22話:前半 レポート
巨大な曲面スクリーンが掲げられた無機質な空間。隣で稼働している巨大な実験機器、つまり小さな加速器、の音も遮断された静かな部屋。香坂理大の誇る巨大コンピュータセンターに、大悟は再び足を踏み入れていた。
日時は木曜日の放課後。様相はまるで高校生の大学見学である。実際、集まっている八人中六人が高校生だ。ちなみに他の二人は大学の教員。
「先生。この度はご協力ありがとうございます」
高校生の中で唯一の三年生である達也が大男に挨拶している。白のスーツに怯まないのは流石である。彼自身がここの場所である理由を理解していないのにだ。
実際、インターンのレポート発表会の会場を告げたときは半信半疑だった。今も、スクリーンの前でノートパソコンでプレゼンの準備をしている春香と、そして大悟をいぶかしげな目で見ている。
そういえば、インターンが始まる前に学校で行なわれた合同説明会では、上司へのホウレンソウが大事だと説明された。今の状況は明らかに鉄分が不足している。
「なるほど。紛争鉱物の流通ってこういう風に記録されるんだ……」
「うん。えっとAYAだったね。なかなか詳しいじゃない……」
好奇心剥き出しでルーシアに話しかけているのが綾。最初は少し警戒していたルーシアだが、綾の対人能力と知識に引き込まれ会話を弾ませている。何故だろう、留学生と自分の友人の心温まるコミュニュケーションなのに、組み合わせてはいけない人間を引き合わせてしまった予感がした。
(高校生組だって十分あれなのが揃ってるんだよな……。例外はボクと……)
「ね、ねえ、九ヶ谷。これどういう状況?」
最後の高校生が大悟の袖を引いた。場違いなところに連れてこられて一番戸惑っているのが彼女だ。本来同じくらい場違いな大悟の場合は二度目というのと、基本あきらめているだけなのだが。
「えっと、こっちの班のインターンの報告会……的なものだよ。うん。ほら、殆どそっちの関係者だしね」
大悟は一応は建前を守ることにした。それが彼の精神安定剤でもある。
「あの派手なスーツの人は? テレビで見たことある気がするけど……」
「ここの工学部の教授でこの研究所の所長さんかな。フェリクスと共同研究なんてしてるから、さ」
「じゃあ、あの美人さんは?」
洋子が春香と話しているさららを見た。
「ここの理学部の非常勤……じゃなくて講師の吉野さらら先生。……なんていうか。春日さんのお姉さんのお友達らしいよ」
「そ、そうなんだ。あの人なら……」
洋子は必死に状況を飲み込もうとしている。だが、すぐに首を振った。
「…………なんで高校生のインターンの報告会に大学の先生が二人も関わるの」
「あ、あの二人の研究分野と今回のレポートが関わるから、かな」
大悟は誤魔化すことをあきらめた。
「あんた何をやってるの?」
「その疑問にちゃんと答えるのはちょっと難しくて。ま、まあ、解る部分は今日のレポートを聞けば解るよ。うん」
「……解らない部分は?」
「僕も解ってないから他の人に聞いてね。皆僕よりは解ってるだろうし……」
そして両手を挙げて説明を放棄した。洋子が「そ、そうだよね」と納得しようとしたとき、
「九ヶ谷君。発表の準備できたわよ」
スクリーンの前から春香の声が届いた。
「……あっ、うん。わかった」
洋子が「えっ、あんたがやるの!?」という顔になった。大悟としては激しく同感だ。というか、このメンバーの中で彼の気持ちを解ってくれそうなのは、洋子しかいないのではないかという気すらする。そう思って、凡人アピールをしていたのに、春香のせいで台無しである。
この配役だって、春香が達也に対して大悟なら出来るとのたまったからであり、彼にとっては不可抗力なのだが。
「えっと、それではフェリクスインターンB班の発表を始めさせていただきます」
なんでこんなことにと言う感情を引きずりながら、大悟はノートパソコンの前に立った。ちなみにB班というのは勝手に大悟が決めた。ここに居ないインターン生達、真っ当にテストプレイをしていたクラスメイト達、がAに違いないからだ。
気分は学会発表、と言いたいところだが縁起でもない。やったことはおろか見たこともない。恐らく彼の父なら馴染みなのだろうが、生物の授業で経験は遺伝しないと学んだ。
どちらかと言えば、テレビのミステリドラマなんかで探偵が関係者を集めて真相を発表するシーンが近い。ホームズではなくワトソンが探偵役をしているという問題はさておきだが。
「題名はですね……」
大悟はスクリーンに最初のスライドを映した。
「『自律分散型セキュリティーシステムPRISONからの臨床試験データの流出の原因』です。まずは、皆さんご存じの背景ですが……」
