17話:前半 夏休み開始
登校日の翌々日、大悟は自室で机に向かっていた。机の上には、何枚もの紙が広げられている。紙にはそれぞれ、地球でない世界の地図、日本とは違う国家機構、そしてこの宇宙にはない魔法の設定が並んでいる。
彼は極当たり前の、あるべき夏休みを過ごしていた。長期休暇を使って温めていた企画を仕上げ、ゲームコンクール企画部門に出そうと思っていたのだ。
「まったく、一度中断するとこれだよ……」
失った時間が恨めしい。再開のため一通り見直した彼の企画原案は、新しく書き込まれた朱書きで満身創痍になっていた。
(こんな陳腐な設定だったっけ……)
ゲームの世界はプレイヤーを楽しませるための架空の存在だ。ご都合主義を否定するつもりはない。ただ、そのご都合主義を受け入れさせるためにも最低限のリアリティーがいる。
夏休み前、それに関してはある程度気を使ったつもりだった。だが、今改めて見ると、どうにも一貫性が欠けているように見えてしまうのだ。
そしてなにより、彼の世界には感じられなかった。深淵を覗き込むようなインパクトが。
「ああもう。ここもおかしい。基本的な魔力の法則と矛盾するじゃないか。”現実”より陳腐じゃ終わってるからな」
昼食を告げる妹の声が呼び戻すまで、彼は自分の作った世界をさまよい続けた。
◇◇
「なーにが、バカ兄が振られただ」
夏らしい素麺での昼食後、部屋に戻った大悟は食卓での妹の発言に文句を言った。春香との勉強会が途切れているという、ごく当たり前のことに何を過剰反応しているのか。
大悟に言わせれば、登校前が異常事態だったのだ。あれは超常現象のたぐいと思ってもらわないと困る。
「そもそも告白とかじゃねえよ」
頭から追い払っていた図書館での記憶がフラッシュバックする。春香の友人たちの去り際の視線を思い出し、大悟は今更ながら身悶えするような気分に襲われた。
ちょっと親しくなったと思っていた自分が恥ずかしく、大変そうだと同情した愚かさを呪いたい。
確かにアイデアは間違っていたのかもしれない。あまりに基本的なことを見落としていたのだろう。だが、彼は普通の文系志望の高校生である。罪のないささいな思いつきを口にしたのがそこまで悪いことか。
「大体、あんな高慢な女こっちからお断りだ。なにが「九ヶ谷君に期待しているのは、私の説明を半分でも理解すること」だよ。ああもう、これ以上時間を無駄に出来るか。…………向こうもそう思ってるんだしな」
大悟はスマホを見た。あれからメッセージは一つもない。
「「次のレクチャーの予定は……」なんて空気も読まずに来るかと思ってたけど……」
恐らく春香は今頃”大悟には想像も出来ないほど高度な仮説”を作っているのだ。せいぜい自分の担当に集中すればいい。
だが、気にならないわけではない。プレゼンは三人でやらないといけない。大悟はカレンダーを見た。さららの指定の日まで後5日だ。
「まあ、一度約束した以上、参加だけはするさ」
さららの言葉をまともに取れば、大悟が抜けたら失格になりかねない。いくらなんでもその状況でサボタージュをもって意趣返しというのは情けない。
と言っても、この前までの内容をまとめるだけだ。形が整っていればいい。その先のことは春香の仕事だ。
さららだって、彼の余剰次元の例えを講義で使おうかとまで言ったのだ。春香もこれ以上は難しいから、自分がやると言っていた。問題はないはずだ。
「…………問題はない。大体、僕に出来ることなんてなにもない」
まるで、何かを待ち望むように小さな液晶を見ている自分に気がついて、大悟は慌てて首を振った。スマホをベッドに放り投げて、作業に戻ろうとした。
ヴヴッ、ヴヴッ、ヴヴッ
布団の上でスマホが振るえた。大悟はベッドに飛び乗るようにしてスマホを手に取り、着信先を確認した。そして、ため息をつきながら通話のボタンを押す。
