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第三話    呪われた騎士たち

幕間劇   『悪霊姫キャスリン』



 ―――じつのところ我は魔族とのあいだにある溝を深めていた。我にとってはあまり気にもならないことだがな。

 そもそも、ドラゴンとは孤独と睡眠を愛する生物なのである。だが、煩わしいことには腹が立つものだ。我が勇者か魔王を作り出そうというその崇高な計画を進めていくと、魔族の一部が我の計画を阻止しようと妨害を仕掛けるようになってきた。まったくもって忌々しい。

 ヤツら曰く、魔王はいい。魔族のあいだにある数世紀におよぶ混沌を解消しうる『統率者』を作り出すことには賛成らしい。しかし、勇者となると話は違うそうだ。

 魔族を滅ぼしてしまう存在を生み出すことなど認められない―――まあ、魔族としてはその考えを持つことは異端ではあるまい。むしろ、闘いを求めて勇者なんぞを求めている我の方がよっぽど異端であろうよ。言い分が違うのなら、解決手段はただ一つだけだ。

 我らは当然ながら争いを始めた。闘争を好む我にとって魔族の血を浴びることもまた一興である。ヤツらとの闘いそのものは快楽として享受できた。しかし、この魔族という連中の厄介なところは、高度な魔術知識を有することであろうな。

 『力』で負けた『魔将ザライエ』は我を殺すのではなく、我を邪魔することに全力を費やすことにしたようだ。ヤツは我が計画を乗っとろうとしている。我は『強い人間』の創作に没頭しており、その正邪の質はまったく気にしない。だが、ザライエは自分にとって都合のよい『運命の子』を人間どもに生ませたいらしい。

 ああ、『運命の子』とは言わずもがな我の天敵として生まれてくるであろう未来の勇者か魔王のことだ。ザライエは魔王の生誕を望んでいるのさ。ヤツは我が自然の選択に任せようとしている部分、『強者同士の衝突と淘汰』という領域に手を加えようとしている。

 我の理想では世界に生まれ落ちた強き人間同士は、その強い闘争本能に導かれるか、すぐれた闘争能力のせいで人間社会に利用され、『戦場』という最高の競技場へと流れつくはずだった。そうして戦士どもは殺し合い、どちらかが淘汰され、より優秀な戦士が残る。より強い戦士が次世代を残すことで、戦士の質は向上していく。そう予測していた。

 だが、ザライエはこの実力競争のシステムを破壊しようと企んだ。ヤツは『魔女』の血を引く優秀な戦士を探し出す。そして、その中からヤツの好みに合う戦士に肩入れを始めた。そうだ、邪悪な質を強く有する戦士……魔王の才をその身に宿す戦士に、ザライエは自分の力を貸したのだ。さらに、勇者につながる可能性を見た戦士をヤツは殺していった。

 そうすることでザライエは我のシステムを乗っとろうとしている。正をはじき、邪のみを残すことで。ヤツのこの動きを我は7年のあいだ見過ごしてしまった。血肉弾ける闘いとは異なり、謀略の分野においては我も無敵とまで言えないのである。

 ザライエの動きを見逃してしまった最大の理由は、ヤツが『あの子』の死体を利用したからだった。そう、キャスリンだ。私にこの計画を思いつかせてくれたあの赤子だ。我が焼き殺した女の腹から救い出し、命と膨大な魔力を与えた死霊の姫である。

 もとより死んだ肉体で産まれたキャスリンであるが、我の力と生来の美貌のおかげで宝石のようにうつくしい姫と育ってくれた。彼女は我に尽くしてくれる。我のために『魔女』候補の娘たちに接触し、彼女らの体に魔力の種を植え付けてくれもした。

 素晴らしい『種付け魔女』であった。だが、我の言いつけのために『白の魔女』らと戦い、我の願いの通り壮絶な戦いを演じ、やがて敗北して殺された。真っ二つに引き裂かれたキャスリンの死体を我は回収したが、あまりにも損傷が酷いため、魔術による強引な蘇生はすぐには行えなかった。

 無理矢理な蘇生をすれば、彼女の精神はまともに再生できないからだ。我は彼女を魔を秘めた宝石の数々といっしょに北の果ての氷河に保存した。彼女はその氷の睡眠のなかで、魔石の力を吸収して、ゆっくりと再生していくのだ。そう、50年もすれば、かつてよりも強大な魔族として復活を果たすだろう、あの美貌とともに―――。

 ……しかし、よくないことが起きた。

 我が敵、『魔将ザライエ』はどこで得た情報なのかは分からぬが、我が姫キャスリンの眠る場所を知った。彼女の遺体を氷河の底から掘り起こしたのだ。といっても、キャスリンは我の忠臣である。ザライエごときの力では蘇生させたところで、即座に彼女の鎌に斬られて殺されるだけだ。ゆえに、ザライエが掘り起こしたのは彼女の遺体のほんの一部であった。そう、彼女の左の卵巣である。

 我の計画を乗っとるために、ザライエは『魔女』や人間の生殖構造を深く研究していたようだ。その過程でヤツは『複製人間』という概念に興味を抱く。

 強い戦士を量産するために、人間そのものを複製できないか……かつて人間どもの錬金術師が抱いた悪い夢のひとつである。人間どもでは完成できぬことでも、そこにザライエほどの魔族が加われば話は別だった。『完璧な複製』ではなく、より術者に都合のよい『アレンジを加えた個体』を手にする方法を見つけたのだ。

 ……口にするのも汚らわしいことであるが、キャスリンの遺体から取り出した『卵』にザライエは己の魔術を注いだのである。そして、『卵』に生命は宿り、やがてヤツがどこかから捕まえてきていた『魔女』の腹で孵化させた。

 思い返しただけで、はらわたが煮えくりかえりそうになる。ザライエは我の忠臣であり愛娘のような存在であるキャスリンとのあいだに、あまりにも無理矢理な手段を用いて子供を成したのだ。しかも、我が愛する『魔女』をその邪悪な出産のための道具にした。せめて、自分で産めというのだザライエめ。あいつも魔族の女なのだから。

 こうして魔族と死霊と『魔女』のあいだに娘が誕生した。生者と亡者、人間と魔族、女と女と女のあいだに産まれた子は、すさまじい魔力を継承していた。その魔力の質はザライエではなく我に酷似していたのだ。我の『孫娘』にあたるからだろうか?

 『ラケシス』。腐肉の塊として出産されたこのケインシルフの『孫娘』は、ザライエにそう名付けられた。彼女は肉体こそ死滅していたものの、霊体だけで並みの魔族を凌駕する力を持っていた。彼女はすぐに肉体を放棄し、最強の悪霊として存在することを選んだ。

 この悪霊は若い女の体を好み、乗っとる。性的な趣向なのか、我が調べた限りでは14才以上の女に入った形跡はない。若い……というよりも幼い貴族の女子の体を住み家としている。そして、その好みの肉体を提供してくれる三人の母親の一人、ザライエによく懐き、その命令に忠実らしい。

 我に酷似した魔力のため、そして他者に寄生するというライフスタイルのため、我はこの孫娘の存在にながらく気がついてやれなかった。そのため我が計画はこのラケシスの手によって、かなりのダメージを負わされている。

 ……そろそろ、ラケシスを取り戻すことにしよう。不完全ながらキャスリンも覚醒した。そろそろあの不良孫娘を回収し、我が一族の一員であることを自覚させ、我に忠実な姫としての振る舞いを覚えてもらおうか。

 そして、ザライエ……貴様だけは許さんぞ。




第三話    『呪われた騎士たち』



 ―――雪の降る夜だ。アリシア、君との出逢いを思い出してしまう。あの日、あの戦場で私たちは巨大な魔物と戦っていたね。

 空から舞い降りた君は、あの獣が魔界から迷い出たキマイラだと私に教えてくれた。私たちにさっさと逃げろと勧めてくれたが、私はそれをかたくなに拒否した。女の子を怪物と戦わせておきながら、このリオネル・ヴァレンタインが逃げ出すなんて、ありえないからだ。

 あの日から、たくさんの冒険があった。そして、いつの間にか君は私の妻になって、二人の娘を産んでくれていた。ありがとう。君が亡くなった日も、今夜みたいに雪が降って、そのせいでとても静かだったよね。

 私の人生において雪は色々なものと邂逅する兆しのようだ。君との出逢い、そして君との永遠の別れ。今日は……ドラゴンとの因縁をもつ若者が家にやってきたよ。シャーロットの命を救ってくれたらしい。

 ……じつのところ私はシャーロットがソルを『呪い』で呼び寄せたのかもしれないと考えている。山賊どもに襲われそうになった彼女が『呪い』を口にして、あの頑強な青年をこの場所に導いたのではないか。『呪い』は因果をも歪めてしまうから―――アリシア、君はそう教えてくれたな。ソルがこのタイミングで我が家を訪れる……私にはこれが自然ではない流れだと思う。

 私の予想が正しいかそうでないかは確かめようがない。どうあれ、彼は大きなきっかけだ。『呼び水』となるのは間違いない。ここ数ヶ月のあいだ私たち一家を取り巻いている謀略は、彼の出現のおかげで新たなステージに移ることになってしまうだろう……。

 シャーロットを襲った山賊は、『誰』の思惑で動いていたのか?『魔銀の首かせ』に麻痺薬、用意が周到すぎる。そのうえ、山賊どもはシャーロットを陵辱しようとしていたらしい。魅力的な我が娘だ、男にそういう欲望を抱かせてもしかたないかもしれないが……『白の魔女』を確保しようと周到な準備をしていた山賊にしては、どこか変だよね。

 なぜ、山賊どもはその場に留まったのか?どこか邪悪な洞窟にでもシャーロットを運び込めばいい。山奥に逃げるだけでも追跡は難しくなる。やがてはジュリィたちがその場に駆けつけてくるというのに、そこから逃げもしないのはおかしい。

 わざわざ首かせやら麻痺薬まで用意するような山賊が、まったく逃亡計画を用意していないのは不思議だ。彼らはそもそもシャーロットをどういう風に利用するつもりだったのか?そりゃ人質にするつもりだったのだろうけど、その場に留まったっていいことはないし、じり貧になるのは目に見えている。

 もしも薬の影響が切れて、シャーロットが本気で魔術を使えば彼らなんてすぐに全滅だ。山賊ごときにジュリィや騎士たちは倒せない。その場に留まることは全滅に直結する愚行なのさ。やたらと用意周到な人間が、そんな作戦ミスをおかすわけがないよね。

 もちろん『ソルに娘を救助させる』のが目的なら話は別だが、あの青年は嘘があまり上手ではなさそうだし、『姫君の危機を救った旅の勇者さま』を演じるのならばクマみたいな大男じゃなくて、もっと分かりやすい魅力をもつ青年を選ぶだろう。彼はべつに不細工なわけではないし男前じゃあるが、あまりに精悍すぎて山賊の首領みたいな顔をしているんだぞ?ジュリィの第一印象では、まさに『山賊』だったほどだ。

 罠の一部として使うには、ソルという青年は最適な演者ではないのさ。餓死寸前で猟師に救われるなんてのも、『仕込み』でやるにはさすがに大げさすぎるしね。

 じゃあ、山賊どもはなんでシャーロットをあの場所から運ばなかったのか?バカだから……じゃなく、『戦術』があったとすれば?……あのままシャーロットが不幸な目に遭わされ、その場にジュリィたちが駆けつければ?

 あるうつくしい姉妹に訪れた残酷な悲劇を楽しみたいという単純な欲望以上の『野心』が、もしも、その場にあるとすれば?……そのとき『野心家』は何を手に入れることができるだろう?

