18話:後半 8時のユニット
「という感じで、これならエネルギーの量が足りるんじゃって。思ったんですけど……はは」
説明を終えた大悟は自嘲的に笑った。
「確かに、これだけの反物質が生じればエネルギー的には足りるわ。科学というよりもSFの話に近いわね。うちの加速器で反物質を生成するだけの出力は出せないけれど」
「すいません」
「いいえ、自由な発想は重要よ」
大場はそう言って少しだけ考え込む。
「アイデアとしては面白いけれど加速器のセンサーは反物質、つまり加速器内を走る粒子の電荷の逆転は捉えていない。もし、九ヶ谷くんの言う規模で電荷の逆転した粒子が存在したら、間違いなく観測に引っかかるわ。それは私が保証する」
大場は言った。装置の責任者による決定的な否定。おそらく気を使われている。だが、大悟はどこかスッキリしたものを感じていた。
「SFっていえばですけど。ヨーロッパにある世界一の加速器ですか、そこではブラックホールが作られて地球が滅ぶって、そんな話もあるみたいですけど」
「ああ、それは反科学団体なんかが盛んに宣伝したことね」
反物質などと口にした大悟が言うのも何だが、またアレな単語が出てきた。
「実際に作られている反物質と違って、作り出すのはかなり厳しいけれど。確かに、小さなブラックホール、マイクロブラックホールの生成は巨大加速器の目標の一つではあるわ。例えば、吉野講師の理論には余剰次元が決定的な役割を果たすでしょ。でも、余剰次元はその実在が確認されていない。ブラックホールが出来るかどうかは余剰次元の存在と関係するの」
「本当に作ろうとしてるんですか!?」
大悟は思わず言った。大悟のイメージではブラックホールは一度生じたら、周囲のものをすべて飲み込む。つまり、最初はいくら小さくてもどんどん大きくなるのだ。
科学者の好奇心のために、地球が滅びてはたまらない。
「心配はいらないわ。さっきの話だと、質量がエネルギーであることは認識しているのよね。ブラックホールの発生は質量そのものというよりも、その密度なの。加速器で光速に向かってどんどん加速していくことで、粒子の質量を増やしていくとか、加速した粒子をぶつけ合うことで空間のある範囲に巨大なエネルギーつまり質量を実現する」
大場の言葉に大悟は春香にやらされた計算を思い出した。光速の70パーセントで1.4倍。光速の90パーセントで倍。99パーセントで7倍、と際限なく質量が増えていくのだ。なるほど、行き着く先はブラックホールというわけだ。
「でも、宇宙から地球に降り注ぐ宇宙線の中には、加速器で作られるよりも桁違いに高いエネルギーを持った物があるの。つまり、加速器よりもブラックホールを生成する力は強い。私たちの星は日々そういうものにさらされているわけ。一説によれば空の上で、一日に何億個ものマイクロブラックホールが生成しているという試算もあるわ」
宇宙からブラックホールの元が降ってくる、恐ろしい話だ。
「どれだけ小さくてもブラックホールなんですよね。その、地球の空気とかを吸ってどんどん大きくなるんじゃ……」
大悟は思わず尋ねた。
「大丈夫。ブラックホールはその前に蒸発してしまうの。そうね、小さなブラックホールは空気中に浮いた小さな水滴のようなものなの。それが小さければ周囲の水分子を吸い込むよりも蒸発してしまう速度の方が早い。そんな感じかしら。もちろん、ある一定以上の大きさになると吸い込む量の方が大きくなって蒸発量を上回るから、そういうブラックホールが来れば地球は終わりね。もっとも、そんなブラックホールを作るだけのエネルギーを生じさせた時点で地球は滅んでいるけれど」
大場は茶目っ気たっぷりに言った。
「つまり、LHCの加速器でもしブラックホールが作れたとしても、宇宙から来るブラックホールよりも小さくて、宇宙から来たブラックホールよりも早く蒸発してしまう。だから、危険性はない。そういうこと」
