29話:後半 向こう側
「この進路を決めている側、向こうはもっと正確な情報を持っている。違いますか?」
綾の告発のような言葉に大悟は今更ながらさららと大場のやり取りを思い出した。IT系の巨大企業をいくつか動かす事が出来れば。さらに、先核研が受けたというハッキング。
「小笠原さんのいう”向こう”はネットワークのトラフィックをある程度操作出来るし、私達とは桁違いのマシンパワーを持っている。それはそうでしょ。だからこそ理論で先を行かないと」
春香が言った。だが、綾は首を振る。
「私が言いたいのは実際のデータの話。大悟のアイデアと今日まで分析を見て思ったけど、向こうが情報重心の進路をコントロール出来るなら。私たちには出来ないような観測が出来る」
「でも、今のようにコントロールできるのはその観測データを得た後でしょ。そしてそのデータがないとコントロール出来ないなら、実験機器に直接ぶつけるのは……。4月のここの事故は偶然なんだよ」
「屋上で春日さんは「重力波計でORZLの直接の測定は小さすぎて無理」っていったよね。でも、それは距離を考えてのことでしょ」
「……あっ!」
春香がはっとした。大悟はどうして綾が重力波計の大きさを気にしていたのかやっと理解した。
「長さ3キロメートルの的。情報重心を”ある程度”でもコントロールできるなら当てれないこともないでしょ。4月の事故からでも4ヶ月ある」
綾はプロジェクターの情報重心の進路図を指差した。
「重力波計のレーザーを直接横切らせれば、ゼロ距離で観測、いえ測定ができる。そういうこと……」
「ハル、アヤと協力して重力波計の場所だけに限定して過去の情報重心の記録を観測して」
さららが春香と綾にいった。二人が頷いて作業に取りかかる。
文字通り犯人の動機、意図という要素に基づいた現実に存在しうるデータ。綾らしいアイデアに大悟は感心した。だが、それは同時に今回の事件に大きく人の意思が関わっていると言う告発でもある。
「4ヶ月前からのマーケット情報を集中的に送って」
「どんな形で? あれからそっちも大分変わってるでしょ」
「えっと……、情報トラフィックとの整合性を取らないといけないから、それに空間情報とテンソルの次元を合わせて……」
「解らない。ちょっとこっち来て。候補をいくつか出すから、春日さんが選んで」
「……あっ、この形式、粒度は一秒間あたり……ビットの精度でエントロピーの……。解った後はこっちでやるから小笠原さんはデータをお願い」
「了解」
二人の声が忙しく地下室を行き交う。やり取りの激しさと違って刺々しさはない。大悟の仲介など必要なく、二人は直接協力し合っている。
手持ち無沙汰の大悟の耳に幾つもの単語が入ってくる。マーケット情報というのは例えば株式の値段。経済情報だ。情報トラフィックはネットワーク上を流れる情報の量。
光子か電子かしか知らないが、ネットワークを流れる情報の量なら物理的価値はあるのかもしれない。だが、株価は例えば値段だ。お金という価値基準は物理的要素とはほど遠い。
(同じ数字で表せても情報通信の量と、株価は全く意味が違うだろ)
例えば一万円札は千円札の10倍の物理的価値は持たないだろう。ましてや株価だ。
いや数字らしきものもあった。コンピュータゲームではおなじみのビット。ゲーム機では確か一度に処理できる情報の量を意味していたはずだ。0か1かという2進数。
大悟が思い浮かべたのはゲームだった。確かにグラフィックのように綺麗であればあるほど価値のあるものもある。だが、同じ容量のゲームでも、面白さの質も量も全く違う。だいたいプレイヤーごとに価値はちがう。ゲームの容量は計算出来ても、ゲームの面白さは計算出来ない。
そこに物理学が扱うような、確固たる物があるとはとても思えない。
情報というからには、それは”意味”を持つはずだ。人間が解釈することで0と1で作られたゲームは意味を持つ。つまり、人間の心が大きく作用する。それは、ある意味一番物理学と縁遠いものではないか。確固たる物を扱う科学とは正反対の幻ではないか。