 ……私にとって最悪なシナリオは、ジュリィとシャーロット双方を殺害されることだ。

 ソルという人物をあの事件から引いたとき、それを成すチャンスがあの場には訪れる。ジュリィは女傑だ。甘さを感じさせない洗練された戦士である。おそらくシャーロット以外の人質は、あの子にはまったく効かないだろう。どんな幼子を犠牲にしても、あいつはシャーロットを助ける。

 だが、シャーロットだけは別だ。あの子は彼女を人質にされれば自分の身さえ差し出すかもしれない。少なくとも、妹を陵辱され人質に取られた場合、その動揺はすさまじいものになる。

 そうなれば、あの子より弱い剣士であっても不意をついてあの子を殺害することは可能だ。麻痺薬の影響にあるシャーロットについては、もっと簡単に殺せるだろう。

 二人の愛娘を失い、死に至る『呪い』をかけられた私だけがここにいたかもしれない。そうなっていれば、私自身もそうだが、伯爵家も死んだね。ありがとうよ、ソル。君がドラゴンのせいで酷い目に遭ってくれたおかげで、私はその最悪のシナリオを回避したのかもしれない……。

 いや。そろそろ、認めようか。

「―――は、伯爵っ!」

 あわてふためいた執事が私の部屋に入ってくる。ノックもしないなんてね。まあ、そりゃそうか。私は紅茶をひとすすりしながら、彼に「何事かな」と聞いた。自分でも、分かっているくせにね。でも、こういうやりとりをわざわざ演じることが『形式美』であり、落ち着くための術でもあるんだよ。

「む、謀反でございます!ワイズマンの一族が、攻め込んで来ます!」

「……ああ。だろうね。知っていたよ」

 アルト・ワイズマン。野心的な君のことだから、いつか私の首を狙ってくるということは、ずっと前から予想していた。君ならシャーロットの行動をすべて把握することも、そして金で雇った山賊どもに彼女を攻略するための作戦を与えることもできる。

 ジュリィの副官を気取る君ならば、妹を人質にされ動揺するジュリィに同情するような顔で近づき、いきなり剣で斬りつけることだって可能だったろう。

 私も甘い。

 君を今日まで野放しにしていたのは、剣術の弟子でもある君を信じようとしていたからだろうか?それとも親友の息子だから?……幼い頃から、君はときおり私のことを嫉妬深い瞳でにらむことがあったというのにね。キツネみたいな愛想のいい笑顔のあいまに見えた、あの理不尽なまでの嫉み。私がお前から何かを奪ったとでも言うのかい?



 ―――シャーロットの治療が終わりを迎えようとしていた頃、早鐘を打ち鳴らす音がヴァレンタイン伯爵の屋敷に響いていた。シャーロットの顔が青くなっていく。オレがこの状況の説明を彼女に求めようとしたとき、ドアを蹴り破ってジュリィがこの部屋に現れた。

「お姉さま!」

「おい、無事か、シャーロット!……き、貴様ァ!首輪を外しているどころか、上半身まで裸とはどういうことだ!こ、この、変態レイプ魔がああああああああッッ!!」

 ジュリィのレイピアがきらめき、オレの顔面目掛けて襲いかかってくる。オレはベッドの上で身をひねり、彼女の必殺の意志が込められた斬撃を回避してみせた。羽毛布団が切り裂かれ、たくさんの白い羽根が空中へと待った。

「……クク!危ねえな、おい。マジで死ぬところだったぞ、ジュリィ?」

「殺す気だったからな」

「お、お姉さま!こんなときに冗談はよしてください!」

 ―――たぶん、冗談でもないだろうけどな。だが、オレたちが置かれている状況は普通ではないらしい。剣戟の音が聞こえてくる。男たちが争う声と、女たちの悲鳴。窓の外に見える町並みに平穏は消えていた。あちこちから火の手があがっていやがるぜ。

「……こいつはどういうことだ?『戦争』ってやつかよ?」

「フン。間違いではない。それよりは小規模の、身内同士の殺し合いだがな」

「身内同士?」

「……アルトのバカが、父上を亡き者にしようとしているのだ!」

 アルト?……ああ、たしか昼間に会ったな。オレに剣を向けてきた騎士が、アルト・ワイズマンと名乗っていた気がする。あのニコニコ笑顔の優男か。

「お姉さま!はやく、お父さまのもとに参りましょう!……ソルさま、どうか私たちに力をお貸し下さい!」

「ああ。いいぞ。つまり、伯爵さんを守ればいいんだな?」

「……貴様が妹に何をしたのかは、明日、裁く。今は父上のために働け、この強姦魔が」

 ああ、ジュリィは完全に誤解しているな。でも、今はそんなこと気にしている場合じゃなさそうだ。ワイズマン側の兵士がすでに屋敷に入ってきている。甲冑をガシャガシャ鳴らしながら、一人の男がこの部屋に侵入してきた。

「ヴァレンタイン!ここで、その血筋を断たせてもらう、我こそはジャン・ル―――」

 オレは力任せに拳を振るい、その兵士の顔面を打ち砕いていた。意識を失った兵士の体を両手で持ち上げると、オレはそいつを窓から地上を目掛けて投げ捨てた。ぐしゃりという音が聞こえる。鎧を着て二階から落ちたんだ、しかも頭からな。まあ、死んだだろう。

「……おいおい、名乗りの途中だろ?この不作法者め」

 そう言いながらもジュリィがニヤリと笑う。コイツは血なまぐさいことが嫌いじゃねえらしいな。シャーロットは目をぱちくりさせていた。恐る恐る窓から地上をのぞき込み、ひゃあ、と怯えた声をあげる。わざわざ見なくてもいいのによ。

「シャーロット。今ここは戦場だぞ。法や理性ではなく暴力だけが正しい。お前の力があれば戦闘はすぐに終わる。私たちの勝利のために、戦う覚悟を決めるんだ」

 ジュリィは凜然とした態度でそんな言葉を妹に与える。シャーロットは、ごくりと生唾を飲み込むと、覚悟を決めた。まっすぐな瞳で姉のことを見つめて、ゆっくり頷くのだ。

「―――いい顔をしてくれるな。さすがは私のシャーロットだ。では、行くぞ!!」

 好戦的に笑うジュリィが走り出す。ついでシャーロットも彼女に続いた。オレは行き先が分からないから彼女たちの後を追うしかないな。屋敷のあちこちで怒号が響いていた。貴族の屋敷に対して抱いていた文明的な香りは消え去り、鉄がぶつかり合う甲高い音と、斬られた肉が吹き上げる血の野蛮な悪臭がこの場所を満たしていく。

 オレたちの道を二人の兵士が遮った。ジュリィが気合いの入った声を叫びながら、あの風のようなスピードで兵士に襲いかかる。レイピアが狙ったのは兵士の首もと。鎧の隙間を通り抜け、彼女の銀の刃が頸動脈を切り裂いた。

 もう一人は、シャーロットの呪文が呼んだ突風にはじき飛ばされる。壁にしこたま叩きつけられた兵士はそのまま気絶してしまう。あの様子では目を覚ましたところで元気に飛び回ることは難しいだろうな。全治二ヶ月といったところか?

 戦いはオレの目の前だけで起きてはいない。屋敷のいたるところで、さらには屋敷の外周にある街並みのなかでも起きているようだ。重厚な鋼に武装した兵士たちが、あるいは普段着のまま戦場に巻き込まれた者たちが、武器を手に取り、殺し合っていやがった。

 そう。これが『戦場』という場所なのさ。

 こんな大規模な殺し合いが行われていることに、オレはちょっとした衝撃を覚えている。個人的な殺し合いとは明らかに何かが異なっている気がする。その違いを具体的に説明するほど、オレは殺し合いを知っちゃいねえけどよ。コイツらはただでさえ死にかけている伯爵さんを殺したいらしいが、なんでだろうな?……たった一人を殺すために、こんなに大勢が殺し合うなんてこと、しなくてもいいんじゃねえだろうか?

 ……きっと、コイツらみんな自分の意志だけで戦っているわけじゃないのさ。たぶん、戦いに巻き込まれちまっているだけなんだろう。上手く説明できねえけどよ、誰かの大きな欲望に利用されてんのな。そいつの目的にさ、歯車みてえに組み込まれちまってよ、ほとんど自動的に殺し合わされてるんじゃねえのか?歯車がカチカチ、カチカチって噛み合うようによ、剣だとか槍を機械的にぶつけ合ってるだけのようにも見えるのさ。

 ……なんつーかよ、怖いもんだよな。殺し合うってことはよ、下手すりゃ死ぬってことじゃねえか。つまり、自分にとっちゃこれ以上ないほどシビアなことだってのに。そいつを自分の命や感情のためじゃなく、自分以外の誰かのためにやらされているんだからよ。

 ―――ああ、胸くそ悪いぜ。

 ―――コイツら全員、バカじゃねえの?

「……ソルさま?」

 シャーロットの声が耳に届く。戦場をにらみつけたまま立ち止まっているオレのことを心配してくれたのかもな。たとえば、恐怖に怯えているとか?……まあ、そうだな。恐怖と嫌悪を感じているぜ。この『戦場』ってヤツが、あまりにバカバカしく思えちまってよ。

 ……でもな。

 困ったことに、ここにはシャーロットとジュリィと伯爵さんがいるんだよなァ。

 クロードの兄貴の言葉を思い出す。

 ―――道に迷ったら、すべきことを明確にするんだぞ、ソル。

 そう。オレはこの可愛いシャーロットと、美人のジュリィを守らなくちゃならねえ。そのことだけは確実なことだ。そして……それを成すためには、オレも心構えをしなくちゃな。そう、このクソみてえな『戦場』ってヤツに付き合わなくちゃならねえんだよ。

「……ジュリィ、どこに行けばいいんだ?最短距離で『道』を作ってやるよ」

「……ほう。面白い。あっちだ、庭園をまっすぐ横切れば、父上の書斎に着く」

 ジュリィの白い指先が方角を示す。そこは戦場の中心だ。なだれ込んできたワイズマンの兵士たちが、ヴァレンタイン家の使用人たちと命がけの死闘を繰り広げる場所。

「……なるほど。んじゃあ、あのバカども、ぶっつぶしてくるわ」

 オレは静かに腰を屈め、次の瞬間、獣のような勢いで跳んでいた。窓ガラスを粉々に砕きながら『戦場』目掛けてオレは空を舞う。二階から中庭へ飛び降りたせいで足にそれなりの衝撃が走る。だが、どうということはない。

 大きな音を立てたせいで兵士たちが一斉にオレへと視線を向けてくる。どいつもこいつも重武装。で、オレだけそういや上半身裸で武器も持っていない。我ながらおかしな話だぜ。『戦場』ってところには、もうちょっとマシな格好で行くもんじゃねえのかね?

「まあ、いいさ。オレの流儀でぶっつぶしてやんぜ、このクソみてえな『戦場』をよ!」

 ―――始めることにした。オレは驚きの顔を浮かべる兵士に飛びかかり、そいつの顔面に跳び蹴りを叩き込んだ。そいつの手から槍がこぼれ落ちる。オレはそいつを裸足の指で掴み上げて右手に取った。

「ふーん、槍か……久しぶりに使うな、こういうの」

「貴様、ヴァレンタインの雇った傭兵かあああッ!!」

「いいや、違うぜ?……ただのお客さまだよ!」

 そんな言葉とともにオレは兵士に死を投げつけていた。よく手入れされた槍とは恐ろしいものだな。鎧ごと兵士を簡単に貫いちまう。

「嘘だろ!な、なんて馬鹿力してやがるッ!!」

「やっぱり、伯爵は援軍を密かに用意していたのか!」

「……テメーらは弱いんだからよ、くっちゃべってる場合じゃねえだろ?」

 テメーらは、『戦場』でこのソル・ヴァルガロフさまに出遭っちまったんだぜ?……オレは兵士の群れに正面から襲いかかった。剣や槍を振り回して来るが、重装備がアダになっちゃいねえか?どいつもこいつも遅すぎるぜ。ジュリィの剣をかわしちまうオレ相手に、鎧なんて着けてて追いつけるわけがねえ。オレは剣士の斬撃を避け、そいつの首に腕を引っかけて投げ倒す。鎧のせいで受け身もろくに取れず、そいつは後頭部を地面で強打した。

 槍ってものは怖い武器だが、コイツらが使うんじゃそこらの棒きれ以下だな。オレの胸を目掛けて突き放たれた槍、そいつを避けながら掴んで奪う。

「こういうモノは、盗まれないように、きちんと握ってなくちゃな?」

「そ、そんな!そんなのムチャクチャ―――」

 ベシン!オレは槍を思いっきり振り抜いた。槍を盗まれたそいつは自分の槍で殴打されたってわけだ。鎧が曲がり、槍が真っ二つに折れて、そいつはゲロ吐きながら気絶した。

「ば、ばけもんだあああああッッ!!」

「テメーらが弱いだけだろ?」

 怯えた兵士の顔面に軽くパンチを入れた。鼻が折れただけで意識はある。まあ、いい。オレはそいつの右腕を引っ張り、胴回りの鎧に手を引っかけて、そいつを体ごと持ち上げた。鎧とオッサンの重みが合わさったものだから、120キロ以上はあるだろう。重たいだろうなあ、こんなものを投げつけられたヤツはよ?オレはサディスティックに笑いながら、持ち上げた兵士を他の兵士目掛けて放り投げつけてやった。

