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複雑系彼女のゲーム  作者: のらふくろう
第一部『物理学の爆弾』
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5話:前半 怪しい部屋

 カッーン、カッーン……


 自分の靴音が狭い通路に反響する音を聞きながら、大悟は薄暗いトンネルを所在なげに見た。互い違いに抜けた蛍光灯の光は頼りないし、天井を走る太いパイプには得体のしれない低音が走る。戦前の防空壕もかくやの雰囲気だ。


 夏というのに妙に冷えた空気は、地面より下にあるせいだけだろうか。


 さららが二人を導いたのは、理学部のビルからつきだしたガラス張りのきれいな玄関、へ向かう途中の、苔と黒いシミに彩られた暗い入り口だった。


(明らかにまずいことになってるよな……)


 案内人は一言も喋らず、どんどん前に進む。一歩一歩、取り返しの付かない事態へと進んでいくような恐怖。大悟は隣を見た。


「まさか人体実験とかされないよな」

「何言ってるの。漫画……、大悟の場合はゲームのしすぎじゃ……」


 相棒は未だに好奇心を優先している。いざとなったら彼女の手を引いて走ろう。大悟がそう覚悟を決めた時、目の前の女性が止まった。


「はい、ここが目的地です」


 さららは明るい声で、通路の途中にある鉄の扉をさした。


「……ここですか?」


 さすがの綾も足を止めた。サビの浮いたドアの打ち捨てられた雰囲気。新しいプレートの急造感が強調しているのだから始末に負えない。


 大悟は綾と目を合わせてから、恐る恐る部屋の名前を確認する。


「「吉野……さらら研究室!?」」


 二人の声がハモった。表札にはさっき聞いた女性の名前が掛かっていたのだ。


「じゃ、改めて。私の研究所へようこそ学生さん。約束通りお茶を出します。特別にお菓子も付けましょう」


 固まる大悟たちの前で、さららは扉を開いた。中からあふれた光に、地下道に慣れた目が悲鳴を上げた。そして、機能を保っている耳に……、


「さららさん。この忙しいときに突然のお客さんって。まだお部屋の掃除も十分……」


教室でよく知る声が聞こえてきた。


 光量に合わせて絞った眼に女の子のシルエットが映る。彼女は、聞き慣れた声音と聞きなれない口調で、さららに食って掛かった。大悟は頭が真っ白になった。


「それに、何度言っても名札を付け忘れていっちゃって。あんまりいい加減だとクビになっちゃい……ます……よ……。…………えっ!?」


 さららが「どう、今日の獲物は?」と言わんばかりに大悟たち指さした。女の子の口がわなわなと震えた。


「な、なんで小笠原さん、…………と九ヶ谷くんが」


 少女の手からハタキが落ちた。パタッという音を、大悟は他人ごとのように聞いた。目の前にいるのは少し前に同じ教室にいたクラスメイトだ。どうしても外せない用事があるはずの彼女と、何故こんなところで再会しているのだろう。


◇◇


 自分以外の全員の困惑をよそに、さららは大悟と綾を部屋にまねく。そして、「そこに座っててね」と入り口近くに置かれたテーブルを指差した。体育館の倉庫に積み上げられているようなパイプ椅子と、白くて綺麗な長方形のテーブルが不釣り合いだった。


 言われるがままに腰掛けてから大悟はあらためて周囲を見回した。そこはやはり地下室だった。


 廊下と同じく得体のしれないパイプが走る天井、そのパイプの間に渡された鉄棒から蛍光灯が吊るされている。窓一つ無い壁はコンクリートの打ちっぱなし。錆びたビスがところどころに顔を出し、かびのようなシミが人間の顔のような模様を作る。床にはネジ跡の穴が空いている。棚か何かを固定していた痕跡だろうか。


(倉庫みたい、と言うか倉庫だったんだろうな)


 置いてある家具はまだましだった。頼りない蛍光灯の光を補っているのは四方に置かれた洒落た四角いスタンド。その光を反射するのは、壁際のホワイトボードだ。二つが並んでおり、合わせて教室の黒板くらいある。


(うげっ)


 長方形の一面に、ミミズがのたうったような模様を見て。大悟は慌てて目をそらした。ここが大学であることを今更ながらに思い出す。


 ホワイトボードの前には、二つのステンレス製の机。一つは乱雑な紙の束が重なり散らかりっぱなしになっている。もう一つは天板にノートパソコンだけが置かれ、脇にスクールバッグが掛かっている。


 全てがちぐはぐだ。土曜日の放課後、大学の学食に潜入するというささやかな冒険が、どうしてここまで意味不明な場所に繋がったのか。


 大悟は隣に座る綾を見る。綾は感心したように周りを見ている。すでに驚きよりも好奇心を優先させているらしい。


 大悟の方はそれどころではなかった。最大の問題があるのだ。彼はもう一度ステンレスの机を見た。状況から見て片づいている机は、春香が使っているようだ。ノートパソコンには表計算ソフトのような碁盤目状の画面が映っている。


 扉が開いた時、自分たちを驚きの表情で見た春香の顔。幾つもの疑問が生まれる。


 高校二年生の女の子が、どうして理学部の地下室に居るのだろう。彼女は白衣まで着ていた。ハタキを持っていたから掃除の途中だったのだろう。友達との週末の予定を断ってまで外せない用事が、この怪しい地下室の掃除というのはどういうことか。


 カチャ、カチャ


 部屋の奥から聞こえてきた音に、大悟は思わず背筋を伸ばした。春香が盆を持ってこちらに近付いてくる。さららに「ハル、お茶お願い。アレも一緒にね」と言われて部屋の奥にあるシンクで作業していたのだ。


「――どうぞ」


 押し殺した声と一緒に、磁器のカップが大悟と綾の前に置かれた。薄い白磁にあしらわれた金糸模様。中には琥珀色の液体が湯気を立てている。場に似つかわしくない高級感ある食器だ。


「あ、ありがとう。春日さん」


 大悟はなんとかそう言った。春香は何も言わずに、盆から皿を下ろす。


 同じく金色の刺繍模様の白い皿の上には、年輪状の洋菓子が置かれている。彼が知っているそれと違い、真ん中の穴は琥珀色の果物でふさがっている。場違いなほど美味しそうだった。


 春香が手ずから入れてくれたお茶と用意してくれたお菓子である。本来なら歓喜してもよいシチュエーション。もしこの光景を見られたら、クラスの男子の大部分に呪われるだろう。だが、実際は彼女の纏う凍ったガラスのような空気に耐えるのが精一杯だ。


 同級生の接客を命じられた彼女は教室でいつも見る凜とした横顔でも、朝挨拶してくれるときの穏やかな笑顔でもない。


 椅子は四つ。この部屋にいる人間は四人。テーブルの上には三組の食器しか無い。春香は自分の分は用意していない。「私は歓迎していません」という意思表示は明らかだ。


「凄い、アッフェルバウムだ。食べてみたかったんだよね」


 綾が嬉しそうにスマホを構えると撮影した。その脳天気な姿が恨めしい。ここは学食じゃないと言いたい。だいたい、この大学と春香の関係について綾は何かを知っていたはずだ。


「それで、九ヶ谷くん達はどうしてここに?」


 春香の言葉に大悟は思わず視線をそらした。綾の誘いを断らなかったことを彼は心から後悔していた。

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