第四話 『その手が掴んだもの』
団長への報告書 『ゲイル・ボーグの都へ』
この日誌をつけるにあたり、まずは事の起こりを記しておこうと思う。オレの名前はロッシ・ルアーガ。『赤熊のロッシ』という二つ名でそれなりに知られた傭兵だ。『カプリコーン旅団』の副団長でもあり、団長に代わり旅団を指揮することもある。あの夜、ワイズマンに雇われてヤツの謀反に付き合ったオレたちは、あっという間に敗北した。
『白の魔女』に『剣の乙女』、音に聞こえた『ガレインの勇者/ヴァレンタイン伯爵』……今度の敵はそもそも強大だったのさ。でも、奇襲なら五分の戦いはやれると見ていたし、もしも、この謀反が失敗したところでワイズマン以外の有力者が伯爵の首を狙って立ち上がり、ファーレンはながらく内紛状態になると予想していた。
そうなれば、オレたち傭兵の仕事は増える。つまり今度の戦い、オレたちからすれば勝っても負けてもどちらでもよかった。
―――だが、ソルという男の存在がオレたちのプランを根底から破壊した。あの規格外な裸の蛮族は、伯爵を襲うために集められていた精鋭どもをあっという間に片付け、なにより、このオレまでも簡単に仕留めた。これが、すべてだ。これのせいでオレたちは予想外の早さで敗北してしまい、伯爵側は大きな損害を出すことを免れたのだ。そして、なによりここが大切なところだが、多くの戦士がソルに恐怖してしまった。
騎士の群れを素手で粉砕したことでも十分だったが、『樹霊』にドラゴン、さらには魔族の女まで。ヤツはほとんど独力でそれらの脅威を駆逐したのさ。なんだそりゃ?伝説の勇者さまか何かかよ?……うわさ話で聞いたとしても、誰も信じないだろうな。
だが、それを実際に目の当たりにしたら?
信じたくなくても、目の前で起きた事実は否定できない。そんな『バケモノ』が伯爵サイドについたのだ、誰が伯爵にケンカを売れる?……ヤツに恐怖した傭兵たちは、とんでもなく従順になり、あっさりと降伏したのさ。
切れ者の伯爵は、あっという間に戦後処理をこなしていった。反逆に加わった家臣たちを一人として彼は見逃さなかった。彼らに夜逃げをする暇も与えぬうちに全員を捕らえてしまったのである。
この決起が予定よりも早まり準備不足だったことと、ずいぶん前から彼らの野心が伯爵に見抜かれていたことを証明するような結果であった。伯爵は運もいいし、頭もいいというわけだ。魔女を妻にするとは、そういうことなのか?
まあ、こうして『残念ながら』ファーレンは平和を取り戻した。その地に潜んでいた反乱の芽はことごとく摘み取られてな。健康になった伯爵が20年か30年か後に死ぬまで、この平和は確実につづくだろう。
さて、伯爵の戦後処理における最大の課題の一つがオレたち傭兵の『排除』だった。雇い主を失うことで路頭に迷った傭兵は、多くの場合その地を徘徊する盗賊へと成り果てる。治安を悪化させてしまうのだ。だから戦後は傭兵を処分すべきだ。しかるべき報酬という名の路銀を渡して、次の戦場に送り飛ばせばいい。
……もしくは、『全員ぶっ殺す』というのも、人間味はないが効率的な解決策だ。ああ、恐ろしい話だな。そう、本当に恐ろしかったぞ、あのジュリィという女傑はな。
殺して街道に吊しましょう。二度と反逆者を出さないために、伯爵家の威光を知らしめるべきです。眉一つ動かすこともなく、ジュリィは傭兵だけでなく反逆に荷担した者、そして反逆者の家族のすべてを拷問して殺し、その死体を縄で町中に吊すべきだと主張した。
泣き叫ぶ声と血の悪臭が平和を呼ぶのです、という発言を聞いたときはさすがに胃が痛くなったものだ。べつに彼女の主張は間違いではないし、そこそこ見かける戦後処理の方法ではあるのだが、まさか眉一つ動かすことなく皆殺しにすべきだと主張するとはな……。
だが、皆殺しという罰を伯爵は否定してくれたのだ。
財産の没収と領地からの追放。冬期においてのそれらは、かなり厳しい罰ではあるものの、死ぬよりはずっとマシな罰であった。伯爵の選択をみんな死ぬほどありがたがった。ジュリィさまは本気で血に飢えているように見えたからな。彼女は、どうも恐怖政治の効率を信じているように見える。
武帝ジュネの時代に生まれていたら、屈指の侵略者として大陸を荒らし回る女将軍にでもなられていたのかもしれない。彼女は生まれる時代を間違えていたのだ。人類にとって幸運なことにな。
こうして多くの傭兵が武器を奪われるどころか、有り金のすべてをジュリィさまに押収されるという非道な目に遭ったとしても、ありがとうございます、ありがとうございます!という感謝の言葉を泣きながらに叫び、ファーレンを全力疾走で脱出していった。その様子はなかなか奇妙なものである。
傭兵なんて連中はしぶとさが売りだ。昨晩の手痛い敗北も、翌日の昼には忘れているような人種である。そんな彼らがあんな行動を取るとはな。よほど、ジュリィさまが怖かったらしい。まちがいなく彼らは二度とこのファーレンに寄りつかないだろう。だって、ふと森でジュリィさまに出遭ったら?……彼女は笑いながら彼らを殺すからである。
こうしてファーレンから傭兵どもと反逆者たちは消えたのだった。
……もちろん、このオレも消える予定だったのだが、いつのまにか伯爵に雇われることになっていた。あの恐るべき二人を北の都『ゲイル・ボーグ』に連れて行けという仕事だ。正直、イヤだったが断れなかった。オレはそこそこ名のある傭兵であり、何十人かの部下を養わなければならない。伯爵が提示してくれた報酬は、この悲惨な冬を部下に越させるためにも必要なものだからだ。
伯爵は策士だ。オレたち『カプリコーン旅団』に恩を売るつもりかもしれない。オレ個人としては、すでに命を救ってもらった恩がある。義理と経済的な事情、それらに縛られたオレは、ジュリィさまに恐怖を抱きつつも、彼女たちを『ゲイル・ボーグ』に送り届ける仕事を断れなかったのさ。
こうしてオレは三頭引きの大型馬車をあやつり、ソルとジュリィさまを北の都まで送ることになった。ああ、忘れるところだったがシャーロットさまもだな。
ちなみにソルに折られた骨を治してくれたのも彼女である。折れた腕のまま働かせるのはあまりに不憫だと彼女は言ってくれた。とてもありがたかったな。
……しかし、唯一、人間じみているのが『魔女』っていうのも恐ろしい話ではある。ともかく、『竜喰いのソル』と伯爵家の姫君たちという変わった三人組、そしてこのロッシ・ルアーガは一緒に旅をすることになったわけだ。
二日目。ながらく馬車に揺られたオレたちはようやく山間の宿場町についた。乙女たちは入浴だと宣言し、姉妹仲良く風呂に向かう。
オレはソルに覗いてみたらどうだ、と冗談半分に訊いてみたが、ヤツは恐ろしく深刻な顔をしていた。シャーロットだけならそれも笑えるが、シャーロットの髪を洗っているのはジュリィなんだぞ?……ヤツはそれだけ言った。十分だった。オレはヤツとの共通点を発見する。オレたちはジュリィさまを恐怖しているのだ。ヤツはつづけた、ジュリィの辞書に冗談という単語はないらしい―――。
酒場での情報収集、衝撃的だったのは目の前にいるソルが17だったということだ。うちの娘が14だからな。なんとまあ、オレは自分の子供みたいな年齢のガキにボコボコにされたらしい。ああ、団長。オレも年を取ったもんだよ。でも、若いときにコイツとケンカしても同じような結末だった気もする。
オレは傭兵だが人間相手が専門じゃなくて、たまにはモンスター・スレイヤーもやる。『カプリコーン旅団』は魔物狩りとしても名が通っているため、オレが酒場に現れれば魔物や魔族に関する情報を話してくれるヤツも集まってくるのさ。
伯爵はこのコネのことも考えてオレを雇ったのかもしれないな。オレからすれば魔族は人類の敵だ。魔族にケンカ売ろうっていうソルやシャーロットさまに、オレは本能的な共感を覚えてもいる。ジュリィさまにはシンパシーはない。彼女は、どちらかというと魔族に近しい性格をしているからな。
―――ある日とつぜん住民が全滅しちまった。そんな村が、もう五つもあるんだ。
いろいろな情報を聞いたものの、オレたちが注目すべきはコレだと感じた。『ラケシス』という魔族の話を鵜呑みにするのは危険なことだが、残念なことにそれしか情報がない。そのラケシス曰く、ヤツの『母親』が『竜産みの呪い』とやらを用いて、人間を材料にリザードマンやドラゴンを量産しているらしい。ラケシスと戦うために。つまり、魔族同士の『戦争』に使う兵士として、その『母親』はモンスターを作っているようだ。
ためしに地図に村人たちが消えたという村を書き込んでみると、ゲイル・ボーグに向かう道順に沿うようにして被害に遭った村が配置できた。『母親』は『呪い』で兵士を確保しながら、ゲイル・ボーグに向かっているようにも考えられる。
だが、疑問が残る。ソルはこう言った。ヴァルガロフ監獄が『竜産みの呪い』で破壊された、と。しかし、ヴァルガロフ監獄はいくらなんでもゲイル・ボーグからは遠すぎる。『母親』が『竜産みの呪い』を監獄で使ったことは確からしいが、その理由は謎だ。
モンスターの群れを連れてムダに長い距離を行軍したければ別だが、この『遠さ』を説明する理屈が見つからない。人間の軍隊でもそうだが、大勢での移動/行軍はコストが高くつくものだ。近場で兵力を調達できるのならば、そうすべきだろう?
隠密にことを準備したいなら別だが、当事者である魔族たちはお互いの戦意をすでに認識しているのだ。いつなのかは不明だが、宣戦布告はなされているのかもしれないな。つまりだ、団長。次の戦争は魔族同士の個人的な決闘というレベルではすまない可能性がある。『ヴェリンジャー城塞都市』の悲劇みたいなものが繰り返されるかもしれないのさ。本隊を参戦させるかどうかは、アンタが決めてくれ。
風呂をあがった姉妹が合流した。頭のおかしい姉は妹の体の素晴らしさをソルに自慢していたな。シャーロットさまの肌は水をはじき、つるつるとしていて、それを洗う指になんともいえない幸せな感触をもたらすそうだ。
……どうでもいいことだが。ジュリィさまはレズビアンなのだろうか?まあ、貴族さまの性的趣向が倒錯していたとしてもオレは別に構わない。馬や豚と交尾する男爵の物語に比べれば、なんとも健全に聞こえるしな―――。
オレたちはメシを食いながら、議論をつづける。
やはり頼るべきは専門家だと思った。シャーロットさまの考えによれば『竜産みの呪い』をヴァルガロフ監獄で行う理由に、その『閉鎖性』があげられるらしい。冬の到来とともにそれは行われた。冬が来てしまえばヴァルガロフ監獄から出る者も入る者もいなくなる。
というか誰も近寄れなくなる。
実験の結果を分析するには最適な状況かもしれないそうだ。魔族であれば、しっかりと実験の成果を観察したあとで、冬のヴァルガロフから脱出することも可能だろう。
人間には絶対に無理だろうがな。ソル?あれは例外だ……ああ、団長よ。ソルという男はヴァルガロフ数百年の伝説を破ったらしいぞ?脱獄不能の辺境地帯を、単独で踏破したらしい。信じられないかもしれないが、オレは信じる。そういう怪物なんだよ。決闘で負けちまったからじゃない。プロとしての評価で言う。あれはオレやアンタさえも、もう超えちまっているよ。
引き抜ければ団の戦力に出来るだろう。まちがいなくな。
戦闘技能については『変』だ。素人然としているが、暗殺者のような闘い方にも見える。予備動作があまりに少なく、型がない。読み合いが通じないってことさ。たんに、超高速で反応する大男だからか?……だが、壊すべき部分を意図的に狙っているような気はするな。誰かから仕込まれている可能性はある。
……脱線したな。ハナシを戻そう。ヴァルガロフ監獄でのことだ。
『竜産みの呪い』の『実験場』にされたというシャーロットお嬢さまの推測だな。
魔族同士の『戦争』であるなら、兵士を作るという『呪い』の『研究』をコッソリと行うというのもありえなくはないか。作戦は敵に知られていないほうが有効だからな。そのためにヴァルガロフ監獄の『閉鎖性』を利用したと。
では、この村たちはどうだろう?……『もう隠す必要のない段階に来ている』ということなのか?ならば、戦いはもうすぐってことだな。だが、もしも、そうだとすれば、どうしてヤツらは戦いの兆しを察したのだろう?戦争の当事者である魔族同士が宣戦布告を交わしているなら、まだいい。
別の可能性はどうだ?
つまり……ソルを通じて、母親はラケシスに気づかれたことを察したという可能性は?
この男の右眼に宿っているドラゴンは、『ヴァルガロフ産』であり、ラケシスの『母親』の呪術の産物だ。制作者の『スパイ』として機能してはいないだろうか?たとえば、ソルの見ている情報を『母親』に送っているとか?
魔族ならば、それぐらいのことはする。団長よ、この懸念はシャーロットお嬢さまには報告した。彼女はその対策の呪術をさっき彼に施したよ。これで安心か?……だが、少しばかり遅くなったかもしれない。こちらの行動は筒抜けだった可能性がある。それは厄介だ。
そして、シャーロットお嬢さまについても懸念があるな。彼女はソルに心酔し過ぎている。恋する乙女だ。冷静な判断が出来ないかもしれないってことさ。彼女はこの魔族討伐の旅路から、恋愛感情を分離することは難しいだろう。戦場で集中力を欠けば、死ぬことになる。彼女は戦士としては完成されていない。たとえ能力は高くても、まだまだ子供だ。
だいたい。なぜ、オレのほうがドラゴンがスパイしている可能性に早く気づいているんだよ?
