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複雑系彼女のゲーム  作者: のらふくろう
第一部『物理学の爆弾』

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47/152

27話:前編 二つの空白

2018/02/28:

27話は前中後の三回投稿になります。

代わりにと言っては何ですが中編、後編は隔日で投稿します。

中編は(金)、後編は(日)の予定になります。

「ORZLの形によって決まる物理法則から出てくる現象を実験的に捉えること。これは……そうね、楽器の音を聞くようなものなの」


 春香は言葉を選ぶようにゆっくりと言った。


「楽器?」

「そう例えば……」


 春香がスマホを取り出して指を走らせる。大悟と綾に示されたのは複雑に絡み合った幾つもの管と、その先にある広い口。オーケストラなどで見る管楽器、おそらくホルン、の画像だった。

「この楽器がいわばORZL。ここに空気を吹き込んで、出てくる音を聞き取る」


 なるほど、空間の折り紙で作られる楽器というわけだ。通常の余剰次元とLczによって改変された余剰次元は形が違う。その形の違いが鳴らす音の違いとなる。楽器の違いのように。


 大悟は綾を見る、きちんと聞いているようだ。これまでの話はわかりやすい。春香は説明する気になればちゃんと出来るのだ。例えば、教室で友人たちに数学を教えてるように。


「楽器が空気を揺らして波を作るように、余剰次元に吹き込まれたエネルギーが空間に存在する幾つもの場をそれぞれ固有のパターンで揺らす」

「えっと場っていうのは確か……」

「空気と同じように空間を満たしている何か。例えば、電気の場が揺らされるとこうなる」


 春香がスマホを操作した。小学校の理科の実験のような画像が現れた。棒磁石と砂鉄で作られる楕円形の模様だ。


「磁力で生じた電磁場の音を、砂鉄で可視化したものって言えば良いかな。マイクロブラックホールの蒸発も、質量のエネルギー化によって電磁場が揺らされて電磁場の振動が生じた。それがガンマ線とか、熱とかという電磁波の形でセンサーに捉えられたと言うことになるわ」

「そのパターンが黒体放射ってことだね」


 大悟はあの山形のグラフを思い出した。いわばオーディオのイコライザーという訳だ。


「もっと言えば管の穿孔もそうね」

「あ、なるほど」


 こういう所は春香らしい。大悟には破壊にしか見えないあの穴も、科学的に見れば物理的ダメージセンサーというわけだ。もっとも、今回の場合そのダメージセンサーに実験施設の多くの人間が含まれる可能性がある。


 被害者の分布で爆発の物理的特性を類推するような作業をする羽目にならないために頑張らなければならない。もちろん大悟には責任はないのだが、あのことを考えると”他人事”とはいかない。


「黒体放射がブラックホールの蒸発に特異的なパターンだから、ブラックホールの蒸発が起こったと判断できる。実験を行う上で重要なのはこの特異性なの」

「その楽器にしか鳴らせない音だね。なるほど、インタビューするなら、その人でなきゃ言えない情報を引き出さなくちゃ意味がない」


 綾がやっと口を開いた。


「そう、実験というのは基本的に情報を引き出すこと。ただし、加速器の実験の場合はとても小さな音を聞き分けないといけない。二つ問題が出てくるわ。例えば、人間の喉が楽器だとしたら。私の声が音よね。今二人は鼓膜ってセンサーで私の声を聞いている。でも、鼓膜センサーには風の音とかありとあらゆる雑音も同時に入力されている」


 春香がそういった途端、上空を風が過ぎて透明なフェンスを小さく揺らした。何処かで工事でもしているのか遠い金属音が耳に届く。さっきまで全く認識していなかった音だ。


「私の声が小さくなればなるほど周囲のノイズ、つまり雑音に隠れてしまう。本当に小さな音の場合、鼓膜自身の振動や私の身体の鼓動まで問題になる。もう一つ、粒子の世界のようにそれ以上小さくならない測定対象の場合、それを正確に測定することは難しいの。粒子が物質と殆ど相互作用しない、例えばニュートリノなんかの場合、実験で発生した粒子の殆ど全てがセンサーを通り抜ける。それを利用して筑波のKEKBから岐阜県のカミオカンデにニュートリノを打ち込む実験が行われたぐらい」

「筑波から岐阜!?」

「そう、この場合はKEKBが加速器でカミオカンデの巨大な水槽がセンサー。これは物理学上の大発見であるニュートリノ振動の美しい数式を証明――」

「話がずれてない?」


 暴走しそうになる春香に綾がやんわりと釘を刺した。春香は小さく咳払いをした。


「話を戻すわ。もう一つの問題はすり抜けとは逆。春の事故のパイプの穿孔の話をしたけど、センサーは簡単に言えば対象がぶつかることで反応する。鼓膜が空気分子がぶつかることで反応するように。そして、ぶつかった分子は持っていた私の声という情報を失ってしまう。つまり、私が二人に向かって本当に小さな声で話したら、九ヶ谷君の耳に届いたところで私の声が消えてしまう。普通そうならないのはどれだけ小さな音でも、天文学的な数の空気分子の振動で作られているから」