 鎧を着込んでいる兵士は身動きが取れないまま、仲間を投げつけられてその場に倒れ込む。オレはトドメと言わんばかりに折り重なったそいつらの上にジャンプで飛び乗った。兵士が悲鳴をあげて気絶する。上のか下のかは分からんし、それほど興味もねえな。みじめなザコどもをひねり潰したオレの目の前に、大きな影が忍び寄る。かなりの大男だ。

「……貴様、何者だ。オレたち『カプリコーン旅団』は旧王国の正規兵で構成された傭兵団。その精鋭たちを、こうまで子供扱いするとは」

「あ、『赤熊のロッシ』だ!ワイズマンめ、どれだけの戦力を呼んでいたんだよ……ッ」

 兵士どもが騒いでいた。敵も味方も関係なくな。その赤い髪をした大きな男……オレよりも背が高いし、重そうだ。とにかく、その『赤熊のロッシ』というヤツがオレの目の前に巨体を揺らしてやって来る。たしかに威圧感はそれなりにあるな。でもよ……。

「……アンタ、なんで武器を持っていねえんだ?それに、鎧もつけていねえんだな」

「貴様が素手だからだ。素手の男に、武器や鎧などは必要ないからな」

「へえ?それで、どうするつもりだ?」

「こうしてやるのさ」

 ビュン!風を切り裂く拳が、オレの耳をかすめて飛んだ。ロッシがストレートを放ってきた。かなりのスピードだ。それに巨体のくせに動きがコンパクトだぞ。後ろに距離を取ろうとしたオレに、ロッシは上手に追いついてくる。そして左右のコンビネーションでたたみかけてきやがった。ボクシングにそうとう自信があるらしいな。オレはとにかく後ろに下がってそれらの攻撃を避けることしかできなかった。

「ククク!すげーな、おっさん。オレ、テクニックじゃ完璧に負けちまってるぜ」

「そうだ。だが、なぜお前は余裕ぶっていられる?」

「……実際、余裕があるからだろうな」

 オレは格の違いを見せてやることにした。それはただのアッパーだ。左の拳を思いっきり跳ね上げただけの単純な動き。だが、ロッシのパンチよりもはるかに速く、そして、威力も強い。もしも、それが当たっていればロッシは失神していただろう。

「……っ!!」

 ロッシの顔が引きつっていた。そう、それだけ。彼はオレのアッパーを避けていたのさ。まあ、当然かもしれない。コイツほどボクシングに長けた男なら、こんな大振りを避けることはそれほど難しくもない。ただし、避けるためには全力で前進を放棄し、後ろに仰け反りかえらなければならなかったがな。

「……あ、あと一センチ」

「はあ?」

「あと一センチでも前に出ていたら、お前の拳でアゴが吹き飛んでいただろうな」

「少なくとも意識はなかったろうよ。格が違うのさ、アンタとオレじゃあな」

「……だ、だろうな。あんな速いアッパーは見たことがない。ムチャクチャな姿勢からだが、ありえんほどに速い。そのうえ……理解しがたいことに、精度や威力も伴っているようだ。こ、困ったな。とても素手でやりあえるような相手には思えない」

「それで?武器は使わねえのかよ?」

「フン。男が一度言ったことを、なかったことになど出来るか!!」

 オレの口元がニヤリと歪む。ああ、そういうの嫌いじゃねえぜ。やっぱり男はプライドがなくちゃなァ、変なこだわりを意固地に貫くぐらいの度量があったほうがいいぜ。

「ボクシング遊びも楽しいけど、他の連中も倒さにゃならねえんでな。悪いけど、叩きつぶさせてもらうぜ?……ガード固めてな。まともにもらっちまうと、アンタでも死ぬぞ」

「……ぬぅッ!!」

 赤熊のロッシが両腕を上げてガードの姿勢をつくる。アゴを引いて背中を丸めるそのさまは『クマ』によく似ていた。丸太のように太い腕のあいだから、鋭い眼光がオレを観察していやがる。カウンターでも狙っているのかもしれない。技術があるヤツなら、たしかにそれを狙うべきだろうよ。でも、まあ……無理だけどな。

 ドガシュッ!!

 ロッシはオレのストレートを見ることさえできなかった。オレの加速した拳があいつの固いガードの隙間をこじ開けて、そのまま顔面を粉砕していた。鼻血が飛び散り、前歯が2、3本根っこから折れただろう。ロッシの巨体がぐらつくが、それでも揺れる眼球がオレを捉えようと粘っているように見えた。オレは嬉しくなる。

「くはあ……っ!は、反応どころか……ッ。み、見ることさえも、ままならんのかよ!」

「……いいねえ、そのタフさ。殴り甲斐があるじゃねえかよッ!」

 左のフック、右のストレート、左アッパー、ジャブからのストレート。そういうカテゴリーには入らない適当な打撃のラッシュも。オレはそれを続けざまに放っていく。ロッシはガードを試みるし、その試みはたしかに成功する。

 ただし、ガード越しにでもオレの拳はロッシに致命的な衝撃を与えることができた。一発のパンチを浴びるたび、ロッシの体は大きくぐらつき、あいつのブーツの底が地面をこすった。130キロはあるだろうロッシの体がパンチ一つで動いてしまうのさ。コイツは巨漢で重い。でも、大ナマズに比べれば軽すぎるしなァ。

 20発ぐらい殴りつづけたかな?ロッシの前腕の骨が砕けていた。ヤツが粉砕骨折の痛みに呻き、破綻した骨格がガードという行動の継続を許さない。左のガードがガラ空きになった。楽しい時間は終わりらしい。オレはこの好敵手に、じゃあな、という別れの言葉を捧げると、全体重を乗せた大振りパンチで『赤熊のロッシ』の頬骨を打ち砕いていた。

 折れた奥歯と唾液と血を吐き散らしながら、2メートルの巨体が宙を飛んで、やがて地面に力なく横たわる。わずかながらに痙攣しているから死んじゃいない。殴る瞬間、ヤツはほんの少しだが首をひねった。そのおかげで威力をかなり削がれた気がするな。

「ククク!……やるじゃねえかよ!」

「……う、うわああ。あいつ、あのロッシを一方的に殴り殺しやがったぞ……」

「しかも、砕けた頭骨の破片を浴びて笑っていやがる、なんてヤツだ……ッ」

 兵士どもがすっかりと怯えているようだ。さっきまで全力で殺し合いをしていたようなヤツらが、なんでオレに対してドン引きしているのだろうか?そもそも、アイツの砕けた頭骨の破片なんて飛んで来ちゃいねえ、ただの返り血だってのに。

「……はあ。アンタらよ、オレみたいなやさしいのに怯えんなよ?……オレなんかより本格的に怖えのが、獣みたいに眼球ギラつかせながらやって来てるってのによ?」

 え?その間抜けな兵士どもが首をかしげた瞬間だった。血に飢えたジュリィが戦場の華となる。それは、たぶん真紅の薔薇ってヤツかね?

 確実に肉食獣を連想させる、しなやかでありながらも勢いのある突撃、その疾走のなかに紛れ込んだ一撃必殺の銀色の閃光たち。兵士どもがまたたく間に切り刻まれる。鎧の関節部位にある隙間、もしくは皮や布といった比較的やわらかな場所に、うつくしき猛獣の牙と爪が破壊を与えていた。

 雪の舞う夜空に赤い鮮血が飛び散るのさ。そいつはまるで花みたいに綺麗だった。血しぶきを浴びながら、剣の姫は残虐性をあらわにして口元を歪ませる。あの艶やかな唇が笑っていた。戦闘を楽しんでいるのだろうな。そして、彼女の剣が狙ったのは―――。

「死ね」

「オレかよ!?」

 死の宣告がつぶやかれ、斬首の刑罰がオレの首目掛けて飛来していた。全力で避けた。さっきまでのザコどもとは明らかにレベルが違うスピードだ。逃げるのが一瞬でも遅ければ、オレの首は胴体と永久にお別れを告げて、ジュリィの部屋に剥製コレクションの一つとして飾られるところだった。夜な夜なダーツとか投げつけて、オレの首をいじめるんじゃねえのかな、この女王さまはよ。

 ありがたいことに、彼女のレイピアが切り裂いたのは冷たい夜の空気だけだった。あの女、舌打ちしやがったぞ。剣が外れたことを本気で悔しがっているらしいな……。

「お、お姉さま!またソルさまをいじめて!」

 シャーロットがさすがに怒った。ああ、オレではジュリィみたいな狂気の人物を説得できない。たのむぜ、シャーロット。あのシスコン女を説得してくれ―――。

「斬り捨てるのも当然のことだ!私は愛するお前をあの男に陵辱されたのだぞッッ!!」

 ジュリィが世界の果てまで響くほどの大きな声でそんな言葉を叫んだ。オレの体から戦いへの情熱というか、いや、それだけでなく人格を保つためのエネルギーさえもが冷めてしまう。呆気に取られたというか、ジュリィを誤解していたというか。オレのことを強姦魔あつかいするのはあのシスコンなりのジョークの一種だと考えていたのだが、そういうレベルじゃなかったらしい。ガチだ。ガチで、あの女、オレのことを誤解しているぞ。

「ああ!……かわいそうなシャーロット!!あんな、あんなクマみたいな大男に、力尽くで純潔を奪われるなんて!!」

「お、お姉さま!わ、私、そんなことは―――」

 顔を真っ赤にしたシャーロットが姉を止めようとした。だが、ジュリィは止まらない。

「みなまで言わずともいい!お前がどんな風に陵辱されたかなんて、私は知りたくないのだ!……わ、私はお前が首かせから解き放たれたあの大男に、両の膝をこじ開けられ、お前の心と肉体が望みもしない行為を強いられているとき、ドア一枚の向こう側で、愚かにもお前の心配をし続けているのみで、なんの行動もしてやれなかった……ッ!!」

「だ、だから、お姉さま!?」

「シャーロット、泣いていたのだろう?泣きながら、その行為を止めてくれと、あの男に懇願したのだろう?でも、あの酷い男はお前の懇願を耳にしながらさらに興奮し、お前に悪さをしたはずだ!シャーロット、ゆるしてくれ!私はお前の悲鳴に気づけなかった!」

 ―――変な小説の読み過ぎじゃないのだろうか?姉のとんでもない妄想に、シャーロットはついて行けない様子だ。いや、オレだってついて行けない。誤解が著しくて、当事者からすれば戸惑うよりも先に呆れてしまうからな。でも、第三者はジュリィの発言を重たく受け止めてしまったらしい。

 ヴァレンタイン家の使用人たちの中には、オレをにらみつけるヤツがいた。オレはにらみつけられると、にらみ返す癖がある。今夜もそれは発動し、オレは使用人どもを眼力一つで黙らせる。オレに怯える使用人は顔を下げ、口を閉じた。しかし、これが正しい解決なのだろうか?……どうもそう思えないが、仕方がねえ。

「お姉さま!いい加減にしてください!私とソルさまはそんなエッチなことしてない!」

 シャーロットが我慢の限界だったのだろう。キレた。涙目になりながら、大声で叫んだ。妹の全力の訴えに、ジュリィの鈍感な心はようやく反応を示す。

「……え?やられてないのか?ソルに乱暴されたのだろう?」

「さ・れ・て・ま・せ・ん!!」

「……でも、あの鬼畜野郎はハダカだし?」

「治療のためです。傷薬を塗らせていただいただけですから!!」

「……ほんとに?」

「ほんとです!」

「……そうか。私は誤解していたのだな、フフフ。よしよし、おいで、シャーロット」

 ジュリィが微笑みを浮かべ、妹を抱き寄せる。シャーロットは、もう、早とちりもほどほどにして下さい!と可愛い言葉で姉に説教しているが、ジュリィは氷のような冷たい瞳でオレをにらみ続けていた。

