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複雑系彼女のゲーム  作者: のらふくろう
第一部『物理学の爆弾』

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23話:後半 追試?

「だからオーバを呼んだの。これが最後」


 東から西へ、あり得ない進路の情報の台風を背にさららが言った。大場がため息をついた。


「良かったわね。実験サンプルが増えて」

「オーバのところの研究員が筑波で実験をするのは10日後だったよね。その前後の時間、この情報重心が筑波に停滞する。私はそう予想してるの」


 大場の皮肉を無視してさららは言った。大悟にはそれが何を意味するのか解らない。ちなみに十日後は彼にとっても特別な日だ。いや、ほぼ全ての日本の学生達にとってと言うべきか。その日は夏休みの最終日なのだ。


 夏休みの大半をさららの課題に取られた彼にとっては特に忌まわしい。本来やるべき課題の方は全く進んでいないのだから。残っている宿題の山を思い出して胃が痛くなった。


「その時に予想されるORZLはこの形」


 さららが三つ目の折り紙を映し出した。形は前の二つのどちらとも全く違う。というよりも、中心部以外ほとんどぼやけている。ただし、中に透けたように見える骨格の形状が先の二つと似ているように見える。それが大悟をはっとさせた。


 さららは大場が”これから”引き起こす事故と言った。それはつまり……。


「筑波にある日本最大の加速器、KEKBでマイクロブラックホールが発生する」


 春香が一足先に答えにたどり着く。


「そう、ただし舞台は桁違いの大きさの加速器。粒子一つ一つのエネルギー、つまり質量も粒子の総数もずっと大きい、だよね」

「そうよ、この機会にうちのでは到達できないエネルギーレベルでの炭素原子核の挙動について調べるの。それが、私たちの加速器の今後の研究に必要だから」

「だよね。私の試算だと十日後に発生するマイクロブラックホールの質量は約0.012グラムくらいになる」


 いつもどおりの表情のさららの口から出た1グラムの百分の一と少しという量。夏休み前の大悟なら、きっとその意味を捉え損ねたに違いない。


 だが、不幸にと言うべきか彼はその小さな数字の持つ大きな意味を理解できてしまう。たった0.012グラムの質量は1兆ジュールのエネルギーの結晶。そして、マイクロブラックホールの発生はそのエネルギーの全てが解放されることを意味する。


 大悟の脳裏にまず浮んだのは筑波からここまでの距離だった。恐らく直接の被害はない、あくまで直接にはだが。


「…………四月の事故の50億倍、広島型核爆弾の1パーセントに相当する大爆発じょうはつが生じる、そう言いたいわけね」

「実験の中止とは言わないけど、延期を勧める」

「出来る訳がないでしょ。あそこのスケジュールを空けてもらうのがどれだけ大変だったと思っているの。そして、ウチの船橋に来年から失業しろって言うわけかしら」


 最後のセリフは怒鳴り声だ。船橋というのは恐らく、取材に行ったときにケーキを持って来てくれた女性の研究者の名前だったはずだ。確か、筑波に出張という話をしていた。


「そもそも向こうにどう説明するの。マイクロブラックホールの蒸発が起こるから実験を中止したい? きっとこう返されるわ「是非実行しましょう。ストックホルムには是非ご一緒したいですから」とね」


 大場が何を言っているのか大悟にはわからない。「マイクロブラックホールの蒸発を観測したら間違いなくノーベル賞が授与される」春香が耳打ちをした。


 科学の世界の持って回った皮肉を大悟はやっと理解した。巨大な実験施設を使って行なう大規模実験を空想のCG映像を元に中止しろというようなものだ。


「大体理屈に合わないでしょ」


 自分の怒りに全く動じないさらら、大場はいらだたしげに三つ並んだ空間の折り紙を指差した。


「講師の理論はゲーム理論で計算される情報テンソルの描く情報と独自の余剰次元の幾何学的性質の共鳴。そして、それによる空間の相転移とその結果としての物理法則の変更よね。その余剰次元、つまりそこに描き出したORZLの形は地球規模のネットワークを主な入力として千差万別に変化する。ORZLの理論的にあるべき可能性も莫大な種類が考えられる」


 大場の言葉は大まかにしか分からないが、彼がさららの理論を大悟とは比較にならないレベルで理解していることは伝わってくる。


「つまり、ほんの少しでも似た形状が生じる可能性はゼロに等しい。なのに今の説明だと大まかにでも同じ形状が三回も生じることになる。しかも、地球上の位置という意味ではほとんど同じ場所に二回。おかしいでしょ。まるでこれに意志があると言っているようなものよ」