宇宙が無ければ人間は存在しないが、人間が存在しなくても宇宙はびくともしない。そして宇宙に人間が生じたのは単なる偶然のはずだ。人間の勝手な価値判断など宇宙の知ったことではないはずだ。
それとも彼女たちが扱っている情報は、そういったのは関係ないのか。でもそれならそれは単なるエネルギー、あるいはビットの量なのか。
いや、それもおかしい。何しろ情報重心は物理法則を変形させるというとんでもない効果を持つのだ。
イメージできない内容に大悟の頭がきしむ。
◇◇
8月30日正午。すでに大悟には夏休みがあと一日とかどうでも良くなっている。
画面上が4分割されている。アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、そして日本の重力波測定施設の周辺地図が表示されている。縮尺を見ると周囲50キロくらいが映っていることになる。地面の下のくの字型の装置が見える大きさだ。
4つの画面の3つは何の変哲もない。だが、最後の一つ、KAGRAの重力波検出装置の周辺を何度も情報重心が通過していた。
月に1,2回の発生。あまり深いものではないらしい。まるで長さ3キロメートルの測定装置を目指しているように進み、途中で蛇行を始める。最後には明後日の方向に去っていく。それが3回繰り返された。
1度目よりも2度目、2度目よりも3度目。その進路は段々とまっすぐになっていくようにみえる。
そうかとおもうと、4度目はあっという間に大外れした。
「小笠原さん、原因は解る?」
「多分。あの時マーケットが大荒れしたから、ほら……」
綾がプロジェクターにニュースを表示する。アメリカの金利の引き上げにより株式市場の変動率、恐怖指数とか言うらしい、が急変動したらしい。
”向こう”もそういった突発的要素をコントロールできるわけではないことに大悟は少し安心した。
「経済のニュースなんかで……」
春香は不本意そうな顔になる。
「お金は大事だよ」
綾が肩をすくめていった。
「…………もう少し後の、こういうことがない時期を集中的にサーチしましょう」
「了解。おっと、これは来るんじゃない?」
ついに5度目、情報重心が重力波計の片側の腕に垂直に突入した。
「7月12日12時23分。この時刻の重力波計のデータは……。ありました、片側のアームだけに僅かな、ノイズとしか思えない振動が記録されています」
波形を春香が表示した。
「ただのノイズにしか見えないし、片側だけならまず無視される、か」
さららが二人を見てニコリと笑った。
プロジェクターには最後まで生き残った折り紙生物が最終決戦を繰り広げていた。新たな重力波計のデータにより、空間の折り紙はついに二つに絞られたのだ。図形は中央でぶつかりあい、半ばまでめり込むように重なり合った後で、弾けるように左右に別れる。
「ここまでだね」
さららがいった。
「でも、あと一歩ですけど……」
「その一歩に、これまでの三歩以上の計算が必要。そろそろ、実験で検出する対象を決定しないと間に合わない」
さららが時計を指した。時刻は午後6時を過ぎていた。
「ハルは新しいシミュレーションを立ち上げて。通常の場合と、このORZLの場合を並行して走らせる。だんだん加速器の速度を上げながらね。粒子のエネルギー、つまりORZLに与える振動が大きくなればなるほど、余剰次元の幾何学的の影響がはっきり見える。頑固な実験家にも解るように劇的なポイントを指定してあげないと」
「分かりました」
「アヤは引き続き情報重心の監視をしていて」
「了解です」
さららは二人に指示をする。そして、一人ホワイトボードの前に戻った。そこには、ORZLの方程式がある。
本当に間に合うのかと気を揉む大悟。結局、彼らが帰るまでさららはそこから離れなかった。
2018/03/16:
来週の投稿予定は月、木、日です。




