20話:前編 プレゼンー前座
地下道を通り、ドアを開ける。中から眩しい光が目を刺す。いつもの過程を経て部屋に一歩を踏み込んだ。
目が慣れると部屋の奥の中央にホワイトボードが見えた。その前に小さな台があって、四角い機械が電源コードの尻尾を見せている。
機械の左右に二人の白衣の女性が立っている。今日の試験官である大学講師と試験の成否を決める主役であるクラスメイトだ。
プロジェクターの用意をしていたようだ。綺麗に消されたホワイトボードにあの加速器のワイヤーモデルが映し出されている。
振り返った春香が大悟を見て少し驚いた顔になる。そして、さっと顔を背けた。
「ちょっと、早く入ってよ」
春香のすげない態度に、一歩目で止まった大悟。だが、綾の言葉に仕方なく前に進んだ。
「間に合ったみたいですね」
綾がさららにいった。
「うん。ハルは来ないかもって言ってたけどね」
春香は無言だ。もしかしたら、全て自分でやるつもりだったのかもしれない。
(実は来ないほうが良かったとか……)
大悟は早くも不安になる。だが、綾は両手をハの字にして天井に向ける。
「まさか。私のプレゼンは自信作ですよ」
「それは楽しみ」
いつも通りマイペースの二人の会話。大悟としてはあまりハードルを上げてほしくはない。大体、分担は決まっているとはいえ、三人で通してもいない発表だ。
ちなみに、彼の仮説は綾にも言っていない。あれは考えてみただけ。それが大悟の判断だ。
大体、仮説の提出は春香の役割だ。
「じゃあ揃ったところで始めていいの?」
「五分だけ打ち合わせの時間ください」
綾がいった。
「オッケー。じゃあ準備できたら言ってね」
さららは自分の机に戻ると、パソコンの画面に息を吹き込んだ。映っているのは例によってアメリカの地図だ。大場との約束まで、後一週間ではないのか。彼女だって首がかかっていたはずだが……。
「打ち合わせ通りの順番でいいよね。私が事故の背景の説明、大悟がORZLの概要、そして本命の仮説の発表は春日さん」
「…………えっと、その、二人共……。わかった。予定通りでお願い」
綾と大悟のレジュメを受け取ると、ちらっと見て春香は頷いた。どう見ても、大悟達の発表内容には興味がなさそうだ。
「いいですよ、さららさん」
無線でスマホをプロジェクターに投射する確認を手早く終え、綾がさららを呼んだ。ついに、夏休みの特別課題の発表が始まる。
明かりが落とされた部屋、綾は気負いを感じさせない歩調でホワイトボードの前に向かった。大悟達三人はプロジェクターの後ろに応接テーブルから移動させたパイプ椅子に座った。
中央にさらら、その左右に大悟と春香だ。
綾がスマホを操作するとホワイトボード上にパステル調の明るいデザインのページが開いた。綾のブログと同じ基本デザインだ。どうやらHTMLで作っているらしい。
「私が説明するのはこの春に先端核医療研究所の加速器に起こった事故。その状況と解決が急がれる理由です。まず、事故で止まっている加速器の目的について……」
綾はよどみ無く説明を始める。癌の重粒子線治療を始めとした加速器の役割と、それが止まっていることで生じる損失。
国や企業との共同プロジェクトの名前に公開されている予算。さらに、事故当時のニュースや世界各地の同様の科学施設の事故で生じた科学に対するバッシングなど。
新聞記事やニュースの報道、そしてインタビューした研究員達というソース付きだ。あの取材を見た大悟ですら、どうやって調べたんだと思うくらい詳しい。
横を見ると、さららは感心したように頷いている。春香もさっき気もない風に受け取っていたレジュメを熱心に見ている。
「次に事故の瞬間にセンサーが捉えたデータと、実際の事故の痕跡……」
綾は8時のユニットに生じた現象について説明する。穿孔、熱、二度のガンマ線。大場の取材で入手した情報だ。
「このように、事故の後に残った穿孔自体とても小さなものです。しかも、この穴は殆どが爆発で生じた金属の蒸発によるもの。原因となった”何か”は更に小さいと考えられます」
綾は8時のユニットの写真を拡大したものを指差していった。
「つまり、事故の瞬間に起こったことをまとめると以下のようになります」
1,穿孔の形状と管の材質。そして、発生した熱や光から、爆発は針先よりも小さな領域から生じている。
2,中心部の温度は一瞬で数万度まで上がったと推定。ただ、集中しているため、エネルギーの総量としては90ジュールという低いもの。
3,その領域に詰め込める物質の重量は最大1pg以下と推定される。
4,ガンマ線の発生は二回、それぞれ波長の分布が異なる。
綾がまとめのページを開いた。見学のときのものだけでなく、取材で大場から聞いた数値も盛り込んである。
「というわけで経済的にも技術的にも、そして世論と科学行政という意味でも、事故の解決と加速器の稼働再開が急がれるわけです。ところが、事故の原因は杳として知れず、その最大の問題が8時のユニットで起こった爆発のエネルギー源というわけです。以上が、今回の事故の背景説明になります」
綾はそう言って説明を締めた。
「おおーー。すごいすごい。うん、ここまでだったら『優』を上げないといけないね」
