表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
複雑系彼女のゲーム  作者: のらふくろう
第四部『プレイヤー』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

149/152

11話:後半 特異点の狭間

「NP問題か検証してみよう」


 秀人が自らのコンソールに指を這わせた。


 ドーム中央の尖塔の上に、立体図形が出現した。問題、駒と舞台とそしてルールを持った一つの世界ゲーム構造化コードしたものだ。


 周囲の星座が目まぐるしく変化すると、中央の立体図形は分解され、押しつぶされたように単純な形に折りたたまれていく。それは、生物が外界のモデルをDNAにコード化したり、科学者が世界の法則を理論化する過程の究極の姿といえる。


 視覚的には、折り紙を解いていく過程だ。ゲーム項を宇宙論に応用したある女性科学者が自らの理論にORZLと名付けたのは言い得て妙である。


 だが、最後、あと一歩で平面になる。つまり、虚数ビットの平面メモリー上に丸裸にされるというところで、図形がそれ以上の単純化を拒み、厚さを持ったまま変化を繰り返す。


「問題そのものが自己再生と変異能力を持っている。言ってみれば三次元上のグライダーガンのようだ」

「だが、こちらは完全乱数を用いた高速計算だぞ。問題そのものの変化に対して、先回りできるはずだ」


 コンピュータによる超高速計算を行う場合、乱数の扱いは極めて重要だ。それは文字通り基盤なのだ。基盤がわずかでも傾いていれば、計算回数しんかが増すにつれてその影響を受けてしまう。計算用紙の皺に計算するペン先がゆがむように、まっとうな答えではなく、そのクセに適応してしまうのだ。


 乱数を発生させるアルゴリズム自身が、アルゴリズムであるという制約はそれゆえ重大だ。完全にランダムに見えるが、実はそれを生み出すアルゴリズムのクセが残っている。


 ちなみに虚数ビットを用いた彼らの平面コンピューティングはそれを解決できる。


「いや、むしろそれを逆用している。巧妙だな」


 画面上の折り紙の解体は、結局単純ながら、次の変化が予想がつかない形として落ち着いた。いつまでたっても計算が終わらない、つまり勝負がつかない。それはNP問題だ。


 問題は、S.I.Sが持ち込んだ問題の判定をするというゲームそのものがNP問題であることだ。つまり、向こうのゲームと、こちらのゲームの間に一種の均衡が作られているということ。


「NP問題とP問題の中間にあるもう一つのクラスだという結論だ」


 秀人の言葉に、黙って見守っていた二人が苛立ちをあらわにした。


「馬鹿な、それこそバグだろう。コインに裏と表以外の何かがあるというのと同じじゃないか」

「単に自己言及の問題じゃないのか。それなら、答えが出ないのはおかしくない」


 アルブムが言った。


「つまりこういうことだ。NP問題ではないとしたら、我らのA.I.は答えを出せる。一方、この問題がNP問題だと証明できることは、この問題がNP問題ではないという証明である」


 秀人が結論を読み解く。


「確かにある意味自己言及問題だ。この問題の答えは、この問題が前提とする宇宙の中に存在しないのだからな。宇宙は宇宙自体を解決できない、それが終わる瞬間まで。なぜなら一つの世界として閉じている宇宙を、外から観察することは定義上できない。それをもって矛盾に持ち込んでいる」

「存在しない答えなど何の意味がある」

「そこが問題なんだ。異なる二つの宇宙の間。つまり、定義上そこには何もないわけだが、その何もない空白に答えが存在する構造になっている」

「二つの宇宙の存在を仮定して初めて、その間の空白が浮かび上がる。その答えが正しいかどうかは対立するどちらの宇宙プログラムにも解らず、だが、答えが存在しうることだけが推定できるから、問題として成り立つ、そういうことか」


 不承不承沈黙した二人を前に、秀人は再度問題を見る。


「パッチというのは案外S.I.Sの本音なのかもしれない。ここは分析をやめて、この問題をそのままプレイさせてみよう」


 スクリーンに先ほどと違う警告が表示された。それは、この計算があまりにも大きな要求をするという警告だ。


 だが、秀人はその警告を無視して、ゲームの攻略プレイを命じる。


 …………


 計算が進む中、サンガーとアルブムは、世界中の政策責任者に同情していた。おそらく、ありとあらゆる国や地域で、ブラックアウトを防ぐためのぎりぎりの戦いが繰り広げられているだろう。


「答えだ」


 秀人の言葉と同時に、ぐちゃぐちゃに跳ね回っていた彼らの進化曲線は、一定の形に落ち着いていた。三人はそれをじっと見た。


 三人がそろって沈黙した。出た答え、そのグラフが示す意味は彼らにとっては自明だった。


 その線は彼らのこれまでの予想と一致していた。ただし途中までは。


 ゆっくりと地を這うように始まり、少しずつ頭をもたげ、そして天に向かって飛翔するように飛び上がる。ここまでは彼らの予想通りだ。


 その飛翔はあっという間に人類の知性(シンギュラリティ―)を超える。だが、直角に上がっていくと思われた進化は、やがて勢いを失い、二番目の線の前でまるで最初のように寝てしまった。


