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複雑系彼女のゲーム  作者: のらふくろう
第一部『物理学の爆弾』

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22話:後半 MとS

「……………………でも。私……酷いこと言ったから」


 春香が顔を背けたままぼそっと言った。大悟は衝撃を受けた。


「…………どうしたの。まるで悪いものでも食べたような顔をして。私何も出してないよね」

「……そうだね。お茶はおろか水すら出てないね」


 大悟は平らなテーブルを見て言った。そう、彼が驚いたのはそんな彼女が罪悪感を抱えていたことだ。


(どんだけ切羽詰まってたんだか……)


「九ヶ谷君にあそこまで言って私はあのざま。スタートラインにすら立てずに、九ヶ谷君達の努力も全部台無しにするところだった。それなのに、貴方の正しい…………仮説を否定して。腹が立ったでしょう」

「まあ、何というか。うん。図書館の時は実はかなりむかついた、かな」


 大悟は素直に言った。


「だったら憂さを晴らせば良かったんじゃない?」


 春香はふてくされたようにベッドを見た。あまり刺激しないで欲しい。優等生でも理系少女でもない、まるで普通の女の子のような今のその様子。これまで見せてきたのとは違う可愛さがあるのだ。


 レアリティーによる錯覚と大悟は戦っていた。


(勝ち気さが戻ってきたのはいいけど……。どう考えても納得してない)


 自分の理性を守るためにも、大悟はどうやって納得させるべきか考える。一つだけアイデアが浮かんだ。あまりいい手ではないが、しかたがない。


「じゃあこれでどう。最初に僕達が地下室……さららさんのラボに現れたときのこと、覚えてるよね」

「……」

「あの時春日さん、僕がストーカーっていうか、後を付けたんだって、そう疑ったよね」

「そう言えばあの時も……」


 春香は下唇を噛んだ。大悟は慌てて手を降った。


「あれ半分は当たってるから」

「…………どういうこと」

「なんというか、春日さんの様子がおかしいなってちょっと思ってて。いや、隣の席だからね。その目に付くっていうか……。で、綾から春日さんが大学から出てきたって噂を聞いて、それで、その……。綾が大学の学食に取材に行くのに便乗してっていうか……」


 正確ではないのだが、綾のせいにするわけに行かない大悟はこう言うしかない。


「…………つまり」


 春香はやっと前を向いた。


「その、厳密に言えば後をつけたわけじゃないし。さららさんに捕まってラボに行ったのは本当に偶然だけど。でも、なんというか、詮索するようなことをしようとしたのは確かで……。ごめんなさい」


 そう言って小さく頭を下げた。


「これでおあいこということでどうかな……」

「…………」


 無言の春香の表情を伺う。押し黙った彼女の沈黙が辛い。おあいこどころかこちらが有罪ということも……。


「………………私も…………。ううん、私。ひどいこと言ってごめんなさい!!」


 不安がピークになったとき、春香が頭を下げた。せき止めていた言葉をやっと吐き出したような、そんな言葉だった。


◇◇


(ああ、渇いた喉にしみる……)


 やっと出されたお茶、黄色がかった日本茶だった、を飲んで。大悟はやっと人心地付いた気分になった。大悟が湯飲みを置くと、春香も同じタイミングで湯飲みから口を離してテーブルに置いた。


「自分があんな感情的な反応するなんて、がっかり。あげく九ヶ谷君なんかに負けて、しかもそれを認められずに逃げ出すなんて……」


 調子を取り戻したのか、今も割と酷いことを言っていると思うが、大悟はそれは言わないことにした。やっと落ち着いたのだ。それに、話があちらの方に向かっている。綾の言う「大悟のせいで心が折れた」などという罪悪感ではないが、春香がこれからどうするのかは気になる。


「さららさんの言うとおり、私科学者なんて無理なのかな」


 春香が向いてなければ科学技術立国と言われる日本の将来は本当にまずいと思うが、それは口に出さなかった。この場合、単純な能力云々の話ではないのくらいは解る。さららも春香の能力に疑問は持っていなかった。


 才能があると言っていたくらいだ。


 だが、それを告げるのは彼の役目ではない。何の説得力もないからだ。大悟は言葉を探す。彼にとって、春香にこんな風に諦めてほしくない理由がある。それは、これまで約一月春香と一緒に過ごして気がついたことだ。


「えっと、僕の勝手な望みとしてはだけどね。その、春日さんには科学者の道をあきらめて欲しくはないと思う」

「……どうしてそう思うの。私の情けなさを目の前で見たばかりでしょ」


 春香が眉根を寄せた。この状況においても心地よい言葉に警戒するその精神構造がまさしく科学者向けだと思うのだが、言いたいことはそれではない。


「えっと、僕があの仮説、シナリオを思いついた方法なんだけどね……」


 大悟がそういうと春香がはっとした顔になった。


「実は僕はゲームを作ろうとしてて、その場合の考え方なんだけど、自分の作った世界の中にキャラクターを放り込んで、彼らがどう動くかってことを想像するというか。それで、今回もその、そんな感じで仮説の各要素を……」


