10話 情報収集
「春日さん。なんで突然あんなことを?」
廊下に出た大悟は真っ直ぐ階段に向かう春香に話しかけた。振り向いた春香はちょっとびっくりした顔になっている。
「ルーシアさんの画面。今回の情報流出の起こった場所だけど。気がつかなかった?」
「画面ってパソコンの?」
確かにさっき春香はルーシアのパソコンに釘付けだった。ゲームの開発中止という話に彼は完全に気を取られていたが、確か世界地図みたいな物が映っていた。
「さららさんのラボで見た弱いLczの発生場所とパターンが似てた」
「それって。今回の情報流出事件にLczが関わってるってこと!?」
「とても偶然とは思えない。とにかく情報を集めないと」
春香は決意を込めた表情で頷いた。インターンは情報源との繋がり、さらら風に言えば貴重なサンプルだ。
(色々納得はいったけど……)
大悟としては春香には頑張って欲しいところだ。彼にとっても文字通り他人事ではないなら、協力を惜しむつもりはない。
ただ、今回みたいな高度なコンピュータの問題に、彼が手を出せる領域はないと思う。前回の生徒会長の話ならむしろ綾の方が協力者としては適任だ。
「今度は負けないわ。私の手で仮説を立ててみせる」
だが、そんな大悟をまっすぐ見て春香が言った。
「仮説はともかく、なんで勝負みたいに言うの?」
「なんでって…………。九ヶ谷君も興味あるでしょ」
「そりゃ、ゲーム項が関わるなら無関係なんて言うつもりはないけど……」
そんな当たり前のように春香に対抗しようとしているなんて思われたら困るのだが。
「そうよね。だから負けない」
繰り返す、大悟にとって春香がやる気であることには別段問題はない。その勝負に大悟が参加すると思ってるわけでない限りだが。
(まずい、早めに釘を刺さないと大変なことになるぞ)
「あのさ。もちろん協力は――」
「それに……」
二年の教室がある二階に降りる階段の踊り場で、春香が立ち止まった。そして、今までいた上の階を見る。
「それに?」
「結城先輩は九ヶ谷君に失礼だった……。九ヶ谷君も九ヶ谷君、私に勝ったんだからもっと……」
「あ、ああ、まあ。でも……」
確かに達也は大悟のことなど視界に入ってなかった感じだった。だがアレはどちらかと言えば大悟が云々と言うよりも、春香のことしか見えていないと言うべきだ。
恐らくだが、良いところを見せようとして逆にこうなったことを相当焦っていたと思う。
「それで、九ヶ谷君は何を言いかけたの?」
春香は大悟に視線を戻した。
「……まずは何をするのかなと思って」
春香の真剣な瞳を受けて、大悟は結局日和った。
◇◇
達也のオフィスから、隣の小規模な開発室に入る。ちなみに達也は本社との調整で外している。どうも社長から呼び出されているらしい。
大変とみるべきか、公私混同とみるべきか……。
「チケット1,3,13……。チェックアウト」
部屋の中にはルーシアがいる。空中に向かってぶつぶつ言いながらその両手が猛烈な勢いでキーボードの上を移動している。
その手がぴたりと止まり、肩が震えた。
「ホッーーデール!!」
大悟達が見守る前で、ルーシアはそう叫んでHMDを跳ね上げた。反り返ったルーシアの金髪。その瞳が大悟達を捉えた。そして、視線をそらした。
「…………日本語ならチクショウー?」
向こうのスラングだったようだ。言われなくても意味は分からないのだが。
…………
「つまり、PRISONの説明をすればいいんだ」
ルーシアは春香の説明を聞いて言った。インターンの仕事として、PRISONによる情報流出のリスクを評価するという趣旨だ。もちろん、情報重心のことは伏せている。
「前回ちょっと聞いたけれど、私たちはコンピュータセキュリティーは専門じゃないから、ある程度基本的なことから押さえたいの」
春香の言葉に大悟としては抗議したい。勝手に一緒にするのは困るのだ。言うまでもなく、春香と違って大悟にはちゃんとした専門知識が”ある”という意味ではない。専門家の専門じゃないという言葉ほど当てにならないものはない。
