23話:前半 追試?
2018/04/18:
SAGAとしていたゲーム会社の名前をフェリクスに変更しました。
「あ、ああ。な、なるべく早く行く」
いきなり地下室に来いという綾からの電話に大悟はなんとかそう返事をした。
「ふうーん。で、今何してるの?」
「いや、別にちょっと取り込んでただけだよ」
まさか春香に襲われかけてました、とは言えない。
「怪しい。夏美も朝から挙動不審だったって言ってるし……。なんか女の声が聞こえない?」
「いや、それは……」
「……まあそんな場合じゃないか。なるべくじゃなく、すぐに地下室に来て」
「あ、ああわかった」
「じゃ、切るね。…………あ、あと春日さんによろしく」
「…………」
綾は最後にそう言った。完全にばれている。後で何を言われるか
「えっと、なんか地下室……じゃなくてラボにって話だけど。なんか急いでほしいみたい。そっちも?」
机から戻ってきた春香に聞いた。春香も頷いた。
聞こえてきた限り、春香への電話はさららからだ。同じ内容だろう。春香のことは春香次第と言っていたのは二日前なのに、いきなりラボにこいだ。綾もいつになく慌てていた。本来ならもっと追求があるはずだ。
互いにSかMかなどという争いを繰り広げていた大悟達と違い、おおよそ動じるという事が似合わない二人が揃っておかしい。一体何が有ったのだろうか。
しかし好都合と言えば好都合だ。このままなし崩しに春香がラボに復帰すれば大悟の心配は片づく。
「じゃあ行こうか」
大悟は春香を促した。だが、春香は立ち尽くしたままだ。
「……やっぱり今更顔なんか出せない」
そう言って顔を伏せた。さっきまで大悟を組み伏せていた強気がどこにもない。
「せっかく向こうから……じゃなくて、話だけでも聞くほうがいいんじゃない?」
「そうしようと思ったけど、切れちゃったし」
春香が恨めしそうに手に持ったままのスマホを見た。
「……あの事故の仮説のことでなんかあったみたいだけど。気にならない?」
まるで実家に帰ってきた離婚危機の娘を説得する父親だなと思いながら大悟は説得を続ける。
「……九ヶ谷くんの仮説でしょ、私には関係ないじゃない」
「だから、あれは三人の発表だから……」
「…………」
「えっと、確かにバツが悪いと思うけど。いや、あれだけかっこ悪いところを晒した後で酷だと思うけどさ。でもほら、サイエンスモードの春日さんはそういうこと気にしないのが持ち味じゃないのかな」
「…………」
大悟は失礼を承知でいった。横顔の春香の頬が紅潮した。
「それにほら、僕だけが行っても何もできないと思うんだよね」
何があったのかは分からないが、あの仮説絡みなら必要なのは春香だと思う。というか、大悟は本当に必要なのだろうか。
春香はキュロットスカートをつまんだ指をもじもじさせている。そして……。
「さっき言ったこと…………ほんと?」
顔を背けたまま、聞いてきた。
「言ったこと?」
「サイエンスやってる私の方が…………いいって」
「あ、ああキャラの話ね。うん、それは絶対。そう思う」
さっきみたいにいきなり押し倒されなければだけど、と心のなかで付け加える。
「私が必要だと思う?」
「あ、ああ、だってあのシミュレーションとか。僕は自分のシナリオだって言われても意味が分からないし」
「……………………行くだけ行ってみる」
春香がやっと足を前に抱いた。ドアに向かう春香に大悟は続いた。
長い廊下を春香の後ろに続いて歩く。春香の歩調がだんだん早くなるのが解った。期せずして目的達成である。これからラボで何があるか知らないが、大悟はとりあえずホッとしたとき、丁度玄関が見えた。
春香がぴたりと足を止めた。
「最初の話はまだ終わってないから。借りは必ず返す。忘れないで」
背中を向けたままの春香がいった。
そんな悪党の捨て台詞みたいに言われても意味が分からない、大悟はそう思った。
◇◇
地下室に入った大悟の足が止まった。
ドアを開けて春香を中へ促す大悟をジト目で見る綾は想定内。春香がいなくなってほんの数日で明らかに散らかり始めている部屋の様子も理解は出来る。
ただ、景気の悪い地下空間に似合わないパリッとした白いスーツの大男が腕組みをして立っていたのだ。
弟子ではなく師の方の首案件だろうか。大場の締め切りにはまだ時間があるはずだが。
「やっと来た。発案者達が居ないんじゃ勝手に説明できないんだから」
さららが言った。発案者達という言葉に春香が顔を曇らせた。
「そろそろこんなところに呼び出した理由を聞かせて。私、筑波のプロジェクトでとても忙しいの。今貴方に提供してあげてるコンピュータセンターの計算量の割り当ても含めて、抱えてる仕事は沢山あるの。暇な講師と違ってね」
どうやら大悟達同様、大場もいきなり呼び出されたようだ。大悟は改めて地下室に集まった人間を見渡した。最先端の実験施設の教授と、異端の理論を上げる若い非常勤講師、そして高校生が三人。なるほど、意味がわからない。
