18話:前半 遊園地Ⅱ:コーヒーショップ談義
「誤解しないで欲しいの。私は別に嘘を言ったんじゃなくて……」
遊園地のロゴと大手コーヒーチェーンのロゴを並べたカップを前に、春香が大悟に力説していた。
園内に入ってるファーストフードの方はほぼ満席だったので、大悟達は比較的空いているコーヒーチェーンに居た。席数の設定を間違えたのか、それとも日本の少子高齢化が深刻なのか。
大悟の前にはオリジナルブレンド。春香はカプチーノを頼んだようだ。オリジナルブレンドはちょっと酸味が強いかなと、彼は喫茶店の息子らしいことを考えた。
「えっと、解ってるから」
「本当に? 疑ってるんじゃないの」
春香が身を乗り出した。
(誤解されてるのはこちらだよ)
大悟は周囲の視線を意識した。こんな可愛い娘だもん。彼氏がこれじゃ他の男に目移りすることもあるでしょ。見たいな目で見られている気がする。
「いい、フランスの動物学者キュビエは悪魔に扮して自分を脅かそうとした教え子にこう言ったの「蹄と角があるお前は草食動物だ。私を食べられない」こういう態度こそが科学の……」
「うん、えっと、二体目からは全然平気そうだったよね」
「そうよ。まず、左側を九ヶ谷君を盾にして、私は右側に意識を集中したの。出てくるって解っていれば何でもないのだから」
まるでシューティングゲームの攻略のようなことを春香は言う。
「うんうん。でも上から来られたのは不意打ちだったよね」
きゃ、なんていう春香の悲鳴を聞くとは、貴重な経験である。
「勝手に次元を一つ増やすなんてルール違反よ」
三次元の住人らしからぬ文句が飛び出した。ゲームの世界ですら3D化されて久しいのだが。ちなみに、春香が大悟に飛びついたのはその二回だけだ。
「洋子には絶対に言っちゃ駄目だから。さららさんにも、妹さんにもよ。そうだ、最後に別のアトラクションを一つ消化しないと」
春香が言った。どうやらホラーハウスはなかったことにするらしい。次は彼女に選択を任せようと大悟は思った。実際にはホラーハウスも春香の選択なのだが。
「大丈夫。誰にも言わないし。恐かったんじゃなくて、驚いただけだって言うのは解ってるから」
「…………そ、そう」
春香は大悟の返事に目を瞬かせた後、小さく頷いた。
会話が途切れた。二人はテーブルで沈黙した。大悟としても女の子と遊園地で二人で遊んでいるときの会話など振りようがなく、そして春香も同じだ。
「……じゃあ、折角落ち着ける場所だし。本題に入ろうか」
「本題……。そ、そうね。もともとそういう話だもの」
春香がカバンからノートを取り出した。ハプニングで始まった春香との遊園地、ハプニングにより何故かそれっぽくなったが、このまま疑似デートを続けるわけにはいかない。それこそ、月曜日に洋子に何を言われるか解らない。
「それで、九ヶ谷君が聞きたいことって?」
「あ、うん。でも、その前に春日さんはあれからどういう方向でアプローチしてるのか教えて欲しいんだ」
大悟は聞いた。自分のまとまっていない情報の前に、春香の考えを聞いておこうと思ったのだ。
「ORZLの絞り込みをしているわ……」
春香が開いたページには山脈のようなグラフが書かれていた。右から左へ立ち並ぶ山を一本の横線が通過している。山と線の交点が丸で囲まれ、そこに矢印で数式が書き込まれている。
その多くがバツで消されている。苦戦を物語っているようだ。
「つまりいろいろなタイプのORZLの中から同じ高さの場所を探すって感じ?」
「そういうこと。最初に検討したのがこの交点。いま計算しているのはここにある別の交点で……」
春香が説明する。聞く限り山は沢山ある。海抜1000メートルの地点を答えとして。日本に千メートル以上の山が100山あるなら、候補は100通りと言うことになる。説明はなんとなく解る。だが、一つ気になることは……。
「つまり最初の山。電子のスピンだっけ、その方向はあきらめたってこと?」
「ええ、考えてみれば量子コンピュータっていうのは直感みたいな物だったし……」
春香は気まずそうな表情になる。大悟としては困ったことになった。A山の情報を集めていたら、彼女の方は別の山に上ろうとしている様なものだ。少なくとも大場から聞いたスピントロニクスは無駄になりそうだ
ただ、大悟にはそれ以上に春香のやり方が引っかかった。
「直感っていっても、春日さんは最初スピンが怪しいって思ったって事だよね」
「そうだけど…………。結局は根拠のない判断だったってことよ。そもそも、数学的に同等の可能性は他にいくらでもあったんだから」
