2話:前半 虚構と現実
2017/10/10:
興味を持っていただいてありがとうございます。
おかげさまで昨日、空想科学〔SF〕ジャンル別ランキングで日間1位になりました。
西日が差し込む放課後の図書館は人気もまばらだ。カウンターでは図書委員の女生徒が飴を交換している。背後に張られた『飲食物持ち込み禁止』の張り紙が虚しい。
カウンターの反対側、ハードカバーの文学全集が並ぶ一角には孤立した机がある。閑散とした中更に人気のないそこを、一人の男子高校生が占有していた。
机には、彼を取り囲むように三枚の紙が並んでいる。左手の前には三つの大陸を持つ地図、中央奥には王を頂点とした時代錯誤の組織図、そして右手の前には占いカードの様な模様が並ぶ。紙には多くの書き込みがなされ、角には皺が寄っている。
自作の資料を弧を描くように見渡した後、彼は真新しいコピー用紙を目の前に置いた。何も書かれていない紙を前に目をつぶった。
まぶたの奥に焼き付いていた地図から見知らぬ―と言うか存在しない―世界が浮かび上がり、イメージの土台を作る。世界を俯瞰した彼の意識は、右の大陸の中心にある小さな国家に向かう。視点は国土の中心にある都、その一番高い塔に降り立った。石造りの塔の最上階では、ローブの老若男女が密会している。
後に世界を揺るがす”ことになるはず”の秘密会議。参加者の言葉遣い、内容の詳細、各人の心中に秘した異なる思惑。それを確認した後、視点は王国の外れにある小さな村に飛ぶ。一人の少年がいる。彼は幼馴染の少女に将来の夢を語っている。
盤上に駒が揃った。彼の目が開いた。ペンが白紙の上を走り始めた。
世界が赤と黒に彩られる。実験の失敗により生じた暗黒の魔力により、日常が破壊される。少年は否応なく郷里から広い世界へと引き出される。
この時点で彼に入手できる情報は? 将来の仲間達はどう行動している。彼らはいつ、どうやって出会う?
その出会いは偶然を絡めた必然でなければならない……。
丸で囲んだ人名とそれを繋ぐ矢印。コピー用紙に時間の断面が描かれる。舞台とキャラクターの相互作用でイベントが生まれ、主人公はそれに挑んでいく。敵対者も同じ舞台において状況によって突き動かされ、正反対の軌跡で主人公と同じゴールを目指す。
人間関係相関図が連鎖的に形を変えていく。駒の間に新しい関係が生まれ、ある駒の退場により途切れる。途切れた繋がりは、まるで切れたゴムのように生き延びた駒にぶつかり、それを予期せぬ方向にはじき飛ばす。
再び目をつぶった彼。だが、一旦発火した視覚野の神経活動は止まらない。次から次へと生み出されるイメージ。それに押し出されるように物語が転機にさしかかる。そして、彼の目の前で……。
主人公が力尽き倒れた。
「…………あれっ?」
視界が強制的に高校の図書館に戻った。
彼は今いる場所を確かめるように左右を見る。主人公が途中で倒れた。つまり、彼のシナリオは決められたゴールにたどり着く前に破綻したのだ。机に置いたスマホに触れて時間を確認すると、始めてから30分しかたっていない。
「……おかしいな、主人公は世界を救うはずだったのに」
彼は手に掴んだ紙を凝視して、何時、何処で、何を間違ったのか考えようとする。その時、目の前に持ち上げた紙に、円形の影が差した。
「虚構と虚構を掛け合わせたら破綻したんでしょ」
「……見てきたようなことを言うな」
降って湧いた酷評に、大悟はため息と一緒に振り返った。彼の背後で、栗色のショートカットの小柄な少女が両手を腰に当てたポーズで立っていた。
「マイナスとマイナスを掛けるとプラスなんだぞ」
「虚数と虚数を掛けるとマイナスなんだってよ」
「綾。理解していってないだろう」
「ご名答」
大悟の言葉に小笠原綾は悪びれずに応じる。勿論、大悟も虚数なんて理解していない。そういうルールがあると覚えているだけ。
「リアルに縛られないからこそロマンが生まれるんだよ」
