関係している。それを確かめるために、あの三郎太という人にもう一度会って話をしなければ』
やることは一つ。数日前にしたように、竜の波動で散歩をするのだ。
『あの時と同じように月の光を浴びて。今度は意識的に、光とそれを支える波動を思い描いて…それで波動をのばす…』
しかし、あいにく今晩の空には薄雲が張り出し、射し込む月の光は弱かった。そのせいか、なかなか光を想像することができず、目に見えない感触を広げることはできなかった。
『リラックス リラックス』
自分に言い聞かせて、ゆっくりと息を吐いた。
心に青白い光が思い浮かんだ。
『竜の波動を育てた水晶の光…これだ』
急に体が軽くなったように感じた。肉体から滲み出た波動が伸びていく。絨毯の肌触りを感じ、玄関の靴のでこぼこを越え、そして外に出た。
『さあ、どっちに行こう』
思い切ってイソギンチャクの触手のように、波動を放射状に伸ばしてみた。
『できた!』
自宅を中心として、波動は町中の道に広がっていった。アスファルトを這いずるザラザラとした感触を良は体全体で受け止めた。
あちらで車のタイヤに轢かれ、こちらで人の足に踏みつけられた。犬か猫か、時おり素早く走り去るものがあった。
と、ある場所で、地面の下からナイフのように鋭い物が突き出してきた。良は本能的にその切っ先を避けたが、歩いてきた人の足がその上に置かれた。次の瞬間、その足元から分かれた何かが、良の波動にしがみつこうとしてきた。
その何かは、交通事故にあった新一の魂に似ていた。掴み所のない煙みたいな感じはまったく同じ。でも、こちらにはほのかな温かみがあった。
『この人は、自分の命の波動をなくすまいともがいている』
良は悟った。
ついに、人々までもが凍り始めたのだ。
『今はあなたを助けることができない』
必死に掴まろうとする波動を、良は辛うじて振り切った。たとえ、強力な力を持つ波動を宿していても、凍った人を溶かす力には限界がある。
『僕の宿している竜の波動は目覚めたと長老さんは言っていた。でも、もし、犬神さんたちのいない所でへたってしまったら、エネルギーの回復は期待できない。この奇妙な事件の中で動ける者がいなくなってしまう』
やがて、人の足元から分かれた波動は消えてなくなった。後には、棒切れのように立つ二本の足が残るばかり。
良は重い気持ちを振り払いながら、自分の波動を前に進めた。
その後も、地面から突き出る刃物に刺され、温かさをなくす人々の足とすれ違った。
『何が起こっているんだ?これは[育みの気]の問題なんかじゃない。誰かが地面の下から人を突き刺して、命の波動を奪っている!』
良は心で叫びながらも慎重に波動を伸ばした。
あちこちで波動の触手は何かに引きつけられた。
『でも違う。あの時の吸引力は、もっと強かった』
そのうち、町の中心部に伸ばした触手の一本がぐぐっと引きつけられた。
『ここだ』
他の触手との位置を考え合わせると、ちょうど市役所の南側ぐらいである。即座に触手をまとめ、一本の先に集中させた。
磁石のように波動を引きつけるのは、穴というより、ゴツゴツとした石の塊だった。波動は石をまきこみ、その下にとろとろと伸びていった。触手の先端が辿り着いたところで、再び波動を広げた。
『痛っ!』
広げた先で、焼け付くような痛みを感じた。そこは学校のグラウンドぐらいの広さの土地だった。太い木が密集して立っている。周囲には何か危険な物がある。
『確かにここで彼にあったはずなんだ』
感覚を研ぎ澄ましたが、人の気配はなかった。
『よし』
数秒とかからずに、伸ばしていた波動を引き戻した。
銀の衣の三郎太はいなかった。でも、彼が住む世界への入口は見つかった。
良は深い眠りについた。