オレたちが推理しているあいだ、ジュリィさまはずっと鶏のもも肉をむさぼっていた。魔族との対決そのものに興味がないのかと思っていたが、別に全くの興味がないわけではなかったようだ。並びのよい綺麗な歯で肉を噛みちぎりながら、彼女は言った。
―――ところで、この『母親』はどの『母親』だ?
ラケシス曰く、ヤツには三人の『母親』がいるらしい。ヴァルガロフ監獄を呪ったのはラケシスに敵対する『母親A』だとしよう。だが、BとCは?……ジュリィさまの考えでは監獄を襲ったヤツと、この近隣の村を襲った『母親』が同じ可能性は3分の1しかないじゃないか、ということだ。たしかにそうだ。魔族の家庭の事情など知りたくもないが、A以外の母親もラケシスと敵対しているかもしれないし、そもそもラケシス自身がこれらの村で呪術を使った可能性も否定できない。
ジュリィさま曰く、これが魔族たちの『戦争』ならば、つけ込む隙があるのではないか?ということらしい。たとえば、『母親』たちのどれかと一時的に見せかけの共闘をすることで、その後の戦いを有利に出来るのではないかと。そこまではしなくても、魔族同士を先にぶつけ合わせておいてから、我々でそのどちらも仕留めるとかな。
ははは。魔族の『戦争』につけ込むとか、魔族を騙して後で闇討ちしようとか、発想はとんでもないが……戦争屋のオレとしては悪くない話にも聞こえる。人間の『戦争』ではよくあることだからだ。
そもそも、ソルにとっては『母親A』こそ許せないらしいが、伯爵家としては『母親A』と敵対しているラケシスこそが仇敵なのである。じつのところソルと伯爵家の立ち位置は同じではないのだ。
……たぶんだが、ジュリィさまはそのことにこそ嗅覚を働かせたのかもしれない。妹とソルのあいだにわずかにでも亀裂を入れたいのだろう。なんだか魔族みたいな思考だ。武帝の時代に彼女がいたら、オレの故郷のすべての民は彼女の奴隷にされていたかもしれない。この時代に生まれてくれてありがたい。
……とはいえ、悪意がチームのなかに漂っているのはあまり好ましくない。蛮族と烈女にはもっと仲良くなって欲しいものだな。この強烈な面々をオレやシャーロットお嬢さまではまとめきれそうにもないしな。
さて、ミーティングは行き詰まる。我々には情報が足りていないのだ。何かを判断するための思考を構築するための素材がない。このまま一直線にゲイル・ボーグに向かうのもありかもしれないが、魔族の言葉を鵜呑みにして、そこへ突撃する……?芸が無いというか、知性を感じない策にしか思えない。オレはチームに提案する。
―――村の一つを調べてみないか?
そうすることで、『母親A』が村を襲ったのかは判別できるかもしれない。なにせ、こちらには『白の魔女』がいるのだから。それが『母親A』であるなら近いうちにラケシスと戦うことになるのだろう。もしも、そうであるのなら、我々は両者が戦い疲れ果てたところを狙うべきだ。どちらの魔族にも荷担しない。そういう最良をヒトとして選びたい。
―――だが、もしも『母親A』でなかったら?
ジュリィさまが無表情のまま訊いてきた。どういう意図が秘められているのかは不明だな。オレはチームの安全のために無難な道を模索する。
―――ラケシスの仲間の魔族がどんなヤツかが分かるだろう。オレたちは、多くのことを知らないし、今もラケシスの嘘に騙されて意味のない議論をしているのかもしれない。彼女には『母親』は三人もいないかもしれないし、そもそも『母親A』ですらラケシスの敵じゃなくて味方の可能性もあるんだからな。オレたちは魔族よりも弱い。だから、騙されてはいけない。お互いだけは信じる。それが、最も大切な作戦なんだ。
悪くない演説じゃないか?手本にしてもいいぞ、団長。
今はより多くの情報を手にしよう。この答えには誰からも異論は出なかった。みんな、少しでも敵についての情報が欲しいのだ。オレたちは魔族を侮るべきじゃないってのは、共通した認識なのである。どうにかオレの作戦は採択された。
……フツーの年長者に出来るのは、まあ、これぐらいだろう。
ソルにジュリィさま、シャーロットさま。すばらしい戦士たちだ。この三人が力を合わせられれば、どんな魔族にだって勝てるかもしれない。
彼らの連携を磨くためにも、仕事をこなさせたい。何の情報も得られなくても、共に過ごした時間は絆を醸成するはずだ。絆とは力である。ヒトの群れの強さを成すのは信頼だ。そして、最もマズいことは身内の結束が崩れること。それらを教えてやれれば幸いだな。
オレたちは村の一つを調査することで合意した。
もしかすれば、『母親』との戦いがあるかもしれない。今夜はもう休もうか。
三日目。街道を進む。曇りだった。冬が本格的になるにつれて寒さも増している。伯爵はゲイル・ボーグの市長に魔族襲撃の可能性を記した手紙を送ったらしい。市長も魔族に対して備え始めているだろう。そして、市長が頼るのは『カプリコーン旅団』の団長、アンタのはずだ。
北方諸国から吸血鬼を一掃することを目指しているレイチェル・シェパードには、優秀な魔族狩りのメンバーを招集することも可能だ。もちろん、それなりの資金と準備期間があればだが。
しかし、今回は……あまりに時間が足りないかもしれない。
もうすぐ、例の廃村にたどり着く。住民たちが消えた村……『竜産みの呪い』が使われたかもしれない場所に―――。
この戦の勝敗か?……まったく読めない。ゲイル・ボーグの街とその市長に恩がなければ、関わらないのも無難な判断だ。人間相手の団員は、ファーレンでずいぶんやられてしまっている。戦力の確保は間に合わんだろう。
すまんな、部下を消費してしまった。オレは、とりあえず参戦することにしよう。ファーレンでの失態の挽回をしたい。斥候として使い捨てにしてくれても構わんぞ。連絡については、送れる限りはアンタに送ってやるからな。じゃあ、いい冬を。
第四話 『その手が掴んだもの』
―――雪のつもった貧村は耳が痛くなるぐらい静かで、犬並みに鼻が利くオレからすれば吐き気がするほどの死臭に包まれていた。オオカミどもが集まっている。大した数じゃねえから、オレが石を投げつけていると、キャンキャン鳴いてどこかに消えていった。たぶん、あいつら死体を食べに集まっていたにちがいねえ。
「村ごと、殺された……そんな感じだな」
ジュリィがそうつぶやく。彼女の感想には共鳴できる。たしかに、住人だけでなく村そのものが死んだのだ。一冬のあいだに雪に呑まれ、春には地図からも消えるかもしれない。
オレたちは家屋を探る。シャーロットはオレについて離れない。お化けが怖いらしい。ジュリィは死体ぐらいで心が揺れるような人物じゃないから、棒きれで死体をつついたりしながら調査をつづけていた。ロッシも死体には慣れているから問題なさそうだ。オレ?オレはその二人よりはシャーロットに近い。変人たちと一緒にしないで欲しいな。
オレたちが探したのは魔術の痕跡。
一人か二人をモンスターに化けさせる場合はともかく、何十人とか何百人の規模に強力で深刻な魔術を使うためには、魔族にだって何か『触媒』となるものが必要らしい。たとえば、杖とか鏡とか宝石とかかな?……とにかく魔力を帯びたアイテムってものが要るようだ。オレたちは『それ』を探したというわけだな。
2時間ぐらいの殺伐とした探索を過ごしたころ、オレたちは村を見下ろせる丘のうえに『触媒』を見つけていた。それは、若い女の死体……無残にもオオカミに食い散らかされていたが、魔術の中心地点であった部位だけは残されていた。
いまだに禍々しい気配を帯びているから、腹を空かせたオオカミでもそこだけは口にしたくなかったのだろう。
女の内臓……オオカミに噛まれて割れた骨盤のなかに一本の『槍』が突き立てられていた。槍は骨盤のなかの臓器に刺さっている。白っぽい臓器だ。はらわたとは違うな……まあ、想像はしていたが、その部位が何なのかをシャーロットが説明した。
「……酷い。子宮に……赤ちゃんのための場所に、槍を突き立てるなんて……」
「邪悪な魔術だ。『竜産みの呪い』だと?……ふざけやがって」
ジュリィがブーツの底で骨盤を踏みつけ、その槍を子宮から抜いた。ジュリィはその槍をしばらく観察した後で、川で洗ってくると言い出した。
「おい、ジュリィ。お前、そんなモンを洗ってどうするつもりだ?」
「その女の代わりに私が復讐をしてやるのさ。女をバカにしたクソ外道を、この槍で串刺しにして殺してやる」
それがジュリィ流の弔いなら文句はねえ。アイツはやっぱり強い女だな。そして、シャーロットもまた別の強さを持つ少女だった。彼女は近くに穴を掘り始める。木っ端をつかってな……泣きながら、でも、その手は緩めない。
「埋めてあげましょう。この子をこれ以上、獣のエサになんてさせたくないよ」
「……そうだな」
オレも彼女にならんで穴を掘り始めた。ロッシがため息を吐く。
「他の遺体と一緒に、まとめて焼いたらどうですかい?」
「ダメなんです。彼女はあまりに呪われ過ぎているから、他の遺体が近くに来れば、『呪い』を移してゾンビにしてしまう。もっと、おぞましいことも起こすかもしれない……」
「……そうか。わかりました。じゃあ、オレはどこかでスコップを探してきますわ。ソルの馬鹿力ならともかく、凍った地面を素手で掘るのは、女の子にゃ無理だ」
そう言われてもシャーロットは地面を小さな木片で叩きつづけていた。オレも彼女に付き合って穴を掘り続けた。しばらくするとロッシがスコップを持ってきてくれた。二本だけな。ロッシは……村の連中を弔うことにしたようだ。比較的大きな建物である教会に遺体を集めて、焼いちまうんだそうだ。
……夕日が山を赤く染める前には、オレたちはその村を後にしていた。みんな、無言だった。疲れていたのだ。近くの村までは小一時間で着く。そこには宿があり、風呂もあった。泥だらけになっていたオレたちは清潔を取り戻すことが出来たのさ。
晩飯のために食堂にあつまったオレたちは、やっぱり言葉数が少ない。でも、始めなくてはならない。これは情報をあつめるための行動だ。オレたちは悲劇を見物して、死体処理のボランティアをするために一日を費やしたわけではないから。
ヴァレンタインの姉妹は黙りこくっている。ロッシは、オレを見てアゴをしゃくった。なんだ?オレに司会を任せるのかよ。昨夜はいちばんおしゃべりだったのはロッシなのに。まあ、いいけどさ。
「……なあ、シャーロット。アレは『竜産みの呪い』だったんだよな?」
「……はい。強力な魔獣を召喚するための呪術です。あれだけの呪詛ならば、ドラゴンを生み出すことさえ可能でしょう。ソルさま、ヴァルガロフで感じた魔力と、お姉さまの回収なさった魔槍は似ていますか?」
「ん?……魔力が似ているかどうか?」
オレは首をひねる。そういう発想をしたことがなかったからだ。戸惑うオレに対して、ジュリィは鼻を鳴らして嘲ってくる。
「フン。野良とはいえ魔術師のくせに、魔力さえ読めないのか?」
「……しょうがないだろ?したことねえんだよ、そんなこと……ていうか、そもそもオレは魔術師なのか?」
シャーロットとジュリィの表情が強ばるのが分かった。どうやら監獄育ちの非常識さが発揮されちまっているらしい。
「あ、あのですね、ソルさま。魔術を使える者は、みな魔術師であります。ソルさまは私に『解錠』の術を使って下さいました。あなたは、立派に魔術師なのです」
「そうなのか。たんに看守のマネしてやってみただけだったんだが」
「え?ま、マネしたら、出来ちゃったんですか……?」
「ああ。『魔銀の首かせ』をガキの頃からつけられてたからよ、魔術なんて使おうと思ったこともなかった。あれつけたまま『解錠』なんて術つかえば即死だろ?」
「ま、まあ、逃亡防止のための道具ですからね。でも、スゴいですね、見よう見まねで中級魔術を使ってしまうなんて」
「それはスゴいことなのか?」
「はい!とっても!……フツーは、素養を高める訓練をしっかりして、ようやく魔術を使えるようになるのです。その第一の訓練が、魔力を感じる」
「……なるほど。つまり魔術師なら、魔力のちがいを感じ取れて当然なのか」
「さすがは野良魔術師だ。使えんな。そこらの子供で出来ることだぞ」
ジュリィはオレの失態を心から喜んでいるようだ。ああ、なんていい笑顔してやがる?あまりに穏やかな笑顔すぎて、シャーロットが文句をつけられそうにねえほどだぞ。くそ、オレの力で反撃してやるぜ。
「そ、そう言われると、ムカついてくるぜ!そこらのガキにも出来るってことなら、とうぜんテメーでも出来るんだろうな、ジュリィ?」
「ああ、当然だ。普段は使わんが、私もそこそこの魔術を使えるんだよ」
「そうかい、なら丁度いいぜ」
「ん?」
「ジュリィ、お前がオレに教えやがれ、魔力の感じ方ってヤツをな!!」
「ふん。めんどくさい。なんで私がお前なんぞに―――」
「―――出来ねえのか?」
「はあ?」
「お前、ガサツそうだもんな。ヒトにモノを教えるとか、そういう繊細なこと苦手だろ」
「だ、誰がだ!!し、し、し、死ぬほど上手いわ、ヒトにモノを教えるとか!!」
「お、お姉さま……」
シャーロットが複雑な表情を浮かべる。察するに、オレは核心に踏み込めている。ジュリィは、やはりガサツだ。この女が、ヒトにモノを教えるのが上手いはずがない。
「ククク。やはり、そうか。空気読んで察してやるよ。オレはシャーロットに教えてもらおう。シャーロットは『白の魔女』だからな。つまり、魔術のエキスパートだし?」
「え?はい。教えるのは―――」
「待てえい!!……脳みそまで筋肉でつくられている蛮族などに、シャーロットの素晴らしい学力を使ってやる価値などないわ!!そもそも、舐められっぱなしで終われるか!こっちに来やがれ、ソル!!お前に、私が、教えてやるぞ!!」
「……チッ。外は寒いな」
「これぐらい、ヴァルガロフ育ちにはぬるいもんだぜ」
オレはジュリィに連れられるまま宿屋の外に出ていた。夜風は冷え込んでいる。オレは懐かしさを感じるが、ジュリィはそうでもないのだろう。寒そうにしている。こういうときは上着とか貸すべきなのか?男として?