「これはネットワークの産物だし、人間に意志があるなら、これにもあるでしょ」

「それなら、そこいらに転がってる石ころだって分子のネットワークよ。そんな話をしてるんじゃないわ。貴方の理論からして、貴方の結論はありえないって言ってるの。大体そんなことが出来るなら、講師自身がとっとと実験に使うでしょ。ストックホルムでもどこでも行けば良いわ」


 大場の指が壁の奥を指した。恐らく北西の方向だ。


「純粋に考えたらその通り。あり得ない確率。それこそ宇宙の寿命を何百回繰り返しても。でも、ある条件を付け加えるとそれは起こりうる。オーバは言ってなかった? 事故の後でハッキングを受けたって」


 突然話がコンピュータのセキュリティーになった。最初の見学の時、確かに大場はそんなことを言っていた気がするが……。


「トンデモですらない。もはや陰謀論ね。あれは最新の小型加速器の情報が狙いでしょ。産業スパイの……」


 そこまで言って大場は言葉を止めた。さららを睨んでいたギロリとした目が、素早く左右に振れた。


「証拠がないわ。もし貴方の言葉が妄想じゃないなら、世界規模のネットワークの挙動に変化が生じるはず例えば――」

「ネットワークトラフィックのエントロピーの変化とか?」


 さららが大場の言葉を取り上げると、パソコンを操作した。地球儀の上にネットワークのトラフィックが表示され、横に日ごとの棒グラフが表示された。グラフは右肩下がりだ。


「少しずつだけど、日を追うごとにネットワークのトラフィックのエントロピーが低下してる。今は直線にしか見えないけど、変化率を見ると実際には等比級数的だってわかる」


 さららがグラフの先を伸ばした。十日後、始業式前日に向けてグラフが急激に低下していく予想図が現れた。大場は押し黙る。


「今から私が言うことを確認するくらいは問題ないでしょ。コンピュータへの侵入者が本当に狙っていたデータは本来ならイレギュラーであるはずの四月の事故のデータだったって筋書きなんだけど」


 さららがいくつかの項目を告げた。大場は太い指でスマートフォンを握った。


 「ええ、そう、アクセスされたデータの……。違うわ、そちらじゃなくて。そう、テーブル番号は……。………………………………そう、ええ、わかったわ。いいえ、今はいいの。ここじゃ話せないから」大場が電話を切った。


「……前に自分にテクノロジー系の巨大企業を複数操作できればと言っていたわね」


 そして沈黙した。腕組みのまま、まるで銅像のように静止した。動かない大場。じりじりと時間が過ぎる。完全に解っていない大悟まで緊張で体が固まる。


 大男が人間に戻るまで数分を要した。


「まず、さっきの黒体放射の仮説をこちらで検証する」


 大場がまずそう言った。さららが頷く。


「それで、その結果に妥当性があった場合のみ。貴方の話を検討に乗せてあげる。そうね、十日後の実験までに検証可能な実験を提案して。そして、その結果で考えるわ。それ以上は無理」


 さららをにらみつけたまま低い声で言った。


「まあ、やってみるよ」


 さららはさっきまでと同じ表情で答えた。それを確認して、大場は大股で地下室を出ていった。


 ドアが閉まるバタンという音で大悟は我に返った。後半の話は全く解らなかったが、大場が条件付きとはいえ検討すると言ったことの意味がジワジワと染みこんでくる。


 ほんの僅かでも可能性があると大学教授けんいが考えたと言うことだ。トンデモ理論の変人科学者が高校生の自由研究を元に考えた危機に。


 しかも、話の流れだと彼の父が失踪した5年前とも関係していることになる。さっきまで全く現実感のなかった話が急に実像を帯びている。5年前の事故の新聞の写真、コンピュータがなぎ倒され、中心部が黒焦げになった光景が蘇る。


 いや、もしさららの予想が当たるならもっと酷い。0.012グラムの質量のエネルギー化。街の一角くらいは吹き飛ぶ話なのだ。


「というわけで三人には協力してもらわないとね」

「えっ、あの、なんで僕達が!?」


 大悟は素っ頓狂な声を上げた。どう考えても高校生に任せる仕事ではない。


「情報漏洩の可能性を考えて、関係者しか使えないから」

「情報漏洩? どう考えても悪質なデマと思われるだけでしょ。なあ綾」


 大悟は綾を見た。だが、綾は首を振った。春香を見るが、やはり青ざめた顔だ。


(こっちの課題は提出どころか採点も終わったはずじゃないか)


 大悟は頭の中でうめいた。5年前のこともある上、こんな話を聞かされては協力はいとわない。だが、大きな問題があるのだ。彼はどう考えても何の役にも立たない。

2018/02/10:

来週の投稿は火、金の予定です。

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