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複雑系彼女のゲーム  作者: のらふくろう
第一部『物理学の爆弾』
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5話:後半 ゲーム項

「それで、九ヶ谷くん達はどうしてここに?」


 立ったまま彼を見下ろす春香の言葉に、大悟が固まった。


「あっ。やっぱり知り合いだったんだ」


 やっとテーブルに戻ってきたさららが言った。「立ち話も何だから」という微妙に間違った日本語のさららの手招きで、春香が渋々席についた。長方形のテーブルに部屋にいる全員が揃った。右側に大悟と綾、左側に春香とさららだ。


 いつもは隣にいる美少女と正面から向かい合う配置だ。


「さららさんも人が悪いなあ。大学の先生ならそう言ってくださいよ。てっきり女子大生さんだと思ってましたよ。あっ、さらら先生って呼ばないとダメですね」

「あはは、さららでいいよ。非常勤講師なんてアルバイトみたいなものだし」


 綾とさららのやり取りに、春香の顔が歪んだのが見えた。


「それで、三人は?」

「同じ高校の同級生です。こっち……の人はクラスメイト」


 春香が言った。「こっち」という言葉もだが、クラスメイトでしかないと聞こえる。いや、事実その通りだ。大悟と春香はただのクラスメイト、強いて言えば席が隣。彼が一方的にあこがれているだけ。


 それ故に春香の言葉の冷たさは彼には恐怖だ。クラスメイトという立場すら危うくなっている。温厚で人当たりの良いクラスのアイドルが、見たこともない様な冷たい態度をしているのだから。


「それで、二人はどうしてここに?」


 春香は不信に満ちた声で再度尋ねてきた。どう考えても大悟達がここに現れたことを不審がっている。実は驚いたのはお互い様なのだが、それを口に出来る雰囲気ではない。


「春の先核研の事故に興味あって調べに来たらしいよ」

「あり得ません」


 さららの言葉を春香が瞬時に否定した。確かにあり得ないなと、大悟は思った。本来なら綾のブログの雰囲気作りのための写真の題材だ。


 だが、大悟は少しだけかちんときた。あり得ないというのなら、大学の怪しい地下研究室にいる女子高生はもっとあり得ないのではないか。


 それに、即答だった。いつもの一拍おいてから答える、気遣いの出来る彼女はどこに行ったのか。


(いやいや、ちがうだろ)


 彼にとって不味いのは今の状況だ。春香は大悟を疑っている。隣の席の男子生徒が自分の秘密の活動先に突然現れた。警戒しない方がおかしい。そう考えると彼女の硬い態度も説明が付く。


 春香のストーリーでは大悟の役割は何か。一番可能性が高いのは、そうストーカーだ。


 誰にも好かれるクラスのアイドルをストーカー。教室は針の筵になるだろう。最悪学校に彼の居場所がなくなる。


 恐ろしいのは100パーセント冤罪ではないことだ。何しろ、彼が綾に付き合った最大の理由は、春香の秘密情報という餌に釣られたからだ。


 その秘密は恐らく今の状況に関わるに違いない。そう言えば、ドアが開いたとき春香は同じクラスの大悟よりも、綾の方を先に認識した。


(まずい、絶対に不味い)


 大悟は隣の綾をちらっと見た。だが、綾はスマホを弄っている。


 説明は従犯のはずの彼にゆだねられている。大悟は必死で考える。ストーカールートと事故の秘密の追求者ルート、どちらも彼の本意とは言えないのだが、どちらがマシかと言えば決まっている。


「えっと、確かに春の事故には興味はあって……」


 必死に春に事故を知ったときに集めた情報を並べる。最先端の実験施設での事故が珍しかったこと。原因不明であることに好奇心をそそられたこと。放射能が漏れたとかの噂が気になっていたこと。そして、最近になって事故原因が未だ不明だと知ったこと。


