21話:後半 求める世界
「で、でもその、合格は合格なんですよね」
大悟はさららに聞く。今回は上手くいかなかったとしても春香はまだ高校二年生だ。これからいくらでも伸びしろはあるはずだ。
「合格って言ったからね。もちろん、ハルに続ける気持ちがあればだけど」
さららの言葉は安心には程遠い。大悟は春香の最後の様子を思い出す。教室での彼女と違って、サイエンスモードの春香はとても気が強くて、空気が読めなくて、そしてどこかもろい。
リスクのない世界、答えが決まっている世界。もし、春香がそういった世界を求めていたのなら。彼女に今日突きつけられたものは……。
理不尽なショック療法じゃなくて。最初から今のようなことをちゃんと教えて上げればいいのに、そう思った大悟はあることに気がついた。
「さららさん本人の仮説はどうなんですか。一応首が懸かってるんですよね」
大悟は言った。思わず声が尖っていたのは仕方がない。考えてみれば春香にまだやる気があっても、当のさららがいなくなったらどうするのか。
「ああ、私のはこれだよ」
さららが自分の席に戻るとパソコンを操作した。プロジェクターが映し出したのは、たった1枚のグラフだった。
横軸に波長、縦軸が放射強度。当然大悟にはわからない。そこに、4つの点がプロットされているだけ。
「事故のときセンサーが捉えた複数の波長の値。ここからオーバ達が推測しているスペクトラムは……」
さららの指が動くと点に沿うように山の字を滑らかにしたような曲線が生じた。大場のところで見た事故の時にセンサーが捉えた光の波長のグラフになった。
「そして、私の予想がこれ……」
二本目の曲線がグラフに加わった。プロットされた4点を通っているのは同じでもかなり形が違う。まるでオットセイを横から見たような左に偏った一つの山だ。
「この二つのグラフを比較して分かる通りオーバは低い温度の部分を過大評価して高い温度の部分を過小評価している。これに基づいて計算すれば、爆発のエネルギーは二割ほど増える。その方が向こうのもってる穿孔の周囲の破損状態に合うはずだよ」
さららは二つのグラフの囲んでいる面積を色で比較してみせた。
「この形が何か特別な物なんですか?」
綾が聞いた。
「むしろ何の変哲もないとも言えるかもね。これは、この世で最も自然な波長の分布。理想的すぎて少なくとも地球上には存在しないはずの分布なの。名前は黒体放射」
「黒体……放射?」
また聞いたことのない言葉だ。だが黒体。黒……。
「黒体。つまり、ありとあらゆる波長の光を吸収する物体。その物体が持っている熱に応じて放射する電磁波、光のスペクトラム。これはあるものの放射と一致すると言われている」
「あるもの?」
「そ、ブラックホールの蒸発により生じるスペクトルのパターンは黒体放射だと予想されてるの」
さららは言った。
「さららさんは最初から答えを知ってたって事ですか」
大悟は自分の答えとさららの答えが一致していたことに、むしろショックを受けた。最初からそれっぽい仮説を目指していただけとはいえ、これでは茶番ではないか。
だが、さららは首を振った。
「さっきの話聞いてた? 私が考えていたのは純粋に八時のユニットの観測データから導き出されるべき曲線。オーバと違うありとあらゆる事が生じるという前提に立って一番自然なものを選んだ。これが生じる理由については何の予断も持ってなかった。大体、一度目の熱の放射パターン、こっちはどう考えても黒体放射にならない、の発生原因はなんだろうって思ってた。ごく短期間に全く異なる性質の爆発が二回。実はこれもかなりの謎だったんだよ」
さららはそう言うとあらためて大悟を見た。
「一つ目は荷電マイクロブラックホールに電子が落ち込むときの電磁波だね。まったく、よくもまあ思いついたね」
感心したように言うさららから、嘘は感じられない。
「いや、これは単なるでっち上げのつもりで……」
「駄目だな、自分の考えは信じないと。アインシュタインになっちゃうよ」
「成れるか!」
大悟は思わず突っ込んだ。
「私たちを巻き込んだ理由は何ですか?」
綾が話を引き戻した。
「アヤとハルは考え方が正反対でしょ。ハルの刺激になることを期待してかな」
春香が6時のユニット、綾は8時のユニット、原因と結果、理論と現実。確かに正反対だ。
「じゃあ、大悟は?」
「教えられる立場だったハルが教える立場になれば違う光景が見えるでしょ。まあ、厳密なハルとイメージだけは豊かなダイゴ。うーん、当て馬とかいう日本語があったかな」
大悟は完全に誰でも良かった役割だった。だが、悪びれないさららに怒りは湧かなかった。目の前の変人が教育者のような視点を持っていたことが意外だったくらいだ。
「こう言うと失礼ですけど。思ったよりもちゃんと教育者ですね」
綾も言った。
「普通はやらないけどね。まあ、あれだけ才能があると、惜しいなって思っちゃうんだよね」
さららはやっと春香を評価するようなことを言った。もっと穏便な方法を取って欲しかった、そう思う大悟にさららの視線が向いた。
「ところがところが、まさかダイゴが本当に解いちゃうなんてね。やっぱり慣れないことに手を出すもんじゃないね」
「やっちゃったね大悟。そりゃ、春日さんも心折れるわ」
「僕のせいみたいに言うなよ……」
春香を助けたなどと言うつもりはなかったが、いくら何でも理不尽すぎる言われように大悟は抗議した。
「でも……」
ドアの向こうを見た。春香があの様子で外に出たことが改めて心配になる。
「春日さんは無事お姉さんに拾われたみたいだから。まあ良いんじゃない」
綾が取り出したスマホを見て言った。一体どこに情報が繋がっているのだろうか。それでも、大悟はほっとした。
「それはそうとダイゴ。五年前の情報重心だけど、あと少しで結果が出るよ。ちょっと面白いことになりそうだから、期待してて」
話がぱっと変わった。今そんなことがと言いたいが、春香のことは春香次第。その姿勢を貫くつもりらしい。
(そりゃ確かに本人の問題だけど……。いや、もう僕には関係ないんだよな)
完全なラッキーパンチで上級者を倒してしまった初心者。大悟が何か言えば間違いなく逆効果になる。
そもそも、二人の接点である夏休みの共同研究は今日で終わった。春香と一緒に図書館でゲームしたり、春香と勉強会したり、春香を送って大学まで一緒に歩いたり。そして、春香に罵倒されたりすることはもうない。
夏休みはあと二週間あるが、春香とは二学期まで会うことはないだろう。そして新学期、先程の様子では春香が彼を避ける方が自然かもしれない。いや、教室での春香なら普通に挨拶してくるだろうか。二学期の席替えで隣の席でなくなるまでのことなのだ。
仮に万一また隣の席という偶然が起こったとしても、”あの春香”と何の接点もない今後の自分が容易にイメージできてしまう。
教室の優等生とは全く違う、この約一月の間一緒に過ごした春香とはもう会えない、大悟はあらためてそのことに気がついた。