大悟は”高度”な数学から文系的創作に話を戻した。数なんてイメージから最も遠い存在だ。
「じゃあなんで悩んでるの。勝手に作れば良いじゃない」
「現実じゃなくてもリアリティーは必要で、主人公は勿論、敵だってある程度ちゃんとした理由で動かないと……」
「その結果どうなったわけ?」
「……敵が上手く立ち回って主人公が負けた。魔法で連絡して先回りされたら何も出来ない」
大悟がいうと、綾はほら見たことかと肩をすくめる。
「じゃあ、魔法やめれば解決だ」
「それじゃ現実まんまだろ。つまらないじゃないか」
「通信速度が少し変わるだけで、社会の仕組なんて激変するでしょ。しってる? 私たちが生まれるちょっと前はネットがなかったらしいよ」
綾はスカートからスマホを取り出した。確かに、それがない世界を大悟も想像出来ない。
「経済への魔法の影響はどうなってるの。魔法がそんなに重要なら、魔法を使うための物が大きな経済価値を持つでしょ。エネルギー通貨って考え方があるじゃない?」
「……魔石って魔法の電池みたいなのがある」
「じゃあ、その魔石が通貨として流通するとか。その量や品位で通信には制約を掛けれるでしょ」
「い、いや、まだ、そこまでは考えてない……」
綾の言葉で、大悟の虚構が現実に侵食される。さっきまで構築していた脳内世界がどんどん変容していく。壊れるというよりも、新たに生じた可能性が連鎖的に増えていく感じだ。
「次の問題が出てきそうだな……」
大悟は思わず紙の上にペンを放り出した。
「ほら、何でもありの虚構に何でもありの虚構を組み合わせるから」
綾の言葉が最初に戻った。大悟は今度は反論できなかった。
「社会のシステムの中心は経済でしょ。経済の中心になるのはお金じゃない。だから、お金に関する部分を決めれば残りは自ずと決まる。例え虚構の中でもね」
ファンタジーの沙汰も金次第、世知辛い話だが説得力がある。
「虚構と現実を掛け合わせるって事か……。具体的には?」
理解した以上、考えざるを得ない。
「例えばそう、その世界でお菓子屋さんを経営してみる」
「ストーリーに全く絡まないんだが……」
「だから良いんじゃない。中立だからこそリアリティーが出るの」
「なるほど…………。よし、やってみるか」
大悟は目をつぶると、自宅の一階にある店舗を思い浮かべる。それを、先ほど想像していた世界に移してみる。揃う材料は、実現可能なメニューの範囲は、客層は…………。
脳内で思考が渦巻く、彼が良く知るリアルだからか、その想像はさっきよりも立体的に感じられた。菓子なんて関係ないと思ったけど、ヒロインの一人と繋げても良いかもしれない。候補は彼の妹をモデルにした……。
跳ね回るビリヤードの弾の軌跡のようなイメージが、ある種のパターンを浮かび上がらせ始める。
「ちょっと解った気がするな。……どうした」
目を開いた大悟は、目の前で呆れ顔の綾に気がついた。
「いや、相変わらず入っちゃうとすごい集中力だね。私が側にいるのに……。ちなみにさっき声かける前、どれだけ待ったと思う」
「そうなのか? いやほら目をつぶってるからさ。とにかく、舞台の方はちょっと見えてきた。でも、問題は魔法との兼ね合いなのは変わらないな。こっちはどうするか……」
「エネルギー以外なら、原理の方から制約を考えるしかないんじゃない?」
「原理か……」
大悟は左の紙を見た。原理と言われても相手は魔法である。魔力の分類による魔法の種類や、その間の関係など最低限の理屈は考えてある。だが、先ほどの経済のイメージと比べるといかにも薄っぺらく見える。
だが、魔法は全くリアルと接点がない。
「現実を参考にするなら、まあ、科学とかだろうけど……」
綾の口調には珍しく躊躇があった。大悟は思いっきり顔をしかめた。
「科学……な」
もうずいぶん会っていない、生きているのか死んでいるのかもわからない父親の後ろ姿が浮かんだ。
2017/10/10:
次の投稿は2017/10/12(木)の予定です。