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「前に見たときよりも……痩せた」


 朝の静寂の中、食事を摂る。パンをちぎる手を止めて、先生が俺をまじまじと見るような視線を送り、そうつぶやく。つい、今しがた気づいたとでも言わんばかりの声音だった。


 案外と、先生にも俺をじっくりと見ている余裕はなかったのかもしれない。そう思うと昨日の仕打ちをなおさら後悔する。


 俺の目の前にはスープと果物だけ。固形物のほとんどを、俺の胃は受けつけなくなっていた。口にしても嘔吐感が襲ってきて吐いてしまう。そういうことを繰り返した末に今のメニューに落ち着いたのだ。


 だからなのだろう。俺の体からはもとよりあまりない脂肪や、筋肉が落ち始めていた。そのことに、危機感を覚えてはいる。戦争には勝ったが、情勢はまだ不安定なままだ。そんなときにバケモノとして戦えない俺に、価値はない。


 情勢と同じく、俺の立場もまた不安定なものだった。戦後すぐは俺を英雄として祭り上げようという機運もなくはなかったが、結局は有耶無耶のまま立ち消えとなって今に至る。


 それもすべて、バケモノの姿があまりにもおぞまし過ぎるからだ。


 バケモノ、バケモノ、と言われるにはそれなりの所以があるわけで。俺だって初めてバケモノになった仲間を見たときは、その醜悪さに絶句したものだ。翻って、俺が今そうなっているであろうことにも。


 とにもかくにもバケモノと呼ばれるからには、それなりの理由があり、他人の中に忌避感や嫌悪感を想起させてしまうのだ。


 戦後すぐの空気の中で、俺と自分の娘を結婚させたいという貴族もいくらかいた。俺も、結婚をすればなにかが変わるかもしれないという――今思えば甘ったれた考えで――その尻馬に乗った。


 けれどもそれはいずれも失敗した。中には、俺を恐れるあまりに卒倒してしまった令嬢もいた。俺はそんな娘たちを見て、結婚などという夢を見ることをあきらめた。


 だれからも必要とされないという現実は、辛かった。


 戦争が終わり、バケモノは必要とされなくなった。そしてバケモノになってしまった俺を、愛してくれるなどという人間もいはしなかった。


 俺は王子だが王位継承権は下から数えたほうが早く、王太子である異母兄(あに)の替えにすらなれないような、地位の低い王子だ。つまり……いてもいなくても、王権に影響のない人間だということだ。


 だからこそ俺はバケモノになった。バケモノになれた。馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないが、俺はそうして戦場で華々しく戦うことで、父の関心を少しでも得られるのではないかという邪心を抱いていた。


 しかし現実は厳しかった。当たり前のように父王にとって俺は単なる便利な道具でしかなく、戦場の現実は俺を打ちのめし――その精神を破壊した。


 戦争には勝った。しかし、歌劇の中のハッピーエンドとはほど遠い現実が待っていたわけである。これを、滑稽と言わずしてなんと言うのだろう。


 俺は破れかぶれに王宮を去り、与えられた公爵領に引きこもった。領地の采配は管理人に一任しており、俺はただ書類を決裁することにほとんどの時間を費やし、あとは人を遠ざけて時折制御不能の涙を流す。そんな俺を領民がどう思っているのかなんてことは、知らない。案外とどうでもいいと思っているのかもしれない。


 そして、そんな風に時間を費やしていたところに――先生はやってきた。


 だれかに遣わされたのか、自発的にやってきたのか……。俺は、後者ならばいいと思った。そもそも、前者にしてもその「だれか」はさっぱり思いつかない。仲間はみなひとり残らず死んでしまったわけだし、まさか父が手配するとは到底思えなかった。


「辛くないか?」


 話の流れとしては、痩せている俺を心配しているのだろう。しかし先生の言葉に虚を突かれた俺は、まるで俺の、破れかぶれの精神状態を心配しているように聞こえて、泣きそうになった。しかし、奥歯を食いしばってぐっと耐える。


「……なぜ」

「なぜ?」

「先生は、どうして俺を心配してくれるんだ? 心配だから……ここにきたのか?」


 思ったよりも苦しげな声が俺の口から漏れ出る。喘ぐように、先生に問う。


 先生は目をぱちくりと瞬かせたあと、またパンをちぎっていた手を止めて、じっと俺を見た。注意深く観察するような目ではなく、ただ不思議そうにまん丸の目を……いっそ無邪気に向けてくる。


