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複雑系彼女のゲーム  作者: のらふくろう
第二部『コイン』

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12話:後編 コインとエンジン

「実は私たちもエンジン。地球自体も太陽という熱い部分と宇宙という冷たい部分の間で回転している歯車なの。九ヶ谷君にとって生命とか、地球の生態系とかは意味のあるものでしょ」

「う、うん」

「それも全てエンジンの回転と基本的に同じなの。エンジンがランダムな空気の動きから、特定方向に前進すること。それが意味を持つ行動という関係になる」


 大悟は先ほど自分の脳裏をよぎった認めたくないイメージを口にする。


「宇宙自体がコンピュータってこと?」

「そういうこと」


 春香はにこりと笑った。世界の全てが珍しいかありふれているかの配列に変ってしまった。世界がシミュレーションとかそういう話ではなく、そのままの世界がそのままコンピュータだ。いや、人類が自分たちが作った電子計算機にわざわざコンピュータという名称を与えたことが傲慢だったという話になる。


「これが物理的な意味の定義。どう、この前の私たちの議論。箱の中に意味があるかどうかだけど、どう思う?」


 春香は大悟の顔を見ていった。箱の中に意味なんてない、箱に付いた番号だけが意味だと言った春香の言葉。あの時はある程度自信を持って否定したそれが、全く別次元の説得力を持って彼の前にある。


 大悟は必死に考える。今の一連の話は異様。なのに、全く矛盾が見つからない。驚天動地と言って良い。何しろマクスウェルの悪魔、コンピュータによる情報処理がエンジンを動かすのだ。


 この世界は結局原子で出来ている程度の話ではない。原子という積み木を使った生命や、その生命の進化の果てに出来た人間とその文明。それすら純粋な創作物ではないなら、箱の中には一体何があるというのか……。


 彼の脳内で次々と箱が開いていく、開いても開いても中身は空だ。


(いや、仮に、仮に箱の中の99パーセントが今ので説明出来るとしても……、それが全てじゃない。……何かがあるはずだ)


「…………ごめん。それに関してだけはまだ納得出来ない」


 大悟はなんとかそう言った。今の話で情報、つまり意味のかなりの部分が物理学にされてしまったのは否めない。だけど、大悟にはまだ何かあると思えるのだ。それは感傷かもしれないが、それだけではない。なぜなら……。


 箱の中に何か、わずかに今の話にはない何かが存在している気がする。箱の中は空に見えても、今の彼には見えない【空白】がある。まだ、そう思えるのだ。


「そう。まあいいわ。じゃあ本題に戻りましょう」


 悩んでいる大悟の表情をじっと見ていた春香は、意外にも簡単に引き下がった。彼女なら「根拠は?」と追求してくると思ったのだが。


「今の話を逆に考えると、ガソリンエンジンにしろエアコンにしろ、コンピュータにしろ生命にしろ。何か意味があるように見えること、つまり情報処理をするには必ず珍しい配列、つまり情報を消費する。消費された情報は珍しい配列からありふれた配列へと変化する。この変化が実は熱の発生なの」


 春香が言った。情報重心の方にばかり意識が行っていたが、確かにこの話はルーシアのコンピュータの話だった。熱の発生でセキュリティーを管理するという、情報密室。


「ちょっとまって、今の説明は解らない」

「ちょっと急ぎすぎたかな。そうね、意味のある情報。例えばエンジンによる車の前進としましょうか。これが最終的にはどうなるかというと、地面や空気との摩擦で止まるわよね」


 春香はリップクリームを手に持つと、絨毯の上を転がした。


「う、うん」

「その時、車の前進に使われている方向性を揃えたエネルギー。つまり珍しい配列は、地面や空気のランダムな分子の動き、つまり明確な方向を持たないありふれた配列のエネルギーに変わるでしょ。これが熱だってこと。コンピュータでは情報の消失が起こったとき、つまりメモリの内容を恣意的に書き換えたときには、熱の発生が不可避だと証明されているわ」


 大悟はテレビドラマなどで、車が地面にタイヤの跡を付けて止まるシーンを思い出す。あれは、摩擦熱でタイヤが溶けたのだ。摩擦熱を起こして車が止まる。そんなことまで一連の話に繋がってしまった。


「コンピュータという情報処理機関が動くことは熱と密接に関係し、物理的に厳密な意味で逃れられない。だからルーシアさんの言うPRISON、つまりICC《情報密室》は機能するというわけ」