複数の製薬企業の関わる臨床試験の為に、特定の一社がデータを独占管理出来ない仕組としてブロックチェーンが選ばれたこと。そのブロックチェーンとして、ソフトとハードの両方で高度なセキュリティーを誇るオープンソース、PRISONが用いられていること。
続いて、PRISONの説明だ。世界に複数存在する専用チップを採用したコンピュータセンターを経由して全てのデータが処理されること。データの閲覧の為には複数の参加者が管理する複数のパスワードが必要であること。プライベートチェーンである今回の場合は高度な格子暗号で守られており、量子コンピュータでも解析困難であること、等を説明する。
「つまり情報の監獄が孤島に存在しているわけです」
ルーシアが頷いているのを見て少しだけほっとする。そう、このセキュリティーは完璧だ。
「しかし、実際に流出は生じました」
大悟がスライドを提示する。臨床試験に関わった製薬企業の株価が暴落したチャートだ。ちなみに、まだ回復していない。回復どころか集団訴訟が起こされるらしい。
「我々はこの流出とPRISONの関係について調査しました。その結果、流出の原因についてある仮説を得ました。それは……」
大悟はそこで言葉を切って達也とルーシアを見た。
「PRISON自身にバックドアが組み込まれているというものです」
達也が眉をひそめた。ガタッという音がして、ルーシアが立ち上がった。
「バックドアを仕掛けるのは不可能だよ。プログラムもハードも全て公開されてるんだよ。どうやって情報を盗み出すのさ」
全員の視線を集めながらルーシアは言った。
「普通のビットを考えれば確かにそうです。多くの、それも優れた開発者を出し抜いて設計の最初からバックドアを組み込むことは不可能でしょう」
全て公開されているから、バックドアを意図的に仕掛けるなんて不可能だと言うルーシアの反論は予想されていた。
大悟は次のスライドを表示した。そこには横に並んだコンピュータ内のビット列が表示されている。その上にはおなじみのコインの裏表、つまり0と1が並ぶ。
「普通じゃないビット? Qビットのことを言っているの。でも、今回のケースは格子暗号で……。そもそも、それだとバックドアとは言わないよ」
「そうですね。Qビットなら総当たり、ある意味真っ当な方法でパスワードを解くわけで、バックドアとは言いわないんでしょう。でも、我々の仮説はQビットじゃないんです」
「Qビットじゃないとするとなにかしら。貴方たちが関わっている以上はLcz絡みよね」
腕組みしながら聞いていた大場が口を挟んだ。高校生二人のやり取りを不安そうに見守っていた高校生、つまり達也が少し安心した顔になる。大学教授の権威すごい。
「はい。実は大場教授の言葉がヒントだったんです。今回の流出事故の原因。それはいわば虚数ビットです」
大悟は表示されたスライドを指差した。それは一見単純なグラフにすぎない。
「つまりですね。通常のビット、つまり電子の流れの大小に加えて、そこに隠されたもう一つのビットを乗せればいいわけです。これは簡略化したイメージですが……」
大悟はスライドの左を指した。
「仮にこんな電子の流れがあったとしたら。これが表すビット列は01110101ですよね」
洋子を除く全員が頷いているのが見えた。文系志望なのにこんなところに放り込まれて気の毒にと大悟は思った。発表までさせられている彼ほどではないが。
01110101
○○○ ○ ○
電 ○○○ ○ ○
流 ○○○ ○ ○
量 ○○○○○○○○
○○○○○○○○
「でも、もしこの電子の流れが実は……」
大悟は右に新しい概念図を表示した
↓↑↑ ↓ ↑
ス ↓↑↑ ↓ ↑
ピ ↓↑↑ ↓ ↑
ン ↑↓↑↑↑↓↑↑
↑↓↑↑↑↓↑↑
10111011
「こんな感じのスピンになっていたとしたら、同じ配列が全く異なる10111011というビットを表現していることになります。つまり、1ビットが実は二つのビットをもっていたと言うことです。流出はこの隠された方のビット、複素数で言うなら虚数部から生じたと考えられます」
これが大悟があの観覧車の中で思いついてしまったアイデアだ。
「電子に関して独立した物理量を二つ使うことで虚数ビットを実現……」
ルーシアが唖然としていった。大場も「へえ」という感じで頷いている。流石に理解早いなと大悟は思った。まあ、この中で彼より頭の回転の鈍い人間などいないのだが。
「まってよ。スピンなんてそんな簡単にコントロールできるわけないよ」
そして理解できるから、当然の反論が来る。
2018/08/05:
来週の投稿は木、日の予定です。