 信じていないだろうな、妹の発言を。やさしいシャーロットが強姦魔のオレに対して慈悲の心を見せている……という認識なのかもしれない。アイツの唇が声を出さずに動いた。こ・ろ・す。オレに対する彼女の感情が見て取れるな。

「お、お嬢さまがた!込み入った状況なのは分かりますが、今は伯爵の救助を!」

 使用人の一人がこのカオスを終焉に導くための言葉を発した。そう、今はジュリィのシスコンが招いた被害妄想に付き合っている場合ではない。彼女らの実の父親が敵に囲まれ、命の危険にさらされていたはずじゃねえか。

 ―――シスコン・コントにかまけた時間のせいで、もしも伯爵の命が失われたりすれば?……な、なんだ、それ。あまりにも不憫だぞ。そんな情けねえ死に様も珍しい。

「すぐに伯爵さんのトコ行かねえと!」

「……慌てる必要はない」

 シャーロットの桜色をしたロングヘアーを指で弄びながらジュリィは冷静につぶやく。シャーロットもあまり慌てていないように思えた。オレは腑に落ちない。

「どういうことだよ?」

「……貴様はいい仕事をしたのさ、ソル。腹立たしいが、大した武勲だよ。敵の主力の一団を蹴散らした。むろん、私やシャーロットも活躍していたがな。まあ、そのおかげで使用人どもが父上の救助に向かっている。父上はもう敵に四方を取り囲まれているわけではない。だから、私たちは慌てなくてもよいのだ。私がただ一人、いまだに勝てぬ剣士がいるのさ。誰だと思う?」

「……伯爵かよ」

 ガシャアアアアアンンッ!そのとき、ガラスの砕ける音が周囲に響いた。一人の男が伯爵の書斎があるという離れの窓から落ちてくる。金髪の優男、そう、アルト・ワイズマンであった。

 アルトの体が地面に叩きつけられる。ヤツはうめく、死んではいない。そして、うめくアルトのとなりに、一人の剣士が窓から飛び降りてくる。白髪としわが刻まれた顔、そして、気品のある貴族服を返り血で赤く染めた男……伯爵だ。彼はアルトをブーツで踏みつけながら笑う。ああ、さすがはジュリィの『原材料』、よく似てるわ。

「……アルト。惜しかったな。ソルという客人がいなければ、数で私を討つことも出来ただろうに。でも、まあ……ソルが来たから行動を早めたのかな?」

「……オレが来たからだと?」

「フフ。そうさ、この男は以前から計画を立てていたのだろうよ。私の娘たちを亡き者にし、私を殺害しようとしていた。伯爵家の血が途絶えたら、領地を乗っ取れると考えていたんだろうね?……今日は娘たちを殺そうとした日だったのさ。そこに、君が現れてくれた。この邪悪な男に雇われた山賊どもを殺し、娘たちを救ってくれたんだ」

「ふーん。悪い奴だな、そいつ。で、オレが来たからってのは?」

「君を私が雇った護衛だと考えたのさ。『娘を守らせていた』と。それはつまり、この男の企みに私が気がついている……この男にそう解釈させるのには十分なことだった」

「なるほどな。悪だくみがバレているなら、止めるか……逆に、守りを固められる前にさっさとやっちまうかというわけだな」

「彼は後者を選んだ。そして、敗北したのだよ……しかし。なぜだ、アルト?」

 伯爵はどこか悲しそうだ。賢い彼のことだ、あの男を以前から信じ切っていたわけじゃないのだろう。それでも後手に回っていた。オレがいなければシャーロットは死んでいたかもしれない。それに、シャーロットに対して強い愛情を示すジュリィも……この姉妹の絆の強さは半日前に知り合ったばかりのオレでも分かる。

 昔から彼女たちのことを知っている『身内』であれば、妹を人質にしてジュリィを殺害するというシナリオはすぐに思いつくだろうな。そして、おそらくそのシナリオはジュリィに有効だろう。彼女が妹を目の前で痛めつけられることに耐えられるとは思えない。

 ……姉妹の愛情を利用して、シャーロットの弱者を救おうとする気高い精神を利用して、あのアルトという男は伯爵の領地を手に入れようとしたってわけか。外道だな。そんな外道に、伯爵は剣を突き立てるよりも先に、問いかけようとしている。伯爵にとって、アルトという人間はそれなりに思い入れのあるヤツなのかもしれん。

「……なぜ……なぜだ、だと?」

 墜落のダメージから回復しつつあるアルトが口を開く。彼は伯爵を見上げている。強い憎しみの込められた瞳で。伯爵はあの分析者の表情で言い切った。

「それはまるで嫉妬する者の目だぞ。今回の動機は、出世欲だけではないのか」

「ハハ!……嫉みもするさ、お前は僕からたくさん、奪ったんだからな」

「……お前は私に何か盗まれたとでも言うのか?」

「そうさ。その事実さえ、貴様は知らずにいる……それが、ムカつくんだよ!」

「私が何を知らないというのだ?」

「僕をさ!僕が誰なのかさえ、お前は分かっちゃいない!」

「お前はアルト・ワイズマン。私の部下であり、優秀な騎士だった」

「それだけじゃない!僕は、お前の身内だ!肉親なんだよ、僕はお前のな!」

「なん、だと!?」

 その発言はシャーロットとジュリィにも衝撃的だったらしい。たしかに、いきなり親戚が増えれば混乱ぐらいするかもな。しかも、そいつに殺されかけた直後なら、なおさらだ。

「肉親だと?どういうことだ?」

「父上、そいつは妾の子なのですか?」

 ジュリィが真顔で父親に訊いた。シャーロットは、ええ!?っと驚愕する。

「違うな。私は彼の母親とそういった関係にはなかった……そう、私はな」

「……ククク。さすがだな、伯爵。僕が誰なのか理解したらしい」

「うむ。お前は……私の『弟』か」

 シャーロットは驚いてばかりだ。ジュリィは無表情だった。ヴァレンタインの姉妹はそれぞれに寄り添いながら状況を見守るばかりだ。彼らの『叔父』が語る。

「……そう。ガレイン戦争の時だ。お前と僕の『育ての父』は、先代の伯爵の命を受けて同盟都市を守るために出征した。そのときなあ、僕たちの父……先代の伯爵は、部下であるワイズマン家のうら若き花嫁を酒宴に招き、襲ったのさ!」

 自分たちの祖父が起こした不祥事に少女たちの顔が曇る。伯爵もまた辛そうな顔だ。

「母さんはそのことを恥じていた!そりゃそうさ、自分の夫が命がけで戦っている裏で、そんなみじめな目に遭わされたんだからな!しかも、僕を妊娠してしまった!」

「……お前は、私の親友の息子ではなかったのだな」

「そうさ!僕は勇敢なるカイト・ワイズマンの子じゃないのさァ!」

 ヤツは泣いていた。ボロボロと大きな涙を流している。その理由はオレにはよく理解できない。たぶん、何かが口惜しいのだろう。

「母さんは僕を産んだよ!産んでくれた!そしてねえ、あのカイト・ワイズマンも僕なんかにやさしかったよぉ?……二人のあいだには、愛があったのだろうね。僕には妹が出来た。彼女は、正真正銘、両親の愛の結晶さ……でも、父はどこかで無理をしていたのだろう。自分の妻を犯した主君に頭を下げて仕えることや、親友であるアンタにその悲惨な真実を隠しながら友情をつづけることもねえ……」

「……彼が酒に溺れたのは、そういった事情があったのか」

「そう!酒に溺れたカイト・ワイズマンは、酔っ払うと僕らと母さんを殴ったよ!僕は殴られながら、真実を聞かされた!12才の僕には、この真実がどんなに辛かったか!」

「……すまぬ、としか言えん」

「そんな言葉で済むわけねえだろ!母さんはなあ、追い込まれて自殺しちゃったんだよ!首が折れて、血反吐の海に沈んでて、それでも、駆けつけた僕に、お前は悪くないと言ってくれたんだぁ!父さんは母さんを自殺に追い詰めたことを悔いて、首を吊った!アンタと一緒に『ガレインの勇者』と謳われた戦士が、絞首刑にされた盗人みたいに……っ」

「……カイト」

「そんなやさしい母さんを、あんなに哀れな父さんを!僕とアンタの父親が不幸にしたんだよ!だから……だから、お前も不幸にしてやりたかった……」

「……『血の呪い』をかけたのは、お前か」

 伯爵は腕をまくりながらあの『呪い』にかかった肌を見せた。アルトのヤツは笑う。

「そうさ。さすがの『白の魔女』でも分からなかっただろう。『いないはずの親族』にしか、かけることの出来ない『呪い』なんてねえ……ッ」

「……アルト・ワイズマン。その『呪い』はあなただけでは使えない」

 シャーロットがアルトに近づきながら問いただす。姉に付き添われているから、彼女もこの悲劇的な現実に立ち向かう勇気を持てているようだな。彼女は伯爵家の一員としても『白の魔女』としても事実を解明したいらしい。『部外者』のオレは見守るだけだ。

「答えなさい。その『呪い』は『魔女』かそれ以上の術士にしか使えない!あなたは、その邪悪な知識をどこで得たというのです?」

「……たしかに、僕だけでは無理だった。でもね、助けがあったんだよ」

「……誰に、助けられたというのですか?」

「ティナだよ。僕の愛する妹が、僕に力を貸してくれたのさ」

「それは、どういうことなの?……彼女は、ずっと前に亡くなっているじゃないですか」

 ジュリィと伯爵が身構える。彼らは一流の戦士。さっきからこの場所に渦巻いているイヤな気配に気がついたらしい。みょうな気配だぜ。冷気とは別の寒気をはらんだ、不快な風が吹いていた。シャーロットの問いにアルト・ワイズマンが答える。

「たしかに彼女は死んだ。もう温かい血は通っていない。僕はずいぶん悲惨な人生を送ってきたけれど、彼女を失ったことが一番だ。そのことが、僕の心を一番、苦しめたよ。彼女こそ最愛のヒト。僕は、彼女だけを愛していたんだ」

「愛していた?……そう、ですね。あなた方はとても仲がよく見えました」

「あはは!『魔女』のくせに、お子さまなんだねえ。そうじゃないよ。そんなもんじゃなかった。僕たち二人はね、もっと親密な間柄だったのさ」

「そ、それって、つまり……」

「泣く母親に、殴る父親……僕たちはいつもさみしかった。僕たちはね、お互いの肉体に慰めを求め合うことでしか、あの暗く冷たい日々を乗り切れなかったんだよ」

「……同情すべきことが二人にあったことは分かりました。でも、答えて下さい。私の知っているティナ姉さまはもう死んでいます。彼女が、実は生きていたのですか?」

「―――死が、すべてを分かつとでも?」

「……危ねえ!避けろ、伯爵!!」

 オレは本能の訴えに従って叫んでいた。伯爵はオレの言葉を聞いて素晴らしい反応を見せた。斜面を駆ける鹿のような敏捷さで、伯爵はアルトから飛び退き、地面から生えてきた『枝』の一撃を避けきった。

 『枝』はムチのようにしなり、伯爵を打ち据えようとうごめいている。でも、伯爵は剣を巧みにつかい、『枝』を叩き返した。彼に心配はいらなさそうだ。むしろ、『枝』の出現に驚いて身を固めてしまっているシャーロットが危険だ。

「ジュリィ!」

「言われなくても!」

 オレとジュリィは目を見開きパニック状態のシャーロットを左右から抱えると、後方に無理矢理に引きずって、アルトと『枝』から距離を取らせた。

「ふ、ふたりとも?……い、今のは何ですか?」

「尋問に集中するのはいいことだ。でもな、シャーロット、足下や周囲にも気を配れ」

「……地面の下を、何かが這いずって来やがったんだよ!」

「……自分の未熟がイヤになる。こんな強い魔力を、見逃してしまうなんて」

 アルト・ワイズマンの生々しい告白にシャーロットの心は動揺させられていたのだろう。『魔女』であるはずのシャーロットが、オレたちでさえ分かる気配を見逃していた。だが、集中力を取り戻した彼女は、今ではオレたち以上に状況を把握しているようだ。

