16話:後半 普通のビット
「そう、特定の中央権力は情報の管理という意味では一見効率が良いけど、恣意的でムラが多い。長期的には安定性すら保証されない。情報の相互利用にも限界がある。これは巨大企業も変らない」
「複数の製薬会社がそれぞれデータを独占したり、隠したりしたがるみたいな感じ?」
今回の臨床試験にPRISONが使われた理由を思い出した。
「そう。この社会の基盤として基本的に必要なのは個人と個人、組織と組織、そして個人と組織が公正にやり取りできることを保証するシステムでしょ」
「えっと、それって、要するに……」
大悟はゲームの世界だったらどうだろうと考える。実際、今の話が容易に達也がゲームで実現しようとした野望に繋がることも解る。つまり……。
「世界のっていうか社会の仕組それ自体に近くならない?」
ゲームの世界なら、それはコンピュータで自動化される。ゲーム世界の法則では、世界の法則とキャラクターのルールが同様に処理される。そして……。
「ブロックチェーンで繋がった個人は、言ってみれば権力のないソサイエティー。地球規模で国境がないね。そして、プログラムがそのコミュニティーの法になる。自動的に実行される法は恣意的じゃないしムラもない。警察も裁判官もいらない。あるいは最低限ですむ」
ルーシアの言葉はだんだん過激になってくる。
「そんなの可能なの?」
「それは解らない。私は神様じゃないから。例えば、現時点でのブロックチェーンの活用法のほとんどを占める仮想通貨なんかは、経済の分野でその理想を掲げている。でも、結局少数の参加者が権力を握っちゃったのもあるし、詐欺で潰れたのもある。ただ、私にとってこのPRISONは賭けるだけの意味のあるDREAMってこと」
大悟は同い年の女の子に衝撃を感じた。大げさに言えば、彼女はディスプレイの記号の羅列の先に世界の仕組を見ている。それを指先で組み替えようとしているのだ。
仮想のゲーム世界ではなく、現実の国家組織の入れ替えだ。ゲームのアップデートのように、世界の仕組みそのものがアップデートされる。そんな世界が浮んだ。
春香やさららの言ってるのとはちょっと意味が違うが、世界がゲームになる感覚だ。それはゲーム好きの彼を不安にさせる深淵だ。
「話が大きすぎてちょっと……。何か具体的なプロジェクトみたいなのはあるの?」
「あるよ。私とそしてS.I.Sもだけど、今一番注目しているのはこのプロジェクト」
ルーシアはキーボードから手を離すと、自分のスマホを取り出した。
「紛争鉱物の取引監視?」
英語のサイトのタイトルにポップアップした日本語訳を読んだ。
「そう。次世代の半導体に欠かせないレアアースの鉱脈がアフリカの紛争地帯にあるんだけど……」
ルーシアの説明では、そこでは政府と独立勢力の間で内戦化して、戦場付近にある資源が紛争の軍資金になっているらしい。サイトには少年兵のスカウトなどの、悲惨な報告が並ぶ。
「この鉱山の採掘量でレアアースの価格が左右される。少しでもコストを下げることを求める巨大テクノロジー企業や、経済成長と税収、そして雇用を求める先進国の政府は見て見ぬ振りをする。世界規模の違法資源売買のネットワークに誰も責任を持っていない。だから、本来禁止されているはずのこの資源が市場で売買され、資金化される。このプロジェクトでは、その取引の記録を監視するためのシステムを作ってるの」
仮想通貨とか新薬の臨床試験よりも、生々しいプロジェクトだ。それを真剣な目で見るルーシアに、さっきの国家を信用しない言葉が重なった。国家でも管理できない情報を、不特定多数の有志で管理する。
それは良い方法に見える、だが同時にやはりどこか不安を感じる。ルーシアは先ほど、不正な取引に対して既存の国や企業が責任を持っていないと言った。
だが、誰も管理していないブロックチェーンは、やはり誰も責任を持ってないと言うことなのではないか。
いや、もしそれを管理する存在が表れたら…………。
◇◇
「あら、九ヶ谷君じゃない」
世間話のつもりで始めたルーシアの会話に当てられた大悟は、階を下って自動販売機でコーヒーを買おうとした。硬貨をスリットに入れたとき、聞き覚えのある野太い声がかかった。
「大場教授」
振り向くと白いスーツの大男が立っていた。
…………
「……と言うわけで、私の方はGPUコンピューティング関係でこことの共同研究の打ち合わせ」
「その節ではお世話になりました」
「あら、何のことかしら。私はただフェリクスにちょっとだけ教育に関しての貢献を意識してもらっただけよ」
大場はそう言って笑った。
「えっと、コンピュータグラフィックの描写と並列計算に共通性があるんでしたよね」
大悟はルーシアから前に聞いた、ゲームのグラフィックのことを思い出しながら言った。
「そうね。そういう意味ではこういったゲーム会社のGPUの使い方と、私たちみたいな科学計算にも協力し合うメリットがあるって訳。ほら、昨今の仮想通貨ブームでGPUの値段が上がってるし」