大悟は直感を信じる方だ、ゲームのシナリオを考えているとき、もちろん可能性は幾つも浮ぶ。その中でこれと思うのは、何か根拠あってのことではない。文字通り理屈抜きでこれだと思うのだ。それが間違っていることもある、いや間違ってることの方が多いかも知れない。だが、良いと思えるシナリオは大体そういう所から出てくるのだ。
「逆に聞くけど、スピンを否定する理由はあるの?」
「……それはないけれど、実際問題として量子コンピュータでPRISONのセキュリティーは敗れないんだから仕方ないでしょ。量子コンピュータでPRISONの格子暗号を破るアルゴリズムがないか考えたけど無理だったのよ」
「それはそうかも知れないけど……」
基本的に主観で決まるシナリオと違って科学には、特に数学には決まった手順と答えがあるのだ。それを考えると、強くは推せない。大悟自身、スピンが正しいという根拠はないのだ。それこそ、春香がそう言ってたからに過ぎない。
「今検討しているのはこの形、Lczの性質的には……」
春香は新しい可能性について色々話すのだが、そもそも前提知識のない大悟には理解不能だ。それに何より、また計算のための計算に後退しているような気がする。
「…………」「…………」
再びの沈黙だ。春香も気まずそうになっている。ちなみにさっきまで隣に座っていた高校生らしきカップル、本物、はニュートリノの質量変化について話すカップル、偽物、に引いていた。
「そう言えば、この前の情報とエネルギーの話について何だけど、一つおかしな事があるって気がついたんだ」
理解できない話の連打から逃れるように、大悟は言った。
「おかしなこと? なにかしら」
ORZLを一つ説明するごとに、歯切れが悪くなっていた春香も少しほっとした顔になる。
「うん、春日さんは世界の全てが情報処理でそれはエンジンだって言ったよね。燃料っていう珍しい分子配列を壊して、その珍しさでコンピュータを動かして、ビットの配列を珍しい物にする。これが言ってみれば宇宙そのものだって話だったよね」
遊園地の飲食店の中で何を話してるんだと思いながら、大悟は続ける。
「ええ、そう言ったわ」
春香は大悟の言葉に頷く。
「で、えっとエンジンの場合は燃料のガソリンの中にある珍しさが、全部車の動力、つまり意味のある別の情報に使われるんじゃなくて。熱って言う無駄が出る。つまり、100の情報からは100以下の情報しか作れないんだよね」
「ええ、物理的にエンジンの最高効率は決まっていて。そうね100の情報からせいぜい20と言ったところね」
「たった20パーセント。そこがおかしいんだ。それだったら宇宙の最初が一番珍しい、つまり特別な配列の状態で、それがどんどん平凡な、何でもないというか、つまらない? 状態に変ってくってことじゃないか。でも、実際にはさ……」
大悟はフェリクスのゲームのモンスターのグラフィックを出した。奇しくも、まだインターンがインターンっぽかったテストプレイで、彼らを消し炭にしたモンスターだ。
「こういったモンスターをコンピュータで描くためには、珍しさが必要だよね。じゃあ、このポリゴンと……」
大悟は20年以上前の黎明期のゲーム、フェリクスを今の地位に押し上げる切っ掛けとなった、のドット絵を表示した。同じような犬型のモンスターでも、ガタガタで色も単純だ。
「こっちのドット絵じゃあ、ポリゴンの方が珍しさを消費すると思って良いの?」
「もちろんそうよ。そうね、この両方の絵を描き出すために必要なコンピュータの計算量は何万倍じゃ効かないでしょう」
仮に動きと奥行きを無視しても、ディスプレイ上の点の数と、その点に描かれる可能性の数。それの対数が情報量だ。以前の海戦ゲームの例えなら、ディスプレイ上の点の数が海域の広さ、色の種類が艦船の数に相当する。
「念のため聞くけど、消費された珍しさってリサイクルできるの?」
「出来ないわ。宇宙の珍しさは一方的に消費されるだけ」
「なら、この単純なグラフィックを描くことで、宇宙の珍しさは減ってるんだよね。グラフィックはどんどん単純な物になってくはずじゃないか。でも、その後で……」
大悟はドット絵をポリゴンモデルに切り替えた。
「でも、実際は逆で、例えばゲームのグラフィックはどんどん複雑高度な物に進歩していってる。これっておかしくない?」
春香の説明だと、進歩は起こらないことになる。これが大悟の疑問だ。彼としてはかなり自信のある結論である。
2018/07/15:
来週の投稿は木、日の予定です。