「―――姿を現しなさい!アルトに取り憑く悪霊め!」

 『白の魔女』が右手を夜天にかかげた。白く輝く呪文のられつが夜空に広がり、その紋章の中心に純白の『太陽』が発生する。白い光があたりを強く照らし、闇に紛れていた邪悪な存在の姿をあらわにした。

 それは、巨大な木のバケモノ。内臓のように拍動する無数の『枝』で編まれた不気味な大樹。そのおぞましい異形の怪物がアルト・ワイズマンのかたわらにいた。そして、オレは初めて『霊』という存在を目の当たりにする。

 ふわふわと力なく、そいつは宙に浮いていやがった。人形のように愛らしく実用性のなさげなドレスを身にまとった、血の気のない青白い顔の少女だ。その小さくて華奢な体躯から、ヤツはまだ子供のように見える……。

「……まいったな。たしかに、アレはティナ姉さまじゃないか」

 ジュリィがその子供みたいな幽霊を見つめたままそう言った。姉さま、か。すると、あの幽霊はジュリィよりも年上なのか?……まあ、幽霊に年齢なんて関係ないのかもな。

「ちがいます。アレはティナ・ワイズマンなんかじゃない」

「え?」

「アレは、ティナ姉さまの遺体に取り憑いているだけです!」

 シャーロットの指摘を受けて、幽霊は笑う。きゃははは!ヒトを小馬鹿にするような笑い声が夜空に響いた。ああ、ちきしょう。アレはそうとうに性格が悪そうだぜ。

『そうよ!私は、ティナの肉体に入っているだけ!この子の体、冷たくて気持ちがいいんだもの!……でもねえ、この子の記憶も、感情も、ぜーんぶ、知ってるわ』

「……アルト・ワイズマン。それはただの悪霊です。あなたの妹じゃない。妹の遺体をそんな魔族ごときに渡してしまうなんて、大きな間違いですよ」

「……うるさい。君になにが分かる?」

『そうよ。お兄さまはさみしいの。たとえ血が通わない冷たい肉体だとしてもー、ティナのことを抱きしめてキスをして愛したいの。そうじゃないとー、ただでさえ壊れちゃいそうなハートがー、ボッロボロー!キャハハハハ!』

「……悪魔め。あなたは何が目的なの!アルトたち兄妹を利用して、私たちのお父さまを呪うだなんて……」

『あら。呪ったのはこのお兄さまの意志よ?憎い相手を殺したい、不幸にしたい!お兄さまがそう願ったから、私はそれを手伝ってあげただけ……私はね、楽しみたいだけなの』

「た、たのしみたいですって!?」

『そう。人間たちが不幸になっていくのを見ていると滑稽だもの。人間って低脳だから、いつも私たちの思いの通りに動いてくれる。それを見ているだけで、笑えるわ』

「ひどい……」

『そうかしら?お兄さまは私があやつるティナの死体にぞっこんでしたわよ?腐っていく彼女の肉体をこれ以上、痛まないように保存してあげると大喜び!ティナの唇を動かして、お兄さまとの愛の思い出を歌って差し上げるだけで泣いて感動!ああ、私ってば、慈善家ですわ!まるで、『白の魔女』みたいでしょう?キャハハハハハ!』

「あ、あなたに、そんなこと言う資格なんてないわ!人の心を、愛情を踏みにじって!」

『だからなあに?お兄さまは喜んでいるわよ、これが間違いだって理解していてもね?でも、人間ってば正しいことだけで生きていけるような動物でしたっけ?けっきょくはさあ、自分のためになればー、善悪なんてどうでもよくなっちゃうような下等生物でしょお?』

「あなたの解釈は歪んでいます!」

『いい子ぶっちゃって!そういう子、嫌いだなあ。ねえ、お兄さまぁ、あの『魔女』をぶっ殺して下さいましー。あの女の血を吸い上げて、『ティナ』に注げば、腐敗の進行を止められるかも?……それどころか、生き返っちゃうかもよ?』

「そんなわけないでしょう!!」

「……そうだとしても、僕はその言葉に期待してしまうんだよ!!」

 狂った剣士がシャーロットを狙う。オレはシャーロットの前に飛び出して彼女の『盾』となる。でも、オレはあまり役には立たなかった。彼女のための『剣』となったのは、ジュリィだったからな。アルトの突撃をジュリィのレイピアが受け止める。ふたりは次の瞬間には間合いを取って離れ、それから何度も打ち合った。

 互角。いや、アルトの体にジュリィの剣が幾度となく入っているのだが、ヤツはそれを気にとめていない。まさに捨て身だ。それゆえにヤツはジュリィとのあいだにある実力差を克服しかけている。死ぬことなんて覚悟済みなのか。というか、あの幽霊のために戦って果てることを『名誉』だとでも考えているのかもしれない。

「この戦いを、君にささげるよ!ティナぁああああああああッッ!!」

「クソ!コイツ、止まらない!!」

「ジュリィ、加勢するぞ!」

 伯爵が娘とタッグを組む。それほどに、今のアルトは強いのだろう。変な話、殺しても戦いつづけるかもしれねえな。幽霊は死力を尽くすアルトを見て爆笑する。

『キャハハハハハハ!意外ね、やるじゃないの、へたれのお兄さまにしては、上出来よん!さあ、『樹霊バローサ』!いざ、『魔女』退治に出陣ですわ!』

 『樹霊バローサ』……あの木のバケモノがうなり声をあげてオレたちに迫る。デカいな。まるで小屋みたいなサイズだぜ。どうする?……いや、どうしようもねえぞ。オレはシャーロットを肩に担ぎ上げると、その場から逃走を始めた。

『あらあら、逃げちゃうの?貴族のくせに、なっさけなーい!』

「ソ、ソルさま?」

「……ホント、情けねえ話だがよ、武器がねえぜ。手ぶらだぜ、手ぶら。そもそも、それどころか、いまだに半裸だしな。シャーロット、どうにかならんか?」

「服でしょうか?」

 ―――どちらかというと武器のほうを出して欲しいのだが、まあ服も欲しいよな。

「出せるのかよ?」

「……え、えーと。今、『魔女のタンス』のなかにあるのは……ブラジャーぐらいです」

「本気で言っているのか?」

「す、すいません。でも、ほんとうに他になくて……」

「呼ぶな。そんなもの装着して戦場を走り回るなんて、伝説になりかねん」

「たしかに不名誉の極みの気がいたします」

「服はもういいからよ、なんかこう、魔術で武器とか出せねえのか?」

「そっちならいくらでも出せます。でも、どういうものがよろしいのでしょう?」

「……手斧でいいかな。二つ、どっかから取り寄せられるか?」

「て、手斧?はい。やれますけど……それで、いいんですか?」

「ああ。あの程度の枯れ木、そんだけあれば十分だ」

 オレの肩の上でシャーロットが呪文を唱える。魔術の放つ白い輝きが一瞬きらめいて、次の瞬間、シャーロットの両手には手斧が召喚されていた。ふにゃあ!シャーロットが奇声をあげて前のめりになる。自分で呼んだ手斧の重さに負けているのかよ?まあ、アンバランスな体勢だから仕方のないことだ。

 オレは立ち止まり、すばやく彼女を肩から下ろしてやる。そして、彼女の手から奪うように斧を取った。乱暴な動きで彼女にはすまなく感じるが、なにせ急がなくちゃならねえんだ。すぐ後ろに『樹霊』が迫ってきてやがるもんだからよ!

「シャーロット、下がってろ!」

「は、はい!では、魔術で援護を!!」

「いらん!お前は自分のことだけ考えておけ!あのチビ幽霊は、お前を見ていやがる!」

「わ、わかりました!……ご武運を!」

「おうよ!」

 オレはオオカミみたいに笑いながら走り出す。グロテスクに動く無数の『枝』たち。それが『樹霊』を形作るものたちだ。その『樹霊』から次々と『枝』が撃ち放たれてくる。矢のような勢いだし、ムチのようなしなりまである。そうとうな重みを持った打撃なんだろうよ?……でも、ドラゴンとの戦いに比べりゃあよ?

「―――軽いもんだぜ、まったくよ!」

 力が強いってのは便利なもんだ。シャーロットみたいな華奢な体では手斧の重さにも引きずられちまう。でも、オレの太い腕なら?オレのいかつい背中なら?コイツらの重さはオレのメリットにしかならねえ。

 斬った。

 左右の手が握りしめる手斧どもを縦横無尽に……悪く言えばテキトーに振り回した。とにかく速く、荒々しく、力を込めてな。肉厚の斧の刃が、『枝』どもを切り裂きながら押しつぶす。ああ、さすがはバケモンだな。植物のくせに、血を吹き出しやがる。不気味なヤツだぜ、テメーはよ!

『バカね!もっとたくさん出して、串刺しにしちゃいなさいッ!』

 幽霊の叫びに従って、『樹霊』のヤツがその身を揺さぶり多量の『枝』を放ってくる。しかし、作戦を叫びながら実行するってのはいかがなもんかね?オレはステップを刻む。貴族サマみてえな華麗な踊りは知らねえが、横っ跳びしながら斧を振り回すことぐらいはやれんのよ。ああ、ほんと……テメーらは軽いのさ。ムチのようにしなろうが、槍みたいに突っ込んでこようが、オレを相手にするには物足りねえよ。オレは踊りながら斧の刃の舞いで、迫り来るすべての枝を叩き切っていた。

『……うそでしょ?』

 次から次に『枝』を叩き切られたせいで『樹霊』の動きが極端に悪くなる。血によく似ている樹液を失いすぎたせいかもな?生物としての構造を解析するのは難しそうだが、『樹霊』の『枝』を動かしているのは筋肉や関節じゃねえだろう。おそらくは、内部の樹液が運動の触媒になっている。樹液に圧をかけて動かしてるんだろうな。

 そうさ、ユリアンが膨らませていた『風船』ってオモチャ……アレと似たようなモンだろ。空気の代わりに圧を加えた樹液を送る、それが『枝』の動力なんじゃねえのか?

「……だから、シンプルな動きなんだろうよ。だから、重みにも限度があるのさ。だから、んなものがオレさまに通用するわけねえだろーが?」

 『枝』を失い、汁を失い、しなびかけてる枯れ木野郎のそばまで歩く。『樹霊』の中心に赤い色の目玉を見つける。大きいな。もしかして、『弱点』だったりするのかね?

 ―――ちょっとした好奇心に惹かれちまって、オレは鬼のような勢いで手斧をその目玉に投げつけた。目玉が破裂し、斧の刃が目玉の奥にあった内臓までも破壊した。

 『弱点』だったらしい。全身から樹液を吹き出しながら、『樹霊』が割れちまったユリアンの風船みたく、みじめに萎えて転がった。ユリアンはコレを見ても悲しみはしないだろうけどな。

『……あなた、何なのよ?』

「鍛え上げられた肉体を持つ、素敵なお兄さまってところだな」

『き、鍛えたぐらいで、こんなこと出来るか!!』

「出来たんだから仕方ねえだろ?」

『そんなはずない!『樹霊』を踊りながら殺すヤツなんて、フツーの人間じゃない!人間は、もっと、みじめで貧弱な下等生物のはずでしょ!……ほ、ほら!見える!あなた、ドラゴンに『祝福』されているじゃないの!!』

「……ふーん?兄貴の力がオレを強くしてくれているってわけかよ?」

「ちがいます。ソルさまに与えられた『祝福』は、そんな機能を発揮していません」

 シャーロットがそう説明してくれる。そうか、なんか納得できた。そもそも、まだ全力を出しているような気もしないからな。息が切れてもいないしよ。

『嘘よ、そんなの!そこの『魔女』!教えなさい、このフランケンの作り方!どーせ、アンタが卑猥な魔術で作ったんでしょうが、この筋肉獣を!!』

「ううん。ソルさまは私たちの運命からは独立しているの。『魔女』や魔族の因縁からは自由な立場のお方……ただ、フツーにお強いだけなのですよ」

 『白の魔女』が笑う。そして、次の瞬間、彼女は光に包まれた。大きな三角帽子に、大きな杖。『白の魔女』の正装に化けたらしい。そう、全力で戦うことを決めたようだ。幽霊がシャーロットの表情を見て気づく。シャーロットの凜然とした瞳が宿しているのは必殺の意志。少女の唇がなにかの魔術を歌い、彼女の手にある杖の尖端が白い炎を宿した。