マラソン選手が短距離は苦手だというようなものだ、素人よりも遙かに速く走るに決まっている。
つまりこの場合は明確に二人ではなく、大悟の方に合わせてもらわなければ困る。だが、大悟に合せていると時間がいくらあっても足りない。
ビビる大悟の前で、ルーシアはゲームのフローチャートのようなものを表示した。一番左に人の形を簡略化したようなマーク。そして、その横に幾つもの四角が並ぶ。ただし、一番右はその四角が直列から六角形に並んでいる。
「これがPRISONの情報の流れなんだけど、情報の流出が起こるとしたらそれぞれのポイントの……」
ルーシアは説明した。要するに、如何に無形の情報といっても、その経路のどこかから漏れるという点は変らないと言うことらしい。
「つまり、ユーザー自身、ユーザーからサーバーまでの経路、これは暗号アルゴリズムかしら。サーバーのプログラムの脆弱性、プログラムが動いている演算装置の脆弱性。最後がサーバーの管理者の悪意、あるいはミス。主なのはそういう所ね」
春香がメモを取りながら言った。ユーザーがパスワードなどを漏らしてしまった。通信をホストのコンピュータに送る間に盗み見られて暗号解読された。
ホストで情報を処理するプログラムに穴が空いていた、あるいは処理するコンピュータチップに欠陥があった。ホストコンピュータやプログラムを管理していた人間がミス、あるいは悪意を持って情報を抜いたと言うことらしい。
ただ、ルーシアが言うにはPRISONのプログラムとそれが動くチップは相互監視のメカニズムと、情報の流れの熱による監視によって普通のサーバーよりもずっと堅牢だという。これがICCだ。
「まずは人為的原因よね。つまりユーザーと管理者だけど。ユーザーはないでしょうね」
「どうして」
大悟は聞いた。大悟の感覚だと素人であるユーザーが一番やらかしそうだ。どんなセキュリティーも本人がパスワードをばらしたら終わりだ。
「情報流出が同時多発に起こってること。それぞれが情報リテラシーの高い組織の人間だってこと。もちろん人間はミスするけど、この数はないでしょ。同じ理由で管理者の線も薄い」
「生体認証で二重に保護されたパスワードであるケースが多い」
ルーシアが付け加えた。要するに、指紋を押し付けながらパスワードを打つみたいな感じらしい。両方があって初めて認証される。
そう言えばESOは顔の形を認証していた。
「そもそもPRISONのICCは管理が自律分散的であることがポイント。管理者が単独でどうこうは出来ない。ブロックチェーンの大きな特徴だから。万が一起こっても、それが起こったことは解る」
ルーシアが言った。
「次は暗号。これが破られていた場合は逆に、影響がこの程度なわけがないわよね」
「そう、この種類の公開鍵暗号を使ってるサイトは沢山ある」
「そうね、普通はそうよね……」
二人が会話を続ける。つまり、この密室というか監獄は、秘密の言語で会話がなされていて、それを知らない人間にとっては会話の中身は解らないという事らしい。
春香の専門じゃないは何だったのかと思いながら、大悟は黙って聞く。一応経路など視覚的にイメージ出来る部分は頭の中に入れていく。それで役に立つとは思えないが。
「となると、プログラムかチップかと言うことだけど……」
「PRISONに不具合は確認されてない。ICCCも。データの流れはチェックした」
ICCCというのはICCチップつまり情報密室専用のコンピュータチップらしい。
「PRISONはともかく、ICCCのそのデータの流れのチェックは本当に完全と言えるの? 熱の発生でチェックって言っていたけど、原理的にはともかく、実用化はもっとずっと先だと思ってたけど。如何に最近のチップが原子数十個のレベルで動いていると言っても、ノイズの方が強いはずよ」
「そこもPRISONの大きな進歩。S.I.S達の貢献で画期的な進歩が生まれたの。もちろん、チップ自体が液体窒素の中でって条件だけど…………」