「ん。お前、上着を寄越せ。蛮族には服なんていらんだろ」
「……ジュリィ、テメーはオレの予想の斜め上を素早く通り過ぎるヤツだな」
「何を言っている?さっさと寄越せ」
上着を奪われた。なんだろう、この釈然としない気持ちは。はじめから上着を貸してやるつもりだったのに?……結果は同じでも、過程でこうも違うのか。コミュニケーションは難しい。とくに、ジュリィみたいな人間とそれを行うときは。
「さあて。温かくなったところで本題に入ろう」
「いい性格してんな……」
「魔力の感じ方だが、お前のようなケダモノには口で伝えるよりも、実際に体で覚えさせた方が早いだろう」
「……ああ。たぶん、そうだろうよ」
「フン。手本を見せてやる。私は目を閉じているから、殴ってこい」
「……はあ?」
「本気でじゃないぞ?さあ、来い」
「おいおい……なんか、やりにくいんだが。ジュリィとはいえ、女にそれは」
「グダグダ言うな。私がやれと言ったらやるんだ!!」
「……お、おう。そ、それじゃあ」
納得してはいないが、オレは拳をかまえる。本気じゃ殴らない。もちろん、ゆっくりだ。ゆっくりと拳を突き出して―――躱される。躱されるだけじゃなく、ジュリィの拳がオレの顔面目掛けて飛んで来やがった。
「あぶなッ!?」
彼女の拳を手のひらで受け止めるが。連打は止まらない。オレは防ぐのではなく、足を使って避けることを選んだ。彼女は目を閉じている。それなのに、オレの動きを追跡して精確なパンチを繰り出しつづける。
「どうなってるんだ?」
「これが、魔力を読むということだ!万物は大なり小なり魔力を帯びている!動こうとすれば、当然、魔力も動くのだ!それを嗅ぎ取れば、目に頼らなくても、これぐらいやれる!」
ぶおん!大振りのハイキックがオレの頭をかすめる。スゴいな。たんに気配を察知しているわけじゃないのか?……いや、コイツの場合それも混じっているのかもしれない。
「目を閉じれば……オレも魔力を察知できるか?」
「やってみればいい!私は、バカに教える言葉など持たん!!」
賢者とは遠い思考回路なのはお互いさまだ。そう、オレもコイツもしょせんはバカの類い。体で覚えるのが、手っ取り早いってことさ。
「……いっちょ、やってみるかい」
オレは目を閉じる。直後、ドガンと顔面に重たい打撃をもらう。いや、いい。構わん。それに、コイツ、一度殴ったぐらいじゃ止めてくれないし。
案の定、オレは次々と打撃を喰らってしまう。ああ、みじめだぜ。コイツの一撃は重さこそないが、シャープだ。体に染みるように打撃が深く伝わってくる……いい戦士だな。これが戦闘技術ってものなんだろうか。オレの力ずくの強打とは、質が違うわ。
「フフフ。このままサンドバッグになるか?」
「……なんつーかよ、テメーの拳にもアレか?魔力ってのが入ってるのか?」
「ほう。さすが野生動物。勘だけはいいな。魔力が込められているぞ、私の拳にはな。そのおかげで、お前の体内奥深くまで、衝撃が浸透しているはずだ」
「なるほど。これが魔力の流れね……ヒトに殴られるのなんざ、久しぶりすぎて、こ、こういう感覚が……混じってるとは、き、きづか―――」
ドガドガバキバキ。フツーの人間なら、もっと力を抜いてくれるもんじゃないのか?なんというスパルタ。オレは、一般人を過小評価していたのか?こんなのが、魔術の初等教育として巷では行われているのだろうか?……それとも、このクソ女が狂人だからか?
「ハハハハハ!そのまま、死ね!!死ぬがいい、この蛮族が!!」
ヒトを爆笑しながら殴りつけてきやがる。なんてこった、オレは人選を間違った!ジュリィをからかう?その代償がコレかよ?シャーロットを先生に選んでいたなら、ぜったい、こんな酷い目に遭ってなかったはずだ―――。
「いいか、ソル・ヴァルガロフ!私はな、お前が嫌いだ!妹に近づき、私が倒すべきアルトや姉さまの怨念を、お前が祓った!お前は、私の戦いを奪ったんだぞ!!」
「……そりゃ、すまんことしたな」
「あやまるな!お前は、それを悪いことだと、考えてはいまい!!」
「……ッ!!」
打撃が止む。ジュリィは殴り疲れたわけではないのだろう。目を開けようかと考えていると、ジュリィに開けるなと言われた。だから、そのままさ。ジュリィの気配が変わったと思う。いつもよりは、もっとシャーロットのそれに近い感覚だ。これが魔力か?
「……正直言うと、感謝していないわけではない」
「……は?」
魔術よりも衝撃的な言葉をオレは聞いてしまった気がする。さんざん殴りまくっておいて、そんな言葉を吐くのかよ、コイツ……。
「お前はあの腐ったドラゴンを、一撃で仕留めてくれた。シャーロットの魔術があったからこそとはいえ、私たちだけではあの威力を出せなかっただろう。魔女の血筋にあたる私では、あの剣は使えんのだ。私たちだけでは、無為にあの二人の霊魂を苦しめる無様な戦いになったはず」
「……だろうな」
そうだ。だから、オレはそんなものを見たくないから、やったんだ。オレはクロードの兄貴と殺し合った。そりゃ兄貴はドラゴンに成り果てていたし、意識はなかったんだろう。でも、オレたちは殺し合ってしまい……オレは兄貴をこの手で殺したんだよ。
それに気づいたときの喪失感と後悔、それらが与えてくる痛み……あんなものをヴァレンタインの姉妹と伯爵さんには背負って欲しくなかったさ。たしかにジュリィの指摘の通りだった。あのときの選択を、間違いだとオレは思っちゃいないんだ。
「―――ありがとう」
「……」
まぶたを閉じた闇の世界に響いたのは、意外なほどにやさしい声だった。彼女の感謝の言葉は、飾り気ひとつなかったし、たった一言だったが、彼女がその一瞬に込めてくれた想いは大きく深いものだとオレは受け止める。
どういたしまして。そう言い返すべきだろうか?……分からない。不作法な野蛮人のオレは、言葉を選ぶことが出来ない。
でも、それでいいのかもしれない。オレとジュリィのあいだに必要以上のなれ合う言葉は不要な気がする。ガサツな乱暴者同士、おしゃべりなんてものはどうせ苦手なんだ。お互い単純だから、言わなくても通じることもあるだろう?
「……魔力とはな、世界にあふれているものだ」
ジュリィの授業が再開される。そうだ、オレたちはこういうテンポでいいんだよ。彼女の謝意は受け取ったんだ。あとは、先に進むだけ。
「ソルよ。世界のすべてに感覚を伸ばそうとしてみろ。空を想え、大地を心に浮かべろ。風はいつもお前をどう扱う?炎は温かいか?それとも、お前を滅ぼす鋭い痛みなのか。深く想像するんだ。お前は魔術を体現している。ぜったいに、魔力の流れを読み取れる」
「……やってみるさ」
肩の力をぬいて、オレは呼吸を整える。空気を取り入れて、魔力を……世界を感じ取ろうとしてみる。冷たい空気だ。たぶん、雪が降っているな。
「あらゆる感覚でだ。すべての感覚に魔力を感知する力はあるのだ。受け入れろ、知ろうとしろ、お前の知らなかった感覚を、手探りでいいから探すんだ」
「……手探りでいいから、か」
オレは右手を空にかかげてみる。雪が指先に触れる。目を閉じていても分かる。集中しよう。もっと、深く、すべてを。雪のにおいを嗅ぐつもりで?……ああ。そうだ。風が分かる。肌に触れる冷たさと、オレの長くて黒い髪を揺らす風……。
世界を想う?
そうだな、やってみよう。自分の感覚のすべてを世界に伸ばしてみよう。武器を持てば、その武器が自分の感覚と融け合う。何かを殴れば、何かの意味が分かる。あんな感じだろう。世界に意識と感覚を伸ばしていこう。そして集中する。集中して、さぐるんだ。
しばらくそれはつづき、体が寒さにすっかり冷え切ろうとしたとき。体の痛みに混じる異質な魔力の気配……オレはそいつらを感じ始めていた。
自分じゃないものが、ふたつあった。
右の目に疼く、ドラゴンの魔力。たとえるならばそれは黒く、熱く、深く……激しい。それでも、オレには従順なのだ。よく躾けられた番犬みたいに、それはオレの目の奥で、オレの呼び声に備えて待っているのだろう。
そして、もうひとつ体の中にドラゴンとは別の魔力が残存しているのを感じる。そうか、これがジュリィの魔力か。痛みと激しさと拒絶と、なんだろう……シャーロットにも似た感覚。そうか、これ……『白の魔女』の魔力か―――ッ!!
「……ほう」
自分の顔面に迫ってきていた『白の魔女』の気配。それを、オレは頭を下げてかいくぐっていた。ジュリィのハイキックだった。気配じゃない、魔力を感じたんだ。そうか、コレか!魔力、魔力だな!心の中で、新しい感覚が完成していく。知らない感覚じゃなかった。たしかに、いつもそれはオレと世界を巻き込んで渦巻いていた。
星からも感じる。地面からも、風からも。森羅万象。ぜんぶに、コイツは混じっていたのか。オレはその感覚を嗅覚や触覚から離していく。新たな感覚を研ぎ澄ますため、他からより分けていく。
「分かるぞ」
ジュリィの打撃をまた躱せた。そうだ、『白の魔女』の気配。それが、どんどん熱く激しく強く感じる。もやもやとした形から、輪郭が浮かぶ。ヒトの形。女の形。ジュリィの形にそれは成っていく。
目で見るよりはハッキリとしないが、それでも明確な意志が伝わってくる。魔力は動くより先に感じ取れるのか?肉体の挙動よりも魔力の方が、わずかにだが先に動く。これを読めば、未来の動きも予測できなくもない!
「……ジュリィ、こっちから拳を打ってもいいか?殴り合いやったほうが、もっとコレをモノに出来そうなんだ」
「いいぞ。来い、ソル。稽古をつけてやる」
全力じゃない。犬のなれ合いみたいな打撃戦だった。不慣れなオレの打撃は、ぜんぶ避けられる。まあ、命中してもこまるけど。でも、オレもあいつのパンチを防げるようになった。ジュリィはわざと拳に魔力を込めてくれているようだ、オレに魔力が『見えやすいように』?それとも、威力を上げるため?……どっちもかな。
「……魔力の流れは掴めてるな。あとは、その深さだ。集中して、魔力が最も濃く、深い場所をさぐるんだ。そこに手を伸ばせ!」
「おう!やってやるよ!」
感覚を研ぎ澄ます。そのことに没頭する。殴られるが、気にしない。いらない感覚は棄てるんだ。集中する。魔力のみを嗅いで、それに喰らいつくんだ。
ジュリィ・ヴァレンタインを想う。あいつの魔力、『白の魔女』から受け継いだその温かくも恐ろしい力。それに触れるため、オレはゆっくりとその手のひらを伸ばした。
―――ぷに。
柔らかい感触が指先に触れる。温かくもある。魔力の高まりを感じる。熱くて、激しくて、深い……ジュリィが、激怒している気がした。
「―――目をあけてみろ、野蛮人」
冷気をまとった声だった。オレは言われたとおりに目を開けてみる。事実がそこにあった。オレの右手が、少女騎士の胸をわしづかみにしていた。思わず照れる。だが、それだけですむはずが無い。強い魔力を感じて、オレは視線を彼女の胸から上にずらす。
そして、オレは出遭うんだ。ジュリィ・ヴァレンタインの殺意と。
彼女の怒りに満ちた顔がそこにある。あまりの恐怖にオレの体はビクンと跳ねた。そして、その反動で彼女の乳房をつかむ指が動いてしまう。しまった。そう思うと同時にそのやわらかさを喜んでしまう悲しい男の性があった。ジュリィはノーリアクションだ。
「……魔力を掴むか。ふむ。たしかに心臓は強い魔力の生成器だな。で、正解かな、この行動は?うん?どうした?……答えろよ?」
「……外れた気がする。オレは、たぶん間違ったことをしているような」
「そう。不正解だよ、野蛮人。さてレッスン2だ。魔術を教えてやろう」
「いいです」
「いや、知るべきだ。私に流れる魔女の力を、とくと味わうがいい」
「……わ、わかった。罰として、甘んじて受け止め―――っっ!!」
「……『雷帝』」
その言葉の次の瞬間、ジュリィの体から黒い雷がほとばしっていた。オレはあいつの胸をつかむ右手から強烈な電流が注がれるのを感じる。魔力の流れをオレは理解していたのだ。大いなる犠牲を払って。
ドラゴンとの肉弾戦を制したはずのオレが、地面に片膝を屈していた。死ぬほど全身が痛い。だが、意識を失うほどじゃない。そもそも……くやしいだろ?誰かに負けるのは、気分が悪い。たとえ魔女の雷が相手だとしても、オレは、ソル・ヴァルガロフだぞ!
