4話 怪しい学生
「なあ、まだ決まらないのか……」
大悟は周囲を気にしながら聞いた。
高校生コンビは円形の広場に立っていた。正門を入ってすぐのこの場所はいわば表玄関。色とりどりの花が咲く花壇、レンガ状の舗装、しゃれたベンチなど、名門大学に恥じない洗練された雰囲気だ。
周りを歩く男女は同じ”学生”であるはずだが、カラフルな私服が彼とのステータスの違いを誇示している。さらに、高校の制服でキャンパスにいる大悟達はいやでも目立つ。さっきから、ちらちらと視線が向けられる。
大悟としては居たたまれない気分だ。だが、唯一の同志は周りの視線など気にせずに巨大な案内図を見ている。
「お、おい綾……」
「キョドってるとよけい目立つから、これ持ってて」
綾が大悟の鼻先に突きつけたのは細長く折りたたまれた光沢紙。大学のパンフレットのようだ。ここに入る前に、トーチカのような正門の守衛所で綾が入手していた。「私たちは未来の顧客候補」らしい。
「来年。一緒にここに通えるように頑張ってね。大悟」
綾は急に切なげな表情を作ると言った。
「僕”達”の成績じゃ絶対無理だな。大体受験は再来年だけど、それでもだ」
大悟はあきれた。綾は「相変わらずノリが悪い」と不満げだが、すぐに案内図に戻る。こういう場合に下調べを怠らない綾だ。当然、学食の位置は事前に把握しているはずだ。時々視線が案内板から左右にずれている。ブログにアップするキャンパスの写真も込みで進路を考えているのだろう。
あくまで現地で見た現実を重視するのだ。綾は少し考えてメモ帳にペンを走らせ、また案内板に視線を戻す。
大悟は仕方なくパンフレットを広げた。中心にキャンパス全体の地図が描かれ、そこから八方に吹き出しのように各施設の紹介が広がる。大きな二つのビルが理学部と工学部。学食と図書館。特に目立つように朱で囲まれている白い建物が『先端核医療研究所』だ。
紹介文には大悟も知っている大企業が幾つも並び共同研究の実施が謳われている。
(なるほど、学生に対するアピールになるよな。本当なら……)
恐らく、春の事故が起こる前に作られたのだろう。案内板の横にある掲示版を見る。先端核医療研究所はまだ稼働していないようだ。何度も日付が書き換えられた説明会のポスターに、あきらめたように中止という文字が貼られている。
事故原因が未だ不明ということだ。何でも解っている顔をしている科学者のうぬぼれの報いだと大悟は思った。
「お待たせ大悟。……どうしたの?」
「いや、何でもない」
大悟はいった。だが、綾はひょいっと大悟の手元をのぞき見た。そして、少し考える。
「……じゃいこっか。こっちからね」
「待て。お前今、逆を見てただろ」
大悟はいった。確かに、学食には綾の指差した西回りの方が近い。だが、綾の目的を考えれば理大に来たという象徴的な写真を欲しがるはずだ。目的を本人から教えて貰っているのだから、推測できる。
「あのな、そんなこといちいち気にしてたら街も歩けないぞ」
嘘ではない。実際綾から香坂理大の名前を聞くまで事故のことはほぼ忘れていた。
「何なら、この最先端なんたらを一周回ってベストショットを見つけてやろう」
大悟はいった。
「まあ、あっちの方を考えてもそこには興味はあるけど……」
「あっち? 決まりだな。この先端核医療研究所を――」
キキッーー、キュッ。
大悟が綾と反対の方向、木立の後ろに見える白い建物を指した時、背後でブレーキ音がした。一瞬遅れて、トンという軽やかな音が耳に届く。
「先核研に用事なの? 学生さん」
そして、明るく澄んだ声が掛かった。明らかに自分たちに向けられている。大悟は恐る恐る声の方を振り返る。
折りたたみ自転車のサドルに手を置いて若い女性が立っていた。深い緋色のロングヘアを黒のリボンで束ねている、たまご形の整った顔。下縁のメガネの奥に綺麗な瞳が人懐っこく笑っている。ノースリーブの襟付きの白いシャツに、紫紺のロングスカート。
スラリとした体型に、洗練されたファッションがよく似合う。文句なしの美人だった。年齢は大悟達よりも二三歳上だろう。ここの学生に違いない。
「あ、えっと……」
年上の美人にいきなり声を掛けられた大悟はしどろもどろになった。女子大生の目が大悟と綾を上から下まで見る。その視線が余計に彼を緊張させた。
半ば意地で口にした研究所に用事などない。近くを通って理系大学に来た印としての写真が欲しいだけ。それも、自分ではなく綾が。だが、研究所の名前を連呼していた大悟は言葉に詰まった。