特に彼自身の存在が。
「そんなに時間は取らせないから。それに、その筑波と関係ある話なんだな」
どこを吹く風のさらら。その様子はいつもどおりだが。ホワイトボードにはプロジェクターの準備が整っている。手元にはノートパソコンがある。
散らかり始めた部屋に、準備万端のプレゼンの用意だ。
「まず、四月に起こった先核研の事故の仮説の説明からね」
さららが説明を開始した。おなじみの加速器のフレームワークのCGにシミュレーションが始まる。Lczによる重力強化と原子核の重力崩壊。マイクロブラックホールの発生とその蒸発。
基本的に大悟のシナリオに基づいた流れだ。違うのは、仮説と事故の時のセンサーのデータのヒモ付が完全になされていること。最後は例の黒体放射の波長パターンだ。提唱者と言われても大悟は概要しか分からない。
「……これを貴方が考えたの?」
説明を黙って聞いてた大場は大悟を見ていった。厳しかった顔が高校生達に向けて緩んだ。
「僕というか僕達で考えました……」
大悟は綾と春香を見ていった。半分は事実で残り半分は説明責任の転嫁だ。大場は腕組みをして考え込む。
「面白いわね。いいわ、若い学生さんの発想のユニークさに敬意を表して、事故の熱の発生が純粋に黒体放射になるという前提で破損の再シミュレーションしてみましょ。コンピュータセンターはフェリクスとの新しい共同プロジェクトできつきつなんだけど」
恩着せがましい言葉だが、表情は柔らかい。せっかくの学生の自由研究にケチを付けたくないという感じなのだろう。
これで見当違いと言うことになれば、どれだけの費用と時間を無駄にさせたことになるのか。だが、大悟は大場の口から出たもう一つの単語に驚いた。フェリクスとはあのフェリクスソフトだろうか。
日本最大のゲームメーカー。最近稼働したばかりの大規模オンラインゲームが大きな話題になっている。
「それで良い結果が出たら講師も今回の件は合格で良いわ。もちろん、マイクロブラックホールの発生なんて信じないけど、元々貴方の首になんか興味ないし」
大場は鋭い目をさららに向けた。隣を見ると、春香が少しほっとした顔をしている。「じゃあ、これで話は終わりね」と言って大場は背をむけようとした。
大悟がフェリクスの事を聞こうか迷った時、
「違う違う。私がいいたいのは今のを前提とした、これからオーバが引き起こす事故の話」
さららがしれっととんでもないことを言った。大場の足がぴたりと止まった。大悟は首をかしげた。春香もキョトンとしている。綾だけが真剣な表情になった。
全員の注目を集めた傍若無人な若い研究者がノートパソコンを叩いた。
新たに映し出されたのは、以前に先核研の巨大曲面ディスプレイに出たこの街の過去の情報重心だ。未だ理解できていないゲーム項によって計算される情報の竜巻。
今説明された仮説では重力の強化によるマイクロブラックホールの発生を引き起こした元凶だ。
「ダイゴ達のおかげで、重力の解離定数の上昇、それも重力崩壊クラスの、に絞ってORZLの形状の絞込が出来たんだけど、その過程で面白いことが分かったの」
よくわからないふよふよしたポリゴン画像が地図の上に飛び出した。話の流れから言って、ORZL理論の二次元の余剰次元、空間の折り紙だろう。いかがわしい動画のように所々がぼやけている。
だまし絵のように見ていると眉間に負担が掛る形だ。自分たちの考えに基づいて作られた形と言われてもさっぱりだ。
「そして、これが五年前のアメリカ西海岸の情報重心で予想されるORZLの形状」
隣に映し出されたのは違う形の折り紙。こちらのほうがずっとぼやけている。春のが六角形に近いとしたら。こちらは四角形に近い。もちろん、曖昧な印象でだ。五年前という言葉に大悟は思わずつばを飲んだ。
それは、彼の父が失踪した時のものと言うことだ。だが、彼には二つ並んだ形が何を意味するのか全く解らない。
「共通点、いえ発展……」
隣にいた春香が息を呑んだ。
「そう、これをトポロジーで表現するとこうなる」
二つの折り紙が半透明になり、内部にある折り目と交点が強調された骨格の様なものが表示された。よく見ると、二つの折り紙の奥にある線の形状が表面の様相とは違い、似ているのがわかった。
「これがどうしたっていうの。貴方の机上の空論に付き合っている暇はないの。言ったでしょ。うちの加速器が使えないから筑波の施設での再実験しなくちゃいけないの。私自身が現場に行けないから、打ち合わせておかなくちゃいけないことが沢山有るの。今日もそのビデオ会議があるの」
「だからオーバを呼んだの。これが最後」
さららがパソコンを叩くとCGの地球儀が出現した。アメリカと日本の間にある世界最大の海、太平洋を中心に拡大された画像。
そこには、台風の気圧図のようなものが見える。進路の予想図はまっすぐ日本に向いていた。




