4話:前半 コネ
「納得いきません」
「と、とは言ってもな春日……」
「私の採点だと、ぎりぎり足りてるはずです」
水曜日の放課後、大悟と春香は大きな分度器やコンパスの並ぶ部屋、数学準備室で担任教師と向かい合っていた。正確を期せば、対峙しているのは春香で、たじたじなのは教師で、後ろで立ち尽くしているのが大悟だ。
発端はホームルームで張り出されたインターン先の振り分けの仮決定だ。企業毎に男女別で定員があり、2から4人ずつといった範囲だ。
フェリクスは最大で男女4人ずつを受け入れる。そして、第一希望者の数は予想ほど多くなかった。女子の方は定数にも満たない。さらに、女子にそういう風に見られたくない男子も敬遠したのだろう。と言っても、男子の希望者は8人、定員の倍だ。
春香のおかげでなんとか宿題を提出していた大悟は、僅かな希望を持って張り出された紙を見に行った。ちなみに、数学だけでなく他の教科も全部見てくれたのだ。答えは一つも教えてくれなかったから、土日がまるまる潰れたが、彼の独力では不可能なことだった。
さて、春香と洋子は女子の一、二位としてフェリクスに決まっている。女子枠はひとり余っているので、成績の無駄遣いだ。「こんなことならフェリクスにしとけば」と言っている他の男子生徒は置いておく。
「…………」
そして、大悟である。男子の中の5番目だ。男子定員は4名なので単純かつ残酷だがけして高度ではない引き算により、ギリギリ落選だ。
「はあ、春香にあそこまでさせてこれって……」
「ごめん春日さん」
希望が叶わなかったことももちろんだが、春香に申し訳ない気持ちで大悟は落ち込んだ。あからさまなため息をつく洋子に文句も言えない。
だが、春香は何も言わずに、じっと張り紙を見続けている。
「…………この数字、おかしいわ」
そして、大悟を引っ張って準備室に来たのだ。
◇◇
「提出した宿題の採点を見せてください。九ヶ谷君の点数か、私の点数かどちらかが間違っています。私としてはもし自分の点数、あるいは採点が間違っていたら、問題をとき直さないと間違った答えを覚えたことになります」
春香が真面目そのものの表情で担任に言う。彼女が高校数学など、そもそも視界にすら入っていないことを大悟は知っている。だが、知らない教師は明らかにその迫力に押されている。
「……ほれ」
担任が渋々引き出したのは大悟の宿題だ。彼の数学の評価としては考えられない高い数字があった。ただし、その数字に二重線が引かれ、新しい点数が下に小さく書かれている。引き下げられた点数は15点。ちなみに、もしこれが12点なら彼は希望者の中で4位だっただろう。
「提出が遅れたことへのペナルティーだ」
理由を聞かれる前に教師が言った。なるほど、と大悟が納得しかけたが。
「先生は九ヶ谷君の宿題を受け取る時そんなことはおっしゃいませんでした。いいえ、褒めてらっしゃったほどです。さらに、ペナルティーと言うには点数が中途半端ですね。どういう基準でしょうか」
春香が淡々と数学教師の前に論理を並べる。担任の目が明らかに左右に泳いだ。
「だ、大体、九ヶ谷の実力じゃないだろう。春日が答えを教えたんじゃないのか」
教師の目が大悟に向く。春香の宿題を写したと思われているのだろう。
「答えは1つも教えていません。全部九ヶ谷君が実力で解きました」
「な、なら、九ヶ谷。これを解いてみろ」
教師は立ち上がって、準備室のホワイトボードに問題を書いた。いきなり抜き打ちの試験だ。宿題の4問目を数字を変えたもの、一番苦戦した虚数だ。
ちなみにこの場合の苦戦したには、解き方を教えるのに苦労した春香が、という意味と「物理学に置いて虚数は重要だから」という理不尽な理由で逸脱した範囲まで教え込まれた大悟の両方を含む。
怪我の功名ではないが、おかげで記憶に残っている。大悟はなんとかそれを解いた。
「…………」
恐る恐る振り返ると教師が先程よりも困った顔になっている。普通なら不合格の表情だ。
「正解ですよね」
春香が当たり前のように言う。その信頼が辛い。ちなみに、完全に自力で解いた3問目の記憶はもはや曖昧で、大悟に理解させようと身を乗り出した春香の接近が記憶の大半を覆った5問目もやばかった。
くじ運の悪い担任である。学生の頃はテストの山とか当たらなかったに違いない。
「確かに正解だが……」
出題者の立場になった今、引き下がるつもりはないらしい。
「なぜですか。だいたい、今お聞きしてるのはペナルティーの根拠――」
「お前達二人夏休みに噂になってただろ」
担任はいいにくそうに大悟とそして春香を見た。
「その、何だ、先生も単なる噂と取り合っていなかったんだがな。実際……」
こうやって二人揃っている。しかも、学校では基本おとなしい春香が、教師に猛抗議である。しかもそれはインターン先を大悟と同じにするために見える。
「校則で不純異性交遊は禁止されている。いや、疑ってるわけじゃなくてだな」
もうそろそろ自分が出ないと本格的に春香がやらかしかねないと。大悟が前に出ようとした。だが……。
「私と九ヶ谷君の関係は純粋なものです」
大悟は一歩遅れた。春香の言葉は間違いなく”純粋”数学とか”純粋”物理学とかの意味だ。だが、この状況で絶対そういうふうに聞こえない。
実際、担任は唖然としている「えっ、本当にこいつなの。よりによって?」みたいな顔になっている。教師なのにクラスメイト達と同レベルの反応だ。
「ああ、不純云々は言いすぎた。春日はもちろん九ヶ谷もこれまでそういった問題を起こしたことはないしな。大丈夫だと思っているぞ。うん」
目の前の現実を否定するように教師が日和った。
「ただ、ご両親……保護者の方が心配されている。春日は女子だからしてだな、あのような噂をご心配になるのも無理はないだろう」
教師はバツが悪そうにそう口にした。
もちろん大悟の母は心配していない。いや、どちらかと言えば春香を心配しているふしすら……。
こういう場合、圧倒的に女子のほうが心配するのは不思議ではない。だが、あの噂で一番の問題はストーカーの下りだ。それが誤解であることは、別の誤解を生んだとしても、現状が証明している。
さっきから、大悟にも解るほど論理的ではない。これで春香が引き下がるわけがない。
「……つまり、私の家からの圧力ということですか」
春香が言った。小さな声が震えている。さっきまでの強気が消えている。
「い、いや、圧力とかそんな大げさな話じゃない。ただ、どうしても学校にはお前たちを預かった責任があるんだ。それに、親御さんの立場だとどうしても、女子である春日の方がだな……」
「なら、私を外してください。そうして九ヶ谷君を入れれば問題ないはずです」
「ちょっと……それは駄目でしょ」
春香らしくない妥協案も気になるが、流石に乗れない。いくらゲーム制作の場が気になってもだ。
もともと、春香が教えてくれなければ届かなかったのだ。
「男女の定員は別れてる上に女子は定員を割ってる。それに一度発表した段階でそんなこと出来ない。と、とにかく。ちゃんと提出日に出した生徒と、遅れた生徒を同じように評価する訳にはいかない。話は終わりだ」
あくまで遅延ペナルティーと言い張る教師。追い出されるように大悟達は準備室から出された。ドアを閉めるとき、見たこともないほど疲れた担任教師の顔が印象的だった。
そして、最後は大した反論もしなかった春香はもっと気になった。
2018/04/24:
次の投稿は2018/04/27(金)の予定です。