「それだと膨大な電力が…………」
「だから、ICCCの設置場所には……」
ルーシアが世界の電気料金とICCCの置かれている場所を地図に示した。二人の会話はどんどん緯度を上げる。
大悟はそろそろ限界だった。訓練無しで、知的な極地に赴かされている。
…………
「へ、へえー。虚数ってコンピュータの画像処理にそんな風に使うんだ」
「そうだよ。複素平面は画像の回転、拡大いろんな事に使える。一つとして扱える二つの座標、それが虚数」
ルーシアが大悟の目の前で、画像を次々に変化させていく。二人の説明を聞いていることに疲れた大悟に、終わった後ルーシアがゲームのプログラムのことについて教えてくれたのだ。
「んっ? HARUKAと違ってDAIGOは詳しくないの」
「いや、文系なもんで……」
どうやら途中から大悟がついて行けなくなっていたことに気がついたらしい。
「ふうん……。とにかくこの複素平面上の各点の移動をプログラミングで操作するときに、便利だってこと」
「複素平面……えっと」
「九ヶ谷君。私が夏休みの課題の時教えたでしょ」
「あ、ああそうだった」
あの担任の抜き打ちテストの問題だ。確か、普通の数が数直線、つまり直線上に並ぶのに対して、複素数つまり数字+虚数は平面上に対応するとかいうやつだ。要するにa+biという複素数。つまり普通の数字と虚数の組み合わせがあったらそれが(a、b)となると言うこと。
なんでそんなことをするのかは大悟の理解を超えるが、それにより画像の縮小拡大、回転などが簡単に処理できるらしい。
「ORZLだって平面なんだから、虚数の概念は重要なツールなのよ」
春香は何故か不機嫌そうにいった。大悟は数学準備室で担任から抜き打ちのテストをされたときのことを思い出した。後から調べたら、複素平面は高校三年生の内容だった。
◇◇
情報セキュリティーと数学からなる普通の授業よりきついインターンが終わった。コンピュータとの対話に戻ったルーシアを残して、春香と大悟は帰り道を歩いていた。
ちなみにこのインターンは行きは生徒達を学校のマイクロバスが運ぶのだが、帰りはそれぞれ帰宅だ。おそらく、行きにサボるやつが出ると学校の信用に関わるのだろう。
さっきから春香が大悟の方をちらちら見る。大悟の方は周囲からのちらちらに気が取られている。春香と二人で歩いているといつもこうだ。
「……今のところ九ヶ谷君の仮説はどうなってるの?」
春香が口を開いた。
「……あるわけないでしょ」
「えっ? 考えてたんだと思ってた」
「なんで驚くのかに驚くよ。僕にとっては考える以前の問題」
まるで黙っているけど、実は答えを見抜いている探偵みたいに扱われても困る。大悟の立場は解らないから台詞が割り当てられていないモブなのだ。
道行く人たちもそう言ってる。だが、春香はそう思っていない。
「…………」
「えっと、まず根本的にさ。情報とエネルギー、今回の場合は熱だっけ、の関係が解らないとPRISONのプログラムとチップ、それとICC、えっと情報密室だっけ、がどうなってるか解らないじゃない」
春香の視線に耐えかねて大悟は言った。あくまで感覚的な理解だが、春香はヒューマンエラーが犯人だと決めているルーシアと違い、コンピュータ処理の部分に疑いをもっていた。
それは当然、春香がLcz、つまり物理法則が変わり得ることを想定しているからだ。そこまでは解る。だが、それ以上のことはまだレクチャーが終わっていない。
それに、意味の物理的定義を巡る争いもだ。
「そうだったわね。そこをちゃんと説明しておかないとフェアな勝負にならないわ」
「……いや、そういう問題じゃなくてさ」
「そもそも勝負してないよ」という言葉を大悟は飲み込んだ。
「明日はインターンがないから放課後にしましょう。情報とエンジンの関係を基本から教えてあげるわ。場所はどこにする?」
春香はにこりと笑った。大悟は妹が春香を連れてこいとしつこかったのを思い出した。
2018/05/27:
来週の投稿は木、日の予定です。