 つまり、ICCは宇宙の法則によって、破られないことが保証されているもっとも完璧な密室と言うことだ。情報は物理的な存在であり、抽象的で中立の存在ではないのなら、そうなのかもしれない。少なくともコンピュータの中に関しては、彼もそこまでこだわりはない。今日の話から考えると、いささか心許ないが。


「ただ、原理的には可能でも実際に実現するのは現在の半導体の微細加工技術を以ても至難のはずなんだけどね。でも、彼女の説明を聞いて、調べた限りでは確かにそうなってる。一体いつの間にこんなとんでもないブレークスルーがされたのかしら」


 春香が首を傾げるが、大悟に理解出来る話ではない。多分英語と数式てんこ盛りの論文とかに違いない。ところが、そんな大悟に春香は挑戦的な目を向けてくる。


「これで九ヶ谷君も仮説を考えられるかしら。ちなみに私はもう候補があるわ」


 いっそのこともうそれを教えてくれて、この場で敗北で良いんじゃないか。後はそこのベッドに押し倒すなり何なり好きにしていい。それが、彼の結論だった。


「思ったよりも早く終わっちゃったから、少し時間あるね。ゲームでもする?」


 春香はコンパクトミラーとリップクリームのスティックを片付ける。そして、机の上に残ったリバーシの駒を指差した。


「それって、絶対に遊び《ゲーム》じゃなくて勉強の続きになるでしょ」


 MではなくSの悪魔がいる。ついでに言えば、この手のゲームで春香に勝てるわけがない。


(勝てるわけがない……。いや、待てよ)


 大悟の脳裏でこれからやることと先ほどの空白に何かが繋がった。


「……解った。一回だけ勝負するよ」


 大悟は言った。春香は少し意外そうな顔になった。春香が白、大悟が黒をもった。そしてゲームが始まる。ゲーム好きである大悟の尊厳を賭けたゲームが。


「負けました」


 リバーシは、黒と白を交互に打つ1:1ゲームである。だが、その結末は極めて珍しい配置で終了した。つまり、片方が圧倒的に多いという極めて珍しい配置だ。要するに盤面は真っ白である。


 春香は上機嫌だ。だが、大悟は勝負に負けても、ゲームに関して負けるつもりはなかった。今の勝負のおかげで、さっきの空白が少しだけ見えたのだ。


「今の勝負も情報処理なんだよね」

「もちろんそうよ」


 春香は言った。大悟は首を振った。


「じゃあ質問。今僕と春日さんの頭の中で消費されたブドウ糖の量、つまり珍しさはどっちが多いの」

「えっ?」


 大悟の唐突な質問に春香が固まった。


「そ、それはなんとも言えないわ。基本的にそんなに変らないと思うけど……」

「僕もそう思う。でも、盤面は大差だよね」


 大悟は自分が完敗したゲームを偉そうに指差した。情けないがインチキではない。なぜなら正真正銘、彼は全力を出して敗れたのだ。


「この差は、どこから来たの?」

「…………」


 春香の表情が固まった。


「……九ヶ谷君にはまだ難しいから説明してないだけで。ちゃんと理論的説明はあるわ。アルゴリズムのエントロピー、つまりエンジンで言えば燃費の差。同じ量のガソリンを使っても、燃費の違うエンジンが競争したらこうなるでしょ」

「本当にそれが全てなの。じゃあ、エンジンの燃費が改善されていったり、ゲームのプレーヤーがゲームの技術を磨いたりすることは?」

「そこは、……議論があるところだとは思うけど……」


 この結果は春香と大悟がこれまで積み重ねてきた知的技術の差だ。その積み重ねが完全にさっきの情報で説明できるとは思えない。それが大悟の指に微かに触れた空白だ。




「ふふ、放っておけばゲームばっかりの大悟がこんなになるまで……」


 予告通り二度目のお茶を持ってきた彼の母が、勉強に疲れ果てた息子を見て春香をねぎらう。妹だけでなく母も彼を信用していないことが証明されたわけだ。


 ちなみに春香はあの後、ずっと考え込んでいた。今のところ、反論はない。もちろん、納得はしていないだろう。大悟だって、さっきのあまりに曖昧な話でどうこう言うつもりはない。


 ちなみに母に対しては、今日のは断じて勉強ではない「強いて言えばゲームだ」と言いたかった。


「なにかお礼をしなくちゃね。そうだ、お客さんから貰ったものだけど、もし良かったら」


 息子がゲームに付き合わされただけなのを知らない彼の母が、春香に細長いカラフルな紙のケースを渡している。春香は遠慮していたが、最後には根負けして受け取った。

2018/06/12:

次の投稿は日曜日の予定です。

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