17話:後半 夏休み開始
「どうするのかっていうのは、夏休みの課題のこと。もちろん高校のじゃない」
大学の門の前で綾がいった。
「…………別にどうもしない」
「答えになってないよ」
「一度やるって言ったんだから、割り振られた役目の分はやるさ」
「つまり、春日さんのことは見捨てると」
「聞いてたか。自分の分担はやるって言っただろ。向こうがいらないって言わなければだけど」
「その結果、課題はどうなるの?」
「綾が言ったじゃないか、春日さんの出来次第だろ」
「その春日さんの出来は? 私、大悟と違って春日さんの作業を見てないから。……それとも、大悟が見ていたのは春日さんの作業じゃなくて、薄い夏服の背中とか?」
「アホか。…………そもそもからして無茶な課題だろ」
一瞬地下室で見た光景を思い出しかけて大悟は慌てた。
「つまり失敗すると」
「そうとは言ってない。いや、僕に解るわけないだろ。あんなわけわからない数学と物理シミュレーション? みたいなの」
「作業の内容じゃなくて、春日さんがどう見えたか」
綾は追及の手を緩めない。大悟は渋々答える。
「…………ずっと、そのなんだ、Lczのシミュレーションの条件っていうか、そればっかりやってたような。後、論文っていうのかそれを読んでた」
「つまり準備しか出来てない」
計算結果を入力して、エラーが出る。修正してまたエラーが出る。そんな感じに見えた。まるで、出来の悪い計算機……。
「なんだ、大悟もやっぱり駄目だって思ってるんじゃん。なのに見捨てる」
「いや、今言ったのは五日以上前の話だし。今頃はもしかしたら……。大体、人間がどう見えたかなんて、そんな判断基準で……」
科学は非人間的な論理の塊だ。数式に正確な数字を入れれば、正しい答えが出る。そういうものではないか。大体、大悟には何も出来ない。彼に出来ること、そして期待されていることの全ては春香のじゃまをしないことだ。
「それよりも、学食はこっちだろ」
足を止めた綾に、大悟は右の道を指差した。いつの間にか、先核研の前に来ていた。
「実は、デザートを出してくれる場所としてはもう一つ当てがあるんだよね」
綾はポケットから長方形の小さな紙を取り出した。そして、まるでババ抜きのカードのように広げた。
「私がインタビューしたこの研究室の関係者の名刺」
「…………どうやって」
「研究者も女性。甘いものの情報には弱いんだよね。情報も店もあふれてる大都市とか、店そのものが限られている小都市と違って、中途半端な規模の街は特にね。ほとんど他所から来てるんだから尚更だよ」
綾は片目をつぶった。よく見ると名刺に書かれた名前は殆どが女性のものだ。
「大悟達よりはちゃんとしてるって言ったでしょ。で、このツテで、今日もう一度大場教授とアポが取れている」
「あの大学教授か。でも、もう話は聞いたじゃないか」
「あれは私の取材じゃないから。お菓子も用意してくれてるらしいよ。というわけでどうする」
綾は大悟に問いかける。大悟は気が進まない。今更ここで何を調べるというのか。だが、綾のことだ何か目論見があるのだ。
「解った、付き合うよ。ここなら驕らなくて良さそうだし」
大悟は渋々そう言った。
◇◇
前回入った巨大スクリーンのコンピュータセンター。その二階に大場荘助のオフィスはあった。応接スペースに場違いな高校生男女が座っている。柔らかいソファーに体重を預けた大悟は、地下室のパイプ椅子との差を考える。
側の窓からは、下にある円形の巨大装置が見える。壁には論文らしき英文や、雑誌の切り抜きなどが貼られている。偉そうな背広の男と大場が握手している写真だ。もっとも、男の方は若干引き気味だ。
「前の文部科学大臣だね」
綾が言った。
「先月女性スキャンダルで辞任した、だけどね」
そんな声とともに、スペースの仕切りから白衣の女性が入ってきた。手には皿とカップを持っている。
「はいどうぞ、綾ちゃん。教授からの約束の品。教授はもうちょっと掛かるから。それを食べながら待っててね」
「ありがとうございます船橋さん」
「ありがとうございます……」
大悟は慌てて綾の隣りで頭を下げた。女性は大悟をじろじろと見た。
「彼氏?」
「腐れ縁ってやつですね。今、こんな形の疑惑がかかってますけど」
綾は両手の親指と人差指で三角形を作った。
「面白そう……。っと、残念だけど話してる時間ないんだった」
「忙しいんですね」
「うん、ちょっと実験で筑波まで行かなくちゃいけない事になって。ほら、ウチのが使えない関係でね」
船橋は腕の時計のような端末を見て、慌てて出ていった。彼女の背越しに、白いスーツの大男が細身の白髭の老人と話しているのが見えた。
「あれは?」
「理学部の柏木って教授だと思う。重力とかの専門家らしいよ」
「……答えが返ってきたことにびっくりだよ」
「これはたまたま。さららさんの関係者、ここに呼んだ人らしいよ」
「そうなのか」
さららがオランダあたりにいてくれれば、大悟は絶対にこんなことに関わることはなかった。となると、ある意味この事態を生み出した元凶だ。
もっとも、招聘した若手研究者が勝手にそのポストを放り出すかもしれないのだから、あの老人も被害者かもしれない。
「ま、とにかく今はこれをいただきますか」
綾がフォークを取った。大悟も皿を見る。曇りのない白い円形、シンプルだが上品だ。そこに、背の低い白い三角形のケーキ。添えられた赤いソースがアクセントを効かせている。雪原のうさぎを思わせるような、レアチーズケーキだ。
「かなり良さそうだな。どこの店だろ……」
大悟は首を傾げながらフォークを手に取った。
ムラのない口溶けと、絶妙のレモンの酸味。そして、ベリーソースの甘酸っぱさ。見た目の美しさを裏切らず、その中身もまた繊細で丁寧な仕事であることが一口でわかる。
家の仕事と綾の取材の付き合いで、男としてはこの手のことに詳しいつもりの大悟が感心する出来だ。
かけら一つ残さず、きれいに食べ終わった大悟が綾に店の名を聞こうとした。その時、スペースの入り口に大きな人影が現れた。
「おまたせしてごめんなさい。確か見学の時に講師と一緒に居た…………。小笠原さんと九ヶ谷くんだったわね」
にこやかな笑顔を浮かべて、大場が接客スペースに入ってきた。相変わらず一度見たら忘れられない白いスーツだ。
2017/12/29:
来週の投稿は月、木、日の予定です。
年が変わっていますね。
それでは、良いお年を。