さららはパチパチと手を叩きながら言った。大学の基準は解らないが、どうやら高評価だ。
「じゃ、続きよろしく」
壇上、といっても同じ高さだが、から降りた綾が言った。大悟は綾と入れ替わるように前に進む。
思いっきり上がったハードル。その下をくぐるような姿勢になる。途中で春香が顔を上げる気配がした。だが、薄暗がりの中で表情はよく分らない。
「えっと、その……僕が担当するのは……。事故を説明する仮説の前提、ORZL理論とLczについてです」
スマホをプロジェクターにつなぐと、大悟はつまりながら始めた。使うのは、学校の授業で使い方を勉強したプレゼンソフト。そのスマホアプリ版だ。
「な、なぜなら、今回の事故の本質的な謎とは綾、前の演者が説明したように
【最大1pg以下の量の”爆発物”から90ジュールのエネルギーを発生させる】
ことで、これは通常の物理学では考えられないからです。例えば1pgの水素の核融合で生じるエネルギーは12.6ジュールです」
大悟は綾の話を箇条書き一行にまとめ、問題の本質を定義した。そして、いよいよORZLに入ろうとする。
「つ、つまり……」
目の前にさららがいる。提唱者の前でその理論の説明をする。さららが黒と言ったら白も黒になりそうな気がする。
「ですが、もし物理法則そのものが変更するなら、可能性があります」
なんとかテーマを言い切った。最初に結論を言え、という綾の助言に従った結果だ。
「物理法則そのものを改変するのがORZL理論です。これをコンピュータゲームに例えて説明すると……」
大悟は冷や汗をかきながら言葉を紡ぐ。遊戯に例えると言ったときの春香の反応は気になったが、綾のときと違い心ここにあらずという感じだ。
「この海戦ゲームを世界だとすると、海域のマップが通常次元で、そこに配置されるコマとその動きがエネルギー。そしてその駒の性質と動きを決めるパラメーターが余剰次元に存在する……」
大悟は海戦ゲームのキャプチャーを使って余剰次元の説明をする。大学のホワイトボードにゲーム画面が並ぶのはシュールだが、当の本人にそれを感じる余裕はなかった。
「余剰次元の幾何学が変わると通常次元の物理法則が変更される理由は?」
突然、さららの質問が飛んできた。
「え、えっと……それは」
この前は「良い例え」と言ったじゃないか、そう思いながら大悟は必死に答えを探す。思い浮かべるのは、以前ここで春香と話しているときに浮かんだイメージだ。
「た、例えば、余剰次元で表現された艦船のステータス、攻撃力と移動力を余剰次元の面積として考えれば、別のパラメーターである建造費用とリンクさせます。もし余剰次元が変更すれば、実際の空間、ええっと、実際に僕達が認識している空間では、えっとその」
これはゲームの説明だと言い聞かせながら大悟は言葉を探す。
「そう、ゲームのルール、ルールが変わったように見えるはずです。つまり、単独の艦船だけでなく全ての艦船の建造費用の計算が変わる。ゲームの中の世界では、ゲームのルールが絶対なので、世界の仕組が変わると言うことで……」
大悟はしどろもどろになりながら答えた。さららが小さく頷いた。
「つ、次に、この物理法則の変更により、事故を引き起こすためのエネルギーが発生しなければいけません。ですが、ここに大きな制約があります。エネルギー保存の法則です。つまり、事故の時に発生した90ジュールのエネルギーの発生方法の前に、まず存在していなければいけないのです」
さららが次の質問を思いつくのを恐れるように、大悟は早口になってしまう。
その後も幾つか質問が飛んできた。綾のときは黙って聞いていたさららは、まるで試験官としての役割を思い出したようだ。
その度に、しどろもどろになりながら大悟は答えた。幸い春香から聞いていたことばかりだった。
「つ、つまり、まとめるとですね。最初に言ったように、必要なのは世界のルールを変更してエネルギー保存の法則に違反しない形で最大1pgの爆薬で90ジュールの爆発を起こすメカニズムということになります」
なんとか、最後のスライドまでたどり着き、大悟はプレゼンを終えた。さららは顎に手をやって沈黙している。
「肝心なところに踏み込み不足な気がするけど……」
吟味するような視線が大悟の頭頂からつま先まで走る。
「例えの上手さでおおまけにまけて『可』を上げましょう」
さららは恩着せがましく言った。『優』よりも低いことは間違いないだろう。だが、『可』というからには不合格ではないはずだ。
な、なんとか終わった、大悟は壇上で大きく息を吐き出した。
だが、プレゼントしての本番はこれからだ。大悟は壇上から最後のメンバーを見た。これまでのプレゼンは全て準備。彼女で全てが決まるのだ。というか本質的に、これは春香の弟子入り試験だ。
プロジェクターからの光で春香の顔は蒼白に見える。大悟の視線に気がついたのか、最後の演者はゆっくりと立ち上がろうとした。だが、
「あっ!」
膝の上に置いていたパソコンが滑り落ちそうになって、彼女は慌てて手で支えた。
どうやらかなり緊張しているらしい。春香の様子は、教室で見る非の打ち所のない優等生とも、科学を語るときに見せる不遜な態度とも違う。
2018/01/13:
来週の投稿は(火)、(金)の予定です。




