3話:後半 本物の宿題
「……呆れた、大体合ってる。どうしてそう思ったのか聞いていい」
「えっと、こういったシミュレーションゲームには『マップ兵器』っていうのが出てきてね……」
大悟は今スマホに写っているよりもずっと複雑な、多彩なロボットが出てくるシミュレーションゲームを思い浮かべながら説明した。
兵器というのは効果が大きければ大きいほど、希少性が増す。なんで希少性が増すかと言えば要するに一発打つための費用が高いのだ。その理由の一つがエネルギーの量だ。もちろんゲームにはそんな説明はないが、常識的な判断である。
「なんでそんな曖昧なイメージで正解するのよ」
「いやー、まさか索敵と攻撃がそんなふうにリンクしてるなんてね、はは……」
春香と話しているとこれである、ちょっと気を抜いたら深淵を覗かされるのだ。それがある意味楽しいと彼は感じるようになってきている。
だからといって物理学における、というか情報における”意味”の問題を譲るつもりはないが。
「ちなみに、ある情報の配置を作り出すために必要なエネルギーと、それを検知するエネルギーは比例して。今九ヶ谷くんが言ったようにそれに対する干渉はレーダーの電波であれ、爆風であれ対応しているの。それは昨日言ったアルゴリズムの――」
春香が状況を忘れたように難しい話を始める。大悟が止めようとした時……。
「エントロピーの話カナ」
横から突然声がかかった。慌てて振り向くと、そこには金髪の少女が居た。くりっとした瞳で、顎に人差し指を当てて小首をかしげている。視線の先には大悟のスマホのゲーム画面がある。
「エントロピー?」
突然現れた留学生の突然の発言に、大悟は首を傾げた。
「アルゴリズムのエントロピー」
春香がルーシアの言葉を繰り返す。どうやらセットの言葉らしい。
「プログラミング的な言い方はもちろんできるけど、今話してるのはもう少し汎用的な話。物理的な相互作用一般のことだから」
春香が警戒心を顕にして言った。
「ふうん。オーケー、じゃあ――」
「ルーシアさん。早くーー」
「残念。いかないと。じゃあ、これからよろしくね。HARUKA。えっとあと……DAIGOだったかな」
留学生はくるっと身を翻してクラスメイトの輪に戻っていった。駅前のファーストフードの名前が出ている。放課後を利用して校内の案内でもしていたのだろうか。
「ごめん、今の話が理解できないんだけど」
「ルーシアさんの自己紹介おぼえてないかしら」
大悟は教室の黒板に書かれたルーシアの自己紹介を思い出す。
「え、英語だったね」
string name @= Lucia;
int age @= 17;
……
……
そんな感じの英語の表記だった。あれだけ日本語がペラペラなのに、やはり書き言葉とは違うのだろうか。
「英語じゃないわ。あの文法は確かDap言語のクラスの記述だった」
「Dap? クラス??」
「分散型アプリケーションプラットフォームの略。インターネット上で不特定多数のコンピュータネットワーク上で実行されるプログラムを書くためのプログラミング言語のこと。私には馴染みが薄いけど、確か難解で有名なはず」
「つまりルーシアさんはプログラミング言語で自己紹介したってこと?」
やる方もやる方だが、それを理解する方も理解するほうだなと大悟は半ば呆れる。
「そう、それもコンピュータネットワークそのものをコンピュータとして扱うことに特化したプログラミング言語」
だが、次の説明で春香が反応した理由がわかった。インターネット上で不特定多数のコンピュータを使って実行される世界規模の情報処理、それが作り出した情報の台風に彼らは翻弄されたのだ。
◇◇
土曜日。深夜二時。日本時間。
駅を中心としたビル群。建物の明かりで星の瞬きが打ち消された夜空は逆説的に昏い。暗い夜空に突き出しているこの都市で最も高い居住用建築物。上から数えて二段目の窓からは、暗い室内に夜空の代わりに点滅するいくつもの光点が見えた。
