24話 Y/N
2018/08/20:
FPICと書いていたのはFPGA(field-programmable gate array)の間違いでした。
修正します。
ーただし、ルーシアには特別に答えられることは答えよう。そこの彼に怒られてしまうからねー
ポリゴン猫に、先ほど冷静さを失ったことを思い出さされて、大悟は頰に血が集まるのを感じた。ルーシアはそんな大悟を見てから、画面上の猫に向き直った。
「S.I.S.にとって、PRISONは目的じゃなかった。そうなんだよね」
ルーシアは一言一言かみしめるようにその質問をした。大悟は思わず唇を噛んだ。彼女が前に語った、中立な記録システムによる透明で公正な社会の構築。そんな理想郷はPRISONにはなかった。最初の最初から、特定の人間だけがその中の情報を盗み見る為に設計されていたのだ。
ーTrueー
シンプルな回答に、怒りがこみ上げそうになる。だが、今回は思いとどまる。臨床試験の副作用の暴露に今回の紛争資源の監視の回復。この謎の技術犯罪者のやっていることは、あまりにちぐはぐだ。
もちろん、綾が前に言った空売りのように、一見正義の行動から経済的利益を生み出すことは不可能ではない。だが、今回の事に限ってはそれでは割に合わない。全くの素人考えだが、ICCCに仕掛けたバックドアから取れるだけの情報を取った後、黙って姿を消すのが一番良いように思える。
少なくとも暴露してその存在を知らしめる必要などない。しかも、目の前のキャラクターの言葉を信じるなら、彼はそれにより絶大な力を持っているであろう組織から追放されているのだ。
「じゃあ、本当の目的は何?」
ルーシアは食い入るように画面上のハッカーを見た。
ー僕の夢はテクノロジーを用いたより優れた世界の構築、少なくともそれに貢献することだった。人類の歴史を見ても、自由や私有財産の保護、人権と平等などという価値感は技術の発達により生まれたものだ。ならばコンピューティングという世界の基本法則ともいうべき技術の進歩は社会をさらに先へと進めるはずだ。その可能性に比べて現在行なわれているテクノロジーの活用はあまりに遅いと。だが、その結果気がついたことがあるー
S.I.S.は画面にニュース動画を映し出す。地下に突入する銃を持った軍人らしき部隊。ビルの会議室から連行される髪の毛を後ろに束ねた男。どうやら、紛争資源監視システムを破壊しようとしたテロリスト、そして組織内に居た裏切り者らしい。
ーそれでは足りないと。そこで考えたのが、ネットワークコンピューティングを用いて、ハードとソフトが融合した情報処理マシーンを作り出すことだ。PRISONもそのハードであるICCCもそのためのテストと言えるー
S.I.S.の答えと同時に画面上に、路線図のようなものが表示された。路線図にはまるで電車のようにデータを格納したブロックが流れる。ただ、一つ違うのはそのブロックの流れによって路線そのものが変化していくことだ。
「FPGA、ううん。それを超えるもの……」
ルーシアは息をのみ、MAPKについて調べていたさららと大場はうなずき合った。彼の横にいる春香は口を押さえている。
「どういうこと春日さん?」
大悟は春香に聞いた。
「私たちが使ってるコンピュータは計算装置とデータが分かれているでしょ」
「……えっと、ゲーム機のハードとソフトみたいなものかな?」
「そう。でも、九ヶ谷君に説明したように全ては情報なの。例えば情報処理システムである脳は、ハードとソフトに区別はないでしょ。脳の中に格納されているデータ、記憶がどこにあるか、それは現代科学でも分析できていないの。何故なら、神経ネットワークの中に、計算装置と不可分の形で存在しているから」
当たり前のように答えが返ってきた。ハード、大悟のイメージだとゲーム機はその回路が固定されていて、ソフトつまり個々のゲームを共通に処理する。例えば映像の描画だ。だが、脳はデータとその処理を一体として神経細胞で行う。これにより、状況ごとに回路が組み変わるという柔軟性を得るのだという。
なるほど、確かに脳に教科書をインストールすることは出来ない。ソフトとハードの融合した脳に対して、単なるソフトである教科書を組み込むには、それを脳の方が翻訳する必要がある。つまり、勉強だ。
「具体的にどうなっているか、私じゃとても見てわかるものじゃないけれど」
それを機械として融合したのが、目の前の回路らしい。確かに、コンピュータ回路と言うよりもゲームの世界で多くのプレイヤーが相互作用しているように見える。
あるいは、先ほど提示されたMAPなんとかの遺伝子回路に似ているかも知れない。いや……。
「脳の中でアイデアが生まれる時と似てるかもね」
「…………!? 九ヶ谷君のそれはちょっと特殊みたいだから、完全に同意しないけど。そうね」
春香は何故か恨みがましげな目を向ける。
「話を戻すわ。決まったアルゴリズムを実行するなら機械の方が早いけど、新しいアルゴリズムを作り出す為には、脳の方が優れているということよ。まあ、今の段階ではだけど」
決まった問題を解くというのは線路は固定して、その中で最大に効率の良い電車のダイヤを構築するようなものらしい。これ自体が決して簡単ではないらしいが、目の前の図では路線自体が変化している。
「ちなみに、そういう複雑きわまりないネットワークの挙動を数値化するのが『ゲーム項』よ」
春香は言った。だが、大悟はそんな簡単にはうなずけない。何故ならそれはゲームではなく、どちらかと言えば……。
(人生っていうか、世界そのものじゃないか……?)
