17話 遊園地Ⅰ:不意打ち
ヴヴヴッ、ヴヴヴッ
シーツの振動により、大悟はうつぶせの額を枕から上げさせられた。部屋の灯りが目を白く縫った。
「……寝落ちしてたのか」
左右に散らばるコピー用紙を見てつぶやいた。ぼやける目に、乱雑な文字とそれを繋ぐよれよれの矢印が映った。昨夜、こねくり回したシナリオの断片だ。
ベッドで眺めている内に寝てしまったのだろう。最後に時計を見た記憶が午前3時半。
目をこすりながら震動源を探す。ひっくり返された数学の教科書の下からスマホを発掘した。
「なんで近藤さんから?」
スマホに表示されたメッセージには指定場所と「すぐにここに行くこと」というだけの文字が入っていた。
ちなみに今の時間は7時だ。
◇◇
「……えっ、でも。うん、そうだねこの前は私の方が…………。わかった。じゃあまた今度ね」
大悟の目の前でクラスメイト女子がクラスメイト女子に電話を掛けている。電話相手のクラスメイト女子は、大悟をここに呼び出したはずの女の子。つまり、この場にいるほうのクラスメイト女子は……。
(なんでこうなってる?)
大悟は呼び出し場所を見た。隣町の遊園地の入り口がある。目の前を通過する家族連れやカップル。土曜日だけあって多くの人が門の中に飲み込まれていく。
そんな場所に女子と二人立っている理由とは…………。
「洋子が言うには……」
春香が説明した。要するに近藤洋子が春香との約束をドタキャンして、代わりに大悟を差し向けた。そういう形らしい。
(これって、あれだよな。何とかしろって事だよな……)
大悟は遊園地の前で春香を見つけたときのことを思い出した。春香はスマホとノートを付き合わせて、眉間に皺を寄せて考えていた。何をやっているのかはわかりきっていた。
と言われても大悟も未だ情報の整理が出来ていない。明け方近くまで集めた情報をこね回したあげく、最後は数学の教科書まで引っ張り出して力尽きたのだ。当たり前である、知的なマラソンのコースの最後に神社の階段を設定したような物だ。まあ、iとiを掛け合わせて-1になるという理不尽、つまり最初の一段を上がることも出来なかったわけだが。
後は起きた後、取るものも取りあえずここに来たのだ。その必然的結果が今、衆目に晒されている。
周りを歩く男女の特に女性の視線が大悟に厳しい。何しろジーンズにTシャツという近くのコンビニにでも出かける格好である。一方春香は白の半袖ブラウスに短めのサマーカーディガン。そして、膝丈のスカートだ。最初見たときどこのお嬢様かと思った文系モードの私服姿だ。
言うまでもなく、彼は春香を軽んじているからラフな格好でいるわけじゃなく、春香は彼のために着飾っているわけではない。ただ、あまりに非対称な男女が、遊園地の前で固まっているのである。
「えっと、どうする……」
「……九ヶ谷君は折角の休日に私に付き合う理由はないでしょ。洋子には私が言っておくから……」
春香が言った。
「いや、実は幾つか聞きたいことって言うか、インターンの事で……。でも、そういう話をするなら別にここじゃなくてもいいか。今日ならウチは空いてるし」
大悟の言葉に、春香の横を通過した地元の高校生らしい女の子のグループが軽蔑の視線を向けてきた。
(違うから、家に連れ込もうとか、そう言うんじゃないから)
大悟は心の中で言い訳した。大体、この場合のウチとはラタンの事である。
「九ヶ谷君は私に用事はあるのね。なら入りましょう。貴方のお母さんからもらったチケットを無駄に出来ないから……」
春香は遊園地の入り口を手で指した。その手に握られていた紙のケースは、確かにあの時母が渡していたものだ。
◇◇
「じゃあ、落ち着けるところに。このコーヒーショップとかどう」
園内に入った大悟と春香は、案内板の前にいた。
「九ヶ谷君に合せるわ。強引に付き合わせてる形だし。ただ、一つくらいはアトラクションに乗ってからの方が良いわ。その、妹さんからレポート、みたいなの聞かれてるの。明日友達とここに来るらしいから」
春香は言葉を濁した。何と常連さんからもらった遊園地のチケットは春香だけでなく、夏美にも配分されていたらしい。大悟はその存在すら知らない間にである。別に欲しくなかったのに、大悟はちょっと凹んだ。
「でも、どれが良いのかしら。九ヶ谷君は妹さんの知りたそうなアトラクションって解る?」
「いや、さっぱり」
「私に希望はないし、九ヶ谷君が選んで」
まるで最初にやっかいごとをかたづけて残り時間は集中しようという感じだ。ただし、春香にとって義務とはアトラクションであり、有意義なことはサイエンスである。
「じゃあ、ええっと…………」
なるべく待ち時間が少なくて、すぐ終わるのが良いかなと思った大悟は、周囲を見渡した。丁度目の前にホラーハウスが見えた。もしカップルで遊園地に来たなら外せないポイントである。もしカップルだったらだ。そして……。
「向こうの方を見てみよう」
正面のアメリカナイズされた、あまり日本人の恐怖を誘わないアトラクションから大悟は目をそらした。
「今、どうして露骨に目をそらしたの?」
春香は正面の建物をじっと見る。
「まさか、私がお化けなんて非科学的なものを怖がるとでも」
「いやいや、そんなこと欠片も思ってないよ。思ってないけど……」
大悟は今度は春香から視線をそらした。嘘ではないが、彼の間では春香は目の前のアトラクションが苦手である。
「いいわ、証明してあげる」
◇◇
「ふうん。外見と違って、中は結構電子化されているのね」
暗い道を歩きながら、春香は少し興味深そうに言った。彼女の目にはアトラクションが必死に演出しようとしているおどろおどろしい雰囲気も、ただの液晶表示だ。
幸い、待ち時間は殆どなく二人は暗い通路に通された。乗り物に乗ってというタイプではなく、古き良きお化け屋敷のように、歩いて回るタイプだ。ただし、周囲の壁などはCGを利用している。とても建物の中とは思えない演出がなされている。夜のアメリカンな牧場が日本人を怖がらせるかはともかく。
「でも、こういうアトラクションが存在するってことは。お化けや幽霊なんて非科学的なものの存在をどこかで信じてる人がいるって事かしら」
「いや、まあ信じているかって言われれば多分違って……」
大悟としては春香がお化けなんて存在しないのだから恐いはずがないという態度を取っているのは少し心配だ。何しろ……。
ヴォォォオオオーー
「えっ、な、なにっ!?」
春香の側、つまり左側から突然、大きな口を上げた一つ目の狼のようなものが飛び出した。大悟の右腕に柔らかい感触が襲いかかった。勿論もふもふではなくて布越しの弾力だ。
突然の出現に驚いた春香が思わず大悟の腕にしがみついたのだ。……何と一匹目でである。仮にカップルがここに入ったとしても、初っぱなにこれでは男の方はいささかあざとさを感じてしまうのではないか。
それくらいのあっけなさ。それはある意味大悟の予想通りだった。
(春日さんって、こういう突発的な出来事に弱そうだもんね)
すぐに大悟からはなれ、何故か彼を睨む春香を見ながら、だから止めようとしたのにと言う言葉を、彼は飲み込んだ。
2018/07/12:
次の投稿は日曜日です。