「私は……お前たちに命を懸けてもらったから」


 先生の言葉はちょっと飛躍しているように聞こえた。しかしその言葉を受けて、俺の中でにわかに記憶がよみがえった。


「命を懸けて誓います」


 俺はたしかにそう言った。


 あれは……そう、先生が父王を暗殺しようとした疑惑がかけられたときの話だ。先生は暗殺を水際で阻止したと言うのに、先生をよく思わない王宮内の一派が、先生こそが王に害を生そうとしたのだと言い張った。証拠のほとんどは状況証拠や、あるいはでっちあげで、その一派はそれが暴かれてのちに失脚したわけだが。


 俺は仲間たちの力を借りて、先生の無実を証明するための証人や証拠探しに奔走した。……そうやって証人や証拠を揃えても――それでも、実際に先生の潔白を父が信じるかは賭けだった。


 厳格で疑り深い父が、先生のことをどう思っているかもわからなかった。先生を直接招聘したのは父だと聞いていたが……しかし、自らにとって害ある存在だとみなして、最悪処刑する可能性だってあった。俺の父は、そういう人間なのだ。


 俺は、先生の無実の証拠と、暗殺者が特に背後関係を持たない人間であることを証明し、そして最後に言ったのだ。先生の無実を、「命を懸けて誓う」と――。


 それが父の心にどれだけ響くのかはわからなかった。しかし若くまだ熱い気持ちを持っていた俺は、そうつけ足したのだ。なりゆきを見守っていた仲間や、侍従がぎょっとした目で俺を見たのがわかった。


「命を懸ける」。……あのときは、命の重みなんてものは知らないくせに、軽々しく口にできた。


 けれども今、もし、あのときと同じようなことが起こったら――俺はまた、先生に俺の命を委ねることができるだろう。


 俺の宣誓を聞き届けた仲間も、次々に俺へ同調して、「命を懸けられる」と言った。先生には、それだけの価値があると。


 一時、場は騒然としたが、父は当たり前だが平静を保って鉄仮面を被ったかのような顔で、玉座から俺たちを無感情に見下ろすばかりだった。


 ……結局、先生の無実の証明を父は信じた。先生のありもしない罪を唱えた一派は失脚し、王宮を追われた。俺たちはそれを純粋に喜びあった……。


 昔の話だ、と断じたところで、それでも数年前の出来事なのだと気づく。戦争の……悪夢のような期間はことさら長く感じられて、時間感覚がおかしくなっているらしい。


 数年前まで……生きていた。今は、俺と先生だけ。そう思うとまた、じんわりと涙が込み上げてくるのを感じて、俺は意識を余所へと飛ばそうとした。


「命を懸けると……そう言われたから。だからきっと、それが忘れられなくてきたんだ」


 先生の言葉は、最後はどこか独り言でもつぶやくような感じだった。


 先生はそこまで言ったあと、再び俺に視線をやった。


「お前が言うように、お前のことが心配だったからきたのもある」

「……噂にでも、なっているのか?」

「まあ、な。しかし、噂は噂だ。実際に会ってみないとわからないと思った」

「俺は……俺と……会ってみて、どうだ?」


 先生の目がふっと笑ったような気がした。


「あの日……戦争が始まる前に顔を合わせたときと、変わっていなくて安心した」

「変わって、いない……?」


 先生が俺のどこを見てそう言ったのかさっぱりわからず、俺はオウム返しに問うてしまう。


 先生はなぜか自信に満ちた声で、また淡々と言う。


「ああ、変わっていない。私の知っているジルは……ジルのままだった」


 俺はそれにどう返せばいいのかわからず、沈黙してしまった。気まずい空気が流れる。が、先生はそんなことは微塵も感じてはいないようだった。


「私の……バケモノにした教え子たちはみな、そうだった。バケモノになっても、バケモノと言われようとも、なにひとつ変わらなかった。最期のときまで。……私は、それが誇らしいよ」


 先生の目は俺を見ながら、俺を見ていなかった。俺を通して、バケモノとして死んで行った仲間たちを見ているようだった。


 きっと、先生は生涯その教え子たちを忘れないんだろう。なぜだかそう確信できて、俺はまた泣きそうになった。

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