5話:前半 チュートリアル
「一つ前のオーソドックスって感じだな」
見渡す限りの新緑の草原が風に揺れ、近くの小川のせせらぎは涼しげな音を立てる。少し離れた場所に石壁に囲まれた街があり、土をならした道がうねうねと続いている。街の奥には小さな山が見える。
「これからどうすればいいのかしら?」
隣に現れた春香が聞いてきた。表情は平然としているが音声から少し戸惑った感じが伝わる。その手はリレーのバトンのようなものを弄んでいる。
「九ヶ谷はこういうの詳しいんだから、しっかりエスコートしなさいよ。……まあ、あそこに見える町に向かうしかないと思うけど」
最後に現れた洋子が先端に輪の付いた杖を大悟に向けた。
「普通に考えてそうするしかないよな」
大悟は試しに抜いていた剣を鞘に戻して言った。
「衛星が二つあるのはともかくとして、あの軌道はおかしくないかしら?」
天空に浮かぶ赤と青の月を見上げて、春香が不満げに言った。
つまり、彼らが今居るのは地球にして地球ではない。フェリクスのパイロットプロジェクト『Emergent Sphere Online』略してESOの世界だ。
◇◇
昼食後、学校のマイクロバスに隣町まで運ばれた大悟達は、駅近くのビルの前で降ろされた。一階のコンビニの横にあるエレベーターに乗り込み、二階の保険会社の事務所をスキップする。三階でドアが開くと、畳1枚ほどもある剣と魔法の描かれたポスターが迎えた。
その奥には漆黒の壁に囲まれたフロアに、多くの画面が光っているのが見える。
ここはフェリクスの第四開発スタジオ。今日から大悟達がインターンを行う舞台だ。
開発チーフだという髭の四十男と自己紹介を交換した後、奥に進む。灰褐色の机が並び、それぞれの机の上には二つのディスプレイが置かれている。一心に作業をしてる開発者達の肩越しには、片方にポリゴンなどのグラフィック、もう片方にプログラムらしい横文字の列が表示されている。
あるディスプレイには不定形の粘液生物のグラフィック。別のディスプレイには装飾が凝らされた宝玉付きの巨大な剣。その隣の机には三角フラスコに入った蛍光色の液体が表示されている。
プログラムはわからないが、それらのグラフィックはとても美麗で、見ているだけで引き込まれそうだった。
一周回って壁際まで来た時、大悟は思わず足を止めた。人間が一人横になっていた。そのままキャンプもできそうな分厚い寝袋に、立体的なアイマスクを装備して眠っている。HPとMPを回復しているのだろう。
チーフの机に案内され、今見た画面の意味について簡単な説明を受けた。巨大で高度なゲームが、グラフィックスとそれを動かすプログラム、そして膨大なデータリストで作られていることが、開発エンジンの画面上で示される。
その後、大悟達は会議室のような部屋に移動した。
「今日は初日ですし。こういったゲームの事をよく知らない人もいるでしょうから、開発中のタイトルのテストプレイをしてもらいます」
ボサボサの頭をかきながらそういった男は、ヘッドマウントディスプレイが積み重なるように入ったダンボールを大悟達の前に置いた。
「もちろん、遊びではなくきちんとした仕事です。貴方達には、プレイ後にユーザー視点から意見を出していただきます、そのつもりでプレイしてください。二つタイトルがありますから…………二班に分かれてもらいましょう、えっと」
男は手帳を取り出して、それをじっと見た。
「菅谷さん、大野さん、内田さん、そして大竹さんは先程見てもらった新作タイトル『フェリックス・サーガ』に開発主任である私が担当します。そして……」
男は手帳と残った大悟達の顔を見比べて、
「残りの三人、近藤さん、…………九ヶ谷さん…………春日さんはパイロットプロジェクトであるもう一つのタイトルをお願いします。担当者は今外していますのでプレイ後に紹介します」
先程見た最新のゲームを体験できると身構えていた大悟は拍子抜けする。手元にはプレゼン資料を印刷したものが配られるが、先程見たのに比べてグラフィックという面で見劣りする。
(というか、これ確か二年前に出た前作の使い回しじゃないか?)
