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中学校に入学する頃、私の身体は更にがっしりとしてきた。
この頃になると、以前よりも継母から暴力を振るわれる事が減った代わりに、ヒステリックに怒鳴りつけられる事が多くなっていった。
多分反抗期だったのだろうか、私は常にイライラしていて継母に対して反抗的な態度をとる事も多くなっていった。むしろこれまで良く睨み付けるだけで済んでいたものだ。
継母はそれが気に入らなかったのだろう。でもあんまり暴力を振るっていると私から反撃されるかも知れない。そんな気持ちがあのヒステリックな暴言に繋がっていたのかも知れない。
私は相変わらず、継母の代わりに家の家事をすべて押し付けられていた。部活動をすれば家事が出来なくなるからと、入部する事を禁止された。本当は入りたい部があったのだけれど泣く泣く諦める事になった。
そうして過ぎた中学時代。
私は中学校を卒業すると同時に家を出るつもりだった。
私は一日でも早く一人で生きていきたかった。
とにかく父親と継母との縁を切りたかった。
中学校までは義務教育だったから我慢していた。中卒だと苦労するのは目に見えていたけれど、家にいるのも地獄なのだ。どうせ苦労するんだからどうせなら自由になりたい、そう思っていた。
それに私が家を出た方が父親も継母もせいせいするだろう、そう思って高校に進学はしないと私が告げれば、二人からそれは許さないと反対されてしまった。
さすがに娘が中卒では世間体が悪かったのだろう。
しかも受験する高校は勝手に決められていて、県立の商業高校に合格するように言われてしまった。万が一そこに落ちて私立の高校に進学するような事になれば、就職したあと学費を全部返せとも言われた。なんて自分勝手な人達なんだろうか。
それで私は進学する気が無かったのに、行きたくもない学校に合格する為に必死に勉強する羽目になった。何とか県立の商業高校に合格した時、そこそこ人気で倍率も高かったから心底ホッとした。
私は嫌々ながらも高校に進学した。
でもせっかく商業高校に進学したのだからといろんな検定を受けた。幸い検定のお金はちゃんと出してくれたので、文句を言われないようにと時に徹夜をして必死に勉強した。
お陰で高校を卒業する時には、簿記は日商簿記の二級、全商簿記、全経簿記でそれぞれ一級を取得して私は高校を卒業した。
それもあってか就職活動は小さな会社ではあったけれど事務職の正社員として一社目でスムーズに決まった。
こうして高校を卒業し、就職してから私はすぐに家を出た……と言いたい所だけれど実際は少し違う。現実的に一人暮らしをするにはかなりのお金が必死だ。私にはそのお金が全く無かった。何しろお小遣いなんて貰っていなかったからだ。
なのでしばらくは実家から職場に通う事になった。ちなみに、毎月五万円を家に入れる様に言われた。
幸いな事に職場までの距離は実家から自転車で通えなくもない距離だった。半年間、毎日お弁当を作りお茶を水筒に入れて、自転車通勤しながら職場に通った。くたくたになって家に帰れば、一日だらだらと過ごしていた継母は家事を何もしていなかった。私は大きなため息をついては継母の代わりに家事をした。
そうして耐えた半年後、待ちに待った実家を出る日がやってきた。そこには実家を出る寂しさなんて微塵も無かった。
私の胸にあったのは安堵感と一人暮らしへの喜びだった。
反対に父親と継母は、少し涙ぐんでいた。
馬鹿じゃないかと思った。
あまりの馬鹿らしさに笑いが出そうだった。
この日、私は実家を出て一人暮らしを始めた。
たとえ二人に何があろうとも、私は二度とこの家で暮らす事はない、そう心に違いながら。
私が一人暮らしを始めたアパートは、少し古かったが家賃が安い割になかなか綺麗な所だった。
お風呂とトイレは別だったし、部屋は畳だったが八畳あった。コンビニも近くにあって、職場も近くだったから大満足だった。
何より一番嬉しかったのは、もう痛い思いも苦しい思いもしなくていいという事だった。やっと私は自由になれたのだ。
一人暮らしを始めてからの私は必死だった。
誰かと遊びに行くこともせず、男の人と付き合ったりする事もせず、ただただがむしゃらに働いていた。
ほとんどが職場とアパートとの往復で、週に一度スーパーに買い出しに行った。その食材を使って毎日お弁当を作りお茶を持参していたから外食はほとんどしなかった。
小さな会社だったからかいつも和気あいあいとしていて、社員同士の仲もとても良かった。当時の私は自分に自信がなくていつもビクビク、おどおどしていた。
そんな私にも職場の人達はよくランチや飲みに誘ってくれた。でも私はほとんど断っていた。そんな地味で暗くて付き合いの悪い私に対して、職場の人達は本当に優しかった。
あの当時は必死過ぎてちゃんと理解出来ていなかったけれど、最初の勤め先があの会社で、私は本当に恵まれていたのだなと思う。
それから一年、二年と過ぎて行く中で、気づけば私は二十四歳になっていた。
その間に会社で仲の良い友人も何人か出来て、一緒にランチに行ったり遊びに行く事も増えてきた。
おしゃれに興味の無かった私も、人並みに流行りの服を着る様になり、メイクも雑誌を読んで研究したりして、少しずつ自分に対して自信もついてきた。
それ以外にも教習所に通って車の免許を取り、中古車だけれど車も買った。あの頃の私は、週末はもっぱら一人でドライブに出掛けていた。特に目的地も決めず、気の向くままに走る時間が大好きだった。
あれはゴールデンウィーク辺りだっただろうか。いつもの様に一人でドライブしていた私は車の異変に気がついた。何だか振動を感じるのだ。もしやと思ってコンビニの駐車場に入った。
一番端の所に車を止める。
隣には真っ赤な大型のフルカウルのバイクが停まっていた。
タイヤを見るとやっぱりパンクしていた。こんな時はスペアのタイヤに替えるらしいけれど、私は一度もした事が無かった。
しかもいつもお世話になっている整備工場は、ここからだと一時間以上はかかるはず。私は途方にくれていた。
そんな時だった。
「どうしたの? パンク?」
そう声をかけてくれた人がいた。
少し長めの茶髪の髪、上下を黒のレザーできめた、いかにもチャラそうな男性だった。
でもその見た目とは違って、手際良くスペアタイヤに着け替えてくれた。私はチャラそうだなんて思ってしまった罪悪感も加わり何度も何度も頭を下げた。
連絡先を交換し、後日お礼をする約束をした。
案の定、隣の真っ赤なバイクは彼のもので、ツーリングの途中だったらしい彼は、バイクに股がり手を上げると颯爽と走り去って行った。
そう、なかなかにドラマチックな出会い。
そんな出会いを果たしたこの男性と私が結婚する事になるなんて、当時の私は思ってもみなかったに違いない。






