27話:後編 二つの空白
「シナリオが、見えた」
「大悟?」「九ヶ谷くん?」
大悟は目を見開いた。そして、自分が二人の女の子に見つめられていることに気がつく。
春香と綾その二つをつなげる答えは……。
「これまで考慮したデータの中には重力が”ない”」
大悟は言った。新しく見えた【空白】それは【重力】だ。
「最初の時のこと忘れたの? 重力崩壊が起こることを前提にORZLの仮想体積の下限を決めたじゃない」
春香がいった。一番最初のいちばん重要な制限要素。だが……。
「それは、マイクロブラックホールの蒸発で放出された電磁波、熱のデータだろ。もっと言えばマイクロブラックホールができたって間接的なデータと、炭素原子核の質量から導き出しただけじゃない?」
「それは……、確かにそうだけど……」
「もしも重力の直接のデータがあれば……」
大悟が言葉を綴る度、脳内の単語が次々とつながっていく。すっきりしたような、視界がどんどん開けていくような感覚。まるで、答えを最初から知っていて、それを掘り出したような錯覚。
ゲーム製作で悩んでいたことに、突如答えが出るとき。そして、あのマイクロブラックホールの蒸発を思い出したときと同じ体験だ。
「重力を直接測定できていたら重力、つまりORZLの体積の上限だけじゃなく、下限も決められるはずだ。違う?」
ORZLの体積が100以下となれば100以上の可能性はすべて消える。逆に言えば100以下の可能性はすべて残る。彼が最初に見た系統樹だ。なら、下限がわかれば?
100以下かつ90以上と決まれば、残りの可能性は十分の一になる。
「ありえ…………」
そこまで言って春香は自分で口を押さえた。そして、目を左右に動かして、それから口から手を離す。
「原理的にはそうだけど、重力は弱すぎるわ。電磁力に比べて-38乗分の1なのよ。炭素原子一つと全世界の二酸化炭素排出量位の差なの。Lczの空間変化の引き起こす重力なんて測定できるようなものじゃないわ」
少し考え込んだ後、春香が首を振った。大悟は視点が全く違うことに気がついた。なるほど、春香はLczを直接、そして未来の実験のことを見てるのだ。
「ゴメン、そうじゃないんだ。Lczを直接じゃなくて、それが引き起こしたマイクロブラックホールの蒸発。未来のデータじゃなくて、すでにあるデータ」
大悟はビルの向こうの先核研を指差した。
「4月にあそこで起こったマイクロブラックホールの蒸発。その時の重力のデータが”ある”はずじゃないか」
「んっ? 大場教授からもらった加速器のデータにはそういうのなかったんじゃない?」
「ええ、貰ったデータは基本的にもう計算に組み込んであるし、そもそも加速器に重力の強さを測定するためのセンサーはついてないわ」
綾が首を傾げた。春香が頷く。
「ああ、でも重力を測定することは出来る。確か日本にも、今年始めに稼働したばかりの重力波計があるんじゃなかった? 重力波計の目的は天文学の観測だよね。いつ起こるかどこで起こるかもわからない。だったよね」
「え、ええ」
「つまり、4月のあの日も含めずっと”観測”してるんじゃない」
大悟は『世界を織りなすもの』の記述を思い出しながら言った。春香が唖然となる。
「4月6日のマイクロブラックホール蒸発で生じた重力波がKAGRAに残ってるっていいたいの!?」
「そう。それに、これって綾の言う実際に起こった事実の記録だろ」
大悟は次に綾を見た。綾がウンウンと頷いた。
「だね。未来に大悟がどんな本を買うかの予想じゃなくて、防犯カメラに映ってた4月の記録だよ」
「おい、その例えもうやめてくれ」
カバンの中身は、何者も妨げることのない重力によってすでに暴かれていた。4ヶ月以上前に。それが、大悟の見た答だった。
「どうかな春日さん」
大悟は期待と不安を込めて春香を見た。何しろ彼が重力波について知ってることはあまりに少ない。今のは思いつきを並べただけなのだ。
「重力、過去のデータ……。すでに測定済みあの現象の直接の重力波の記録。まさかそんな……」
春香は混乱している。ゲームでとんでもない裏技を知ったときの彼のような、驚きっぷりだ。
そう、春香はこれから取るデータのことだけを考えていたのだ。大悟は春香が口を開くのを待つ。
「重力波なんていくらなんでも小さすぎて測定できるわけがないわ。基本的に重力波計の狙っているのは、天体ブラックホール級のイベントなのよ。これまで測定された重力波は三回。最新のは二つの天体ブラックホールの合体」
春香がいった。天体ブラックホールとマイクロブラックホール。文字通り天文学とミクロの対決だ。だが……。
「でも、春日さんは言ったよね。特異的であればあるほど小さな音でも聞き分けれるって。マイクロブラックホールの蒸発なんてとんでもなく特別な現象じゃない?」
「場所と時間が特定されていたら精度が上がるんじゃなかった? 今の話だと春日さんの言ってるブラックホールの衝突? それよりもずっと条件が限定できるんでしょ。情報重心の観測だって、範囲と時期を絞ることで精度を上げてたと思うけど」