「渦中の人物に接触、これはスクープゲットかな?」
よく知る女の子の声がスマホから飛び出した。
「何の冗談だ綾」
「冗談じゃないよ。登校日、春日さんに面白いことやらかしたらしいじゃん」
◇◇
「な、なあ、クラス中の噂になってるってなんだよ」
綾からの電話の翌日、午後13時。大悟は無言で前を歩く綾に話しかけた。
「あれ、私そんなこと言った?」
「言っただろ、思わせぶりなところで切りやがって」
もう直ぐ、三人で作戦会議をしたファミレスが見えてくる。その先にはあの地下室と加速器の施設を抱える大学がある。
「今はクラスを超えて”学年中”の噂かな。女子の間だけど、男子まで広がるのは時間の問題だね」
「だから、その噂ってなんだ」
「九ヶ谷大悟が春日春香に無理やり告白してこっぴどく振られた」
「…………あれは違う」
考えてみればこうなるのは予想できたはずだった。あの時春香の友人に見られている。
「ついでに言えば、今歩いている道。大悟が春日さんをストーカーしたことになってるね」
「なんでだよ!!」
「春日さんと並んで歩いてるのを見た子がいるみたい」
「並んで歩くのがどうしてストーカーなんだよ」
「犬と人が歩いてて、人が犬を散歩させてると思うのと同じ。犬が人を散歩させてると思う人は居ないでしょ」
「すごい例えだな…………」
「まあ、火元である図書館の光景のインパクトが大きいのよ。なんたって、温厚で心優しい天使、春日春香が怒った。このニュース性の前には大体の事実はそれに合わせた形で歪むよね」
「どこに温厚で心優しい天使がいるんだ」
大悟は春香の言葉を思い出して吐き捨てた。
「やれやれ、実際には何があったの?」
綾はやっと大悟に振り返った。
…………
「つまり、大悟が身の程知らずなことを言って春日さんを怒らせたってことね。大体合ってるじゃない」
大悟の説明を聞いた綾は真顔で言った。
「全然あってねえよ。肝心なところが全く違うだろうが」
「心優しい春日さんを切れさせたんだから大したもんだよ」
「サイエンスモードの彼女は大体あんなもんだっただろう」
大悟は言った。春香が穏やかで優しいのは科学が関わらないときだけだ。
「解ってて口出したんじゃないの?」
「うっ……。でも、あの言い方はないだろ……。大体だ、その心優しい春日さんはなんて言ってるんだよ」
春香が否定すれば終わりの話ではないか。大悟と違って天使には信用があるはずだ、彼女の裏の顔を知らない人間には。
「一応否定したみたいだよ。でも、結局何があったのか言わないし、その後がない。周りが盛り上がっちゃってるから火消しにならない。よく知ってるでしょ、大悟は」
綾が少し困ったように言った。中学生の時、彼が収めた綾の噂を思い出して大悟は黙った。
「春日さんの方は否定して終わったと思ってるんじゃない」
「なるほど……、仕方ないか」
「へえ、物分りがいい」
「……あのモードの時に期待しても仕方がないってことだ」
春香は今は夏休みの課題で頭がいっぱいなのだろう。何しろ後四日だ。
「ふうん」
「ま、そんな噂、夏休み明けまでには消えるだろ」
「どうかな~。大悟の噂に価値はないけど、相手が春日さんとなればね」
「なんかさっきから言葉の選択に悪意を感じるが。いつも以上に」
「私も被害者だから」
「なんで?」
「身の程知らずな彼に、春日春香に乗り換えられたかわいそうな子ってポジション。お陰で情報が勝手に集まってくるったらないの」
「そもそも最初から綾にも乗ってないだろ」
「言い方がエロい。まあともかく、春日さんとのことは大体解った。で、これからどうする?」
綾が唐突に言った。気がつくと目の前には大学の正門が見える。
「前からの約束で学食の取材じゃないのか。僕の奢りで…………」
そう言いながら、大悟はいつかのことを思い出した。綾はもう取材を終えていたのではないか。




