11話:後半 インチキ
2018/06/03:
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○○○○○○○○
「私は裏のコインだけを狙ってひっくり返した。これが情報処理」
自らの手で全て表にしたコインを前に春香は言った。その瞳は自分のやったことが正しいと信じている。間違ってもインチキなどしていないというわけだ。
「情報処理……」
確かに何度も出てきた言葉だ。裏のコインだけをひっくり返すのが情報処理だというのは大悟にも納得は出来る。なぜなら、それは人間の判断が関わっているからだ。
「情報処理にはエネルギーが必要なの。例えば……、コインの裏表、つまりビットの操作をしているという点ではあそこにあるコンピュータも同じなのよ」
春香は大悟のゲーム機を指差した。
「あんな感じのグラフィックを写すのも、コンピュータのメモリの0と1の操作」
春香はポスターを指さした。敢えてそう例えた意味はともかく……。
「確かにゲーム機を動かすには電気がいるけど」
ゲームプログラムも、グラフィックなどのデータもプログラムもコンピュータの中では0と1の集まりだ。となると、やってることは今春香がやったインチキと似ている。そう考えるに至ったとき、大悟は背筋が少し寒くなった。
いつもの、例の、あの感覚だ。だが、今回はやけに早い。だって、大悟はまだちゃんとイメージ出来ていない。なのに、今自分が聞かされていることが、ぞっとするような何かだという予感だけが背筋を這い上がってくる。
「私がコインの裏と表を認識するには、私の脳が働かなくちゃいけない。それにはエネルギーが必要で、エネルギーを消費すれば熱が出る。私の体温ね」
春香が自分のそれ、大悟よりもかなり高性能であろう、を差した。
「これの意味するところは?」
「つまり、えっとエネルギーで状態のパターン、つまり情報の確率を操作するのが情報処理ってこと?」
大悟は目の前で起こったことをなんとか言葉にする。自分の言ってることを自分で半分も解っているだろうか。
「その理解で良いわ。珍しい配置を作り出すには、エネルギーが必要。つまり、珍しさ、エントロピーというより解りやすく情報量としましょうか、情報量とエネルギーには明確な関係があるってこと」
「だけど、やっぱりそれって人間あっての話でしょ」
実際に今のは人為的な行為、つまりインチキだ。そこは譲れない。人間の勝手な行為と、中立であるはずの自然。その違いはあるはずだ。
「いいえ、インチキじゃないっていったでしょ。それは情報処理を含めてなの。今の一連の作業で確かに私は無理矢理珍しい、256回に1回、つまり約0.4パーセントの確率を100パーセントにして見せた。でも、私は確率の代償を支払っているの。それも、確率を256倍にするよりももっと、遙かに貴重な確率、珍しさを犠牲にしている」
春香は言った。代償を払っているからインチキじゃないというわけらしい。その代償とは、エネルギーだろうか。いや待て、いまエネルギーと珍しさがトレード出来るという話になっている。
「珍しさのトレードが行なわれた。私と、コインの間にね。生物の教科書はある?」
「あるけど……」
大悟は机から教科書を取った。春香はそれを受け取ると、パラパラとページをめくる。大悟はそれを不安そうに見守る、物理学か何か解らないそれが、突然生物学になるのだ。
「ここを見て」
「呼吸の化学反応?」
「そう、ブドウ糖が酸素と反応して、水と二酸化炭素になる。この過程で原子の種類も数も保存されるわよね。具体的には炭素が6個……」
「う、うん」
暗記させられたが当然すでに忘れている化学式を前に、大悟はなんとか頷いた。
「じゃあ例えば袋の中に炭素と酸素と水素をこの割合で詰め込んで、熱を加えてかき回す。どうなると思う?」
「えっ、い、いや。その化学はちょっと……」
実は物理も生物も地学も、おおよそ春香に比べると何一つなのだが、大悟はそう答えた。
「そんな難しく考えなくて良いわ。じゃあ単純化しましょう。出来る分子はブドウ糖、水、酸素、二酸化炭素だけとしましょう」