 一番の理由は言わないが、知っている事を並べていく。少なくとも、街に住むほとんどの人間よりは詳しいはずだ。


「クラスメイトくん。ダイゴでいいよね。ダイゴはこう言ってるけど」

「信じられません。どうして理解できるはずもない研究施設の事故を今更調べるの。九ヶ谷くん文系志望だよね」


 「あなたも文系志望ですよね」と言いそうな口をしっかり押さえる。


「ああ、それはちゃんと理由があるの」


 綾が口を開いた。


「大悟は私の目的に便乗しただけ。そして、私の目的はこれ」


 綾は自分のスマホをテーブルに置いた。そこには書きかけのブログがあった。名門香坂理科大学学食潜入記(仮)というタイトルの、記事と言うよりもアウトラインが書かれている。


「見せてもらって良い?」

「どうぞ。ただし、私の目の前で操作してね」


 綾の言葉に春香は頷く。少し考えて、スマホの上を指を走らせる。画面が切り替わり、記号だらけの表示になった。Htmlと言うやつだろうか。


「作成日が三日前……、最新のログが今日のホームルームの時間……」


 なんで一瞬でそんなことを読み取れるのか。大悟の疑問を尻目に春香はじっと画面を見る。


「間違いない。でもこんな偶然……」


 春香はまだ納得していない。何しろここは学食ではない。


「偶然じゃないよ。私たちはここに来る予定なんてなかった。ううん、ここの存在すら知らなかった。ここに来たのは、さららさんに声を掛けられたからだし」


 綾がさららを見ていった。


「そうなんですか」

「だって、春香と同じ制服の子がいて、先核研の話をしているんだもん。ほら、相互作用しそうな二つのノードを見たら、近づけてみたくなるじゃない。何が起こるのかなって」


 この状況を作り出した元凶はあっけらかんと言った。


「そういうこと。私たちは先核研の周りをちょっと見て、学食に行こうと思ってたの。そこにさららさんが声を掛けてきて、ここに連れてこられたってわけ」


 綾は言った。


「……本当に偶然」


 春香の目が左右に動く。まだ完全に信じてはいないのだろう。だが、綾の言葉は”一応”全て事実だ。


「さて、今度はこちらの質問ね。二人の関係は?」


 綾は手帳を取り出して言った。攻守交代に春香がうっとたじろいだ。だが、疑ったことの罪悪感からか、渋々という感じでさららと自分の関係を説明する。


「……つまり、さららさんは美術の勉強でオランダに留学してた春日さんのお姉さんの友達で、オランダの大学で飛び級で博士号を取得した理論物理学者さん」


 春香によるさららの紹介を聞いた後で綾はまとめた。この若そうな大学教官は実際に若く、なんと21歳だという。さららのことを語る春香の言葉は後半になるにつれて、どんどん熱くなり。言ってる内容は全く理解できなくなった。万物理論、多宇宙、余剰次元の幾何学。


 成績に天地の開きがあるとは言え、同じ高校生の言葉が理解できない。まるで昔父の言葉を聞いたときのように。


「つまり、さららさんは唯一現代でも実証可能性のある万物理論の提唱者。普通万物理論は検証しようとしても人間に実現可能な温度と圧力では何桁も足りない。理論が正しいかどうか実験できないの。でもさららさんの画期的な理論はその現代物理学の最大の壁を打ち破る可能性を秘めている。それに、数学の芸術とも言える美しい方程式は……」


 春香の言葉は続く。さららが天才かどうかはさておき、大学の先生の研究内容が理解できないことは大悟にとっては不思議でも何でもない。不思議なのは春香がそれを理解しているらしいことだ。彼女は文系志望ではなかったのか。いや、仮に理系志望としてもそういうレベルの話ではないのでは……。