「う、ぐぬうううッ!!」
立ち上がる。痺れと痛みが走る肉体を無理に動かして、オレはジュリィの前で立ち上がっていた。ジュリィは怒ったままの顔だ。だから、オレはあやまるべきに違いない。
「……なんつーか、悪かった。女の子の胸をいきなり掴むとか、さすがにオレが悪い」
「ああ、そうだな。それぐらいの分別はあるようで安心したぞ。しかし、頑丈だな、色魔よ。普通の人間ならば、この一撃で死んでいるところだぞ」
ジュリィは乳揉まれただけでヒトを殺すのか?……まあ、ジュリィの世界観では当然のことかもしれない。彼女はプライドが高いからな。それは悪いコトじゃないだろう。ヒトを殺してでも守りたいぐらいの自意識の高さは貴重で尊い……ん?あれ?そうだろうか?分からん。まあ、気高い女ってのは悪くない。過剰な暴力はアレだが。
「さて。そろそろ帰るぞ、この性犯罪者め」
「……ちょ、そ、その呼び名はイヤすぎるんだが?」
しかし、強く抗議することも出来ない。これが、罪の重さなのか?……オレにも社会性とやらが身についてきたのだろう。公序良俗に反する行いをしたことに、ばつの悪さを感じている。ああ、なさけねえ……。
「そ、ソルさま!?だ、だいじょうぶですか?全身ズタボロですけど!?」
心優しいシャーロットは、オレの有り様を見て心配してくれる。いい子だな。本当に、姉に似なくて良かったなあ。でも、オレに駆け寄ろうとしていたシャーロットのことを、ジュリィが腕で制していた。
「ええい、あの色魔に近づくなシャーロット!!妊娠させられるぞッ!!」
酒場のど真ん中で、ジュリィは大きな声でそう言いやがった。シャーロットが呆気に取られる。彼女は自分の姉が変人なのを知っているから、おかしな発言に心惑わされることを少ないだろう。まあ、それよりも周囲の目である。
酒場の客ども、そして店員たちがオレに視線を集めて来やがった。クソ、なんて居心地の悪さだ!オレに芽吹いた社会性が、オレを苦しめてやがる。オレは怒りを込めた目と牙を剥くことで威嚇してやった。自分の恥を、ヤツらの酒のさかなにされてたまるか、オレは戦闘能力の低いヤツらにからかわれることが大嫌いなんだ!
さすがに酔っ払いどももオレの気迫に恐れをなす。視線が外れていくのが分かる。よかった、多少は居心地の悪さが引いてくれた―――。
「いいか、シャーロット。この男と二度と二人っきりになるんじゃないぞ?ヤツは獣のような性欲で、お前のことを襲うだろう。そして、無理矢理に性交渉しようと―――」
「人聞きの悪いことを言うんじゃねえ!!」
オレに止められてジュリィは不服そうな顔をする。
「なんだ?実体験に基づいた証言を、妹に聞かせてやっている途中なのだが?」
「……じったいけん?え……そ、それって……お姉さま」
シャーロットが姉をえらく真剣そうな表情で姉を見つめていた。あまりにじっと見つめられたせいだろうか、シスコンをこじらせているジュリィは赤面している。同性の、しかも実の妹に見つめられて、あんなに照れてるのか……?深刻だな、ヤツのシスコンは。
「ど、ど、どどど、どうした、シャーロット?また、お、お風呂に入りたくなっちゃったか?そ、それとも、もう、一緒のベッドで、お、お、お休みしちゃうか……?」
もはや変質者のように見えてくる。妹に対してよからぬ感情を抱きすぎているのではないか?ヴァレンタイン伯爵家の血筋は、こんなのばかりか?
「お姉さま、正直に答えて下さい」
「お、おう。なんでも答えてやるぞ、シャーロット、私の知っていることなら全部」
「お姉さま、まさか……ソルさまとのあいだに、なにかエッチなことを……し、しちゃったんですか……?」
「…………シテナイ」
流暢とはまったく逆のしゃべりかたであった。こわばった顔に、普段とはあまりにも異なる口調は、シャーロットに疑念を抱かせるのに十分だった。
「ひ、ひどいよ……ソルさまは、わ、私が先に―――」
「―――してないぞ、妹よ!!断じて、絶対に、この私が、あの蛮族なんぞのテゴメになんぞされてたまるか!!ちょっと、胸を触られただけだからな!!」
「……む、胸……?」
「……言ってない!!そんなことは、言ってないぞ!!断じて、ないのだ!!」
こんなに嘘をつくのが下手なヒトを初めて見た気がする。周囲を見回しても、店のなかにいる誰も彼もが呆れた顔をしていた。ロッシもまた呆れ顔になっている。この混沌を終わらさなければならない。事実を語るべきだ、シャーロットもジュリィも何だか追い込まれているような顔になっているし。
「あのさ、目を閉じて組み手をしてたんだよ。魔力を読む訓練にってさ?そしたら、偶然にオレの手がジュリィの胸に当たっちまったのさ」
「……そ、そうだったんですね。はあ、そんなことなら最初から大騒ぎとかしないでくださいよ、お姉さまったら!」
「……お、おう。なんていうか、その……すまなかった」
「ハハハ!いやいや、ジュリィさまも妹君には敵いませんなあ!!」
身の程知らずのロッシが迂闊にもジュリィをからかっていた。次の瞬間、ロッシの顔面にビールが入ったままのグラスがめり込んでいた。ガラスが割れて、ビールがヤツの赤毛と顔面に降り注ぎ、意識を失った大男は床に倒れ込む。
酒場の客たちが足早にこの場から立ち去り始めるのをオレは魔力の流れで感じた。彼らは怯え切っているのだ。その気持ちは分からなくもない。狼の群れよりも、この暴力貴族女のほうがよっぽど怖い存在であることは明白だからだ。
百匹の狼よりもヒトを傷つける女、ジュリィはゆっくりとテーブルの上に登る。彼女はいつにも増して冷たく残忍な表情を浮かべており、静かに宣告するのだ。
「民草よ。私は、からかわれることが嫌いだ。そして、ヒトへ八つ当たりすることを全くためらわない。殺されたくなければ、早々にここを立ち去り、今夜の出来事を記憶から消去するのだ。消去できなければ、いくらでも私に言ってくれ。『協力』は、惜しまない」
消去するのだろうか?……記憶ごと、命を?
……冗談だろう?いくら貴族だってそんな横暴が許されるはずがない。だが、なぜだろう。彼女が本気で発言しているようで仕方が無かった。オレもシャーロットも無言だ。ジュリィの放つ迫力に呑まれて、口が開かない。
もう一般市民が悪魔の迫力に耐えられるわけがなかった。怯えた一人が酒場からダッシュで逃げ始めると、みんながそれに続いて逃げていった。かわいそうに、逃げることも出来ない宿屋の店主は凍りついたまま、その場に立ち尽くしているじゃないか……。
「……さて。野蛮人に、我が妹よ」
「は、はい!?」
「お、おう!?」
「先ほどのハナシに戻ろうか?」
「ぼ、墓穴を掘れってのか!?」
「ソルさまを、殺さないで!?」
「はあ?ヴァルガロフの魔力と、その魔槍が同じかどうか、コイツに思い出させるってハナシだろうが?……ん?それとも、他に、何かあったか?」
「……いえ、な、なにも、ないです。ですよね、ソルさま?」
「お、おう。まったくない。ほんとないわ」
「なるほど。では、作業に戻るとしよう。そこの赤毛を座らせてやれ。床は氷のように冷たい。慈悲をくれてやろう。イスに座らせてやれ」
「ああ……よっと」
オレは足下に倒れているロッシを担ぎあげて、ぐったりとしたヤツの巨体をイスに座らせる。白目をむいたっま、彼の頭部はぐだっと後ろに倒れていた。死んでいるのか?いや、呼吸はあるわ。良かったな、ロッシ。八つ当たりで殺されなくて。
「さて。それでは蛮族よ。この魔槍に触れてみるのだ」
テーブルの上に、その邪悪な儀式のアイテムがゴロリと転がった。一メートル半ほどの長さしかない短めの槍だ。こいつは手投げ用の槍なのかもしれない。
刃は肉厚で、重心はかなり刃先に近い。これなら獲物に投げつければ空で弧を描き、獲物に勢いと重さを持って突き刺さるだろう。あの犠牲者も、そんな風に?……いや、あの子は下腹部を貫かれていた。おそらく、地面に転がされたあと、その場で突き立てられたに違いなかった。
「……ヒト殺しの道具か」
「ん?おいおい、恐れているのか?」
「ああ。不気味だからな、これは……でも、触ってみるわ」
先ほどの要領だ。目を閉じて、精神と意識を槍に没頭させる。感覚を研ぎ澄まし、いらない気配はみんな捨て去る。オレは深い集中を果たす。そして、魔槍に宿る魔力をさぐっていく……。
ヴァルガロフ監獄に似た気配……いや、オレの右眼のドラゴンと似た気配を探せばいいのさ。右眼の熱量をしっかりと意識しながら、オレはその魔槍への移入を深めていく。そして―――オレは幻の世界に落ちてしまっていた。
「……たのむ。それで殺さないでくれ……そんな呪いの武具では、死にたくない」
男の声だ。聞いたことのある、男の声。そうだ。クソ、これは……兄貴の声だ。
「オレには夢があったんだ。貴族制度を倒し、人の世に平等を築きたい」
知っている。兄貴は貴族のくせに、貴族という制度を無くそうとしていたんだ。だから、ヴァルガロフ監獄に入れられたのさ。
「それで刺されれば、オレの志まで、竜のエサにされるんだろう?……それだけは、イヤなんだよ……他の方法で……殺してくれないか」
ああ、兄貴は自分を殺そうとしているヤツに願ったのか。だが、その願いは聞き届けられなかったことをオレは知っている。オレが殺さねばならない相手が、語る。
『クロード・フェイレオール。貴様の気高さならば、大きな竜が呼べるよ。竜になれば、志半ばに倒れた悔しさも、このみじめな監獄で消費される気高さを嘆くことも、すべてが無くなる。お前は戦士になるのさ。邪悪な悪霊を倒す、最高の竜の戦士にね?』
「……魔族を倒すか」
『そうだ。この監獄にいる腐りかけた魂たちでは、大した戦力には化けん。だが、お前ならば、あの『ラケシス』すら噛み殺すドラゴンに化けるだろう』
「……そうかい」
『お前は『ラケシス』に負けた。手足を切られ、肺もつぶされている……術では回復は見込めぬ。このまま死ぬのだ。ならば人類のための牙となり、魔族を倒すのも悪くない道ではないか?……なり損ないのトカゲやオオカミなんぞに骨までしゃぶられるだけでは、楽しくなかろう?』
「そりゃあね……だが……アンタに協力してやるってのも、腹が立つ。アンタも魔族みたいなもんだからな……アンタって、『人類の敵』の……仲間だろ?」
『……ふむ。じゃあ、どうする?』
「賭けをさせろ」
『賭け?この『黒剣の魔女ヴィヴィアン』とかい?』
「ああ。そうだ……オレが戦士を選ぶ」
『ふむ?戦士を?どういう意味だ?』
「そいつだけは『ラケシス』の呪いから守ってやれ」
『……かまわんが、それでどうなる?今の私は霊体。生きた者を運ぶことは出来ん。トカゲどもに喰われるか……お前に喰われるかだ』
「ドラゴンを殺せば……屈服させれば……力をもらえるんだろう?……オレの力を、ぜんぶソルにくれてやるんだよ」
『……バカな。本気で殺し合わねば、力の証明にはならんぞ』
「ああ。本気であいつを殺しに行くのさ……そして、オレが殺される」
『ありえん……ヒトが単独で竜に勝ることなど……』
「だいじょうぶさ。信じている。そして……ソルがオレの仇を討ってくれる。魔女よ、お前の敵の『ラケシス』を……ソルが倒すさ。オレと、ヴァルガロフ監獄のみんなの仇を討つ……そして……そして、いつの日か、オレたちで、お前も殺すぞ、ヴィヴィアン」
兄貴が黒い髪の魔女をにらむ。魔女は笑う。うつくしいが、残忍そうな貌で。
『ハハハハハ!!良い気概であるな、クロードよ!ああ、よかろう。お前の願いを聞き入れた。私はその願いを叶えて、お前らで『ラケシス』を倒すとしよう―――』
「―――くそ、が……ッ」
幻の時間が終わる。現世に意識を覚醒させたオレが最初に見たのは、こちらを心配そうに見下ろしてくれるシャーロットの心配そうな顔だった。オレが目覚めたことに気がついた彼女は、うれしそうに顔をほころばせていた。
「ソルさま!お気づきになられたんですね!」
「……ああ。オレは……どうなっていた?」
「魔槍とリンクしていたんです。あの魔槍に残留していた魔力に反応して、ソルさまの右眼のドラゴンの記憶があふれて、あなたの意識と融け合ってしまったの」
「……なるほど。それじゃあ、情報を回収出来たってわけか……さっきの夢は、じっさいに起きていたことなのか」
「え?それは……」
シャーロットが口ごもる。オレはベッドから上体を起こした。ん?ベッド?ああ、ここはオレたちが借りている部屋だな。
「オレが運んでやったんだぞ、感謝するんだな、ソル」
「ロッシ?」
顔が血まみれのロッシが部屋にいた。よく見れば、ジュリィも壁に背中をもたれて立っている。彼女は、あの魔槍を手にしていた。ジュリィがオレをにらんでくる。
「生きていたか。あのまま死んでいても良かったのにな」
「ククク。残念だったな」
「まあ、いい。それで、情報は手に入れられたんだろうな、野蛮人?」
「……おう。夢で見たぜ?……ヴァルガロフで『竜産みの呪い』を使ったのは、『ラケシス』……こないだ屋敷であった幽霊のガキだとさ。兄貴は、『ラケシス』と戦って殺されかけていたらしい。そんなとき、『黒剣の魔女』とかいう女と取り引きしていた」
「『黒剣の魔女』……ッ」
シャーロットの表情が硬くなる。眉間にしわを寄せた。らしくない顔だな。
「シャーロット、知っているのか?」
「はい。彼女は『黒の魔女』たちの中でも、上位の存在として手配されている魔女です」