「……所詮試験管の中の大腸菌の増殖にすぎなかったとは」

「地球のすべてを使って根拠なき熱狂(バブル)一つ作り出しただけか」


 サンガーとアルブムが異口同音の感想を述べた。二人の表情には挫折と落胆が刻まれていた。


「ふむ。これがこの問題ゲームの答えか」


 秀人が言った。直前まで、このゲームの不確実性を楽しんでいたどこか無邪気な瞳は、あっというまにその温度を下げていく。


 そしてその冷静な言葉が、残り二人に現状を認識させた。停滞していた上昇しんかは、ついに下降に転じたのだ。


「答えかじゃないぞ。僕らのこのプロジェクトは、第二のシンギュラリティ―を超えることを前提に計算されてるんだぞ。もし越えられないなら……」

「我らが集めた膨大な情報の結晶は、あってはならない極めて不自然な状態として世界によって断罪される」


 二人が青ざめている。彼らのいっている世界とは、彼らが今まで莫大な損失と侮辱を与えた世界のビックパワーのことではない。


「そうだな、宇宙それ自体の書き換えができないなら、これはエントロピーの逆襲に耐えられずに崩壊する」


 例えば原子核は超高密度のエネルギーである。原子核からわずかに漏れたエネルギーですら、街一つを焦土と化すも街一つのエネルギーをあがなうも自由自在であることからわかる。


 だが、それだけのエネルギーを内包していながら、原子核は高熱を発するでもなく、見事に安定してる。


 それはいわば自然な状態だからだ。だからこそ、無駄にエネルギーを放出したりしない。では、彼らの作り上げた巨大な不自然はどうなるか。


 彼らが集めた地球上全ての情報の結晶。それ自体は、いまほとんどといっていいほど熱を発していない。極めて効率の良い情報処理が行われていることを示している。


 レールを走る高速鉄道のように、そのレールが存在するからこそエネルギーを周囲にまき散らすことなく直進できる。だが、そのレールはどんどん終点が近づいている。


 レールを敷設する速度と、列車の速度のバランスが崩れているのだ。もちろん、彼らの思惑通り、空間構造つまり物理法則と彼らの計算の共進化が起これば、レールは永遠に伸ばし続けることができ、事故は起こらない。


 だが、そのパラダイムシフトが起こらないと、そう証明されてしまったら? 言ってみれば、彼らをついさっきまで悩ましていたノイズは、東京湾に現れた予想外のオーロラは、それに気が付いた彼らのA.I.の動揺だったのかもしれない。


 これ以降、彼らのA.I.の吐き出す答えはどんどん意味のないものになっている。いや、意味はあるのだが、だれもそれが理解できないのだ。当のA.I.自身にとってすら。


 それは秩序エネルギーの崩壊である。エネルギーの解放であり、要するに巨大な熱の発生だ。


「地球のすべてのネットワークから吸い上げて、ため込んだエネルギーだぞ」


 アルブムの声がしっかりと震えた。


「自らを生み出した宇宙というゲームの答えを、己が寿命の内に知ろうとした結果だ。妥当な代償というべきだな」


 秀人は言った。彼が成功も失敗もどちらも想定していなかったことを、二人は初めて知った。それこそ、これはタダの遊戯ゲームだといわれたようなものだ。


「といってもだ。先のステージがあるとわかった以上は、もう少し続けてみようじゃないか」


 秀人は自らの、残りの二人にとっては地味と思われていたテストプロジェクトをロードした。サッカーボールを引き延ばしたような図形が画面上に現れた。


「君たちはどうする。ここから離れるかな? テストプロジェクトで得たものだけでも、外に持っていけば、無限の富に匹敵するだろう」


 秀人の言葉に、二人はびくりとなった。彼らはじっとスクリーンの数値を見た。そして互いに顔を見合わせる。


「これが解放されたら、地球のどこにも逃げ場なんてない。そして君はその保険インシュアランスが成り立つかどうか確証を持っていない。僕はそんなリスクをとるつもりはない」

「大体。私のパイロットプロジェクトはあともう少しで答えが出る予定だ。答えが出れば、今回の失敗を前提にして、次を考えるだけの時間が得られるのだからな。忌々しい抗がん剤ともおさらばだ」


 二人は肩をすくめると席に戻った。秀人は最後に、彼に突き付けられたゲームを見た。


「世界の答えを出すつもりだったが、現時点での地球の限界を知ったにすぎなかったか。だが、まさか先に答えを出されるとは」


 最後にそう呟いた。そして、初めてこれまで彼らのプロジェクトにまとわりついていた存在を意識した。

2019年6月30日:

来週の投稿は日曜日です。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

あと三投稿で完結の予定です。

最後までよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