『やる気か、淫乱小娘ええええええええ!!』

「小娘は、そっちでしょうがあああああ!!この貧乳ブラいらずううう!!」

 白き炎から無数の炎球が放たれ、幽霊もまた前に突き出した両手から雷を放つ。炎と雷の弾丸が夜空のなかでぶつかり合い、轟音をあげながら爆発する。すげー威力だな。空気の揺れだけで屋敷の窓ガラスが砕けちまったよ。

 しかし、シャーロットもジュリィの妹だよな。戦闘に集中している姿はどこか共通する雰囲気を持っている。それに……『魔女』の魔術っていうのも、一般人が使うものとは破壊力が違うようだ。木こりのロギンの魔術なんて、薪を粉々にするのがやっとだもんな。

『やるじゃないの!でもねえ、魔族にケンカ売るなんて、愚かすぎなのよ!』

「『白の魔女』は、百年もあなたたちと戦いつづけてきたんです!」

 火球と雷が次々と衝突していく。互角?……いや、魔術の戦いは初めて見るので状況を察しきれないが、素人目で見るに、シャーロットのほうが優勢だ。幾度目かの魔術の衝突合戦の果てに、火球の一つが幽霊に命中する。ヤツの実用性のなさそうなドレスが焼け焦げ、ヤツ自身も炎で炙られる。だが、あの高笑いがまた聞こえてくる。

『キャハハ!いいねえ、やるじゃない!熱いわよ、『ティナ』が焦げちゃうわァ!』

「……魔族をこの程度で倒せるなんて思っていません。ご遺体とはいえ、ティナ姉さまのお体を傷つけるのは忍びないことですが……ティナ姉さまを、あなたから取り戻す!」

 涙目になりながら、シャーロットの唇が魔術を歌う。オレには気配で分かる。彼女はもう決める気だ。次の一撃で、シャーロットはこの戦いに終止符を打つだろう。彼女の周囲に光りの剣が浮かび上がる。魔術で生み出しているのか。それはすさまじい光を放つ七本の騎士剣。シャーロットが宣言した。

「―――魔を滅ぼせ、我が呼び声に応えし聖なる剣たちよ!」

『キャハハ!容赦しないのねえ、さすが、『魔女』おおおおおおおおッ!!』

 幽霊が挑発するように笑った。次の瞬間、ヤツの小さな肉体に無数の聖剣が突き刺さる。子供とそう変わらない小さな体だ。だから、刀身が1メートルをはるかに超えるような大剣が七本も突き刺さる場所はありそうにない。

 でも、剣は無慈悲に突き刺さり続けるだけだった。3本、4本、5本……肉が弾け飛び、ヤツの胴体が見るも無惨なほどに破壊された。それでもさらに6本目と7本目が胸と背中からヤツを串刺しにする。

 ……魔族というのは、アレぐらいやらないと死なないのだろう。そうじゃなければ、あのシャーロットがこんなことをしないだろう。そうじゃなければ、あのシャーロットがあんなにボロボロと涙を流しながらも、警戒をまったく解かないまま、無残な形状に成り果てたかつての友人を見続けることもしないはずだ。

「……ティナアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 狂気に踊らされてきた悲しき剣士が叫んだ。あんなにみじめな声を上げる人間を初めて見たぜ。ヤツはジュリィと伯爵にさんざん斬りつけられている。腹が裂かれ、血どころかはらわたまで垂れてきていやがる。それでも、ヤツは絶望を叫びやがった。その大きな絶望は、ヤツの体の内側にはとても収まりはしないんだろうよ。

 涙と血と絶望と、あと内臓なんかをまき散らしながら、アルト・ワイズマンは空から力なく地面に落っこちた妹の元へと向かう。見たくもねえ光景だ。でも、その場にいる誰もがヤツらの悲劇に付き合わされていた。義務感だろうか?……まあ、そんなところだな。

 ぐしゃぐしゃに破壊された妹の肉体に、膝から崩れた兄は彼女を守るように覆い被さっていた。泣いていたし、怒っていた。ヤツは、愛する者を抱きしめながら叫ぶ。

「ふざけるなあああ!なんてことしやがんだ、この『魔女』めええええ!こ、ころしたなあああ!ティナを、また、殺したなあああ!!」

「……っ」

 シャーロットが唇を噛む。彼女は反論しない。その代わり、ジュリィが吼える。

「ふざけるな!ティナ姉さまの肉体を魔族に渡して、汚したのは貴様だろうが!」

「うるさい!ほかにどうしろっていうんだああ!動かなかった!腐っていく!そんな、そんな最愛のヒトを、ほかにどうしろっていうんだあああ!!……お前らはいつだってそうだ。僕を責める。でも、ティナが死にかけていたとき、『白の魔女』はどうしてた?お前らの母親は、どこかで貧乏人を助けていたよな?よかったなあ、すばらしい行いだあ……でも、そんなことしていたから、ティナを助けられなかったんだろおお?お前らの母親が屋敷にいてくれたなら、ティナが冷たくなっちまう前によ、助けてくれたんじゃねえのかよお!」

 アルト・ワイズマンの身勝手な絶望の矛先はこの場にいない者にさえ及ぶようだ。でも、誰もヤツに反論する気がわいてこない。ヤツの叫びはまるでヴァルガロフの吹雪みたいに体だけじゃなく、心の熱までも奪ってしまいやがる。あの男の絶望は底なしに深く、周囲をも巻き込むんだよ。そうだ、あれは同情すべき男なのかもしれない。

「……ああ、『白の魔女』は、どいつもこいつも奪っていく!助けてもくれず、今度はティナをぐちゃぐちゃに壊しただけじゃないかよお!なんでだよ、なんで……こんなことになっちまったんだよおお……っ」

『―――……ヒトを愛することって難しいのねぇ』

 幽霊の声が聞こえる。アイツ、死んでなかったのか。いびつな形に成り果てたティナ・ワイズマンが目を開けた。アルトが笑顔になる。なんて無邪気な笑顔をしやがるんだ。まるで、ガキみてえだな。たまらなく嬉しいのだろう。愛する者が、動いていることが……。

 だがよ。

 だがよ、アルト・ワイズマン。それは、テメーの妹の声じゃねえだろ?

「ああ!愛するティナ、うれしいよ!君の声をまた聞けた!」

『うふふ。お兄さま、私もずっと愛してますわ。でも、悲しいことに終わりが近づいているようですね。お兄さまはそろそろ命の灯火が尽きそうです』

「……ふふ。そうだね。ジュリィのバカに腹を切られたから。血が止まらないんだよ。でも、いいんだ。僕はどうなっても。ティナが生きていてくれたら、それでいいんだ!」

『ああ。うれしいわ。お兄さまはよく私につくして下さいました。だから、お兄さまにお伝えしてこなかったティナの真実を教えてあげますわ』

「ティナの……真実……?」

『ティナがどうして死んだのか、教えてあげます』

「な、なにがあったんだい?どうして、彼女は死んだんだ?」

『……赤ちゃんがいたんですわ』

「……え」

 幽霊が笑う。うれしそうにな。そして、聖剣で穴だらけにされた腹に手を持っていく。

『ここ。ここにいたの!ティナのね、お腹のなかにはね、いたのよ、無垢な命がねぇ』

「そ、そんな……」

『もちろん、お兄さまの子供ですわ!あれだけ狂った獣のように愛し合っていたんですもの!愛の結晶がお腹に宿るなんて、おかしなことじゃないわよねえ?』

 アルトは本当にその事実を知らなかったのだろう。呆然としたまま、かつて自分の子供が育まれていた場所を見下ろしていた。そこにあるのは、ズタボロの穴だけだったが。

『うふふ!臆病なティナはねえ、怖くなった。生理が止まったことに気がついたとき、うれしくて、そして怖くなったの。だって、お兄さまはそのとき、騎士としての功績を認められ始めていたものね?ワイズマン家は、ふたたび栄光の道を歩み始めていたから』

 幽霊の手がアルトの頬をやさしく撫でた。

『お兄さまをねえ、苦しませたくなかったの。妹とのあいだに子供をつくってしまうなんて、そんなスキャンダルが出ればワイズマン家はお終い。なにより、騎士として活躍するというお兄さまの夢が崩れ去ってしまうでしょう?だからねえ、『私』はお兄さまに伝えられなかったの。だって、お困りになるでしょう?」

「困るわけがない……困るわけがないじゃないか。騎士なんてどうでもいい。こんな土地も家も捨てたっていいんだ。なにも大切じゃない。君のほうがずっと大切なんだよ」

「ああ!うれしい!あんな毒を飲む前に、お兄さまに伝えておけばよかったわ……」

 ―――声が変わっていた。それはわずかにだが、確実にさっきまでとは違う声色になっている。もしかして、今の言葉は幽霊じゃなくて、ティナの言葉なのだろうか。

「素敵。ここじゃないどこかに旅立って、お兄さまとの赤ちゃんを育ててみたい。私たちのことを誰も知らないから、きっと、普通の恋人になれますわ。ううん、夫婦になるの。素敵な家庭をつくりたい」

「そうだね……そうしたい。そうしよう。できるさ、ぼくたちならね……」

「……うん。でもねえ。もう、手遅れなのよねえ』

 声が元に戻りやがった。アルトも気づいているだろう。ていうか、誰よりも気づいているはずだが、それでもアイツは幽霊を抱きしめていた。

「……教えてくれてありがとう、『ラケシス』。君は、僕を利用し続けたけれど、僕を救ってもくれたんだよ。だから……あとは全部、君にあげる……好きに、つかってくれ」

『うん。ありがとう、お兄さま!』

 ティナの遺体から闇があふれ出す。それは濁流のような勢いで辺りを呑み込んでいく。シャーロットが魔術を唱えて結界をつくった。ジュリィと伯爵がその空間に逃げ込む。

「ソルさま!早く、早くこちらに来てください!」

 シャーロットがそう叫んでいた。そうさ、叫んでいてくれたのに、オレは彼女の声が聞こえたのとは逆の方向へと走っていた。オレは闇をかき分けて、腕を伸ばす。そして、アルト・ワイズマンの腕を掴んでいた。ヤツは不思議そうな顔をしやがる。

「……どうして君が?」

「しらねえよ!わからねえよ!」

「はあ?」

「どうしてかなんて訊くんじゃねえ!オレだってよく分かっちゃいねえんだからよ!」

 そう。どうしてこんなことしてんのかね?……この不気味な闇の濁流に触れているだけですさまじく痛え。まるで皮膚が焼けていくみたいだ。このままここにいるとどうなっちまうんだ?怖いな。オレだってな、恐怖ぐらい感じるんだよ!

