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【オムニバスSS集】青過ぎる思春期の断片

魔法の言葉を拾う人

作者: 津籠睦月

 “ありがとう”は魔法の言葉だと、何かの本で読んだことがある。

 全世界どこへ行っても、その国の言葉で「ありがとう」が言えれば、誰とでも気持ちを通じ合わせ、仲良くなれるのだと。

 全部を丸々信じたわけではないが、素敵な考え方だと思ったのは事実だ。

 それ以来、何となく、“ありがとう”という言葉だけは、自分の中でちょっとだけ“特別”だった。

 

 どんなに身近な人間が相手でも、どんなに些細ささい出来事できごとでも、「ありがとう」の言葉はちゃんとその都度(つど)口にして、感謝の気持ちを伝えるようにしてきた。

 

 その気持ちは、きっと伝わる。相手の心に、ちゃんと届く。

 ささやかでも、短い一言でも、何百何千と積み重ねられたその「ありがとう」が、自分と相手との間に見えないきずなきずいてくれる――そんな希望ゆめを、いだいていた。

 

 だけど、俺にとっては特別で大切な「ありがとう」の言葉も、相手にとっては、単なる五つの音のつらなりに過ぎない。

 届いていると信じていたその言葉が、まるで背景音楽(BGM)雑音ノイズのようにスルーされて、相手の心に何ひとつ届いても築いてもいなかったという事実を、俺はごく最近、知ることとなった。

 

 いつも、当たり前のようにそばにいて、これから先もずっと変わらずにいると信じていた親友。

 ……いや、親友だと勝手に思い込んでいた相手。

 その絆を大切にしたいと思っていたから、いつも「ありがとう」を伝え続けていた相手。

 ソイツが、ごく些細ささいなきっかけからの口論で俺に投げつけてきたのは、あまりにひどい存在否定の言葉だった。

 取り返しがつかないくらいに強い言葉だから、俺自身はどんなに感情がたかぶっても、決して口にしないよう封じてきた言葉。

 その言葉を突きつけられた時、俺の中で何かが壊れた。

 

 これまでに数えきれないくらい言い重ねてきた「ありがとう」――その代償が、なぜそんなに酷い否定の言葉でなければならないのか……。

 

 言葉なんて、そこから意味をらなければ、単なる音や文字の羅列られつでしかない。

 特別でもなければ、万能でもない。まして、魔法なんてめられていないんだ。

 

 俺が、祈りを籠めるように、せっせと言い続けてきた言葉には、何の意味も無かった。無価値なものでしかなかった。

 ただただ、むなしさを感じた。

 世界が一気に色()せたようにさえ感じた。

 

 いつも、心が沈んだ時には、ちょっとコンビニに寄り道して、甘いものを買う。

 少ない小遣こづかいを無駄むだけずる行為だが、必要なストレス発散だと思っている。

 今回の心のダメージが、甘い炭酸やアイスごときでえるとは思えなかったが、習慣のように、気づけばいつものコンビニにいた。

 

 いつも同じような時間帯に行くせいか、レジにいる店員の顔も何となく覚えてしまった。

 たぶん、俺と同年代か、少し上くらいの女子。

 少し要領が悪い感じで、レジ操作や袋づめにモタついては、客から嫌な顔をされている。

 だけど俺は、べつに急いでいるわけでも何でもないので、いつも特に苛立いらだつことも不快感を覚えることもなく「バイトって大変そうだな」という目でその作業をながめていた。

 

 今日は店内の客もまばらで、レジにならんだのは俺一人だった。

 いつものように不器用そうにレジ操作をする彼女をぼんやり眺め、いつものように「ありがとうございます」と言って商品を受け取る。

 何の気無しに口から出ていたその言葉に、自分でハッとし、苦笑しそうになる。

 

 最早もはや、唇にみついて、意識しなくても出てしまう、習慣化した「ありがとう」。

 その魔法の効果を信じられなくなっても、未だにせっせとその言葉を吐き出してしまう自分が、たまらなく哀れに思えた。

 

 ストレス解消どころか余計にみじめな気分になってレジを離れようとしたその時、思いがけず引き留められた。

「あの……っ、私、今日でここのバイト辞めるんです」

 レジの向こうから、勇気をしぼって出したような緊張に震える声で、彼女が言う。

 何のことだろうと呆気あっけに取られる俺に、彼女は続けた。

「今まで、いつも、ありがとうございました。こんな私に、優しく接してくれて……。いつも『ありがとう』って、言ってくれて……。その言葉に、私、救われてたんです」

 

 その言葉に、言いようのない衝撃を受けた。

 届いて欲しかった身近な相手に届かなかった「ありがとう」――それが、数週間に一度会うだけの、名前も知らない相手に届いていたなんて。

 

 喜んでいいのか、哀しめばいいのか、それとも運命の皮肉を嘲笑わらえばいいのか……。

 どう受け止めれば良いのか分からない。感情がごちゃ混ぜで、混沌としていて、処理しきれない。

 

 そもそも俺は彼女に、そんなに深い気持ちで「ありがとう」を言っていない。

 彼女を救おうと思って口にしていた言葉ではない。

 家族や友人に対しての「ありがとう」とはまるで違う、もっと浅くて軽い気持ちの……挨拶あいさつのような「ありがとう」だった。

 それなのに彼女は、そんな言葉に救われたと言い、感謝の言葉を言ってくる。

 

 ――そうか。と、ふいにすとんとに落ちた。

 

 どんな言葉も、そこに意味を読み取らなければ、ただの記号で雑音に過ぎない。

 だけど、そこから意味をみ取ろうとする人にとっては、魔法であり、救いともなり得るんだ。

 

 親友だと思っていたアイツが、ノイズのように聞き流して捨て去った俺の「ありがとう」を、彼女は拾い上げ、その心に受け止めてくれていた。

 それどころか、俺が意図していたよりも数倍深くて綺麗な“意味”を読み取ってくれた。

 俺が彼女を救ったんじゃない。

 他人の言葉を、そんな風に優しく深く解釈できる彼女の心が、彼女自身を救ったんだ。

 

 “ありがとう”は、魔法の言葉だと思っていた。

 世界中の誰とでも心を通じ合わせられる、魔法の言葉なのだと。

 だけど、そうじゃなかった。

 その魔法は、その言葉をただの音や記号じゃなく、意味のある“言葉”として受け止めてくれる人間にしか効果のないものだったんだ。

 

 どんなに心を籠めて口にしても、あるいはどれほど軽い気持ちで口にしても、それをゴミのように捨てる人間もいれば、大切に拾い上げてくれる人間もいる。

 ただ、そういうことだったんだ。

 言葉が悪かったわけでも、口にした人間が悪かったわけでもない。

 

 ならば、俺はこれからも、“ありがとう”の言葉を言い続ければいい。

 何百、何千と口にするうちの何割かは、無視され、流され、最初から無かったもののように忘れ去られてしまうだろう。

 だけど、中には心に届き、優しい灯をともすものもある。

 

 必ず届く、と闇雲に信じるのではなく、ささやかな祈りのように、この言葉が相手の心に届くことを願えばいい。

 そうして実際届いて、その心に根を下ろして、絆や救いや――“何か”を生み出してくれたなら、その小さな奇跡を喜び、感謝すればいい。

 ただ、それだけのこと。

 きっと、それだけのことだったんだ。

Copyright(C) 2020 Mutsuki Tsugomori.All Right Reserved.

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