「じゃあ、春日さんはなんでその天才科学者さんのところにいるの?」


 大悟の疑問に綾が切り込んだ。さららの研究を賞賛していた春香が一瞬で黙りこくった。


「ハルは私の研究に感動したから、弟子にしてくれって来たんだよ。いやあ、高校生であの解を自分で導出出来るって言うのはちょっと感心だよね」


 さららの視線がホワイトボードに向かった。まさか、春香はアレが理解できるのだろうか。春香は「まだ初歩の初歩だけです」と照れている。


「つまり、押しかけ弟子?」


 綾の時代がかった単語に春香は小さく頷いた。つまり、春香は将来科学者になりたいということなのだろうか。彼女のイメージと全く違う未来計画に大悟は驚いた。


「……出来れば私がここにいたことは学校の皆には言わないで欲しいの」


 春香はバツが悪そうな顔で大悟と綾を見る。科学者志望というのは彼女にとって知られたくないことらしい。教室のイメージとは全く違うとはいえ、恥ずかしがるようなことではない気がするが、春香にとってはそうではないらしい。


「さっき疑ったから……ばらすの」


 犯罪容疑者を糾弾するさっきまでの表情とも、さららの信奉者の熱い言葉でもなく、脅迫者に怯えるような瞳で春香が尋ねた。


「いや、そんなことはしないから!」


 大悟が慌てて否定した。正直、秘密を握ったなどという感覚はない。怪しい女性科学者に師事していることは心配と言えば心配だが、姉絡みと言うことは家族も知っているのだろう。


 綾も頷く。春香はほっとした顔になった。


「話は付いた? じゃあ始めよっか」


 高校生男女の会話が途切れたところで、さららが言った。


「始めるって、何をですか?」

「だから、先核研の事故原因の話、聞きたいんだよね」


 さららが言った。確かに、そういう話だった。春香との再会があまりに衝撃的で頭から飛んでいたのだ。


「さららさん。時間の無駄です。九ヶ谷君、小笠原さんも、先核研の事故の原因は二人に理解できる物じゃないわ。あきらめて帰った方がいいと思う」


 少しだけしおらしかった春香が、一転してさっきの態度に戻った。その態度は、無知な者に真実を説く人間のものに見える。言葉も辛辣だ。「あり得ません」「信じられません」に続いて「理解できる物じゃない」だ。


 大悟が春香を見ると、彼女は口に手を当てた。


「ハルはこう言ってるけど、どうする?」


 さららが聞いてきた。大悟は迷った。実際、彼もこの先にある話は絶対理解できないだろうなと思っているのだ。春香の言葉に従ってここを出るなら、名目だった事故への興味を疑われることもない。


 だが、まるで無知な一般人に親切で忠告しているという春香の態度が、彼の科学コンプレックスを逆方向に刺激した。


「えっと、話だけでも聞きたいです……」

「じゃあ九ヶ谷君。あれ、理解できるの?」


 春香はホワイトボードを差した。一面に並ぶマジックの跡。彼にとっては数式ですらない記号の羅列。細くて白い指先はその中心に一際大きく書かれた一組の記号の塊に向いている。


 理解できるわけがない。というか、アレを理解できる高校生がいてたまるか、と彼は思った。これを理解できなければ話にならないと言われたら、引き返すしかない。


 大悟はおぞましい呪文から目をそらそうとした。だから、それが目に入ったのは偶然だった。見覚えのあるラテン文字の並びを見つけてしまったのだ。


 それは大きく二つに分かれた数式? の一番右にぽつんとくっついていた。δ(デルタ)θ(シータ)がまるで両目のようで、その間のλ(ラムダ)が鼻、横にくっついたψ(プサイ)が矛のような、顔文字のような並び。

 そして、分母? の下の記号も……。それは父の書斎のホワイトボードに何度も書かれていた記号の並びだった。


「んっ? ゲーム項に興味があるの?」


 さららの口から出た”初めて聞く単語”に大悟は驚いた。父は自分を”ゲーム”の研究者だと言っていたのだ。

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