 春香の言葉に綾が頷く。


「これを加速器に言い換えると。加速器が捉えるのは基本的に素粒子の軌道。今の例えだと「ド」とか「ラ」というそれぞれの音がある種類の素粒子なの。例えば電子とか光子とか。空間を伝わる波が私たちには粒子として見える。空気の振動が私達の耳というセンサーに『音』として聞こえるように。実はだいぶ違うんだけど」


 春香の言葉に大悟は頷いた。実はだいぶ違うの後を今聞くと大変なことになるに決まっているが、春香は踏みとどまったようだ。


「理論的にはそれぞれの粒子を区別するのは質量とどんな力を持っているか」

「力って言うのは4つの力のこと?」

「基本的にはそう考えていい。でも、重力子は粒子間の力としては弱すぎて無視される。強い力のグルーオンも直接検出は困難。実際には電荷とか質量、そして飛行距離つまり寿命とかのデータしか得られない」

「飛行距離っていうのは?」

「加速器の衝突で作られる粒子の多くは高エネルギー、つまり不安定なの。例えば音がドレミファソラシという順番でエネルギーが高いとしたら。【ド】はずっと安定しているけど【ラ】はピコ秒レベルで【ファ】と【ミ】に変化して、さらにその【ミ】がナノ秒レベルで【レ】に変化したりする。逆に言えば、その粒子にどれくらいの寿命があるかもデータになる。ただ、これに関しても簡単じゃないの。こういった過程は全て確率現象だってこと。ある反応が起こる確率が80パーセント、別の反応が起こる可能性が20パーセントみたいに。更に、さっき言ったセンサーは基本的に衝突だって問題がある。例えば本当は小笠原さんのところまで届く声が、九ヶ谷君にぶつかって消えてしまうとか」


 なるほど、RPGなんかでも昼と夜とではモンスターとのエンカウント率が違うことがある。だが、昼間街から出て第一歩目でエンカウントすることもあれば、夜何歩歩いてもエンカウントしないこともある。昼夜でのエンカウント率を”測定”しようと思えば、何度も繰り返し”実験”しなければならない。


 そしてどんなモンスターが出現するかも確率だ。しかも、あるモンスターは別のモンスターが変化する形でしか現れない。それも確率現象だ。


 もし大悟がゲームにそういったレアモンスターを配置するなら、パラメーターの調整には苦労するだろう。今の話はそれを逆から見たような物だ。つまり……。


「実際に聞くととんでもなく大変そうだけど?」


 同じ結論に達したのだろう、綾が眉根を寄せた。


「エネルギーや電荷みたいに保存される量は、こういった素粒子の反応でも不変だから、それがヒントになるの。後は実験回数とコンピュータを使った大量の演算が必要。実際、ヒッグス粒子の場合、最初にそれらしい結果が得られてから確定するまでに1年以上。1千兆個の粒子の衝突からデータを抽出してる。実験結果がノイズや偶然じゃないことを証明するには膨大な回数の実験が必要なの」


 大悟は先核研の加速器の隣りにあったコンピュータの群れを思い出した。


「なるほど、統計的に標準偏差で判断する感じ?」

「そう、発見を確定させるためには標準偏差5シグマが標準とされてる」

「げっ、標準偏差5つ分って。はぁ、楽器の音なら可能性のあるのを総当りすればと思ったんだけど、難しいんだ」


 綾が頷いた。どんどん難易度が上がっていく。


「特異的な音であればあるほど、ノイズが少なければ少ないほど実験や計算の回数が少なくていいってこと?」


 大悟が尋ねた。今の話だとすでにタイムオーバーではないかという恐怖に襲われたのだ。


「そういう理解でいいわ。マイクロブラックホールの蒸発なんて、その最たる物だから」


 つまり、ORZLの形からそれクラスのレアなイベントを見つけ出さないといけないと言うことか。大悟はますます不安になる。


「でも、間接的にってことは現れる粒子の種類が解ってることが前提じゃない。今回は物理法則それ自体が変わってるんだから、難しいんじゃないの? 例えば、大悟が2000円のお小遣いを持って本屋に入ったとする」


 綾は大悟を見ながらおかしなことを言い出す。


「お釣りと冊数が分かるとしても。大悟が買ったのが漫画か、ゲーム雑誌か、エロ本かなんて、本屋にある全ての種類の本、少なくとも2000円以下の本の種類がわからないと判断できないでしょ」

「そ、それは……」


 綾の言葉に春香が詰まった。ひどすぎる選択肢、特に最後のはない。彼の行きつけの本屋は高校の近くであるためかゾーニングはちゃんとしているのだ。


 それはともかく春香が言いよどんだのは、綾の指摘がある程度当たってるということだ。


「本屋から出てきた大悟をとっ捕まえて、カバンを開けさせれば理論も計算もいらないのに」

「それはそうだけど。例えば九ヶ谷くんの逃げ足が早すぎて私達じゃ追いつけないとか、プライバシーを盾にカバンを開けるのを拒むとか、今のはそういう状況だから」


 二人が会話をしているのはいい。だが、なぜか大悟がやましい何かを購入するという前提で話が進んでいる。


「えっと、状況証拠、特異性を高めるための条件みたいなのはないの?」


 大悟は口を挟んだ。おかしな実験インタービューが始まる前に話題を変えなければならない。

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