「……分からないのに、来たのかい?」

「そうだ!理由なんかよく分からねえ!……でもなあ、でも、今ここでオレが来てやらねえと、テメーら兄妹を助けようとしたヤツが、マジで一人もいねえじゃねえかよ!」

「……僕たち、兄妹か」

「おうよ。たぶん、テメーだけなら来ちゃいねえよ!……オレはなあ、テメーらのことなんかよく知らねえ!どうすりゃ救えるのかも分からねえ!でもなあ、大切なヤツのために命かけれるような連中は、きっと、見捨てるべきじゃねえんだよッ!!」

「僕らは、間違ってしまったんだよ?」

「知ったことか!間違いだろうが正しかろうが、んなことオレの知ったことじゃねえ!」

「ふふ。野蛮なヒトだね、君は……意味も理屈も理由も分からないのに、泣くなよ」

「うるせえ!こんなもん、いつだって、いつの間にかあふれてるもんだろうがよ!!」

 アルト・ワイズマンが笑った気がした。でも、次の瞬間、オレは闇の渦の果てから伸びてきた大きな腕にブン殴られて、ぶっ飛ばされていた……。

 闇の渦からぶっ飛ばされて、オレは伯爵家の庭へと転がった。クソ。顔面が痛えぜ。あの腕、よくもオレを殴りつてくれたな。オレはゆっくりと身を起こす。闇の嵐が終わりを告げいていた。さっきまでアルトたちがいた場所には、大きな黒い『卵』が立っている。不気味だな、きっとロクなもんじゃねえぞ。

「ソルさま!ご無事ですか!」

 シャーロットたちが駆けつけてくる。ジュリィは舌打ちする。死んでなかったのか。本気で言っているような気がするから、アイツは怖い。伯爵は自分の腕を確かめていた。どうやら、『呪い』が消えているらしい。つまり、アルトは死んじまったようだな。

「……ソルさま。か、体中が血まみれですよ!?」

「あ?……そうなのか?」

 シャーロットの心配そうな声と表情で気がつく。痛いのは顔面だけじゃなかった。あの黒い渦に突撃したせいか、体中のあちこちが傷だらけじゃねえか。痛いと言えば痛い。なにより、血まみれじゃ見栄えが悪いな。シャーロットが、苦しそうな顔を浮かべる。

「こ、こんなに傷だらけになって……」

「……悪いな。せっかく、シャーロットに薬塗ってもらったのによ」

「そんなこと!そんなこと、いいんです!……でも、ムチャなこと、しないで」

「……そうだな。たしかにムチャなことだったかもしれない。助ける方法も知らない、そもそも、あの二人がオレなんかの助けを求めちゃいないのかもしれねえ……それなのに、突っ込んで行って……何もしてやれずに弾き出されただけだもんなぁ。ああ、情けねえ」

 ―――ホント、情けねえぜ。

「そんなことない!……ソルさまは、きっと、偉大なことをなさったのです!シャーロットは、そう信じます!きっと、アルトやティナ姉さまも、貴方の行いに救われたはず」

 シャーロットが抱きついてきた。上半身は何も着ちゃいないから肌越しに少女の柔らかさと温もりが伝わってくる。華奢で小さな女の子だ。ホント、小せえはずなのに、その温もりはとても大きくオレに伝わってきたんだよ。凍え死にしちまいそうなときに飲んだ、あのスープを思い出す。温もりが腹のなかから全身に広がって、体だけじゃなくて、心まで救われてしまうんだ……。

「……オレの血で、せっかくの綺麗な服が汚れちまうぜ?」

「いいんです。いいの、私がこうしたいんですから」

 伯爵が微笑み、ジュリィは……『黒い卵』をにらみつけていた。そうか、そりゃそうだよな。まだ、終わっちゃいねえんだ。

『―――救った?……バカねえ、そんなわけないでしょう?』

 幽霊の声が響き、『黒い卵』が吹き飛んだ。そして、オレたちはおぞましきドラゴンを目撃することになる。骨と、腐りかけた肉……そしてむき出しの内臓。なにより、その右眼球の部分にあったのはヒトの頭部。男の頭と女の頭が、せまい眼窩に無理矢理押し込まれるようなやり方でそこにあった。

「……腐った、ドラゴン」

 ジュリィがその邪悪がもつ形状を相応しい言葉で言い表す。まさに、そうだ。『腐ったドラゴン』がオレたちの目の前に現れていた。全身から痛ましく血を流しながらヤツが歩く。オレたちを目指しているらしいな。『腐ったドラゴン』が幽霊の声で言った。

『救えちゃいないわよん?だって、コイツら私のもとで永遠に苦しみつづけるんだから。見てよ!この腐った姿こそ、邪悪で歪んだ兄妹たちの『魂の形』!高等魔族のつかう『竜産みの呪い』はねえ、『供物』の力や精神の形に比例したドラゴンを召喚するのよ。ううん、召喚するのは魔界で眠るドラゴンたちの魂の一部……このドラゴンはね、あくまでもあの近親相姦クソ兄妹の、血肉と魂が変化した姿なの!』

 ……興味深い言葉だな。

 『竜産みの呪い』。ヴァルガロフ監獄で起きたのは、その現象じゃねえのか?

「……シャーロット。あいつの話は本当なのか?」

「……はい。たしかにあのドラゴンからは二人の魔力を感じます……」

『そうよ!だからねえ、アンタは救えちゃいないの!このドラゴンは、これからずっと私のオモチャ!コイツ、みじめな体してるでしょ?笑えることにね、生きているだけで苦しむのよ!皮も無いから、風が吹くだけで痛いの!お腹が減っても食事が出来ない!喉も無ければ胃袋だって腐っているからね!苦しいのよ、苦しみつづけるの!終わらない絶望と後悔が、供物どもの心を苛むの!いつか……コイツらのおぞましい変態恋愛も終わりを告げるでしょうね。絶望の痛みに蝕まれ、愛は腐って消えちゃうの!素敵!素敵な物語!』

 『腐ったドラゴン』は幽霊の声でよくしゃべった。呪詛そのものだな。シャーロット、ジュリィ、伯爵……あの哀れな兄妹を知るヴァレンタイン一族の心は憎しみと怒りの炎で爆発してしまいそうだ。そして、そのことも幽霊の快感であることは間違いなかった。

「―――許さんぞ」

 ジュリィが冷たい声で宣告する。憎悪と激怒をはらんだその声は思いのほか静かでありながら、聞くものすべてを凍り付かせるに十分な迫力をもっていた。

『キャハハハハ!こわーい!さすが、血も涙もないジュリィちゃん!さっきみたいに、アルトのお腹を切ってみるう?でも、それぐらいじゃ今度のアルトは死ねないかもぉ?』

「魔族は相変わらず邪悪だね。『呪い』から解放されるべきなのは、私だけじゃない。私の『弟』と、可憐なるティナ・ワイズマン……二人も救わねばな」

 伯爵も怒りを隠せない。呪縛から解かれた彼は、さっきまでとは別次元の強さかもしれないな。そして、シャーロットも怒っている。他人の心の痛みを察してしまう癖があるこの子には、あの幽霊の行いは許せないだろう。あの幽霊は、人間の心の痛みを利用して邪悪な物語を描く。そして、その物語を、よりにもよって『素敵』と評しやがったのだ。

 涙をながし、肩をふるわせ、そして大きな瞳を殺意に染める……かわいそうなシャーロットがオレの腕のなかにいた。

『許せないなら、戦いましょう?私、おじいさまみたいに戦闘狂じゃないですけど、戦うのも嫌いじゃなくてよ?とくに、他人さまの体に寄生した状態とかサイコー!どんなことされても、痛くも痒くもないしねえ。じゃあ、殺し合いましょうよ、ヴァレンタイン家の皆様。哀れなアルトとティナの体をズッタズタに痛めつけちゃって?キャハハハハ!』

「―――……いいや。テメーの相手は彼らじゃねえ」

 オレはシャーロットの三角帽子をつかんで、シャーロットの頭にそれを押し当ててかぶせてみた。ふにゃ!?シャーロットの小さな悲鳴を聞く。オレは少女から離れて、ジュリィと伯爵のあいだを歩く。『腐ったドラゴン』を目掛けてな。

「……妹の純潔だけでなく、我々の戦いを奪うつもりか、ソル?」

「ああ。そうさ、ジュリィ。オレは不作法者でね」

「一人でドラゴンと戦う?無謀が過ぎるとは思わないかね、ソルくん?」

「まあ、一度やってるから二度目も行けるさ」

「……ソルさま!」

「……アンタら、いい家族だぜ。だから、これ以上、あいつらと戦うなよ。あんなみじめな連中をいじめるのは、アンタらにゃ似合わねえ……たとえドラゴンに成り果てちまったとしてもよ、一応は伯爵さんの『弟』だし、シャーロットとジュリィの『姉さま』だろ?そういうのとアンタらを、戦わせたくはねえのさ」

 ―――そうだよな、クロードの兄貴。

 オレの右眼が応えるように熱くなる。そこにドラゴンを感じるのさ。クロードの兄貴の血肉と魂で造られた、あの漆黒のドラゴンはオレの右眼に宿っている。

「ソルさま……竜の『祝福』が、炎の輝きを帯びて……」

「そうさ。だから、オレはドラゴンとだって戦えるんだよ!……でも、悪いなシャーロット。アレをぶった切れるような、デカい武器を魔術で呼んでくれねえか?手ぶらじゃ、時間がかかっちまいそうだからよ」

「……はい。もちろん、貴方の心がそう願うのなら」

 シャーロットが魔術を歌う。やさしい声のくせに勇気を帯びた言葉で。

「―――『我は運命に抗いつづける者。たとえこれが千年の戦になろうとも、我の意志は古き鋼のように朽ちることは知らぬ。我は世代を重ね、祈りを受け継ごう。悪しき竜を屠る、その勝利にたどり着くときまで。我らが真の自由を手にするその日のために……勇者の歌を受け継ごう』……来て下さい、『勇者の剣』よ!」

 『白の魔女』の呼び声に応えて、そいつが空から振ってくる。オレの右腕が、その白くて巨大すぎる剛剣を受け止めた。ズッシリとくる。なにせ、デカい。刃渡りは1メートル50はあるのか?無闇矢鱈と重いぜ、分厚いんだよ、5センチはあるんじゃねえの?

「ククク!いいねえ、ドラゴンぶっ殺すには丁度いいデカさじゃねえかよ!!」

 オレはそいつの具合を確かめるためにテキトーにぶん回してみる。かなり重いが、まあオレの力ならコントロール出来そうだ。シャーロットがオレのために呼んだ剣だからか、やけに馴染むぜ?

『……勇者の、剣……?なんで、そんなものを振り回せてんのよ……?』

「まあ。鍛えてあるからだろうなッ!!」

 オレは唐突に襲いかかる!真正面からの突撃だから、それほど意表を突いたというわけではないが、この幽霊と長々と会話する気はなかった。『腐ったドラゴン』が反応する。ギシャアアアアアア!という気色の悪い叫びをあげながら、骨と朽ちた肉でつくられた巨大な右腕でオレを叩きつぶそうとしてきやがる。オレは、笑った。

「遅えんだよ、クソ雑魚が!」

 跳躍する。地面がヤツの拳に打ち抜かれ、庭石が破裂した。跳躍の時間は終わり、オレはヤツの右腕に着地する。イヤな感触だ。腐りかけのやわらかな肉は、素足で蹴るようなものじゃねえな。でもまあ仕方がねえや。オレはその腕に蹴りを入れて再び空の住人となった。この飛翔の先は決まっている。『腐ったドラゴン』の首だ。

「おらあああああああああああああああああああああああああああッ!!」

 どぶしゃあああああああああああああああああああああああああッ!!

 肉が弾けて千切れ飛ぶ音が夜空に響き、オレは『腐ったドラゴン』の首を一刀のもとに断ち切っていた。巨大な首がゆっくりと地面に向かって落ちていく。勝負は、たった一発で決まったのさ。このオレの完全勝利である。

 ―――『勇者の剣』が光の粒子になってオレの手から消えていく。光の粒は空へと昇っていった。それに呼応するかのように、『腐ったドラゴン』の体が白い炎に包まれて、ゆっくりと消滅していく。

 ヤツの体を踊りながら焼く白い炎からは、煙の代わりに光の粒子が昇っている。あの白い光に導かれたら、あの兄妹も天国ってとこに行けるんじゃねえか?オレはそんな気になれていた。

『……あんた……フツーじゃないわね』

 幽霊の声が聞こえる。そして、その魔族は真の姿をオレに明かすのだ。ヤツは空に浮いていた。ティナの死体に取り憑いていたときと、よく似たドレスをまとっている。ただし、幽霊の真の姿は黒髪の少女だ。綺麗な顔をしているが、ティナとはまったく似てねえ。人形みたいに小さな体と、生気の欠如した青白い表情っていうところはよく似ているがな。

「……テメーが諸悪の根源かよ」

『まあ、そんなところね。危なかったわ。私が肉体を持っていたら、殺されていたわね』

「肉体を持っていないのか?」

『ええ。悪霊ですから。だから、残念なことに今の私はあなたじゃ殺せない。そして、さらに残念なことに、今の私はこの世界に対してあまり干渉することができないの。せいぜい、こうして『時間の流れを遅くする』ことぐらいかしら?』

 そう言われてオレは気がつく。シャーロットやジュリィ、そして伯爵。彼らが停止していた。ドラゴンを焼く光の粒子は動いているが、そう言えば空から落ちてくる雪が空中で静止していやがる。