深淵だ。これまでのように、当たり前に思えていた世界が実は全く違う深淵でした、というわけではない。その場合は綾の言葉ではないが、元々そうなのだから大悟自身は何も変らないという選択肢があり得る。
だが、目の前の人物がやろうとしていることは、そんな受け身のものではない。大悟の中で、目の前の人物と彼の父が初めて重なった。世界を見つめるどこか狂気を孕んだ視点。
「最後の質問。どうしてS.I.S.はそれを途中でやめちゃったの」
ルーシアが言った。
ー僕は自分が思ってるほど理想主義者じゃなかったみたいでね。たった百数十万人の被害を看過できなかった。自分のプロジェクトが順調に進むことで、そんな被害とは比べものにならない数の人間を救えると考えていたはずだが。どうやら脳のアルゴリズムにバグが残ってるらしいー
そう言うと、猫の瞳孔が大悟に向いた。
ーそういう意味では、そこに居る彼の言葉は耳に痛かったよー
そう言われた瞬間、S.I.S.と父のイメージは離れ、大悟は何故かこの怪しげなコンピュータ犯罪者の言葉を信じていた。
「分かった」
ルーシアは少しすっきりした顔で言った。
ー今後の事を考えて、ルーシアにはこれを渡しておこう。どう使うかは君の自由だー
S.I.S.は目の前に映った回路図を、まるで巻物を丸めるようにして畳んだ。同時に、ルーシアのノートパソコンに着信音が鳴った。ルーシアは自分のパソコン画面に現れた図表と英文の羅列に釘付けになった。
ーでは残り2ビットの質問はあるかなー
S.I.S.が言った。三ビット、つまり質問できるのは二人と言うことだ。普通に考えれば貢献順である。この場合の貢献とは先ほどのS.I.S.の逆ハッキングへの協力だ。
「講師は聞きたいことが沢山あるでしょ」
大場がさららに言った。
「んー。あるけど。一番聞きたいことは私の探求と一致するからなー。答えを聞いたら面白くないかな。で、2番目に聞きたいことは多分同じでしょ。オーバに譲る」
さららはあっさり言った。
「……いいわ、じゃあ質問。今回のバックドア。虚数ビットなんて誰も聞いたことのない画期的なアイデアね」
大場がそう言うと大悟を見た、気がつくとさららと春香、そして綾とルーシアも大悟を見ている。
「こんなとんでもない技術を使って、ただ情報を写すだけだけなんて考えられない。虚数ビットの本来のポテンシャルはそんなものじゃないかしら」
大場の言葉に、さららと春香そしてルーシアが頷く。なんとなく分からないではない、春香から教えられた物理学における虚数の価値、そして世界の仕組がそういった計算に関わるなら……。
「本来直線的な計算しか出来ないコンピュータを使って、直接平面的な計算が出来るんじゃないかしら。つまり、平面メモリーの実現が可能。先ほどのFPGAはそれを前提にしてる、違うかしら」
大場の質問にさららも頷いている。ルーシアと春香がまるで双子のように同時に頷いている。綾が少し考えてからメモを取るのが見える。
大悟は洋子と困惑の顔を見合わせる。こういう時に解るのだ、自分がどれだけ場違いな場所にいるのか。大悟に分かるのは平面の計算という言葉が、恐らく平面を折り紙するORZLと繋がるのだろうということ。何しろ虚数という計算が、平面を意味するのだ。となると、折り紙という過程は、必然的に計算になる。
ーTrueー
S.I.S.の短い答えに大場は何か大きなものを飲み込むような顔になった。後1ビットだ。大悟は学生組を見た。貢献順で言うなら春香だ。それに、S.I.S.の真意を見抜く為に貢献した綾。
「私は良い。今回殆ど何もやってないし。今までので大体解った」
綾が言った。今ので大体解るような高校生こそ質問すべきだ。大悟は達也を見た。達也は首を振った。洋子も慌ててそれに習う。二人は今回、いきなり世界の深淵に触れたのだ。恐らく今目の前で行なわれていたことの全てが半信半疑の混乱中のはず。考えてみれば酷なことをしたかも知れない。
「私も良いわ。九ヶ谷君に譲る。今回も答えを出したのは九ヶ谷君だし」
「えっ、いや……」
さっきの大場の質問に、一人間間抜け面を晒していたことを忘れないで欲しい。
「でも、聞きたいことあるでしょ」
春香は言った。綾も頷いた。二人が何を言っているのかは分かる。実際その通りだからだ。
「それは……」
だが、それはここで聞くのが憚られることだ。何というか、今の世界を変えかねない質問に比べて、あまりに個人的なのだ。家族の問題である。だが、それは同時にこれまでの事件の真相に大きく関わる。
「貴方の元いたチーム、G-Makerでしたか。そこに九ヶ谷秀人という人物はいましたか?」
大悟は聞いた。少なくとも目の前のアバターは彼の父じゃない。薬害の発生程度の理由で彼の父が目的を変えるとは思えないからだ。彼の父にそんなバグは組み込まれていない。
ー特定の一人の存在となると情報量は跳ね上がるね。それにプライバシーの問題というものがあるー
ポリゴン猫はお前が言うなといいたいことを言った。
ーでも、君のファミリーネームとさっき君がルーシアの為に怒ったことを評価して1ビットの質問と認めよう。答えは……ー
画面上の猫はそこで言葉を切った、その画像が乱れ始めた。
ー……やら…………のようだ……このかいと…………ルーシ…………ー
そして唐突にその猫は消え去った。同時に、ルーシアのパソコンに二度目の着信音が鳴った。
2018/08/19:
来週の投稿は木、日の予定です。




