9話 配置転換
「九ヶ谷、結城先輩が生徒会室に来てくれって」
洋子から唐突にそう言われたのは昼休み。購買のサンドイッチの最後の一つを口に入れた後だった。
横には春香がいる。周囲に小さなざわめきが走った。大悟は思わず教室を確認した。同じインターン先の別チームの四人に動きはない。ただ、留学生は教室には居ない。
◇◇
「…………聞きたいのは技術的なことじゃなくて。いや技術と言えば技術だが、PRISONの安全性をどう説明するかなんだ。場合によっては別のフレームワークの採用を考えないと……」
「PRISON以上の分散台帳技術なんてどこにもない」
「だからそれを決定権者に説明するには……」
一度も入ったことがない、三階の生徒会室の前。ノックの拳を上げた大悟は言い争いの声を聞いた。片方は生徒会長にしてフェリクスのパイロットプロジェクトのコンセプターである達也。もう片方はそのフェリクスに技術顧問として雇われているルーシアだ。
本当にここは学校か疑わしくなる。
ドアをノックして返事を待って入る。室内には達也とルーシアだけ。二人はノートパソコンを挟んで対峙していた。
「ああ、来てくれてありがとう。実はインターンの件で知らせておかなければいけないことがあってね」
達也は肩をすくめた。前回、彼のオフィスで見た自信満々の雰囲気に陰りが見える。
…………
「配置転換ですか?」
「申し訳ないけどそうなんだ。君たちも知っているかもしれないけど、海外でPRISON絡みの大規模な情報流出事件が起こった。そのあおりで僕のプロジェクトはいろいろとゴタゴタすることになってね」
どうやら情報流出事件はしっかり響いていたらしい。大悟は綾から見せられた製薬メーカーの株価を思い出した。もちろんまだテストの段階のフェリクスにそういった影響はないだろうが。
それでも無関係とは行かないらしい。
「この状況だと将来に向けた学習としてのインターンの趣旨に反する。だから、君達にも他の四人と同じ様に、開発中の新作タイトルのチームに移ってもらったほうがいいと思ってね」
最初からそんな特殊なチームに巻き込んでおいて、思わずそういいたくなる。だが、それよりも大悟は気になったことがある。
「ESOはどうなるんですか」
いろいろと言いたいことはあるが、可能性自体は感じていたのだ。実は、大悟にはゲームについての意見もいろいろと浮かんでいた。もちろん経済がらみの話ではなく、あの噂のシステムを使って、プレイヤーにいわばゲームマスターの役割を、とかだ。
「最悪、開発中止だね。旧作のリソースを借りたパイロットとはいえ、少なからぬ社員の時間を拘束しているからね。将来的にリスクしかないならフェリクスとしてはそういう決断になる……」
「な、なるほど」
「春日くんには恥ずかしいところを見せるね」
「生徒会長自身はどうするんですか?」
達也は春香に言った。春香の顔が厳しくなった。”学校”では珍しい。
「ん? もちろん、正式な決定が下るまでは粘るよ。ゲームと現実の二つの世界をつなげる、そのビジョンを諦めるつもりはないからね。ははっ、これも経験というやつだ。実は……」
達也はもう一人の女生徒に手の平を向けた。
「今もルーシア君にPRISONの情報流出との関係を聞いていたところなんだ。技術的な意思疎通に苦労してる。自分が急ぎすぎたことを自覚しているよ」
言ってることはいちいち謙虚だが、ルーシアを見る視線にはわずかに険がある。
「PRISONに欠陥なんてない。流出は他の原因」
ルーシアが言った、達也の顔がはっきり苦いものになった。
「僕の立場だとそれを説明できないといけないんだよ。そのための根拠を聞いてるんだけどね」
「だから説明してる。ログを見たけど、情報流出時のPRISONのプログラムは完全に機能している。侵入の痕跡もなにもない。つまり、情報流出の原因の第一候補はヒューマンエラー」
「ほぼ同時に複数の、それもセキュリティーの管理に気を使う組織で流出が起こったんだよ。共通点はPRISONをフレームワークとして使っていたことだけだ。ブロックチェーンのプログラム自体の信頼性は高いと言われているのは知っている。でも、プログラムを作るのは人間だし、バグのないプログラムはないよね。それに、君はPRISONが走るチップの方は専門ではないと言っていた。チップの設計に欠陥があったらどうする」
「チップの動作もS.I.S.に確認した。チップに異常はない、動作記録からも不具合は出ていないって言ってる。私達のメンバーもいろいろ、それこそダークウェブの情報まで調べたけど、例えば侵入のためのコードなんかも出てない」
ルーシアが言った。春香が彼女のノートパソコンを見る。世界地図とその横にチャットの文字列が流れている。
当たり前のように英語、そしてプログラム言語らしいものが混じっている。
「と、専門的なことを言われてもね……」
達也は困った顔になる。そして、時計を見て思い出したように春香に向き直った。
「とにかくそういうことだから、今日のインターンから春日君達には普通のプロジェクトの方に移ってもらえるかな。はは、申し訳ないね」
面目なさげに達也は言った。その目は春香しか見てない感じだ。ちなみに春香はルーシアのパソコン画面を見ている。
大悟としては微妙に居心地が悪い。まあ、状況からして仕方がないかと大悟が頷き掛けたとき……。
「よろしければ、インターンの業務として今の情報流出の話を分析してみましょうか」
ルーシアのノートパソコンを覗き込んでいた春香が意外なことを言い出した。
「えっ!? しかし……」
「私には情報理論とサイクルコンピュータについて多少の知識はありますし」
春香はそういったあと、手のひらを大悟に向けた。
「九ヶ谷君にはゲームの知識があります。ルーシアさんの話を聞かせてもらえれば、結城先輩にも分かる形にまとめることも出来ると思います」
(えっ、なんで巻き込まれにいくの?)
達也の目がさっきまで存在そのものを忘れていた大悟に向いた。その瞳にはこれまで見てきたような柔和な色はない。
「本当に出来るのかい」
不信とその他いろいろな感情がこぼれそうになっている上級生の瞳が大悟を見る。
(いや、まず無理ですけど……)
「結城先輩はあまり評価していないみたいですけど、彼は厳密な理論を適当……大雑把…………。えっと、そう、柔らかく噛み砕くのが上手なんです。今まさに会長が求めている能力ですよね」
大悟がお断りの言葉を考えている間に、春香は勝手にハードルを上げていく。達也は苦渋の表情で考え込む。さっきよりも更に居心地が悪い空気が大悟を取り巻く。
ずっと後ろで黙っていた洋子も何が起こってるのかという顔だ。
そして、昼休み終了の予鈴がなった時、達也はあきらめたように「それじゃあお願いしようかな」と言った。
春香の後に付いて生徒会室を出ながら、大悟は突然の展開に首をかしげる。一つだけ解ることは、どうやらこのインターンも普通じゃ終わらないらしい。