「……テメー、なにしやがった?」

『言ったでしょ?時の流れを遅くした。それだけよん。でも、あなたには効かないのね』

「オレには効かないだと?」

『あはは!かわいい!あなた、自分のことも知らないんだ。あなたに与えられたドラゴンの『祝福』はねえ、『魔術耐性』という得がたい能力なのよ!とても厄介なことに、あなたは魔術による干渉をほぼ受け付けないってこと。魔術師キラーもいいところね』

「なるほどな。そのおかげでオレには『呪い』が効かないってわけかよ」

『そうよ。魔術がまったく効かない獣……うふふ。ほんと、怖いわ』

「……それで、テメーはなんで時間なんざ止めやがった?」

『もちろん逃げるためね。だって、今の私はとても弱い存在だから。あなたじゃ幽体の私を仕留められなくても、『白の魔女』なら私を倒せるでしょうからね』

「テメーを追い詰めることは出来てんのかよ。だが、それなら、なんで逃げねえ?」

『……興味がわいたからよ、あなたに』

「今度はオレに取り憑く気か?」

『私は美少女にしか入らないわ。野蛮な男の体内に潜り込むなんてゴメンね。でも、男の人に愛されるのは楽しいかもねえ?……ねえ、取り引きしてあげてもいいわよ』

「いらねえな」

『あら。いい取り引きよ。そこにいる『白の魔女』に、私を取り憑かさせてくれない?』

「ふざけんな!」

『ふざけてないわ。いい取り引きよ。もし、取り引きしてくれれば、あの女の体ごとあなたのモノになってあげる。そしたらあなたの思うがままに、あの子の清い体を陵辱させてあげるわ。見てよ、あの唇。やわらかそう。あの肌はみずみずしくて最高に気持ちいいでしょうねえ。大きな胸。ああん、私は貧乳ですからうらやましいですわ!』

 幽霊は本気でシャーロットの体を気に入っているようだ。舐めるような目つきでシャーロットを観察している。たぶんだが、アレは同性愛者なのかもしれん。

 しばらくすると幽霊は幼い顔にある大きな瞳を糸のように細くしながら、オレの顔をのぞき込んで来やがった。いや、ヤツがのぞき見ようとしているのはオレの心ん中にあるシャーロットへの欲望だろう。悪だくみに誘うような表情そのものだった。

『いい?ソルさま?……あの子の素晴らしい肉体を、いつでも好きなだけ堪能できるようになるのよ?夜も朝も昼間でも、好きなときに好きなだけむさぼれるの!……あれだけの美少女をよ?男からしたらサイコーのことだよね?それに、それだけじゃないわ。あの子じゃ知らないエッチな技をたくさん使って、あなたのこと楽しませてあげる!』

「お断りだぜ。そういうのは自分で教え込ませるのが男の夢なんだよ」

『キャハハハハ!……もう、性欲が強い男ってヒドいんだから。でも、残念ねえ。フラれちゃったぁ。素敵なカップルになれる自信があるのにな。考えてみてよ?あの子の血と私の悪意、それにあなたの強い体……それらが混ざれば、最高の魔族を作れるはず』

 ―――コイツ。オレと『子作り』する気なのかよ?おぞましいな。オレを利用して強くて邪悪な魔族のガキを産むってのか?……こんな戯れ言に付き合ってやる義理はないな。

「……いつまで時間なんて止めていられる?」

『あら、それを聞いてどうするの?時間が動き出した瞬間に、私を捕まえようとか企むのかしら?そして、『白の魔女』に殺させるつもり?』

「そいつはどうかな?オレは紳士だからよ」

『嘘が下手なソルさまぁ。まあ、いいわ。綺麗な女はたくさんいる。シャーロットちゃんよりもソルさまが抱きたくなる女の子もどこかにいるかも?その子に取り憑けばいい。そうして、私は最強の魔族の母になるの!魔王の母ね!ああ、考えるとゾクゾクしちゃう!』

「テメーはかなりのド変態だな。ずいぶんと歪んだ性癖をしているぞ」

『褒め言葉として受け取ってあげる。それじゃあ―――』

「―――おい、待て」

『あら?やっぱりシャーロットちゃんの中に入れさせてくれるの?』

「ちげーよ。テメーは『竜産みの呪い』ってのをヴァルガロフで使ったか?」

『ヴァルガロフ?どこよそれ、知らないわ』

「そうかよ。じゃあ用はねえ、とっとと消えろ」

『―――でも。ソルさまの瞳にいるドラゴンを造ったヤツなら分かるわよん?』

「……教えやがれ」

『あら、私がタダで教えるとでも?』

「テメーはこのオレさまに惚れてんだろうが?だまって言うこと聞けよ」

『キャハハハ!傲慢ねえ。惚れてる?……ああん、そうよ!うん、惚れてるわ!自前の肉体があったら、その体でソルさまを楽しませてあげるのに、残念』

「それで、誰がヴァルガロフに『呪い』をかけやがった?」

『うふふ。教えて差し上げますわ、未来の旦那さまに媚びるためにねえ。それはねえ、私のお母さま。三人いるお母さまの一人よ』

「……魔族ってのはどうなっていやがる?フツーは一人だろうが」

『そこが魔族らしさかしらねえ?……ちなみに、そのお母さまは北の都、『ゲイル・ボーグ』に向かっているわよ、私たちと戦うためにね』

「なんでお前と戦う?」

『復讐でしょうね。あれは望んで私の母親になったわけじゃないから。それとも、取り戻しに来る気なのかしらね、娘である私のことを』

「……『ゲイル・ボーグ』で何が起きるってんだ?」

『血の祭典。魔族たちが戦うことになるわ!強大な魔族の誰かが死ぬことになるでしょうね。それに巻き込まれる形で、人間たちもたくさん死ぬわ』

「クソ!また『戦争』かよ!」

『……そんなところね。そして、『戦争』には兵士がいる。だから、お母さまは『竜産みの呪い』でドラゴンを作ろうとしたのかも……ね?』

「そんなもんのために、兄貴たちは!……クソが!」

『……うふふ。今度は北の都で出逢えそうねえ、それまでに適当な美少女が見つかればソルさまとの愛を深められそうですのに……キャハハハ!それじゃあね、ソルさま!今夜のところはさよならですわ!私の名前は『ラケシス』!心に深く刻んでね!』

「ああ。忘れねえよ、次は必ずぶっ殺してやるからな」

『ああん!サイコー!そうでなくちゃねえ、私の未来の旦那さまは!』

 ―――幽霊はどこかへと飛び去った。ヤツの魔術が効力を失い、また雪が降り始める。

「あ、あれ?……時間がずれてる?ソルさま!ソルさまは、無事ですか!」

 シャーロットがオレを探してキョロキョロする。オレは手を振り返事した。シャーロットが犬みたいに走ってオレの体に飛びついた。心配してくれていたのか、しかし……たしかにラケシスの言うとおり、いい体しているよな。彼女が押しつけてくるようにしている豊かな胸はやわらかくて温かい。もしもオレのように鋼の意志をもたない男だったら、シャーロットの中にラケシスを入れさせたかもしれないな。

 それぐらい、シャーロットは魅力的な女の子だから。彼女の心を屈服させなくても、この肉体を心のままに楽しむことが出来るだって?……なかなか、魅力的な提案だよな。

「……いつまで抱きついているつもりだ?」

 ジュリィがオレをにらみながら言った。シャーロットが我に返り、オレの体からピョンと飛び退いていた。

「す、すみません。ソルさまの上半身は裸で、お、女の子は、むき出しのたくましいお体へ、みだりに抱きつくものではありませんよね?は、はしたないですもの!」

 はしたないのは一向に構わんのだが……そんなことを言えば、レイピアで刺されるかもしれない。今はかなり疲れているから、シスコン剣士の高速突きを避けれないかもな。

「……どうにか無事に終わったらしいね」

 伯爵が燃えるドラゴンを寂しそうな瞳で見下ろしながらそうつぶやいていた。彼には辛い一日だっただろう。いや、彼だけじゃないな。ヴァレンタイン家の人々、その使用人。さらにはアルト側について謀反を起こした連中にとっても。

 反逆の首謀者が死に、伯爵が勝利したことで街中でつづいていた戦闘もすぐに停止する。戦争をする価値が無くなったのさ。だから、誰もが戦うことを止めた。

 金で雇われた傭兵なんてのはその典型か。支払いをしてくれるはずのアルトがいないのだ、彼らはここで死んでも一銭にもならなくなった。アルトについて反逆に参加した伯爵の部下たちも、考えを改めるだろう。呪いから解放された伯爵と、その娘たちにフツーの人間が太刀打ち出来るわけがない。どうすれば、伯爵によりマシな言い訳が立つか?そんなことに腐心しているだろう。

 たった一人の復讐心のせいでたくさん死んだ。そして、それを裏で操っていたのは、ラケシスというたった一人の魔族だった。今夜の戦いは、すべてラケシスの『楽しみ』のためだったのかもしれない。魔族ってのは邪悪だぜ。そして、その邪悪にいとも容易くあやつられてしまうのが、オレたち人間なのかもな……。

 ―――冷える夜だ。オレは服を着て、夜食を口にする。温かいスープがうれしい。それにシャーロットみたいな可愛い子がそばにいてくれたら最高だな。最悪の一日の終わりがやって来る。オレは戦い抜けた気がするが、『勝者』になれたのかは分からねえ。それでも、シャーロットがオレのかたわらにいて、ふー、ふー、と熱いスープを冷ましている。その仕草を見られるだけでも、まんざら不幸ってわけでもねえな。

 




今回はヴァレンタイン一族の悲しい運命のお話でした。呪われたベテラン騎士の伯爵と、呪いに取り憑かれた若い騎士アルトの対決から、『呪われた騎士たち』というサブタイトルですね。


兵士たちとの戦いは、ソルが強くなりすぎて描写しにくくはありました。接戦の方が楽しいのですが、あまり大した意味のない部分なので、あっさりと流しました。


ソルの価値観では、戦争や軍隊という概念がありません。個人主義というか唯我独尊な人物ゆえに、群れる、という行動自体に大きな価値を見いだせないのです。それゆえに、戦争の従者たちである兵士たちを下らないと思いながら圧倒するわけですね。


軍隊も戦争も群れることも、くだらねえ。そんなソルの価値観を反映した形の圧勝にしてみましたが、雑であっさり過ぎたかもしれません。でも、今回は魔族たちとのバトルと、ヴァレンタイン家の悲劇がメインですので。


アルトの戦いは気に入っています。手練れの剣士父娘に斬られながらも、自分の愛や復讐心を叫びとして発揮してくれる姿は、なかなか壮絶だったんじゃないかと。バトル要素というより、生き様を見せれたので私としては満足です。


対ドラゴン。二匹のドラゴン。名前は『腐ったドラゴン』です。ドラゴン・ゾンビですね。これは強さよりも悲運な兄妹の哀れな末路を表現したかった。結果としては、ソル&シャーロットのコンビの前に瞬殺されてしまいます。バトル要素が極めて薄いのは否めませんが、この哀れなドラゴンをヴァレンタイン一族に戦わせたくないというのがソルの願いでしたから。


ダーク・ヒロインな『ラケシス』。アルトと組んでドラマ性を出せたんじゃないでしょうか。この悪霊姫の無邪気で残酷で幼い性格は、なかなか気に入っております。妹属性いないんで、それも補うためのロリキャラですが、シンプルな愛らしさはないですね。


魔族的には実にノーブルな血筋で、魔力だけならとても強いですが、肉体を持たないです。ソルの魔族観を固めてくれるキャラですね。魔族=とんでもねえ邪悪、というソルの認識を生みます。母親三人いるとか非常識生物ですしね。


邪悪さはともかく、精神年齢のコンセプトは最も低いですね。12~14才ぐらいのイメージです。母親三人のうち、二人はケインシルフの魔女ですのね、ラケシスにも強い男に惹かれるという心理的なデザインは継承されてはいます。


肉体なし&小娘なんで、バトル描写は難しい。魔術合戦しかやれなかった。でも、シャーロットが呼んだ七本の剣で刺される云々は、個人的には満足です。


さて、騎士に魔女にドラゴンに魔族に悪霊も出てきました。世界観も少しはファンタジーっぽくなって来ましたかね?ラケシスの三人の母親たちが、所属勢力ふくめ、どういう対立を取っていくのか。その仕掛けが面白くなれば良いのですが。では、また次回。

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