「仮想通貨、ブロックチェーンですか。実は……」
大悟は大場に新しいLczの事を話した。
「ふうん。そっちはそんなことになってるのね。量子コンピュータによるハッキングね。本当ならおもしろくも恐ろしい話だわ。それで、貴方はどう考えてるの」
「全く知識が足りないんで、情報収集に徹してるつもりなんですけど。……何というか、えっとイメージで良いですか」
「ええ、いいわよ」
「量子コンピュータはちょっと大げさすぎるかなって。だって、Lczはコンピュータセンターに存在してるわけで、そのセンターは通常は普通のコンピュータとして働いてるわけじゃないですか」
「なるほど」
「それで一つ質問なんですけど……。電子のスピンって言うんですか、それを使った技術って量子コンピュータの他に何が考えれるんでしょうか」
丁度良い機会だと、大悟は大場に質問した。
「あくまで、技術的、つまり応用的な観点で良いのね」
「はい。むしろそちらでお願いします」
大悟の質問に、大場は顎に手を当てた。
「うーん、そうねえ。現時点での技術でギリギリ手が届いているのは、スピントロニクスによるメモリかしらね」
「スピントロニクス、ですか?」
覚悟はしていたとはいえ、新たな専門用語の登場である。
「ええ、簡単に言ってしまえば電子のスピンをコントロールすることでビットを記録する技術ね。ハードディスクなんかの磁気記録媒体なんかもそうなんだけど、いま実用化が進んでいるのはメモリ関係で……」
大場は胸のポケットからメモ帳と取り出すと、簡単な模式図を書いた。電子に矢印が重なり、それが0と1を指している。
「つまり、スピンの上下をビットの0と1に割り当ててる。って事ですか?」
「ええ、基本的に扱っているのは古典ビットね。電力効率なんかで既存の技術に比べて大きな優位性があるから、注目されてるわ」
大場は頷いた。
「電力効率……。コンピュータをエンジンとしたら燃費が良いって事ですよね。つまり、無駄な熱の発生が起こらないって事ですか」
大悟は春香の講義を思い出した。
「ええそうよ。コンピュータセンターは冷却にも大量の電力を使うから、熱の発生が少ないってことはそういう意味でも価値があるわ」
◇◇
「「はぁ」」
教室にデュアルでため息が響いた。ちなみに、一つは大悟の物だ。大悟は収集した情報を整理しようとした。だが、個々の情報が結合を拒むのだ。
コインの裏表、回転するコイン、0と1、状態の区別。そしてブロックチェーンにスピン、更に犯人の動機。暗号に、パスワードの破り方。
まるで異なる世界の中の登場人物がごっちゃになっているようなもの。しかも、一つ一つが難しすぎる。
(何というか、本当に分からない情報って本当に繋がらないんだな)
大悟はつぶやいた。これではシナリオにならない。
(まあ、今回はシナリオの雛形はあるわけだから……、一応聞いてみるか)
大悟は箇条書きした情報を手に、もう一つのため息の主、春香の席に向かった。
「えっと、春日さん」
「…………なにかしら」
明らかに、私疲れてますという顔を向ける春香。大悟は怯みながら、春香に自分でも整理できていない情報を伝えようとする。だが……。
「ごめんなさい。九ヶ谷君が言ってることよくわからないわ」
黙って聞いていた春香だが、だんだん困った顔になっていった。
「……だよね。もうちょっと考えて整理してみるよ」
「ルーシアさんが前にいるじゃない。彼女に聞いたほうが良い話題じゃない? あるいは小笠原さん、とか」
最後に春香はそう言った。「いや、もう聞いたんだけど」という言葉を大悟は飲み込んだ。
◇◇
「なんか春香前よりも悩んでるみたいだけど。九ヶ谷、なんとかするって言ったよね。どうなってるの?」
廊下の端で、大悟はまたしても洋子に捕まっていた。
「いや、えっと、参考になりそうな情報を集めてみたんだけど、何というか……」
「この前図書館で聞いたのと違って、なんか根本的に意思疎通が出来てないっていうか、そんな感じに聞こえたけど」
「ああ、なるほどね」
前回は確固たる知識を話すのが春香で、それを結びつけたのが大悟だった。そう考えると、今の自分には基本となる知識が欠けている。説明する側があやふやなのだ。
「えっと、もうちょっと整理してから、もう一度話してみるよ」
「それでなんとかなりそうなの?」
「ま、まあ週末だし。もうちょっと時間を掛ければ……」
大悟は自信なさげに言った。何しろ、多岐にわたる高度な知識だ。むしろ、春香の助けが必要なのは大悟かもしれないというザマだ。洋子は「週末……」と呟いて何か考え込んでしまった。
2018/07/05:
今週の日曜は投稿を休ませていただきます。
来週の投稿は木、日の予定です。
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