「……ハナシの腰を折るようで悪いが、『黒の魔女』ってのは?」
「私たち『白の魔女』と対立している魔女の集団ですね。私たちの祖は暴竜『ケインシルフ』……その魔竜に魔力を与えられて、私たちの祖先は生み出された」
「魔族が、魔女を作ったのか?」
「はい。魔族と言うか、ドラゴンですが」
「なんのために……?」
「……強い生命を生み出すため。『ケインシルフ』は闘いを好みます。彼は、自分の好敵手を生み出すためだけに、私たちを利用しているのです。私たちは魂に刻まれています。強い異性に惹かれるように……そして、より強い次世代を産むように」
「そのあげく、死ぬほど強い魔女が産まれる?んで、『ケインシルフ』はそれと闘って遊ぶっていうのか?……魔族ってのは、なんだかおかしなことばかりをしやがるんだな」
「ええ。人類の敵です。『白の魔女』は『ケインシルフ』に叛逆し、人類の味方となって魔竜と魔族と戦う魔女たちのことを言います。そして、『黒の魔女』とは……」
「白と黒。対極の意味か。ということは、そいつらは『ケインシルフ』の部下?」
「はい。『黒の魔女』たちは『ケインシルフ』と同盟を結びました。彼の野望を叶えるために……あるいは、自身の願いを彼に叶えてもらうために」
「願いを、叶える?」
「高位のドラゴンには、そういう力もあるのです。望めば、死者させ蘇らせる力もあるかもしれません……」
「……じゃあ、クロードの兄貴も?」
「……死亡して数時間以内なら、ありえたかもしれませんね。竜とて、完璧ではありませんから。それを過ぎればムダです。時間が経てば、無理に術を使っても、悪霊と成り果てるだけ……それに代償も大きい。『真の意味での蘇生魔術』を使えば、竜の命も尽きるのです。それは、つまり命を差し出す行いのこと。高位の竜がそれをヒトのために行うことは、絶対にありえません」
「……なるほど。そうか、それは……ある意味、良かったかもしれない。そいつを聞けば、竜や魔族に惑わされることもなくなるな、オレも」
クロードの兄貴を蘇らせる。考えたこともない発想だった。だが、実際にそんなハナシを持ちかけられたら、その申し出を断れるだろうか?自分で殺しちまったクロードの兄貴のことを生き返らせてもらえるとするなら?……なんだってしちまいそうだわ。オレは、アルトのヤツを悪く言えないな。
「……『黒剣の魔女・ヴィヴィアン』ってヤツは、『ラケシス』に殺されかけていた兄貴と約束をしてた。オレを呪いから守れと」
「え?」
「兄貴はドラゴンに化ける。オレは化けない。そして、オレは兄貴と戦って、それを殺して……オレはドラゴンの力を得る……そういう契約だったらしい」
「……そんなことをして、『黒剣の魔女』に何の得が?」
「……『黒剣の魔女』としては、『ラケシス』と戦うドラゴンがいればいいみたいだったな。つまり、兄貴じゃなくてもオレでいい。オレは、ヴァルガロフで『竜産みの呪い』を使った『ラケシス』を、許せそうにないからな」
「死に瀕したとき、兄貴さまは、ソルさまを守ろうとしたのですね。『黒剣の魔女』と契約し、ソルさまだけは生き延びられるようにと……」
「……ああ。多分、そんな感じだと思う」
―――しかし。なんだ?違和感がある。
「ソルさま?」
シャーロットが心配そうな顔をしてオレをのぞき込んでくる。そうだ。オレはラケシスのことを思い出していた。あいつは、『ヴァルガロフなんて知らない』と言った。嘘をついていたのか?……そんな雰囲気はなかった。だが、魔族だ。魔族なら、オレみたいなバカに気取られず嘘の一つもつけるだろう。
……あれ?
オレはなんで、シャーロットの顔を見てラケシスを思い出した?あいつに、シャーロットの中に入れろと持ちかけられたからか?そうすれば、シャーロットの体をオレが好きに出来ると言われていたからか……?
オレはそれを魅力的な契約だと思っていたのだろうか?……だから、シャーロットを見て、ラケシスを思い出す?……んなバカな。でも、たしかにこの美少女の体を見ていると、強い衝動がわいてくる。彼女の豊かな乳房に、形のいい長い脚。そして、そのつけ根にあるオレを受け入れてくれる部分……シャーロットを抱ければ?ぞっとするほどの快楽を得られるのは間違いない。ああ、くそ。オレは、自分で考えている以上に、邪悪な人間なのかもしれない。でも―――それだけじゃないな。
「だいじょうぶですか、ソルさま?」
「ん?……ああ。悪い。ごめんな、シャーロット」
「どうして、あやまるんです?」
「……魔族の誘惑なんぞに、引っかかりそうになったからさ」
「誘惑に?」
「ああ。シャーロットにラケシスを取り憑かせてやれば、お前のことを好きにしていいって言われたんだよ」
「そ、そんな!」
「ごめんな。オレ、シャーロットのことが、その……かなり……気に入ってて……お前のこと、どんなことしてでも自分のモノにしたいって邪悪な感情を、完全に否定できない」
「ソルさま……っ。わ、私も、私もお慕い申し上げて―――」
「―――でもな、お前じゃないんだよ、『ラケシス』」
オレの右眼でドラゴンが赤くかがやいていた。世界が融ける。まやかしが終わり、シャーロットだったモノの姿が、『ラケシス』へと変貌する。悪霊の姫は、その美しくも青白い顔で笑うのだ。
『……キャハハ。すごーい、バレちゃった!ねえ、これ、私への愛の力ぁ?』
「はあ?どっちかというとシャーロットへのだろ?」
『ええ?そんなぁ、私への愛はー?』
「あるとでも思うのか?しかし……コレ、なんだ?……夢か?」
『夢じゃないよう。呪術です』
「オレにはそういうの通用しないんだろ?」
『うん。右眼の竜が守っているから。でもね、自分から力を抑えたならハナシは別。呪いを受け入れたのよ?強大な魔族の力なら、隙をついて術をかけられるんだ。まして、高位魔族の干渉を同時に二つ受ければ、竜の守護だって揺らいじゃうのよ』
「二つ?お前と……『黒剣の魔女』か」
『そうそう。さすがに勘がいいよね。まあ、常識だとは思うんだけど……あんな呪われたモノを、識ろうとしないことね?』
あの魔槍に触れたときか。あれに『罠』みたいに黒魔女の術が仕込まれていたのか?その罠にオレはかかってしまった……というか、オレからかかりに行ったことになるのか?そういうときは右眼の守りが効きにくい……?んで、そのタイミングを、ラケシスにつけ込まれた?……よく分からんが、んなことだろうな。
「……で、何の用だ?」
『誤解をといておきたくてね』
「誤解だあ?」
『私、ヴァルガロフで呪いなんて使ってないもの』
「……んなこと、オレが信じるとでも?オレは、兄貴の言葉を聞いたんだぞ?」
『それこそ、あの魔女が見せた幻でしょうに?いい、旦那さま。魔族の言葉なんて信じちゃいけないのよ?』
「魔族が言うなよ」
『キャハハハ!そうだねえ、でも……旦那さまなら気づいてるよね?親しい人間同士なら分かることもあるんじゃないかしら?……魔槍の見せた夢のなかにいた兄貴さまは、あなたの『願望』を反映しすぎていませんでした?』
「……っ」
『死に瀕したときの人間は、うつくしくはありません。ヴァルガロフに収監されて生き延びているような男はね、強い野心を抱く者たちばかり……彼らが、自分の命よりも誰かの命を尊ぶことはありませんわ』
「兄貴は利他的な男だったよ。いつだって、誰かのために苦労してた」
『ええ。そうでしょうね。でも、それが全てではない』
「……ああ。兄貴の正義感や優しさは、いつも怒りから来ていたんだ」
『でしょうねえ。やさしいだけではヴァルガロフ監獄を生き延びることはない』
―――オレは覚えている。初めてヒトがヒトを殺すのを見た瞬間を。それはクロードの兄貴だった。兄貴がガキのオレをいじめていたピサロのヤツを、ナイフで殺したんだよ。オレの目の前で。とても、楽しそうに……あいつの首を切り落とした。
殺し方や戦い方を教えてくれたのは兄貴だ。ヒトや動物の弱点はどこかとか。どう攻撃すれば命は壊れるのかとか。解剖学の書籍を読まされた。ヒトの挙動を読み取り、隙を突く技術も教わる。両手でナイフを的確な位置に投げられるように特訓もされた。
それはオレが自分の身を守れるようにするためでもあったし……おそらく、いつかオレを自分の『道具』にするためでもあったんだろう。オレは兄貴のためならヒトを殺せるからな。もしも命じられたら、その通りに動く。
クロードの兄貴は革命家だった。オレは兄貴の言う平等な世界ってのを信じちゃいなかったが、兄貴が望むなら彼の牙になっただろう。喜んでね。この世界が気にくわないのなら、オレが代わりにぶっ壊してやるよ。オレはこの世界のうつくしさも、価値も知らない。すべてを壊せば、ようやく何かが始まるような気がしていたから。
『頭の良い人物ならば、ソルさまのような純粋で孤独な魂を利用しますわ、確実に。兄貴さましかり、『黒剣の魔女』しかり……』
「……そうだな。兄貴は、もっと生き意地の汚い男だよ、良い意味でね。兄貴なら、絶対に自分の死を望まない……そんなことはしない。オレは、どこまでいったところで、兄貴からすれば『手段/道具』でしかないんだ」
オレを助けるために、オレに殺される?
そこまでは、してくれないよな兄貴なら。
生きて、ヴァルガロフから出て、世界を壊したいと願っていた兄貴なら。
……ドラゴンになってでも、生きようとするに違いない。むしろ、ドラゴンになることは彼の思想から近しいことでもある。世界を破壊したいのであれば、アレは相応しい姿だ。ヴァルガロフを破壊し尽くすあの衝動。あれは……兄貴の本心そのものだった。
「……『やっぱり』、兄貴の言葉じゃなかったのか、オレが聞かされたのは……」
『そうよ。ヴィヴィアンが作った言葉ね、ほとんど。旦那さまの兄貴さまがおっしゃられたのは、『死にたくない』って言葉と、『旦那さまを助けてくれ』ということだけかも?どれだけ彼の最後の言葉が改ざんされているのかは、私にも分からないわ』
「なんで……そんなことしやがったんだ」
『ヴィヴィアンは旦那さまに私を殺させたいからでしょうね。アレ、私の母親のひとりなのよ』
「おいおい、もう頭がついていかないぜ……」
『ヴィヴィアンは、別のお母さまに私を産むことを強いられたの。だから、私を憎んでいるのよね』
「ふーん……ろくでもねえ母子関係みたいだな」
『ええ。我ながらそう思うわ。私も愛をたくさんもらって生まれたわけじゃないの』
さみしそうに少女は言った。その言葉が、なんだかオレの心に深く落ちていくような気持ちになる。オレはコイツに同情しているのか?……それとも、共感か。オレと同じように、愛されることを求めているのかもしれない。孤独な魂。それは、この悪霊のお姫さまにこそ相応しい響きなのかもしれない。
「……けっきょく、ヴァルガロフを滅ぼしたのも、あの村を滅ぼしたのも、ヴィヴィアンってことなのかよ?」
『そうね。彼女は兵士を作りあげた。多くのドラゴンやリザードマン。たくさんの兵隊も用意している。その戦力をつかい『ゲイル・ボーグ』で、私たちと戦うつもりね。私たち……そう、この『魔霊ラケシス』と『魔将ザライエ』とね』
「……まあ、いいさ。オレがやるのは、お前らみんなまとめて、ぶっ倒す。それだけだ」
『ええ?ちょっとお、私だけは特別あつかいしてよう、旦那さまぁ?』
「お前はジュリィとシャーロットに狙われてるんだ。彼女たちに仕留められるさ」
『もう、いけず……でも、誤解はとけたみたいで良かったわ』
「はあ?」
『私はね、愛する旦那さまに自分がしたことじゃない罪で憎まれたくないの。自分の悪戯がバレてしまい、そのことで責められるなら本望よ?いたずらっ子の本懐。でもねえ、自分の悪戯じゃないことで、偽りの憎しみを向けられるのは我慢ならない。旦那さまからはね、本物の憎しみとか怒りとか、本物の愛が欲しいのよ』
「……なんだか、ずいぶんと気に入られているみたいだな」
『私も『ケインシルフ』おじいさまの作った『魔女』の一種だからよ。『魔女』って、ソルさまと交尾したくてしかたがないのよ』
「……はあ?」
『そういう風に作られているの。強い雄に惹かれてしまうの。ソルさまと私たちのあいだの子なら……世界の覇者にだってなれるかもしれないから。ねえ、ソルさまぁ』
ラケシスがベッドの上にあがって来る。ヤツの服がいつの間にか空気に融けて消えてしまう。世界が暗転する。さっきまでの安宿の部屋ではなく、そこは闇につつまれた空間。そして、オレが寝ているベッドは何だか伯爵さんとこにあった貴族用のデカいベッドみたいだ……いや、ピンク色とか、ハート型のクッションとかあって、なんというかエロい。
全裸のラケシスがオレの体にのしかかってくる。幽霊のくせに体重を感じる。夢だからか?ていうか、オレもいつの間にか全裸だ。ラケシスの手がオレの手を取り、そのまま自分の乳房に持っていく。やわらかいと思う。だが、温かくはない。ジュリィとは異なる感触だ。小さくて、ガキみたいだが……オレは興奮している自分に気づく。
『ねえ、ソルさまあ?夢のなかなら、霊体とでもエッチできちゃうんですよう』
ラケシスの小さな手がオレの一部をなれなれしくさすってくる。
「おい、エロガキ。ヒトの体に気安くさわってんじゃねえよ」
『ええ?気持ちよさそうにしちゃってますけどお?』
くそ。なさけないが反論できない。男ってのはどうしてこうアホなのだろう。こんな悪霊で魔族の、ワケの分からん存在に迫られたぐらいで!