「……【PRISON】次期バージョンの修正をリポジトリにエントリー完了……」
液晶の黒い背景に、無機質なテキストが目に優しいグレイの光を並べる。
正方形を四十五度傾けたような独特の筐体のコンピュータ。それからつながる大型の横長ディスプレイ。
物が殆どない広い一室で電子機器が存在感を誇示している。
彼女はそれを長方形の一体型眼鏡を越して見ながら、十本の指が倍にも見える速度で動かしてる。
メガネに挟まれた金髪、スクリーンを読み取る青い瞳。白い頬が僅かに緩んだ。
「ふふっ、このマンション、セキュリティーは万全だなんて言ってたけど、穴のほうが入り口よりも大きいんだよ。国土と違ってネットに国境はないのに。気楽なものだよ。S.I.S.もそう思うでしょ」
ディスプレイに向かって独り言のように紡がれた言葉。それに反応して、メガネの中にポリゴンキャラクター、しいて言えば猫に似ている、が出現した。アバターはその短い手足を使って身振りをする。
時を置かず、タンスのような筐体のファンの音が増した。
ーユーザーの心理は現実の地形に縛られるー
ー安全な領域では安全確保にリソースを使わないのが合理的選択ー
透過性のディスプレイに短いテキストが表示された。
「リソースの分配に伴う適応進化か。まあ、安全な場所の価値は高い。認める。ウェットすぎるやり取りは苦手だけど」
ー一種の液性免疫、同一性が高い社会に合わせて適応進化したシステムー
「なるほど、そう解釈するのか。S.I.S.は生物学にもこの国に詳しいね。……そうだS.I.Sの言ってた論文原稿の二人、会ったよ」
ーシアの評価は?ー
「引数が足りない上に戻り値の型指定もなし? ……うーん。女の方は確かにわかってるんだろうけど……。でも、男の方はぱっとしない感じだった。どうしてあっちのほうが先に名前出てるんだろ?」
彼女は手でキーボードを叩きながら、口でアバターに答える。曖昧な質問にプログラマーの流儀で突っ込みながら、その口調には親しさがある。
S.I.Sは彼女の最も親しい友人だ。彼女がまだスラムに居た時、教会の援助で運営されている図書館の古いコンピュータのディスプレイ越しに出会った。それ以来、ネット越しにしか会ったことがないが。
最も、彼女の場合は友人の殆どはそうだ。何しろ彼女の交友網は文字通り網状に全世界に散らばっているのだから。
「ORZL。ゲーム項の万物理論への応用か。天才だね。まあ、私はあんまり理論に興味ないけど。原理はどれだけ美しくても食べられないもんね」
彼女が一言しゃべるたびに、指先から生み出される文字列の滝がディスプレイを流れ落ちる。
「うん。仕事の方は順調。まあフェリクスの担当者の理解が浅くて大変だけど【PRISON】のアーキテクチャーは向こうの目的にとっては替えが効かないし……」
少女は自分が打ち込んだプログラムコードを実行する。コンピュータが映し出したのは、遥か彼方のコンピュータセンターの中で液体の中に浸かっている特別製の演算装置だ。顕微鏡精度のサーモグラフィーが切手ほどのコンピュータチップをディスプレイいっぱいに拡大している。
表示されているのは電流ではなく熱の流れだ。脳の血流像に似ている少しコンピュータらしくない映像。
「そう、公開された情報の管理を分散されたデータベースのリストで行うこの方法は……」
ルーシアは彼女が主要メンバーの一人であるコンピュータプロジェクトについて熱く語る。
「よし、情報処理と熱の連動は想定通り。あ、うん、だってそうでしょ。もし万物理論が完成しても宇宙はもちろん、地球は何も変わらない。でも……」
少女の小指が右端の一番大きなキーを叩いた。
「【PRISON】が完成したら世界は変る。くそったれ国家なんか吹き飛ぶくらいにね」
ディスプレイに映る、長方形の一体型メガネを掛けた顔がニヤリと笑った。
2018/04/21:
来週の投稿は火、金の予定です。




