11話:前半 インチキ
「私は隣にいますから。何かあったらすぐに……。ああ、でも手伝いで下に降りてることもあるし……、そうだ! SNSで定時連絡を!!」
「あの、夏美さん……」
兄の部屋の前で妹がその友人に必死の警告をしている。
「僕の部屋は戦場並みに危険なのかよ」
先に中に入って待っている大悟はつぶやいた。
今回、春香が大悟の部屋に入るという異常事態は、あくまで勉強のためである。例え学校のとは全く関係なく『情報とエネルギー』あるいは『コンピュータとエンジン』の関係という意味不明な内容が予想されてもだ。
もちろん予定では母の経営する店『パティスリー・ド・ラタン』の喫茶スペースを使うはずだった。ただ、あいにくというか幸いというか本日は千客万来であり、とても落ち着いて勉強できる状態じゃなかったのだ。
「今日はウチが忙しい曜日だって解ってて……」
「違うって言ってるだろ」
妹のジト目を大悟は否定した。
「あの、大丈夫だよ。九ヶ谷君のことは安心してるから」
春香が兄妹の間に入り込む。妹はどうやって騙したんだと言わんばかりの目になる。結局、「後でお茶もってくるから。私とママの二回」という言葉を残して夏美は去って行った。
「……狭くてごめんね」
普段使ってない折りたたみテーブルを引き出しながら大悟は言った。どうしても春香の部屋を思い出してしまう。もちろん、彼の背後のベッドも含めてだ。
「ううん……」
春香はじっと壁を見る。その向こうは夏美の部屋だが、彼女の目は壁に掛ったゲームのポスターに向いている。もちろん、高校生にとって真っ当なレーティングだが、女性キャラがいささか肌色成分多めの服装だったり、主人公の首っ玉にしがみついてる幼女がいる。
ちなみに幼女の年齢は250歳である。それを春香に主張しても何の意味もないが。
「……じゃあ始めましょうか」
「もしかして何か気を遣った?」
「いいえ、趣味は人それぞれだから。それよりも、エネルギーと情報の関係、やっと説明できるわね」
そう言いながら春香はカバンを開ける。前半は問題があるが、後半が本音であることは解るのでひとまず安心と言うべきか。これから始まることの方がずっと手強いのだが。
出てきたのはリバーシ盤が二つ。旅行なんかに携帯可能な小さなサイズだ。
「前回の続きからしましょう」
「前回というと、コインで作った文字だっけ」
大悟はさららの地下室のことを思いだした。コインの裏表がモノクロの数字に変化したあれだ。
「そう。今日の話は少しだけややこしいというか、難しくはないんだけど、ちょっと抽象的だし。そこから始めた方が良いと思う」
大悟を戦慄させるようなことを言いながら、春香はポケットから財布を出した。十円玉を8枚出す。数から言ってあらかじめ用意していたのだろう。
「ここにある8枚のコインを空中に放り投げて、でた表裏を考えるの」
確かさららは6枚を使った。まさか十円玉の数で金持ちアピールではないだろう、春香がそんなことをする光景が思い浮かばない。
(リバーシの一列が8マスだよな。何か関係あるのかも)
「どうなると思う?」
「表と裏が半々、4枚と4枚になるかな」
春香が両手で持ったコインを小さく空中に上げ、両手で受けた。そして、それをテーブルに広げる。
○●○●○●●○
見事正解であるが、全く自慢にはならない。
「確率的にはこの割合が一番高い。でも、全部表、あるいは裏になる可能性はある。例えば全部表になる確率はどれくらい?」
「……えっと最初が表になる確率が1/2で、次も表になる確率が1/4……」
大悟は指折り数える。
「多分、256分の1」
大悟は恐る恐る答えた。目の前の丁度半々のコインを見る。まずないというべきか、思ったよりもあり得ると言うべきか。ただ、もしこれが全て表だったら春香の手品を疑うだろう。
「正解。そしてこれが熱力学の第二法則。つまりエネルギーと情報を貫く物理学の基本原理の一つなの」
「へっ?」