『これ、夢みたいなもんだしー。お試しでぇ、しちゃえばいいじゃないですかあ?それで、気に入ったら、シャーロットに私をぶち込んで、現世でもエッチしたらいいじゃない?あの子より、私のほうが『魔王』のお嫁さんに相応しい性格してますしー?』
「魔王だあ?なんだ、それ、オレのこと言ってるのか?」
『自覚もあるんです?なら、早いじゃないですか。旦那さまはぁ、ヒトの道理の枠にはハマらないですよ?怪物みたいに強く、竜さえ従え、魔霊と魔女に愛されてる……そんなの、もう魔族の長みたいなもんですよねえ』
なにが楽しいのかラケシスはキャハハ!と笑う。ほめてるんだろうな、魔王ってのはコイツら魔族からしたら褒め言葉なんだろう。コイツは邪悪なバケモンだが、オレに対する愛情はそこそこ真剣なものらしい。バケモンだとしても見た目は美少女だからか?くそ、理性よりも本能が勝ってしまいそうだ。
『かわいそうなソルさま。人間は、あなたの力を利用するわ。兄貴さまですら、あなたのことを道具として見ていた。愛情はあったでしょうね、でも、それはお気に入りの道具やペットへ注がれるそれと同じ』
「うるせえよ……」
真実を告げられることが辛い。ちくしょう。魔族ってのは、残酷なもんだぜ。
『でもね。私はヒトじゃない。とても強くて高位の存在。あなたの側に相応しいの。だって、私はあなたを絶対に利用したりしないから。単純に、深く、純粋に、求めているだけだものね。嘘じゃないの、分かる?』
魔族の言葉なんて信じるべきじゃない。だが、嘘つきだらけのヴァルガロフ監獄で育ったオレの直感が告げるんだ。ラケシスは一言も嘘を口にしていない。欲望に忠実なだけで、こいつはオレを求めてくれているんだ。
「……テメーは、オレとのガキが欲しいだけだろ?」
『ええ。愛の結晶としてね。悪いかしら?愛しいヒトの子供が欲しいと、女がねだってしまうことって?』
「……いいや」
『私なら、深くあなたを受け入れてあげる。ヒトや魔女よりも、深くね。それはとても気持ちいい融け合いだと思いませんかぁ?……ヒトとするよりも、邪悪な私との愛の方が、盛り上がりますよ。私、ソルさまにぃ、ぜーんぶ、ささげちゃいますよぅ』
ラケシスが両腕を大きく広げる。抱きしめるために?受け入れるために?その違いが意味を持たない距離まで、融け合うために?
『たくさんの言葉はいりません。私があなたへあげる言葉は、ただの一言……あいしています。ソル・ヴァルガロフ』
「……っ」
『あん!』
嬌声をあげてラケシスがベッドに転がった。オレが押したんだ。それは拒絶のための行動じゃなかった。オレは笑っていた。仰向けになり、わずかにだけ両脚を開いているラケシスに近づいていく。あいつの細い足を掴んだ。掴んでしまう。
『キャハハ。はじめは、やさしくしてねえ、旦那さまぁ。旦那さまのに慣れたら、激しくしちゃっていいから……子作りの練習、たのしみましょうねえ♪』
「このエロ幽霊が……ッ」
オレは誘惑に陥落しようとしている。ラケシスの細い脚がゆっくりと開かれていく。オレじゃなくて、あいつの意志によって。やっぱり、オレは笑っているのだ。自己嫌悪を抱く。それと同時に、男なんてこんなもんだろ?という自己弁護も発生していた。
『愛しあいましょう、ソル・ヴァルガロフさまぁ』
甘ったるい声でラケシスがオレのことを呼ぶ。誘う。オレは―――。
「―――そ、そ、ソル……さまっ」
「え?」
『はあ!?』
闇に落ちた世界で、このクソいやらしいベッドのすぐ隣に、白い三角帽子をかぶった魔女がいた。シャーロット・ヴァレンタインが、そこにいた。彼女は顔を赤らめながら、オレをじっと見ていた。今にも泣き出してしまいそうな顔で。なんだ、この罪悪感!
『ちょ、ちょっとアンタ!私と旦那さまの愛の巣に、何しにやって来たの!?』
全裸のラケシスがシャーロットにつかみかかる。ギャンギャンと大きな声でシャーロットに文句を言い放っていた。シャーロットは、顔を赤くしたままだが、拳を振り上げてブンブン回す。
「だ、だれが、だれの旦那さまですかあ!!そ、ソルさまは、ソルさまは私のヒーローなんですからあ!!」
『ちょ、痛い!この、クソ魔女!!』
「うるさいです!!この寝取りゴースト!!」
ぽかぽかぽかぽか!なんとも迫力にかける少女たちのケンカが継続する。オレは、どうするべきなのか?……いや、そもそも、なんだこれは?もしかして、ぜんぶ夢なのか?どっちもラケシスが化けているってオチの謎演出かもしれねえし……?
「そ、ソルさまあ!!さっさと帰りましょう!!現世に戻るんです!!こんなドスケベ魔族の淫乱キャッスルに封印されてたら、殺されちゃいますよう!!」
『はあ?ヒトの愛の巣を淫乱城とか言わないでもらえませんかねえ!?だいたい、ソルさまを殺すわけないでしょう?私の愛しい旦那さまなんですからね!!』
「あなたのなんかじゃありません!!わ、私の……私のヒーローなんですから!!そ、ソルさま!私の手を、私の手を握ってくださーい!!」
『ちょ、こら!この泥棒猫魔女!!』
シャーロットがオレに手を伸ばしてくれる。これがたとえ夢だとしても。オレに対して手を差し伸べてくれるシャーロットを拒むなんてことは出来ない。だって、オレは……たぶん、はじめて彼女を見た瞬間から―――。
「ソルさま!!さあ、脱出ですよう!!」
シャーロットが笑う。いつもとちがう。いたずらっ子みたいに勝ち気な雰囲気で。はかない彼女も嫌いじゃないけれど、こういう笑顔もすごく好きだ。オレもつられるようにして笑う。そして、彼女の小さな手を掴んでいたのさ。
『ええ!?ちょ、ソルさま!!ずるい!!この、泥棒猫ぉおおおおおおお!!』
世界が白いかがやきにつつまれていく。『白の魔女』の力だった。ラケシスとは……正直もったいなかった気もするけれど、『最中』とか『事後』とかをシャーロットに見られなくて良かった。もし、そんな状況だったら、彼女はオレを見てあんな笑顔をくれなかった気がするし―――。
「―――ん!!」
オレはまた目を覚ましていた。古くさい天井と小汚い壁が見える。そこはあの安い宿屋の一室だ。そう見える……だが、本当にそうなのだろうか?どこまでが夢だったのか、分からない。これもまた夢じゃないという確信を得ることは出来なかった。
腹筋を使ってベッドから身を起こす。オレは、自分の手がシャーロットの手に握られていることと、彼女がオレのベッドに上半身を倒してうつ伏せになっている姿を見る。かわいいと思った。ラケシスも可愛いが、やはりシャーロットはその数段上を……と、あさましい品評をしているオレの気配に気がついたのか、少女はゆっくりと目を開いていく。
「……ソルさま」
「シャーロット……なのか?」
「はい。おはようございます」
「え?……あ。もう、朝なのか」
「はい。ソルさま、昨夜あの魔槍に触った瞬間、槍にかけられていた『黒の魔女』の術に引っかかってしまい、昏睡状態に……」
「ああ、そうだったのか。自分じゃ、何が何だかよく分からん。夢のなかで迷子になっていたようだ」
「……あの。ごめんなさい。私、『白の魔女』のくせに、『黒の魔女』の罠を見抜けませんでした」
「シャーロットが謝るようなことじゃない」
「……そう言ってもらえると、心が楽になります……」
気まずい沈黙が訪れる。オレの感覚では、ラケシスとあのベッドにいたのは数分前のように感じる……シャーロットも、そうなのだろうか?
「……ソルさま」
「お、おう?」
「……ソルさま、あの悪霊とエッチなこと……しようとしてませんでしたか?」
「……そ、それは」
正直に答えるべきだろうか?本能に負けて、魔族と交尾しかけてましたと?いや、さすがに勇気がわかない。ああ、なんていう後ろめたさだ?しかし、オレの戸惑いがある意味で答えとなってしまう。シャーロットは拗ねるように口を尖らせていた。
「も、もう!……あ、悪霊は、男のヒトの理想を叶えてしまうんです……だ、だから、男のヒトが夢のなかで悪霊にあらがうのは不可能とは言われてますけど……」
「あ、ああ……なんていうか、すまん。なさけないところを見せた」
「……い、いいえ。術にかけられた時点で、あの子にソルさまは抗えないのは仕方がないことなんです!……そ、それに……なんというか、す、寸前で……救出できたようですし?」
「お、おお。未遂、未遂」
「……でも。私、ちょっと怒ってますから!!」
シャーロットがそう叫び、オレのことをにらむ。
ちょっとだって?そんな言葉で収まる感情じゃない。
「ソルさま、もっと、しっかりして下さい!!魔族との戦いは、邪悪で卑劣な罠が飛び交うものです!!そ、その、い、色仕掛けなんてものに、そんな簡単に……引っかからないで下さい!!」
「……ああ。ほんとスマン。我ながら、情けない」
「……もう!!」
怒ることにあまり慣れていないのだろう。シャーロットは、いらつきを隠せないまま部屋をうろうろする。腕を組み、その鼻息はいつになく荒い。もっとオレを詰問してくれたほうが気が楽なぐらいだ。落ち着き無く言葉も出ない彼女を見ていると、自分が失ってしまった信頼の大きさが身に染みる。
「悪かった、シャーロット……オレは―――」
どう自分を弁護しようか。そんなことを考えるべきなのだ。信頼を取り繕うための言葉を用意して、どうにか壊れた信頼を縫い合わせなくてはならない。人間関係ってのはそうやって作る。でも、バカなオレは状況を良くしてくれる言葉が見つけられない。
そんなだから、シャーロットをますます怒らせてしまうのだろう。彼女の心が爆発する。涙があふれていた。声が、震えて、心が叫んでいた。
「ソルさまの、バカぁッッ!!言い訳ぐらいしてください!!受け入れたりしないでください!!ラケシスは、悪霊なんですよ!?魔族なんですよ!?」
「……わかってるさ」
「……私だって、分かっているんです!!……魔族に捕まったら、ヒトは、抗いきれないってこと……理解しているんです!!だって、あいつらは心の奥までヒトとつながってしまう!!いつだって真実なんですよ、あいつらの言葉は!!」
あいつら。シャーロットが見せた初めての憎悪。涙を流す彼女の心は、ラケシスに対する怒りと憎悪でいっぱいだ。それでも彼女は認めるしかない。知識が偽ることを許さない。魔族に詳しいからこそ、ラケシスの言葉が真実だと認めるしかないようだ。それは、彼女にとってとても辛い作業みたいだな……。
「あの子は、ソルさまを本当に愛しているんです!!深く、求めている!!……あの子、霊体ですよ!?私に見つかれば、かんたんに滅ぼされるかもしれない!!それなのに、そんなの承知のうえで、ソルさまを助けに来た!!」
「オレを、助けた?」
「ソルさまの心を助けたんです。『黒の魔女』の術に洗脳されそうだったソルさまを、あの子は助けたんですよ!!そのために、命の危険まで、冒したんです……ッ」
それは衝撃を孕んだ言葉だった。このシャーロットが、ラケシスが化けたモノであればいいのにと感じる。でも、ドラゴンが告げるんだ。いや、オレの心も理解している。これはまごうことなくシャーロット・ヴァレンタインそのものだった。
ラケシスは、オレを命がけで助けてくれたらしい。仇敵であり天敵であるシャーロットに接近するというリスクを顧みず……。
―――あいしています、ソル・ヴァルガロフ。
心のなかでラケシスの言葉が反響する。オレの理性を壊して、あいつを求める気持ちに火を点けていた言葉。それはオレが最も望んでいた言葉だった。
クロードの兄貴に利用されていることに気づきながらも、それを隠してヘラヘラ笑って彼を兄貴と慕っていた愚かで孤独なオレ。母親を知らないオレ。ひとりぼっちのオレは、愛していると誰かに告げてもらいたかった。
……オレは、ラケシスを憎めるだろうか?あれがどんなに卑劣で邪悪な存在だったとしても、あの子の滅びを望めるのだろうか?……自信がなかった。
「……シャーロット。なんで、そんなこと教えてくれたんだよ……」
恨みがましい声音だった。そんな風にオレは訊きたかったのだろうか?そうじゃない気もする。もっと、シャーロットを苦しめないように訊いてやりたいはずだった。八つ当たりしているのかオレは?ラケシスの愛情が本物だという事実を、オレは恐れているのか?