「お姉さん。研究所の関係者さんなんですか?」
固まった大悟に代わって、綾が話しかけた。初対面の女性に全く物怖じしない。
「関係者っていえば関係者かな。あそこ今入れないよ」
女子大生が言った。何でもないことのような口調だった。大悟も分かっている情報だ。だけど……。
「そうなんですね。ありがとうございます。じゃあ、仕方ないですね。せっかくだから外側だけでも見てから――」
「春に事故が起こってからもう三ヶ月ですよね。まだ、原因不明なんですか」
上手く会話を切り上げようとした綾を遮って、大悟は思わず言ってしまった。
綾は何を言ってるんだという表情で大悟を見る。大悟も解っている。関係者といっても学生だ。文句を言っても仕方がない。というか、彼が文句を言う筋合いではないのだ。
しまったと思って、女性の顔を覗う。
「ほうほう、事故原因に興味があるってことだね。ふうん」
だが、女子大生はむしろ大悟の台詞をおもしろがっているようだ。
◇◇
「さららさんって帰国子女なんですね。なるほど、ちょっと雰囲気違うなーって思ってました」
「うん、春までオランダにいたの。日本は十年ぶりかな。ドイツとスイス、あとイギリスにもちょこちょこ行ってたよ」
「すごい。私向こうのお菓子に興味があって。今回もこいつに付いてきたのはここの……」
さららと言う名前らしい女子大生と綾が会話をしている。その後ろに仕方なくついて行きながら、大悟は自分を呪っていた。
さららと一緒のためか、周りを歩く大学生達からの視線は気にならない。だが、事態の展開に彼はついて行けていない。あれよあれよという間に、さららに『先核研』の話を聞くことになってしまったのだ。
今は彼女に連れられるままに、山の方に向かっている。もしかして、研究所の中に入る羽目になるのか。事故に興味があると言っていたのに、何も知らないことがばれる。
今からでも引き返したい。だが、問題はもう一つある。綾がさららに食いついてしまったのだ。二人はさっき出会ったとは思えないくらい打ち解けている。
長いつきあいだから大悟には解る。綾はこういった変わった人間に強い興味を持つのだ。つまり……。
(取材対象が変わってるじゃないか)
大悟は心中で愚痴った。正確には、一緒にお茶をという話にだから、取材対象が増えたといった感じか。傍目には年上の美人と可愛い同級生と両手に花である。だが、とてもその状況を喜ぶ気にはならない。
正直に言えば綾を置いて帰りたいぐらいだ。だが、自分の失言が原因である以上できない。
目の前に白くて新しい建物が見えてくる。パンフレットで見た先端核医療研究所。ここを右に曲がれば学食に続く。
まっすぐか、右か。せめて右であって欲しいと大悟は祈った。
「あれっ。さららさん学食ってこっちじゃ?」
「ううん、こっちで良いんだよ」
ところが、さららは左に曲がった。その先には高いビルがある。
「一体どこに向かってるんですか?」
今更だが、見知らぬ人間について行っていることを意識して大悟は尋ねた。
「いいからいいから。……あっ、ちょっとごめんね」
さららは言葉を濁すとポケットからスマホを取り出した。画面を確認すると耳に当てる。
「オーバから連絡ね。了解。あっ、今から戻るからお茶の用意お願い。あははは……それはついてからのお楽しみ」
さららは一方的に用件を言うと通話を切った。
「僕たち、どこに向かってるんですか」
大悟はもう一度尋ねた。春にここのことを調べたときに引っかかった無関係の記事が思い出される。大学はカルトが盛んという内容だった。
さららはいたずらっぽく微笑むと。
「もうすぐそこだよ。ほら」
彼女の細い指の先に、高い建物がそびえている。ガラス張り現代的なビルだ。道の脇に立つ案内標識を見ると理学部とある。てっきり工学部だと思っていたが、理学部生なのだろうか。
一般人も入れる学食と違って学問の殿堂に入るのは抵抗がある。さっきの電話といい、どんどん相手のフィールドに誘い込まれている気がするのだ。
ゴールが見えないことが更に不安をかき立てる。ゴールが見えなければ可能性は無限だ。そして、今回の場合それを決めるのは綾だ。
綾がスマホのカメラを構えてビルの写真を撮った。どう考えても乗り気だった。
(まさか、事故に要らない興味を持った人間を……。ってそれこそゲームじゃないか)
目の前の明るく綺麗な建物を見て、大悟は不安を打ち消した。