大悟は虚を突かれた。今の話と言われても、コインを投げたら表と裏が半々にでる、それだけだ。それはただの偶然、法則と呼べるようなものではない。そりゃそうなるよねという話である。
「えっと、熱力学の第一法則がエネルギー保存の法則だったよね」
「そうよ。それに匹敵する。ううん、それよりも重要だと考える物理学者もいるわ」
「…………」
物理学者が、彼の父のゲーム研究も含むようだが、変なことを考えるのはよく知っている。だが、これはいくら何でも……。
「やってみましょうか」
春香はコインに指を伸ばした。そして、裏のコインを表に返していく。
○○○○○○○○
「どう?」
「どうって……?」
何かの準備だと思っていたのに、春香は全て表になったコインを前に胸を張った。
「256回に一度の確率が今目の前で起こった。びっくりでしょ」
「いや、インチキでしょ」
手品はおろかイカサマですらない。自分の手で裏返せばこうなるに決まっているのだ。大悟にだって出来る。数学も物理学も用無しだ。
「ううん、私はインチキは何もしてない。今日の講義の趣旨からしてね」
春香は試すように大悟を見る。まるでブラフが得意なディーラー並みに自信満々の表情だ。
「…………」
大悟は考える。どう考えてもインチキだが、それ以上に目の前の女の子が根拠のないことを言うわけがないのは知っている。その根拠が彼の日常感覚からぶっ飛んでいるだけだ。ならば今回も……。
この講義のテーマはエネルギーと情報だ。コインの表裏はビットの実例だ。そして、前回の液晶画面の例を考えると、何らかの情報を表していると考えて間違いない。ならば、答えは分からなくてもいい。単に今の中からエネルギーに関わりそうなことを考えれば……。
「もしかして、ひっくり返すのにエネルギーを使ったから?」
春香のさっきまでの動作を脳内でトレースしてから、大悟は言った。
「…………」
「あっ、やっぱり駄目?」
「……半分正解。私はエネルギーを使ってコインをひっくり返した。だけど、それだけじゃない。もしも……」
春香は目をつぶった。自分の部屋のテーブルの向こうで、女子が目をつぶっている。口を開いたら、ある一定の条件でのみだが今はそれ、色々残念になるが目をつぶればもう文句なしの美少女である。
ちょっとエフェクトを掛ければ、さっきのゲームのポスターにいてもおかしくない。
だが、春香は当然大悟の何かのアクションを待っているのではない。その手がテーブルをさまようと、コインを裏返す。
「ランダムにコインを裏返したら?」
もし表のコインをひっくり返したら裏になるし、逆もまたしかりだ。もちろん、確率的にはたまたま裏のコインだけを引き当てる可能性もあるが、それはたまたま表のコインだけを引き当てる可能性と同じだ。
「確率的には五分五分とかわらないんじゃない?」
「そう。この場合、もう一度コインを空中に投げたのとかわらない。つまり、さっき私がやったことは、単純なエネルギーの使用だけじゃない要素が含まれてるって事」
「エネルギーだけじゃない要素……」
大悟は考える。仮に4枚のコインをひっくり返すとしよう。仮に今のように、ランダムに4枚ひっくり返すのと、先ほどのように何らかの”意図”を持ってひっくり返す場合。
その違いは……。
「コインの重さが同じだから、ひっくり返すために必要なエネルギーはどのコインを選んでも一緒、でいいの?」
「そう」
春香は頷いた。こうなれば単に消去法だ。と言うか、春香と大悟の対立点である人の意図vs物理学あるいは数学の話ではないか。
「裏のコインだけを狙ったこと、つまり春日さんの意図が入っている」
「そう、私は裏のコインだけを狙ってひっくり返した。これが情報処理。目の前のこの珍しい配列は情報処理により実現したの」
○○○○○○○○
自らの手で奇跡を成したコインを前に春香は言った。確かにそう言われるとそうだが……。
(でも、それこそインチキって言うんじゃないか?)
普通に考えれば今の春香の言葉こそ、イカサマの告白である。ここが賭場なら、どんな代償を求めても良い的な話だ。




