15話:後半 大発見
【対消滅】とはなんともSFチックな単語である。大悟も言葉だけなら聞いたことがある。大悟が春香に言った物質がじゅっと蒸発してエネルギーになるイメージだ。
だがこの場合、言葉を知っていることは全く気休めにはならない。何しろ【物質】も【空間】も聞いたことがある言葉だったのだ。だが、その実態は想像を超えていた。
大悟は慎重に表の記述を確認する。対消滅のエネルギー効率は100パーセント。物質のすべてがエネルギーに変換される。表現はともかくとして、彼の知っているままである。だが、今の場合それは大きな意味を持つ。
大場が不可能の象徴としてあげた核融合の七十倍。同じ量なら七十倍の爆発を起こせる。逆に言えば、同じエネルギーを発生させるのに70分の1の量で済むことになる。
大悟は本の記述を追う。対消滅とは反物質が物質と衝突することで起こる。
「それに反物質って確か、加速器と関係してなかったか?」
本の最後の索引を探す。反物質に言及がある頁をめくる。
「なになに、加速器で反陽子を作り出し。それを陽子と衝突させることで…………。加速器で作り出す。やっぱりだ。つながる。つながるじゃないか」
大悟は思わずベッドを拳で叩いた。隣から壁を叩く音が聞こえた。
「……いや、でも100パーセントだぞ。コップ一杯で日本が滅ぶんだぞ。もし簡単にできたら。どうしてエネルギー問題なんてものがあるんだ?」
ページをめくるとその答えはすぐに見つかった。大悟が直接見たあの先核研の加速器よりも遥かに大きな加速器で、光速の90パーセント以上に加速した粒子を金箔にぶつけることで大量のエネルギーを発生させ、そのエネルギーで作るらしい。
「そりゃダメだ」
大悟でも解る。エネルギーを使って反物質を作って、その反物質を使ってエネルギーを作ってもそんなの全く意味がない。エネルギー保存の法則があるのだ。
しかも作っても保存が難しいらしい。当たり前だ、普通の物質と触れると爆発してしまうのだ。それが何であっても原子でできている限り。
だが、大悟は思わずまたベッドを叩きそうになった。逆に言えば、起爆装置も何もなくても爆発が起こるということだ。反物質は生じさえすれば、普通の物質と勝手に反応してエネルギーを解放する。しかも、100パーセントの効率。これほど高性能の爆薬もあるまい。
作成の困難さも今回の場合は必ずしも障害ではない。何しろ、物理法則が変化することを想定していいのだ。つまり、反物質を生み出すように物理法則が変わればいいのだ。
いや、そう仮定すればいい。何しろ彼らが求められているのは仮説なのだから。
「……い、一応計算してみるか」
まずは、あの加速器の中にどれだけの物質、炭素原子が存在しているかだ。加速器の中を回っている炭素原子の量の資料はある……。
「えっと、1モルの炭素原子核って何個だっけ10の24乗個って何個だよ。電卓電卓。ああまてよ、電子の分を引かなきゃいけないんじゃないのか。えっと……。何だよ、電子の重さって原子核の2000分の一じゃないか、それこそ誤差だ」
大悟は電卓を叩く。
「1モルの炭素原子が14グラム。加速器の中を回っている炭素原子の数が…………。なるほど、つまり加速器の中を一度に走っている炭素の質量はたったのこれだけか。だけど、これをエネルギーに換算すると、いやまて半分でいいんだ。1グラムの反物質が出来れば、普通の物質1グラムと反応して計2グラムの質量がエネルギーに変わるんだから……」
大悟は憑かれたようにスマホの電卓を叩いた。
◇◇
「やっとおわった……」
ベッドの上には計算結果が散乱している。机から持ってきた一年生のときの物理のノート、呆れたことにほとんど白紙だった、には計算結果が書いてある。忘れないように、計算の意味もだ。
基本的には、炭素原子を光速の70パーセントまで加速して、その状態の質量をエネルギーに換算するだけだ。春香から教わった範囲である。四則演算の範囲。正確には乗数やルートの計算があったが、大悟は同じ数を電卓で二回掛けることで無理矢理実行した。
それでも、単位にも桁数にも馴染みがない。だから、検算する度に値が変わる。0が22個か23個かなんて人間の目には判別できないのだ。だが、それがやっと終わった。
「よし検算もあってる」
さららの理論ORZLが引き起こすという余剰次元の局所的改変で炭素原子が反物質に変わる。そういう仮説だ。
「爆発のエネルギーが90ジュールだったよな。この条件なら炭素原子核の合計の質量が0.00000000000006グラムはある。……15パーセントがエネルギーになれば十分だ。反物質なら更に半分。ほら、足りたじゃないか」
もちろん、具体的にどういったメカニズムで反物質が生じるのかは全く考えていない。それは彼の手に余る。恐らく、春香がやっていたようなシミュレーションでやるのだろう。
だが、反物質というのは普通の物質をひっくり返したようなものなのだ。例えば折り紙を裏返して鶴を折るみたいに、割と簡単なのではないだろうか。
少なくともこれなら、水素の核融合でも出来ないことが出来るのだ。というか、他の方法では無理だと言ってもいいのではないか。
大悟は達成感に包まれていた。目の前のノートに並ぶ、巨大な数字がなにかすごいもののように思える。いや、もちろん彼はこれが正しいと思うほど自惚れていない。だが……。
「最低でも仮説としての体裁が立てばいいんだよな」
綾の言葉を思い出す。本当に反物質が出来たかどうかは問題ではないのだ。極端な話、それっぽければいい。そういう意味も含めて、春香に提案してみる価値はあるのではないか。
「ちょっとこの結果をメッセージして……。うわっ、いつの間にか三時じゃないか」
スマホの時計を確認して大悟はびっくりした。流石にこの時間にメッセージを送る、それも女の子に、というのははばかられた。だが、うってつけなことに明日は登校日だ。
「とにかく、明日学校で春日さんに話してみよう」
大悟はメモとノートをカバンに突っ込んで、ベッドに入った。
ベッドの中で今のアイデアを春香に説明する事を想像する。もしかしたら、自分のアイデアが春香を助けるかもしれない。大悟は何度も寝返りを打つ。眠気が高揚感に勝つまで、更に時間が必要だった。