HMDを持った大悟達はネットカフェのようなブースが並ぶ部屋に入った。
◇◇
テストプレイを始めた大悟達がまず受けた洗礼は、ブースに設置された両眼赤外線カメラによる顔認証だった。
――ゲーム内口座と生体データが紐づけされました――
口座という言葉に首を傾げていると、キャラクターデザインの画面が開く。現時点では職業選択のみのようだ。
こうしてESOの世界に入った大悟達は、スタート地点の草原から徒歩で移動して、最初の町にたどり着いた。
街と言っても近づいてみればかなり大きく、石畳の道と建物はヨーロッパの観光都市のようだ。街路を歩く大悟は二人を見る。
顔認証でほぼ彼らに見えるキャラデザになっている。すごい技術であるが、それはつまり大悟はそこら辺に歩いているNPCに混じっても違和感がなく……。
(そのままでファンタジー美少女ってずるいだろ)
猫耳のような突起付きのフードの明るい紫のローブを纏う春香は、コスチュームのギャップも手伝って完全にヒロインだった。
「私の職業? は錬金術師なのよね。この色の服だと薬品を調合する時に不便じゃないかしら」
中の人は相変わらずファンタジーの欠片もない。何故か白衣の彼女を見たことがあるが、この世界ならこちら一択だ。
「それで、どうするのよ九ヶ谷」
白い生地に青いラインが鮮やかな法衣の洋子がいった。職業はプリーストのようだ。戦士として前に出ることになりそうな彼としては、戦闘時の回復がいささか心配になる。
「そうだな……基本的な装備はあるみたいだから、情報収集かな」
大悟は露店がズラリと並んでいる空間を指した。マップ上の位置からしてこの都市の中央市場だろう。そこには多くのNPCが歩いている。
おそらくそこら辺に”クエスト”が転がっているはずだ……。
「最初のクエストを探すってことでいいのね」
大悟の考えを代弁するように洋子がいった。「クエスト?」と春香が疑問形でつぶやいている。専門用語に戸惑う春香が新鮮だ。
数学パズルだった海戦ゲームと違って、今回はゲームらしいゲームだ。
三人は手分けして市場のNPCを回ることになった。
『近くの山についてある【噂】があるんだ。詳しいことが聞きたいかい?』
「これだな。【Yes】を選択っと」
『この【噂】のレアリティーは3だ。3ドルマでどうだ?』
「話を聞くのに金が居るのかよ。世知辛いな。レアリティーってなんだ?」
仕方がないので”購入”した噂を見る。アイテムとは別のリストが表示される。
【噂:近くの山でモンスターが増えているらしい】
(レアリティー:2)(スコープ:プライベート)
噂の内容はまさしく最初のクエストという感じだ。取得した重要情報がリストとして表示されるのは珍しくない。だが、付加されているパラメータが謎だ。
「レアリティーが2になってるな。あと、スコープってなんだ?」
大悟は首をかしげる。
「じゃあ、近藤さんも噂を買ったんだ」
「10ドルマもした」
【噂:□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□】
(レアリティー:□)(スコープ:プライベート)
「ごめん見えないんだけど?」
「えっ、私からは見えてるわ。えっと[噂:王都の魔法研究所が魔力の乱れが高まっているって発表した]だって」
「買った人間しか見えないのか、でも口で説明したら同じだよな」
大悟が買った噂も洋子には見えないらしい。
「プログラムならだけど、privateとかpublicっていうのはスコープ、その対象に対するアクセス権の基準なんだけど。それが関係してるとか」
春香がおずおずと口を挟んだ。
「どういうこと?」
「つまり――」
春香が言うには複雑なプログラムは人間の会社のように、多くの部品による分業がなされているらしい。作業する人間だけが知っていればいいパラメーター、つまり外から勝手にいじられるとバグの原因になる、にはアクセス制限がかかっている。
privateというのはその情報の持ち主しか知らない情報。publicというのは誰でも知ることが出来るパラメーターだ。その他にもprotectedとか中間の基準があるらしい。
「なるほど、つまりpublicっていうのはプレイヤーが隠していない情報。privateっていうのは隠してる情報ってことか。じゃあ、このプロテクトっていうのは」
大悟は窓の中の噂を見る。よく見るとスコープは自分で操作できるようだ。
「パーティーの中だけで共有されてるとかじゃない」
「なるほど…………なんというか、鋭いね」
大悟は先程からの違和感を口にした。これも兄と弟のいる影響だろうか。
「は、春香がプログラムの知識を教えてくれたからわかったの。さすが春香。それに比べてゲームオタクなのに九ヶ谷が頼りないこと」
洋子が早口になった。
「もう一つ気になることがあるんだけど……」
春香が市場の中央にある大きな看板のような物を指差した。蛍光インクで書かれた雰囲気の、変動している数字があった。魔法の電光掲示板のようになっている。
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JPY/ドルマ = 103.5
USD/ = 1.114
EUR/ = 1.321
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「ドルマはお金のドルマだよな…………。その横のアルファベットはなんだろう、どこかで見たような気がするけど……?」
「もしかして円、ドル、ユーロじゃないかしら」
「えっ? ああ、確かに……」
夏休み、綾が調べていた為替相場だ。となると、これはゲーム内の通貨と現実の通貨の為替レートということになる。
「なんでこんなものがデカデカと」
大悟は顔をしかめた。もちろんゲームのアバターはそのままだが。ゲーム好きとしてはあまり好ましくない、あるものを思い起こさせられたのだ。
「……とりあえず各人の情報をパーティー内で共有してみない」
洋子の言葉に、大悟達は互いの集めた情報をすべてプロテクトに指定する。リストの中でぼやけていた表示がすべて読めるようになった。同時に、複数の情報が光りだした。
大悟と洋子の集めた情報と、春香が露店でポーションを買った時に聞いたという「ヨルム山に入れなくて、ポーションの原料である薬草が不足している」レアリティー0の情報だ。
大悟がその3つを選択すると、合成されて新しい一つの情報が生まれた。
【クエスト:『ヨムル山の魔力異常』が部分開放されました】
「なるほど、こんな感じなのか。多分、最初のクエストだよな」
ちょっとややこしいなと思いながら、大悟は新しく出現した”情報”を読み始める。
2018/05/03:
先週お伝えした今週の投稿予定は(木)(日)でしたが、間違えて昨日2018/05/02(水)に投稿してしまいました。申し訳ありません。
次の投稿は2018/05/06(日)の予定です。