「なあ、シャーロット……」
シャーロットはビクリと体を震わせる。彼女はオレの問いかけを、どんな感情で受け取っていたのだろうか。彼女は……とても怯えているように見えた。すまない、シャーロット、怯えさせるつもりはないんだ……そんなはず、ないんだよ……きっと。
「ご、ごめんなさい……」
「あやまらなくていいだろ?」
声が冷たい。自分の声のはずなのに、まるで知らない男の声みたいだった。
「でも、とても……辛いんです」
「……辛い?」
「……きっと、くやしいからです……ソルさまをお守りしたのが、あの子だったから。それに、あの子に……あいしてるって言葉……言われたのが、くやしい……ッ」
「―――どういう意味だ?……オレみたいな、親も分からん、兄貴にも利用されてた愚かなガキには、そんな言葉は相応しくないってか?」
オレは彼女をにらみながらそんな言葉を口にしていた。シャーロットがまるで打たれたような表情を浮かべる。怯えている?怖がっている?オレは、そんな顔を見たかったはずじゃない。シャーロットは、ちがう、と小さな声でつぶやく。何度も。そしてオレから後ずさりする。逃げるのか?お前も逃げるのかよ?
ヴァルガロフの白い雪原を思い出す。
オレしかいない。ひとりぼっちの世界。誰も、オレのことなんて見ちゃいなかった。みんな、オレを置き去りにして、どこかへ去って行く。いつも、オレは孤独と嘘にまみれていた。ただ生きたいとだけ叫ぶ。生まれた意味を知らないまま、死にたくないから、オレは意地汚く、ひたすらに雪をかき分けて―――。
「おい、ちゃんと答えろよ」
オレはベッドから起き上がり、後ずさりして逃げようとする彼女を追い詰める。その華奢な手首を掴んでしまう。シャーロットは泣いていた。さっきまでの怒りから生まれた熱い涙ではない。もっと、別の感情から生まれたものだ。
怯えて、後悔していて、悲しんでる。
それは分かる。だが、何故かオレは狩猟者みたいに残酷な態度だ。あいしてる。オレが求め続けたその言葉の重さを、それを手に入れてしまったオレの心を、シャーロットは理解できないのかもしれないな。
―――ソルさまが激怒しているのが分かりました。私は言葉を間違ってしまったことに気づきます。ソルさまを傷つけてしまいました。あいしてる。ソルさまにとってその言葉がどれだけ大きな重さを持っていたのか、ようやく私は理解していました。
彼は孤独だったのです。
ソルさまの心にもぐる過程で、ラケシスとソルさまの会話を私も聞いていました。それなのに、私は……気づけなかった。ソルさまは、ずっと誰からも愛を注がれたことなどなかったのです。
両親も知らず、周りは犯罪者ばかりの環境で育ってしまいました。唯一、彼の心がよりどころにしていたクロード・フェイレオールさえも、ソルさまを『道具』として見ていたのです。ソルさまが、それに気がついていないはずがなかった。偽りだと承知の上で、ソルさまはその絆に頼るしかなかったのです。そうすることでしか、ひとりぼっちじゃなくなる術なんて、彼にはなかったから。
ああ、なんという孤独でしょう……。
ソルさまの金色の瞳が今このときは黒く、どこまでも深く見えました。私は後ずさりするのを止めます。私は逃げたくはありません。ソルさまの孤独からも、ソルさまの怒りからも。そんなことをしたくて、私はソルさまと旅に出たわけじゃありません。
魔族との対決のためではあります。
でも、そうじゃない。
私がソルさまといる理由は―――ソルさまといたい理由は、そんなことじゃない。
嫌われるのはイヤです。誤解されたくないと叫んでいた、あのラケシスの心が今の私には痛いほど分かる。
ソルさまが私をのぞき込みます。あのひとの絶望が言葉に変わる。
「―――オレなんかに、誰かに愛される価値はないのかよ?」
孤独さと痛みに染まったその言葉が、ソルさまの真実でした。ソルさまの履歴。彼の歩んでしまった、ひとりぼっちの果ての言葉。私は、そんなものに負けたくありません。
「そうじゃないです、ソルさま。私は、あなたに伝えるべき言葉があります」
「……なんだよ?」
「私が辛いのは……私が何よりくやしかったのは……私が伝えたかった言葉を、ラケシスなんかに先に言われてしまったからです―――」
私はソルさまの瞳を見つめる。にらみつけるほどに強く。意志を伝えたい。心を伝えたい。どうするべきかは分からない。最善の手段は知らない。でも、もう、その孤独に疲れ果てた瞳から、逃げたりはしません!
ソルさまの動きが止まります。私をのぞき込んだ姿勢のまま。私は、逃がしません。私自身が逃げない覚悟を決めたから。だから。ソルさまが、私の言葉から逃げることも許さない。私の手がソルさまの顔を右と左の両側からやさしく触れます。
「……シャーロット?」
「―――私は、ソルさまのことを愛しています」
人生で初めての告白でした。い、言ったあとで、顔が赤くなっていくのが自分でも分かります。自分で言ったことなのに、後悔はひとつもありませんが、なんですか、この恥ずかしさは!!
「え……それって……え?いま、シャーロット……お前、オレに……」
ソルさまが呆気に取られています。ああ、私の恋愛センスは間違いを犯したのかもしれません。このタイミングじゃなかったんでしょうか?いや、そりゃそうです。私、なんでこんなタイミングで告白しているのでしょうか?
ケンカしてたような気がしますし。私は怒っていたし、ソルさまだって私に怒っていましたし。ああ、しまった!間違えた!私、判断ミスった!!
で、でも。
負けません!!愛は競走。戦い。誰にも、負けません!!もう、遅れは取りません!!あんな魔族の子にも、お姉さまにも!!
「しゃ、しゃ、しゃ、シャーロット・ヴァレンタインは、ソル・ヴァルガロフのことを愛していると言ったんです!!あ、あなたに、告白したんですよ、私は!!」
「あ、え?そ、その……ま、マジでか?」
「そんな返事の仕方がありますかッ!?」
「あ!わ、悪い、その、じつはオレも―――」
―――言わせません。その言葉は、もっと覚悟と決意をもって私に捧げてくれないと、私は、イヤだから。だから。だから、私は。
シャーロットが背伸びしていた。オレのほほを両方からやさしく抱いてくれながら、彼女は背伸びしてオレの唇にキスしてくれる。やわらかい感覚を、オレの唇は知る。性欲とかじゃなくて、これは心を伝えるためのモノだと分かった。
やさしくて、あたたかく。卑猥じゃなくて、それなのに、オレの心をその行為は鷲づかみにしてしまう。シャーロットが目を閉じていた。そうするもんだとオレも思ったのか、つられるようにして目を閉じる。
それでいい。シャーロットをより深く感じられる気がした。シャーロットの甘い香りも認識できる。やわらかな感触も。味も。オレは、欲望に駆られるように彼女のことを抱きしめて、唇を動かして彼女のことを、もっと深く求めた。拒絶されなかった。
シャーロットがもぞもぞと下手くそに唇を動かして、オレに応えようとしてくれているみたいだ。淫乱な看護師にされたやつとは異なり、つたないその動きは体温とか愛情を伝えようとしてくれているように思えた。オレの心も、伝わっているのだろうか……。
―――しばらく、そのキスはつづいて。やがて、終わった。
シャーロットは限界のようだ。心臓がバクついてるのが、オレには分かった。顔も赤い。じっと見つめるけど、顔を反らされた。照れているのだと信じられた。拒絶じゃないという自信がある。だって、あれだけ舌と唇でオレを求めてきたわけだから。
「……え、エッチ……ソルさまの、すけべ……舌とか、舐めてくるなんて……わ、私はファースト・キスだったんですから、ちょっとは手加減というか……ほんと、えっちです」
「オレかよ?そっちからしてきたんだよな?」
「そ、それは、ソルさまが……してこないからです!」
「無茶言え」
「で、でも、これで伝わりましたか?……私は、ソルさまを愛しています。ソルさまは愛されてます。だから、もうひとりぼっちじゃありません。だから、二度とご自分に愛されている価値がないとか、オレなんかとか、そんな愚かな言葉を口にしないでください!!わかりましたか!!」
サファイアの瞳がオレを射抜くように見つめてくれていた。オレはにやけながら頷く。
「おう。二度と言わねえよ」
「に、にやけないでください……エッチなんですからぁ、もう……」
「まあ、オレも健康な男の子ってことなのさ」
「……それで、その……ソルさま……」
「どうした?」
「……しちゃいます?」
「……ん?」
「ゆ、夢のなかで……あ、あの女と、し、しようとしてたこと……っ」
顔をあんなに赤くしながらそんなことを言われると、オレまでつられて赤面してしまう。この子、何を言い出した?いや、意味は分かっているぞ。でも、そんないきなり?
「え、えっちな顔してます……」
「す、すまん」
「……で、でも。ソルさまが望むなら、私だって覚悟しているんですから。あんな魔族の子になんか、負けたりしません!お姉さまにも……誰にも、ぜったいに……ソルさまは、わ、わたさないんだから!!」
シャーロットが、自分からベッドにダイブする。くるりと仰向けになって、彼女はどこかヤケクソ気味に叫んでいた。
「さ、さあ、どこからでも、どーぞ、お好きにしちゃって下さいッッ!!」
「……ハハハハハ!」
「な、なんで、笑うんですかあ」
「いや。分かったから。無理しなくていいって」
「え?わ、私の覚悟、バカにしてませんか!?」
「バカにしちゃいねえって。シャーロットの覚悟とか気持ちとか、しっかり胸に伝わったぜ。でも、そんな感じに追い詰められてしちゃうのは、シャーロットらしくないんだよ」
「私らしくない、ですか?」
「そうさ。お前は、もっとやわらかい感じだ。やさしくて、寄り添ってくれる感じだろ?そんな色仕掛けなんてしなくても、大丈夫さ」
だいじょうぶ。そのことばの意味は、こんなことしなくても、あなたの心を手に入れられるということでしょうか?それなら、とても嬉しいです。嬉しい―――ッ!?
「ん。シャーロット?」
「に、逃げて!逃げて下さい、ソルさま!!」
「はあ?どうしたんだよ、そんなに怯えて?」
「―――ソル・ヴァルガロフよ」
冷たい言葉が室内に冷えて。空気が凍てつくのを感じる。オレは、忘れていた。シャーロットのそばにいるシスコン・ナイトのことを。恐怖が強すぎるあまり、体がピクリとも動かない。嘘だろ?……ドラゴンにさえ勝った男が、このソル・ヴァルガロフさまが、こうもあっさりと呑まれてしまうのか!?
右眼のドラゴンが叫んでいる。兄貴の魂が、オレに『逃げろ』と叫んでいる。全身が引きつる。やばい、まずい、ダメだ!!このままじゃいけない!!
「―――ジュリィ。可能なら、手加減を……」
「―――ん?バカを言え。私の辞書に、そのような単語はない」
「あ、アホな辞書持ってやがるッッ!?」
ああ、まずい。思わずツッコミが口から出てしまった。火に油。オレの脳内辞書がそんな慣用句を叫んで伝えて来やがった。シャーロットがオレが見てない何かを目撃したのだろう、なんて顔してんだよ?彼女は、大きな声で叫んでいた。
「そ、ソルさまを殺さないでえええええッ!?」
―――四日目。
数多の戦場と魔窟を巡り、羅刹も魑魅魍魎も殺して回ってきた。いつのまにやら赤熊のロッシとして名を馳せたオレだが、あんなに怖い女を見たことはないぜ。アンタも相当なもんだぜ、団長?でも、ジュリィ・ヴァレンタインさまってのは、もっとこう、激しくてムチャクチャなんだよ。
ああ、オレもソルもボロボロだ。キマイラと戦ったあとでさえ、こんなにダメージを負ったことはないぞ。そして。すまない、ソルよ。オレのせいかもしれない。あんな村にさえ立ち寄らなければ、こんなにムダなケガをすることもなかった。
ジュリィさまの私刑でさんざん殴られた後、宿屋の二階から落とされるなんて目に遭わなくて良かったんだよな、ソルよ……すまねえ。
もう堂々と魔族の待ち構えている都に進めばよかったのだ。罠だと?知らんわ、そんなもの。どうせ傷つくなら敵との戦いで負った方がずっとマシである。この顔面の痛みに一切の誇りを感じることがオレには出来ない。
だいたい調査するつもりが、簡単に罠にハマってしまうしな?……正直、シャーロットお嬢さまに期待しすぎていた。彼女はヒトを疑うという技術が未熟すぎる。
オレだってあの魔槍は、なんだか怪しい感じがしていたんだ。なにせ、呪いの中心だぞ?なんらかの罠とかがあっても全くおかしくないと思っていたのだが……口にしなかったオレが悪いのか?