「そうなんですね」
綾は一応納得したようだった。
だが、粒子加速器でブラックホールを作るというイメージから、大悟の頭には一つの可能性が生じた。机に広げられた事故の写真、中心の小さな穴と周囲のねじれたような変形。
この穴、あのねじれたような穴は、爆発じゃなくてブラックホールに食われたのだとしたらどうか。大場の話ならあの加速器ではブラックホールはとても作れないが、さららのLczで物理法則が変われば……。
(なにいってるんだ。それこそ反物質よりも荒唐無稽じゃないか)
自分の考えが反物質よりも更にSF側に行っていることに気が付き、大悟は頭の中からそのイメージを追っ払った。
「第一、実際問題としてLHCでマイクロブラックホールの生成は成功していない。余剰次元が見つかるとしても当分先ね」
その後、取材はつつがなく終わった。「何か疑問があったらまた来なさい」という大場の満足そうな笑顔に見送られて大悟たちは教授室を出た。
◇◇
「すごいな綾」
先核研から外に出て、大悟は綾に言った。
「なにが」
「いや、あんな風に専門家相手にも堂々と……」
「そうでもないよ。人に話を聞く時はコツがあって、それは取材のテーマがケーキでも加速器でも変わらないから。まあ最終的には、向こうの誠意に依存するけど。そういう意味では大場教授は理想的」
綾は言った。確かに、春香はさんざんなことを言っていたが、大悟はあの大学教授に良い印象しかない。もちろん、あのしゃべり方や服装のセンスには違和感を感じないでもないが。
「でも、さららさんも知らないことが聞けたんじゃないのか?」
「そのための取材なんだから当たり前でしょ。読者が知ってることはネタにはならないの。大悟にラタンの情報を教えて何になると思う。まあ、さららさんは知ってはいるでしょ。私達が今日延々と大場教授に説明されたことは、さららさんや春日さんは数値と数式だけでもっと正確に見えてる」
「えっ、じゃあ」
「でも、視点が違う。さららさんがあれを重視しないのは理由あってのことだけど。まあ、人は一度に一つのことに視点を絞ることしか出来ないし、そうあるべきよね。私はそれを分かってポイント稼ぎしてるだけ、かな」
そこまで言って綾は大悟を見た。
「まあ、中には例外的に複数のポイントを認識した上で答えを出せる人間も居るみたいだけど……」
大悟より遥かに多くの人間を知ってる綾だ。そんなすごい人も居るのだろう。大悟は肝心なことに戻ることにした。
「えっと、それで結局さ」
「ん?なに」
「いや、仮説だよ。事故原因について何かヒントがあったんじゃ……」
「何言ってるの? 解るわけ無いじゃん」
綾は小首をかしげた。
「えっ、だってそのための取材だったんじゃ……」
「さっき言ったように、私の分担は事故の背景でしょ。それは私の後の人の仕事でしょ」
綾は春香の分担に口を出すつもりはないらしい。
「そ、そうだな。春日さんの役目だ。うん」
そう言いながら、大悟はここに来るまでよりも更に不安になっていた。
綾の言うとおり、さららは自分の理論であるORZLあるいはLczに関心を集中させている。事故の解析よりも、大悟の言った五年前の情報重心に夢中になっているのは見ていたらわかる。
だが、春香はどうなのだろうか。彼女は事故の仮説を考えようとしていたはずだ。だが、見た限りでは春香の関心は事故の原因が生じたポイント、つまり6時のユニットで起こったことに集中していた。
今日綾の関心が8時のユニットに集中していたことで、それがいびつであるように感じてしまう。
(いや、原因さえわかればって、そう考えているんだろ。だって、科学なんだし。計算みたいに答えは決まってるんだ)
取材と違って科学には視点なんてない。正しいものはただ正しいはずだ。だから、それを見つければいい。そうではないか。




