25話:後半 折り紙の系統樹
「大分絞れたけど、理論的にはもう限界が近いね。摂動計算で二つの無限大の拮抗が崩れちゃう。ハルの方は?」
プロジェクターに表示された枝打ちされた針葉樹を見てさららがいった。
大場から提供された、マイクロブラックホール仮説を考慮して補正されたセンサーのデータを組み込んだ結果だ。このデータのおかげで絞り込みは一気に進んだ。
「0068番目の可能性を消し終わりました」
春香の言葉と同時に、小さな葉一つ消えた。残った可能性の中で、あまりに現実と違うパラメータを持ちそうな図形を計算で一つ一つ消去しているのだ。周囲の通常次元との反発が強すぎてピコ秒レベルも存在することが出来ないパターンを除いているということらしい。
どうしてこれが最初からできないかというと、一日がかりの計算の結果からだ。大幅に増えたコンピュータセンターの援助を借りてもどんどん時間が掛るようになっている。
今日は8月26日。つまり夏休みと破滅までの残り日数は4日。半分以上が過ぎた。数字だけ見れば順調に見える。100億以上あった選択肢がすでに百近くまで減っているのだ。だが、状況を考えると厳しい。
何しろ最初の二日では100億から二千まで6桁も可能性が減ったのに、この二日ではたった1桁の減少だ。
ヒントをすべて使い切って残った選択肢は百通り。このクイズ番組は盛り上がらないだろうなと大悟は不謹慎なことを考えた。
大きな枝は4本まで減っている。だが、どれも根元近くから生えている。大枝の途中の剪定もかなり進んでいるが、一つごとに4から68の可能性、いわば葉が残っている。
タイムリミットが近づくにつれて未来の情報重心のデータも確定していくので、この後も絞り込み自体は続けられる。だが、それは究極的には100分の1グラムのマイクロブラックホールが出来た、そして瞬時に蒸発して周囲を吹き飛ばした、後で答えが出るようなものだ。
「このペースだと次は三日以上掛ります。他の計算も考えたらここまでが限界です」
「だよね。アヤは……」
さららは綾を見た。綾はすっかり手持ちぶさたという感じだ。
「これ以上は現実じゃなくて、都合に合わせたデータを恣意的に選んでるだけになります」
綾がいった。ついさっきも綾と春香の意見の衝突を聞いていた大悟には意味が分かる。つまり、お菓子の新製品の評判を調べるために、甘党の客ばかりに質問している感じになる。データに嘘はないが、そこに現れる高い評価は偏ったサンプルの賜物だ。
「お菓子単独ならそれでもいいけど、これはコースの最後の一品だから」というのが綾の説明だ。
出来ることが少なくなっていく春香に、出来ることがなくなった綾。そして、最初から何も出来ない大悟。せいぜい今のようなことが理解できるようになっただけ頭の中のイメージも輪郭が見えてきたとは言える。
これでも一応家に帰ったときには『世界を織りなすもの』の関係しそうな部分を読み直したり、筑波のKEKBの事を調べたりしているが……。
「うーん、このままじゃ間に合わないか」
さららがスクリーンに別の映像を出した。太平洋から東日本が映っている。台風のような情報重心は着実にこちらに近づいてきている。最初ほどの速度はなくて、だがゆっくりとまるで吸い寄せられるように筑波に近づき、その端を引っかけている。
「船橋さんが言うには、測定器の微細なノイズが増えてるみたいですけど」
綾が筑波に派遣されている研究員からのメッセージを見せた。向こうでは体に感じれないほどの地盤の動き、あるいは地下水脈の変動でも起こっているのではないかと言われているらしい。
もちろん高感度の測定機器が微細なノイズを拾うことは何もおかしくないので問題にはされない。
「こちらが終わらないと単なるノイズなのよね。それで特定できるなら作業は終わってる話だし」
さららが肩をすくめるとホワイトボードから離れた。
「どうするんですか?」
「ちょっとカシワギのところに行ってくる」
重力の専門家というここの教授だ。上のビルの四階に部屋があるらしい。定年間近で自分の興味のある研究だけを一人やっているらしい。そう言えば、以前先核研で見た印象は隠居老人みたいだった。
(考えてみれば、地下室以外に入ったことがないんだよな)
ちなみにここに繋がる地下道の反対側には、上のビルに繋がる階段がある。
「あくまで現実あっての理論。理論から現実を作ることは出来ないでしょ」
「現実にはノイズが多すぎるわ。だから、理論がいるんでしょ」
「でも春日さんは理論から現実を作ろうとしてない? そもそも、さっきの話だって何がノイズかなんて判別できないから問題なんでしょ」
さららがいなくなると始まったのが春香と綾の意見の衝突だった。さっきまでは普通に今後の作業の話だったのに、大悟がシンクにいっている間にヒートアップしている。
内容はいつもと同じ。現実か理論かの争いだ。同じ目標に向かって同じ対象を分析しているはずなのに、全く見ている世界が違う。そのギャップはこの数日でどんどん開いている。
(どちらの言うことも解るんだけどな……)
綾の言うとおり現実は絶対的に存在している。だが、複雑すぎてその全貌を把握できず、しかも次の瞬間には変化するかも知れない。その点理論は不変だから指標になる。だが、現実を隅々まで理解する完全な理論は人の手には届かない。
例えば、ゲームは現実の複雑さを簡略化するが、簡略化しすぎると駄目だ。あるところまでは簡略化がむしろ世界観を深めるのに、あるところから急に張りぼてになる。
綾が現実からの情報を集め、春香が理論的にそれを入力する。その結果、抽象的なORZLの形が絞られていく。それはいいのだ。
だが、ここまで食い違うともはや神学論争かイデオロギー争いの様を呈している。決して二人には使えない言葉だが。
そして、スタートからゴールまでのイメージ、曖昧ながら作業の意味が分かって来た大悟には、二人の意見の衝突が不毛になる原因がやっと見えてきた。
彼の場合それはもちろん”解”ではない。彼も解らない部分だからだ、いってみればテストの問題で答えの空欄の位置だ。春香のような秀才には解らないかもしれないが、解らない人間は問題の意味すら分からないのだ。
言い換えれば、理論から現実までの工程、そのフローチャートに深刻な欠損がある。
問題はゴールのイメージだ。この場合のゴールとはORZL図形の完成ではない。さららや春香にとってはそうかも知れないが、大悟にとっては違う。そして恐らく綾にとってもだ。
二人の議論がかみ合わない理由はおそらくそこら辺にある。同じ目的に向かって居るようで、ゴールのイメージが共有できていない。
ならば彼に出来ることは……。
「ちょっと休憩して気分を変えないか?」
大悟は部屋を見て言った。まずは換気が必要だ、心の。
「そうね、つかれちゃった」
綾が同意した。
「でも……」
春香が計算中のコンピュータを見た。
「情けないけど頭がこんがらがっちゃって、色々教えて欲しいこともあるし」
本当に情けないなと思ったが、大悟はそう言った。
「九ヶ谷君がそういうのなら、解った」
皮肉の一つも飛んでくるかと思ったが、春香の手がキーボードから離れた。
「外に出よう。綾なら何か良い場所知ってるんじゃないか?」
大悟は綾に水を向けた。
「そういうのはエスコートする側が考えるべきだけど。まあ、ない事もないよ」
綾が苦笑すると、天井を指差した。
「お望み通りこことは正反対な場所」
2018/02/19:
先週書いたように、次の投稿は日曜日になります。
よろしくお願いします。