「う、うん」
「何が出来ると思う」
大悟はじっと教科書の化学式を見た。
「水とか、二酸化炭素とかが沢山できそう」
「一番出来にくそうなのは?」
「そりゃ、ブドウ糖だよね」
大悟は炭素が規則正しく六角形を作ったこの中で桁違いに複雑な分子を指差した。これが偶然出来る可能性は考えにくい。
「出来にくいどころの話じゃない。ランダムな分子の衝突による化学反応でブドウ糖がたまたま出来る可能性なんて、それぞれの原子を1億ずつ用意してもほぼゼロでしょうね。つまり、ブドウ糖は珍しい原子の配置で、水とか二酸化炭素は珍しくない原子の配置ってこと」
「…………へっ?」
大悟は混乱する。ブドウ糖が出来にくいのは分かる。それはポーカーでワンペアよりも、ロイヤルストレートフラッシュが出来にくいのと同じだ。
トランプのカードを原子に置き換えれば、そしてもし、それがコインの裏表の配置にまで連鎖的に繋がったら……。
「つまり、この反応は……」
春香がブドウ糖が酸素と反応して、水と二酸化炭素になる化学式を指さす。今まさに大悟の身体の中でも、特に脳内で盛んに起きていることだ。
「珍しい配置が、ありふれた配置に変わる反応だってこと。そして、それが私が情報処理を行なった時に頭の中で起こった」
大悟は息をのんだ。頭の中で何かが繋がったのだ。春香の言ってることはおかしい、いや、異様だ。何故異様かというと、おおよそ全く、金輪際関係ないはずの二つ、生物の基本的な化学反応と、机の上のコインの配列を無理矢理結び付けているのだ。
そして、どうして大悟がそれを異様だと感じたかというと、珍しさという言葉でその二つが結びつくことが反射的に理解できたからだ。
「…………つまり」
大悟は机の上のコインを指差した。
「このコインの配置が珍しくないものから、珍しいものに変った時」
つまり、大悟は震える指でコインに触れた。表ばかりの配列は、彼がもし少し力を込めたら……。
○●○●○●●○ → ○○○○○○
「春日さんの頭の中では、珍しい原子配置が珍しくない配置に換わったって言いたいの?」
つまり、
H2O+CO2 ← C6H12O6
「そう、これが珍しさのトレード。私がコインの裏だけを選んで珍しい配置を作り出したことは、珍しさという意味で全くインチキじゃないの。なぜなら私の頭の中にあった原子配列の珍しさが、その情報処理の代償として失われたから」
春香は我が意を得たりという顔で笑った。
「そ、そんなのって。あっ!」
大悟は思わず十円玉を机からこぼした。チャリンチャリンと言う音が鳴った。床に落ちた十円玉は、勝手に表裏半々に戻っている。
「ちょっと、今の音何!? 春香さん大丈夫!!」
コップを乗せたお盆を持って、夏美が飛び込んできた。
…………
「あーびっくりした。なんだ、お金を落とした音か」
「びっくりしたのはこっちだよ。ノックも無しに入ってきやがって」
大悟は妹に苦言を呈した。夏美はフンと顔を背けた。さっきの春香よりも自分の行動を疑ってない。
「いつもごちそうになってばっかりで、申し訳ないわ」
春香が店のクッキーを見て言った。今日は以前理学部の屋上で出したチョコとミルクのチェックのクッキーだ。
その白と黒がさっきの話と結びつきそうで怖い。これは1:1だから珍しくない配置だろうか。それとも、規則的に交互に必ず白と黒が並ぶのは珍しいのだろうか。それを作り出すために、彼の母が情報処理をしたのだろうか。
「いえいえ、兄貴に勉強を教えてもらってるんですから当然ですよ」
今まさに頭を使いまくっている兄を無視して、夏美はテーブルに広げられた教科書を見た。勉強なんて教わっていない、今の話はそんな生ぬるいものではない。大悟はそう思った。
階下からの母の声に、夏美が不平を言いながら戻った。
「いよいよ次は今の話をエンジンにつなげましょう。エンジンは情報処理機関、ううん、情報処理はエンジンなの。まあ、ここまで来れば後はそんなに難しくないわ」
二人っきりに戻った部屋の中で、春香が言った。まだ情報と動力の話があるのだ。
2018/06/03:
来週の投稿は木、日の予定です。