 大悟は説明する。春香は食い入るように説明を聞いた。


「思考実験……。みたいなものね」


 シナリオを思いついた過程を説明し終わると、春香は何か高尚っぽい言葉を使った。いや、妄想だけど、と心の中で訂正しながら、大悟は次に口から出す言葉を慎重に選ぶ。


 ここからが本題なのだが、今から言うことは取りようによってはとても気持ち悪いのだ。


「それで仮に、あくまで仮にだけどね。春日さんがそのゲームの登場キャラクターだったとしたらって、そう考えた場合にね……」


 頬に血が上るのを感じながら、大悟は覚悟を決めて最後の言葉を吐き出す。


「サイエンスモードの春日さんの方が魅力的だから、かな」

「えっ……」


 部屋に沈黙が広がった。困惑した表情のまま固まった春香に、大悟はいたたまれない気分になる。やはりどう聞いても気持ち悪い言葉だ。


「……マゾヒストなの?」


 次の瞬間、春香が目を見開いていった。


「違う!!」


 違うはずだ。春香にののしられて快感を感じたことなどない。むしろさっきの少し弱気になった彼女にくらっときたくらいだ。ただ、教室の非の打ち所のない横顔より、彼を正面から見て「ありえません」という春香のほうが生き生きしてると思っただけだ。


「えっとね、だから今のはあくまで――」

「確かめないと。九ヶ谷君ちょっと立って」


 大悟の言葉を遮って春香が突然そんなことを要求してきた。身の置き所がない気分だった大悟は、言われるがままに立ち上がった。


 春香が自分の方に手招きをする。何が何だから解らないまま、大悟はテーブルの向こうに向かった。


「重心はここらへんね」

「重心? ここらへんってなんのこ……えっ??」


 背中に回った春香の言葉が聞こえた瞬間、彼の体が回転した。気がついたらベッドに倒されていた。どうやらテコのように春香の手を支点に転がされたらしい。掛け布団から甘い匂いが立ち、大悟の意識がそれに囚われた。次の瞬間、春香が大悟の太ももを跨ぐようにのしかかってきた。


「か、春日さん!? い、いったい、な、なにを……」


 混乱の中大悟は左右に首を振る。甘い匂いが濃くなった。さっきいやしたばかりの喉が早くもカラカラになっている。


「九ヶ谷君がマゾヒストだって仮説を検証するの。もし正しければこうしたら喜ぶはずよね。さっきのは単にシチュエーションが好みじゃなかったという可能性が……。だって、ストーカーするくらいには……」


 春香は大悟を見下ろしながらとんでもないことをいい出した。大悟の足を挟むように、キュロットスカートからの太ももが触れる。石鹸の匂いが鼻に届く。彼の上から漂ってくる、清潔感のあるはずの石鹸の匂いまで甘ったるい。


 性的嗜好など関係なしに、あまりに危険なシチュエーションだ。


「…………なんだか九ヶ谷君を見下ろしているとおかしな気分になるわね」

「僕がマゾかどうかより、春日さんは自分がサドじゃないかを気にした方がいい」


 サイエンスとサド、どちらもSと略せる。となると、これはSの二乗モード……。大悟はそんなどうでもいいことに気がついた。


「マゾヒストじゃないとすると……。ゲーム好き……、もしかして次元を一つ落とした世界にしかって、あの時選んだゲームでも女の子が服を……。でもだったら……」


 春香は大悟を何かの種類の性的倒錯者に分類しないと気が済まないらしい。ベッドと春香本人の匂いに挟まれている大悟は限界が近い。このままでは生物学的に無実の行動で社会的分類が確定しかねない。


「そこら辺のこと、もうちょっとちゃんと確かめないと……」

「いや、お願いやめて」


 春香の目がおかしい。わずかに身体を倒してくる。ベッドがギシッと音を立てた。ああ、もう駄目だ、大悟が観念しそうになった時……。


 ヴッ、ヴッ、ヴッ


 部屋の奥の机と大悟のお尻から同時に振動音がした。その音に、春香がぱっと上体を起こした。春香は少し迷った後、ベッドから降りた。そのすきに大悟は自分のスマホに手を伸ばした。


「大悟。今どこ。ちょっとあの地下室まで……」


 救世主のように飛び込んできたのは綾の声だった。スマホ越しにパティシエ・ド・ラタンのBGMが聞こえた。


 隣で何か言っている妹の声が微かに聞こえる。「今朝出かけたときの様子からして、絶対アヤしい」など勝手なことを言われているようだ。現在女子のベッドの上にいる彼には刺さる言葉だ。


 ただ、それとは別に綾の言葉に珍しく焦りがあることに彼は気がついた。


「……えっと、さららさん。その……、えっ、今からですか。でも、私は……」


 机の方にいった春香の戸惑ったような声が聞こえた。なんと、春香のことは春香次第と言っていたさららからのようだ。


 どうやら彼が巻き込まれた奇妙な自由研究は終わってないらしかった。そのことに安堵している自分に大悟は気がついた。

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