15話:前半 大発見
「なるほど、なるほど。さららさんと春日さんが高度な計算をしている後ろで大悟は箒と雑巾か」
スマホの向こうから、綾の笑い声が聞こえてくる。
「掃除はともかく、お前もメンバーなんだからな」
自分の部屋、ベッドに横たわった大悟は言った。枕元には最初の数ページにしおりを挟んだ『世界を織りなすもの』が置いてある。
「ふうぅん。でも、私が居ないほうが大悟にとっては都合がいいんじゃないの?」
「そういうんじゃないの解ってるだろ」
「そう? わざわざ春日さんを送って行ったって聞いたけど」
「誰からだよ…………。いや、言わなくていい」
大悟は壁越しに隣の部屋を睨んだ。
「仮に、万が一仮にだ。僕にそういう下心があったとしよう。で、どうなる。春日さんがそれを相手にするか?」
大悟は言った。実際問題として、あの地下室で作業している春香は大悟のことなどほとんど目に入っていない。レクチャーの時に無防備に接触することは、むしろ彼女がサイエンスしか見ていない証拠だ。
「大悟にしては説得力がある!」
「……わかってくれて良かったよ」
「で、肝心の春日さんの作業はどうなってる? 私がいくら頑張っても彼女が仮説を完成させてくれないと無駄になっちゃうんだよね」
「……」
「苦戦してるわけだ」
「多分……な」
「多分って?」
「見ててもわからないからな」
課題の難易度を考えたら当然だ。そもそも無理ゲーなのだ。
「そりゃそうだ」
「お前だって同じだろうが」
「そうだろうね。私が居ても変わらない。だから私は居ない。ただ……」
「なんだよ」
「問題っていうのは解こうとしないと解けない」
「どういう意味だ?」
「問題の文章を理解するだけじゃ解けないでしょ。答えを暗記してる学校のテストじゃないんだし」
「言ってることは解るが、問題が分かったら答えは自ずと見えてくることも多いぞ」
「まあ、大悟の場合はそっか。じゃあ、今回の場合は?」
「あれに関しては無理だな。まず問題がそもそも分からない。そして、求められている答えの形が想像も付かない」
綾の言葉が、春香から問題の意味を聞いてちょっと理解してるつもりの彼を、現実に引き戻すのだ。
「ま、大悟は大悟の出来ることで頑張ればいいよ。掃除とか」
「言われなくてもそうするさ」
「はいはい、また何かあったら連絡って。明日は登校日か」
「そうだな、課題の締め切りまで十日切ったわけだ。綾こそ、ちゃんと自分の分担はやれよ」
「解ってるって。少なくとも大悟達よりはちゃんと仕上げるから。じゃあね」
綾は最後まで勝手なことを言って切った。
「そこは「大悟よりは」だろ」
通話切断の画面を見て、大悟は自嘲的なため息を吐いた。枕元を見る。春香から借りた本が置いてある。手にとって、ペラペラとページをめくる。
『世界を織りなすもの』は春香の言うとおり、現代の物理学について広く解説した本だった。まだ、読み始めたばかりだが文章は読みやすく、数式などは出てこない。
最初の章はエネルギーだ。日常から段々とかけ離れるエネルギーのスケールが表になっている。面白いことに横には質量比が表記されている。
水素原子1モル、つまり1gあたりの発生エネルギーがどれくらいになるかだ。桁違いに小さいのが意外にも大悟たちが日常で最も体感する重力だ。なんと、電磁力に比べて10のマイナス38乗。つまり0.00000000000000000000000000000000000001だ。人間が重力を大きく感じるのは、あくまで地球という巨大質量が発生させているからだ。もちろん、ダイエットを気にする妹に言っても気休めにはならないだろうけど。
小さな電池で飛ぶドローンが、地球の重力と綱引きできるという説明に納得だ。同じ電磁力の化学反応のエネルギーも小さい。水素の持つエネルギーの酸化による移動が、いわゆる燃焼だが、質量にしてみれば誤差だ。ココらへんは春香から聞いた知識と繋がる。
人間のエネルギーである糖や脂肪の呼吸による燃焼も基本的には水素と酸素の反応らしい。
そして、質量の元である原子核内の強い力は更に100倍。例として出てきたのは原子力発電。そして、我らが太陽だ。
「太陽も質量を燃やしてるなんてな……」
核融合というくらいだから、原子核のエネルギーなのだ。水素の中にある強い力のエネルギー、つまり太陽の重さが核融合によって光として外に出ていく。核分裂と核融合、全く正反対に見える反応なのに、原子核の強い力のエネルギーを放出している点では全く一緒なのだ。
「それでも1パーセント強かよ」
本を読んでいると、0.7パーセントのウランの核分裂を誤差と言った自分がどれほど無知だったか改めて思い知る。春香が恐らく苦労したこともだ。彼が足手まといであるという現実そのものだ。
地下室の光景が頭に浮かぶ。
必死にパソコン画面に向かう春香、対して楽しそうにキーボートを叩いてはコピー用紙に訳の分からない記号を書き連ねるさらら。
(逆だろ……と言っても、何も出来ない僕が腹を立てても仕方がない)
大体、春香が納得しているのだ。ちなみに、彼の見ている間、春香がさららに何か質問したことはない。そういうテストなんだと言えばそうだが、やはりいくら何でも無理なんじゃと思ってしまう。
「いや、僕はこうやって足手まといにならないようにしてるのがベストだろ」
大悟は首を振って、本に戻る。
課題のことを考えなければ、少なくとも教科書よりは面白い。ゲームの設定に使えそうな要素も出てくる。綾が科学を参考にと言ったことがあったが、確かに食わず嫌いだったなと思う。
大悟はもう一度、エネルギーの段階の表を眺める。
「……確か、エネルギー源が問題なんだよな。これで言うとどのへんだ?」
爆発と言っても、火薬などとは比較にならない。火薬は化学反応。全く話にならない小さなエネルギーだ。広島に投下された原爆で言えば質量エネルギーなら0.7グラムが、TNT火薬で15キロトンなのだ。
「確か、あの教授は核融合でも無理って言ってたよな。さっき出てきた太陽のエネルギーよりも上か」
問題について考えるつもりなどなかった。ただ、理解のよすがを探しただけだった。「核融合」の文字がもう一度目に入ったのはそういうことだ。
大悟はページを指でたどる。化学反応のエネルギーに比べて、核分裂つまり原爆や原子力発電は遥かに高エネルギーだ。じゃあ、核融合は……。
「そうだよ。たったの1.4パーセントなんだ」
1.4パーセントもの質量がエネルギーとして移動することがどれほどのことか理解していても、総量に比べれば出し惜しみに見える。
なぜなら、物質は少なくとも98パーセントはエネルギーなのだ。ほとんどエネルギーそのものなのだ。ならば……。
「少なくともまだまだ上があるってことだ……」
大悟はエネルギーの放出を並べた表の一番上まで指を昇らせた。そこには、未来を舞台にしたSFゲームに出てきそうな単語が鎮座していた。
「【対消滅】か……。うん、聞いたことはある」
2017/12/17:
来週の投稿は水、土の予定です。