綾が先ほどの春香の話を持ち出す。
「天体イベントはたしかに場所も時間もわからない、春のマイクロブラックホールは場所も時間も完全に特定できる。それは確かにそうだけど……。でも、この場合のスケールの差はそんなものじゃないわ」
春香は二人に向かって首を振る。
「確か重力って距離✕距離に反比例するんじゃなかった。そのブラックホールの衝突ってとんでもなく遠く、何万光年とかそんな話じゃないの?」
大悟はなけなしの知識を絞り出す。何しろ光は一秒間で30万キロ進むのだ。しかも、それを掛け合わせてから割るのだ。逆に言えば近ければ近いほど、とてつもなく大きいと言うことではないか。
「…………確かに今言ったブラックホールの衝突は30億光年先だけど」
「30億……光年!? なら! 春日さん。そのKAGRAって重力の測定器はどこにあるの?」
「岐阜県の北部。さっきKEKBからニュートリノを打ち込んだカミオカンデと同じ場所よ。今年の1月から本格的な観測が始まってる」
「ここから200キロくらいね」
綾がスマホでマップを出した。
「200キロ✕200キロつまり40000キロ分の1と30億光年✕30億光年……えっと900億光年? 分の一だろ。凄い差じゃないか」
単位が違いすぎて、全く実感できないが途方もない倍率であることには間違いない。大悟がそう想像していたのよりも遙かにだ。
「無駄よ。本当にそんなことでなんとかなるような差じゃないの。私が言った天体ブラックホールの質量は合計して太陽の59倍なのよ」
春香はスマホをタッチした。そこには大悟にとっては無駄でしかない、多くのボタンの付属した電卓が表示されている。
「太陽の質量は約2✕10の30乗キログラム。春のマイクロブラックホールは1pg。つまり、1✕10のマイナス15乗キログラム。つまり、ブラックホールの衝突の質量は太陽質量の50倍としたら。この2つの差はおおよそ10の47乗倍」
「……それってどれくらい?」
「10の10乗が100億倍。つまり、100億の100億の100億の100億の更に100万分の一」
「へっ!?」
それは存在しないと言われたほうがマシくらいの差だ。
「それに対して距離の差は30億光年対200キロメートル。1光年は約9.46✕10の12乗だから。30億光年は2.84✕10の22乗キロメートル。この差は10の21乗だから、30億光年先に起こったことと比べて、200キロメートル先の重力の強さは42乗強くなる。さっきの言い方だと100億の100億の100億の100億の更に100倍」
「え、えっと、ゴメン。一度整理させて……」
頭がくらくらする中、大悟はノートに二つの数字を書き留めた。
質量の差:100億の100億の100億の100億の更に100万分の1
距離の差:100億の100億の100億の100億の更に100倍
「大体1万分の1ってこと? それならいろんな条件を考えれば……」
綾がいった。1万分の1というのは大概だが、100億の100億の……といわれるよりは現実的だ。例えば一万円の1万分の1は1円だからして、一応日常に存在するスケールだ。
「えっと、ブラックホールの衝突は、単に質量が倍になるって感じだろ。蒸発は殆ど丸々消えるんだから」
大悟は2つの現象のギャップの違いを強調した。だが、春香は首を振る。
「違うの。重力は確かに距離の二乗に反比例するけど、重力波計のとらえる空間の波、重力波の波高は距離に反比例する形でしか減衰しない。重力波がはるか遠くの天体イベントを光よりもずっとちゃんと捉えることが出来る理由の1つがそれ。つまり、重力波の差に変換すると10の21乗倍にしかならない」
「そ、そうなのか……」
「スケールの差は10のマイナス26乗。つまり、100億かける100億かける10万分の1ってことになるわ」
「だ、駄目か……」
レベルデザインに失敗したRPGでも、こんなとんでもないインフレは起こらない。単位が10倍刻みの上下に翻弄された疲れがどっと襲ってくる。
「そう。残念だけどあり得ない。流石に今回は、いくら何でも。うん」
春香はどこか安心したように大悟を見ている。そしてコクコクと頷きながら、言葉を続ける。
「いくらブラックホールの衝突よりも蒸発のほうがずっと質量変化が劇的でも…………」
だが、そこまで言って春香が止まった。
「劇的なのは質量の変化率だけじゃない……。確か天体ブラックホールの衝突は一秒間の出来事と想定されてたはず。それに、地上で起こったイベントならあの測定方法も……。えっ、うそ、それなら、まさか……」
春香が唾を飲み込んだ。そしてスマホに表示されたままの電卓をじっと見つめる。
大悟は再びテンパり始めた春香を見る。二人の見守る中、春香の指が画面に伸びて、そして停まった。固唾をのんで見守る大悟達の前で、春香は前触れもなく立ち上がった。
「ここじゃとても計算できない、下に戻らないと」
そしてドアに向かって歩き始める。大悟と綾は訳が分からないまま、慌てて後を追った。
2018/03/04:
来週の投稿は(水)、(土)の予定です。