あらゆる呪術の専門家『白の魔女』がいるから、あえて発言しなかっただけだ。期待しすぎていたかもしれない。ソルが罠にかかってから気づくなんてな……。
……考察するに、ジュリィさまの反作用だろう。ジュリィさまの人一倍強い猜疑心や警戒心のおかげで、シャーロットさまご自身がそういった防衛的な負の感情を抱く必要がこれまでなかったに違いない。だからこそ、あれだけの慈愛を手に入れられたのかもしれない。悪意に対して鈍感なのは、その副作用ってもんか……。
とはいえ彼女は一流の術者ではある。
シャーロットさまの治癒術のおかげで、オレもソルも傷は治った。おかげでクマの爪に切り裂かれたかのような顔面の傷は消えてくれたぜ。彼女の姉がつけたんだから、治してもらった直後に言った、ありがとう、は喋ったあとで口の後味が悪いものだった。
もしも傷が治らなければ伯爵に慰謝料を請求しようと思っていたのだが、治してもらったからいい。なんかムダに伯爵家に関わりたくないしな。そうだ、傷は治ったんだ。肉体のはな。だが、心に負った傷については事情が違う。
戦うことやケガすることが怖くなったわけじゃない。モンスターよりもっと怖い存在が、心の奥底に君臨してしまったのだ。これはどうしたら癒やされる?メンタルヘルスの専門家にでも一冬丸ごとかけて通院でもしたら、ジュリィさまへの恐怖心が消えてくれるのだろうか?……ムリな気がする。
……しかし、ソルはいい青春を過ごしているのかもしれない。シャーロットさまという恋人を手に入れられたんだからな。壁も床も薄い安宿で、朝っぱらから愛の告白なんて大声で叫ぶもんじゃないね。
おかげでオレみたいな第三者にも、少女の愛の告白は聞こえてしまっていた。無粋だと?……そりゃそうだが、若い男女が寝室で愛の告白してんだぞ?聞き耳のひとつも立てたくもなるだろ?そのうちベッドが軋む音とかあえぎ声とか聞こえてきそうだしな。
フツーのチームなら、オレも若い二人をからかってみたい気持ちになるもんだが……ジュリィさまがいるから、そんな気が起きない。触らぬ神に祟りなしだ。彼女に冗談は通じない。オレは昨晩、グラスで顔面を強打されて気絶したんだぞ?ちょっとしたユーモアある一面を発露したばっかりに。
……しかし、ソルとシャーロットさまねえ。美少女と野獣か?ほほえましさは少ないが、二人がそれで幸せなら別に問題ない。というか……『白の魔女』と『竜喰い』?その視点で語るのであれば、ベスト・カップルか。
『魔女』は強い雄を求めてしまうのが本能ってハナシだからな。強い血統を構築し、いつか『ケインシルフ』を倒すのが『白の魔女』の使命。ソルならその血筋の婿として合格だろうよ。
……総括すると、あの探索とオレたちの負傷は若い恋人をつくり出すことには貢献した。傭兵・赤熊ロッシが恋のキューピッドだとよ?善行をつんだことになるのか?これで死後は『無限の狩猟場』に魂が囚われることなくなればいいんだが……足りねえか?
団長、続報がある。
今回の事件で、オレとソルはいろいろと犠牲を払ったものの情報は手に入った。罠にもかかってみるもんだ。じつに無様な過程であったものの、結果的には『偵察』に成功したとも言えるな。いい知らせがある。ついさっきだ。馬車に揺られながら、ソルが語ってくれた『夢』の物語を聴いたとき、オレは心が震えたぞ。
オレたちが戦っているヤツらの素性がハッキリしたぜ。
『敵』は『黒剣の魔女ヴィヴィアン』。
そして『悪霊ラケシス』と―――『魔将ザライエ』だ……そうさ、団長。あのザライエだぞ?アンデッドどもの親玉さ。となれば、東側の吸血鬼もやって来る可能性は高い。そう書けば、あんたをこの戦に巻き込めるだろうって期待して書いているんだぜ?たのむ。団長、来てくれ。
ヴァレンタイン家はラケシスを狩りたい、ソルは『黒剣の魔女』を殺すつもりだ。そして、オレたちで『魔将ザライエ』を狩らないか?……アレは、世界に仇成す魔族だ。北方諸国最大の敵のひとつ―――そうだよ、オレらの故郷を滅ぼした悪鬼だ。
どうにも想像していたよりも派手な戦になりそうだ。伯爵にも増援を出すように手紙を送っている。彼の人脈ならば、根性のある兵団を用意できるかもしれない。
『敵』たちも相当な準備をしているようだ。ゲイル・ボーグから来た行商と道ですれちがい、彼から食料と情報を買った。彼が知る三つの村が死んだらしい。オレたちが知っている村とは別にな。『黒剣の魔女』によるものか、それともザライエか。どちらにせよ、死者は竜やトカゲ兵士やゾンビ兵士にされたのだろう。
魔物どもの数が多い―――だからこそ、チャンスでもある。『黒剣の魔女』と『魔将ザライエ』の手勢がつぶし合ってくれるというのなら、オレたち人間にもチャンスがあるんだ。一人でもいい。団長、頼むぞ。『優秀な狩り手』を送ってくれ。
「……フクロウってのは頭がいいって聞いてたけど、伝書鳩の代わりもするのかよ」
月の浮かぶ夜空の下で、ロッシはその太い腕に止まっていたフクロウを威嚇するような声で脅して、空へと飛び立たせていた。フクロウは大きな白い翼を広げて、北の空へと向かっていく。
ロッシはオレのほうへ向き直った。
「ああ、そうさ。アレは実に優れた『使い魔』でな。数十年前にとある錬金術師が作りあげた、オレたち『カプリコーン旅団』の財産だ」
「何十年も秘密の郵便配達人をやっているのかよ、あの鳥が」
「うむ。彼女の名前は『ブランカ』。最高の運び屋だ」
「ふーん。傭兵ってのも色々やってるもんだな」
「興味が湧いたか?オレたちはお前の入団なら歓迎してやれるぞ、ソルよ」
「へへへ。評価されたのは嬉しいね。そうだなぁ、世界をもっと色々知った後で、決めてみてえかな」
「それがいい。お前の人生は始まったばかりだ」
「まだまだガキってことかい?」
「年齢だけじゃない。ヴァルガロフ監獄……そういう呪縛から解放されたばかりだ。お前はシャーロットお嬢さま以上の世間知らずだ。人生の在り方を定めるには、経験も知識も少なすぎる」
「……そーだろうな。オレは美少女がリンゴ7個を1シエルで買えるってこともしらなかったもんな。それとも、北じゃリンゴは安いのかよ?」
「ハハハ!安くはない。うつくしさに媚びるのさ。ヒトはそういう生きものだ」
「勉強になったね。世間様について、また一つ詳しくなったよ」
「そうか。それで魔術の特訓ってのは、終わったのか?」
「ん?……まあな。こんなもんさ!」
オレは夜空に向けて右の手のひらを伸ばした。魔力を練る。シャーロットとジュリィに教わったことを心のなかで反芻しながら、オレは炎の弾を夜空に放っていた。火球は天高く目掛けて登っていき、はるか頭上で炸裂した。
「……ほう、花火みたいだな」
「オレはそいつを見たことがない。火薬は発破以外にも使われてるんだってな」
「ああ。北方諸国じゃ、新年の祭りに花火を上げる都市も多いぞ。近いうちにそれを知れるだろう。しかし、なかなかいい魔術だぞ。『ファイヤー・ボール』。初等魔術か」
「おう!ジュリィには魔術師ならガキでも使えるって言われてな。じっさい、オレのような世間知らずでも使えたぜ」
「鍵開けの術が使えるなら、それぐらいは容易かろう」
「そうらしい。まあ、他の術まで手を伸ばすのは難しいから、ゲイル・ボーグに着くまでに完成させるのはコイツだけ。シャーロット曰く、スピードだけなら一級品だそうだ」
「『白の魔女』の教えを受けれるのは幸運だ。で、お前、そいつをオレに自慢したくて来たっていうのか?」
「まさか。ロッシには、別のお願いがあるんだよ」
「お願い?」
「武術を教えてくれないか?」
「……ほう。殊勝な心がけだ。だが、オレでいいのか?オレはお前にあっさりと敗北した身だぞ?」
「あれは力とスピードにモノを言わせただけだ。あれはオレが強いから勝っただけで、技術でアンタに勝ったわけじゃない」
ジュリィを見ていて分かった。武術とは強さを数十倍にしてくれる。ジュリィは肉体的にもかなり強くはあるが、あのムチャクチャな強さと迫力を生み出すのは正確な技術によるものだ。ムダが少ない。ムダに見える動きは、すべて誘い。それに惑わされたら、反射神経で躱す以外に道がない。身体能力差がなければ、オレは彼女に絶対勝てない。
「己の未熟さを指摘されずに知るたあ、いいセンスしているな、お前さんは」
「オレの戦い方はアンタやジュリィとは違いすぎるからな」
「それも悪いことじゃない。強けりゃ別に問題はないからな。だが、たしかにお前の戦い方は洗練されていない。というか、アレは戦い方じゃないんだ」
「どういうこった?」
「……アレは暗殺術だな」
―――ロッシという男は想像以上に鋭い。傭兵というのは戦争を生業としている輩だそうだ。彼はそれを何十年もつづけてきベテランだ。オレをオレ以上に理解できるらしい。それはオレにとって好都合だ。教師にするには丁度いい。
「そんな顔するってことは、自覚があったのか?」
「まあ、なんとなくね」
クロードの兄貴は、まさにオレを『暗殺者』に仕上げたかったんだろうからな。
「ガタイがデカいし派手さが過ぎるんで誤魔化されてしまうが、お前の動きは瞬間的だ。隙がない動作で、相手に対応させる間もなく技を仕掛けてる。しかも急所狙いだ」
「そう言われるとそんな気がするな。んで、アンタにも見抜かれているってことは、欠陥がある戦い方なんじゃねえのか?」
「……勘がいいな。暗殺術にも限界はある。動作が最小限ということは威力が小さくなるし、リーチが余り長くない。初手はともかく、二度目三度目は対応されてしまうだろう」
「つまり、一撃で殺せないヤツには不向きってことか?」
「そうなるな。まあ、お前の身体能力ならば問題はない。お前の体力に競い合える人間はほとんどおらんし、魔族が相手でも同じことだ」
「かもしれん。技術に勝るアンタにも『力ずく』で勝てたしな。だが、より強くなれるというのなら、オレに技を教えてくれないか?」
「……おいおい、魔術を覚えている最中だろう?」
「魔術も覚える。武術も同時にな。んで、暗殺術と混ぜて、全部オレのものにしたい」
欲望に忠実すぎるかね?でも、交渉するときは、腹を割って話すべきだ。クロードの兄貴からはそう習っているんだよ。だいたい、教えを請うべき人物に嘘はつけん。ロッシはベテランだ。正直に注文つけた方が、いいアドバイスをくれるだろう。
「ハハハハハ!」
「なんで爆笑するんだ?」
「さらっとものすごいことをお前が言うからさ」
「難しいか?」
「いや……お前は戦士に最も必要な集中力を持っている。身体能力も十分。竜の加護もあるってなら……やれんことはない」
「教えてくれるのか?金は……いつか払うぞ?」
「金などいらん。お前は面白い。それに、より強くなってもらわなくては困るのだ。ゲイル・ボーグには、魔族がわんさか集まりそうだからな……オレはな、ザライエを殺したいんだよ。お前には、そのためにも一匹でも多くの敵を潰してもらわんといけない」
「なるほど、利害関係が一致だな。じゃあ、今からお前はオレの師匠だな、ロッシ」
「ハハハ!……『竜喰い』の師匠ね。面白い。こいつは愉快だ!!さて、この剣を持ってみろ!剣の振り方、防ぎ方……その動作のどこに隙を見つけて、どうやって破綻させるか、そういう細かいことを教えてやるわ」
「……なんだか難しそうだが、やりがいがありそうでいいね」
そうだ。オレはもっと強くなりたい。シャーロットもジュリィも守りたいからな。とくにシャーロットを。バケモンどもがわんさかいる場所に行くんだぜ?……そんなもん全部ぶっ殺してやらねえと、彼女を守れないかもしれんからな。
―――『ぜんぶ』……か。
どうしたって、ラケシスのことを考えてしまうな。オレを愛してくれているらしい彼女を、オレは殺せない。さて、どうするもんかね……?
「ロッシ。敵を殺さずどうにかする技術ってのはあるのか?」
「あるさ。武術ってのは、死なないように生き残るための技術だ。そいつを応用すれば、敵の負傷具合も自在だ。ジュリィさまがよくやってるだろ?オレとか、お前に」
「……なるほど」
「お前は本当にワガママな男だな。敵の生死さえも我が物にしたいのか」
「そうだな。どれだけ強ければ出来る?」
「……相手にもよる。まあ、仕込める時間は少ないが……可能な限りオレから吸収していけ。あきらめないほどに……あがくほどに。ヒトは理想に向かって進みつづけられるのだ。大きな野望があるのなら、考えるよりも先に、鍛えておけ」
「アンタはいい師匠になりそうだよ、ロッシ」
「フン。お前の師匠と名乗るだけで、食い扶持にありつけるレベルには育ってくれよ」
今回はバトル無しです。ソルの狭くて小さな人間関係を複雑にしてみたくて。今回のソルは豪快さじゃなくて弱さをたっぷり見せましたね。彼は戦闘能力こそ高いですけど、まだまだ若く、そして残念ながら愛を知って育ったような人物ではありません。
それでも、生きようとする強い意志がある。自分の生まれた意味や、自分の価値を知りたい男の子でもあるという面を表現しておきたかったんです。
ややハナシがこんがらがっちゃう感じはありますね。ごちゃごちゃし過ぎた感じは反省しないと。
後半に向けて、主要人物やらの関係性を多少は書き込めた気もします。ソルは色々なヒトに愛されていますね……シャーロットやラケシスのおかげで、彼はまた精神的に成長し、ジュリィやロッシのおかげで強さも増します。後半は、バトル多いです。それでは、また。