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幼馴染だった過去

命の熱、或いは手のかたち

作者: amago.T/

 目の前の空白を何で埋めるか。一向に何もでてこなかった。

 利き手に鉛筆を持って、構想用にとクロッキー帳を広げて。

 部屋の掃除をしていたらでてきた、未使用のソレをふと使いたくなって、テーブルの上に開いてみたのだけれど。


「手を、貸してください」


 不意に口をついてでたのは、そんな言葉だった。

 自分でも意味が分からない。軽率に口にしていい言葉だろうかこれは。

 顔を上げれば、案の定。

 細くくっきりとした眉をハの字にしたアオさんの顔がわたしの方を向いていた。


「何か困ったことでもあった?」


 目が合うとたおやかに首を傾げてそう尋ねてくる。細い髪の流れが光を伴って動いた。

 広くないベランダでいつの間にかおいていた植物の手入れをしているところだったらしく、膨らんだカーテンに半ば隠されている開いた窓の向こうにその姿はある。


「手を、観察したいんです」


 鉛筆を持っていた自分の手を掲げてみた。筋張ってはいない、血管も浮いていない、何か足りない、おもしろみのない手を。


「手?」


 頷くと、アオさんは骨と申し訳ばかりにそれを覆う膜だけで構成されているような、凹凸のある自身の手に目を落とした。短くそろえられた爪と丸い間接とが曲線で縁取られ繋がっている、かといって不思議と不健康な印象を与えない、細く長い指と広い手のひらで構成された、今はじょうろを持っているその手を。


「僕の手を観察したいの?」


 大きな双眸がわたしを不思議そうに見つめる。


「そういえば、よく見ているよね」


 何かにつけて目で追ってしまうのは、細く長く大きなその手の暖かさを知ってしまったからかもしれない。


「構わないけれど、少し待ってもらってもいい?」


 土が着いているから洗ってから。とじょうろをベランダの隅に置いて、アオさんが部屋の中に風をつれて入ってくる。

 太陽の光は世界を照らしているけれど、その姿を窺うことのできない5月の昼間。


「少し、肌寒くはないですか?」


 一番近いキッチンの水道で手をこすりあわせて洗っているアオさんは、後ろからでも肩の見えそうなほど襟の大きく開いた、体の線にぴったりと沿うシャツを着ている。わたしは首もとまでボタンを留めた長袖シャツで肌を隠している。これが体感温度の差なのだろうか。


「僕にとってはちょうどいい気候だよ」


 掛けてある手ぬぐいで手の水気をとると、わたしの向かいにアオさんは座る。


「寒いなら、窓は閉めたほうがいい?」

「大丈夫です」


 湿り気の少ない風は心地いい。


「これでいい?」


 手のひらをぺたりとテーブルの天板につけると、付け根から指先へかけて徐々に薄くなる輪郭がよくわかった。手首で一旦細くなってから広がり、指先へかけて収束するその曲線に、見惚れてしまったのかもしれない。


「さすがにこんな日だと、温かいんだね」


 アオさんの手の表面を、わたしの指先はなぞっていた。

 冷え性で冬の間は特に指先が冷たかったからだろうか、アオさんのその言い様は。

 アオさんの言葉と自分の行動に驚いて手の動きを止めたら、湿り気のある手のひらがわたしの手の上に覆い被さった。


「あなたの手はキレイだよね」


 別段特徴のない、細くも太くもないわたしの手を、白くて尖った指先が撫でる。よく見ればいつの間にか小さな切り傷があった。無精して日焼け止めを使わないから、長袖に守られない手の甲の半ばより先が、日焼けで色を濃くしている。


「とても健康的」


 アオさんの筋張った手は不健康そうではないけれど。なぜか全体的に白いそれは健康的とも表現しづらいかもしれない。


「僕の手は骨みたい。」


 みたい、というか、そのもの。筋肉や腱の入り込む余地はどこにあるのだろうというほどに、その形は骨そのもので、過ぎし日に学校で見た骨格標本と同じ形をしているのに、確かな熱を内包して生きている。


「アオさんは……生きているんです」


 そう実感させてくれる熱は果たして、この骨様(ほねよう)の形のどこで生産されているのだろうか。


「生きているんです」


 目の前にいるこの人は、いくら儚げでも、確かに命があった。


「生きているよ」


 はたして眦からつたい落ちるコレの意味は何だろうか。

 視界を歪めるこの感情は、どこから湧いて出たのだろうか。


「あなたも僕も、今このときをちゃんと、生きているよ」


 何も描き込まれていない空白に滴が落ちて、平面を歪めた。

 手の甲から離れた熱が、頬に触れる。確かに丸い指先が、皮膚に包まれた骨が、目元を撫でた。

 鉛筆を置いて、頬に置かれた熱にわたしの手を重ねる。確かな凹凸が、脈打っていた。


「生きて、ください」


 詰まりながら絞り出したその言葉の意味は、わたしにも解らない。ただ、そう、口をついて出た。


「大丈夫」


 アオさんは口角をもちあげて、儚く微笑んだ。

 ちょうど窓から差し込む光に照らされて透き通った肌を、流れ込んだ風に揺らされた絹のような髪の輝きが彩る。


「大丈夫だから」


 今にも透けて消えてしまいそうな姿をした、確かな熱を持ったアオさんは、そう何度も繰り返した。

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