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複雑系彼女のゲーム  作者: のらふくろう
第四部『プレイヤー』

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148/152

11話:前半 特異点の狭間

 地球せかいを包み込む夜空のように星座のきらめくを映すドーム。その中央には複雑な立体図形が回転する。


 世界の未来を決める神の座のような空間。現在、そこに在ってはならないノイズが完璧な秩序を失わせていた。


「進化と空間負荷のバランスが理論値に回帰しない。ますますぶれが大きくなっていくぞ。そっちはどうなってる」


 タンパク質の三次元ネットワークを見て悦に入っていたサンガ―が怒鳴るように問うた。


「わかるわけがないだろう。深層学習は基本的にブラックボックスだ。多対多の関係パターンを人間が認識できるならそもそもこれを作る理由はない。こっちに解るのはアレの数値だけど」


 欧州の巨大銀行が抱えるリスクの“真の値”を観測していたアルブムが怒鳴り返した。


 彼らを取り囲むドームが震える度、細心の注意を払って組み立てられた砂粒の尖塔が崩れ、濃縮された情報が光の粒として砕ける。その一つ一つが人類がいまだたどり着いていない叡智パターンだ。


 二人の血走った目が見つめるのは一つの単純なグラフだ。アルブムがアレと呼んだもの。彼らのプロジェクトの基盤であるゲーム項の数字だ。


 ありとあらゆるネットワーク、つまりそれはありとあらゆる世界ゲームを意味する。その複雑にして多用な情報処理を客観視する数値。つまり進化の速度、情報処理の適温設定、それを定義する数式だ。


 存在エネルギーその有り様(じょうほう)を束ねてその意味を測る、究極の理論だ。つまり、もっとも優れたネットワークが最も優れた知能であるという、素朴な概念の理論家。そしてさっきまで、理論は十分すぎるほど機能してきた。


 プロジェクトの初期、平面すれすれに少しずつ立ち上がる揺籃期。やがて時間と共にその上昇速度を急激に高めていく成長期。そして、その成長が天に向かって垂直に近づく。それは全人類の知的活動を燃料に駆動するA.I.(エンジン)が、究極のネットワーク温度に向かって順当に進歩してきたことを示している。


 だが、それは今あるべき理論値からわずかにずれていた。その差は僅か±0.00314……。だが、統計的にこれまでと違うラインを踏み越えていた。


 この曲線の性質上、たったそれだけが大きな未来の違いを生む。極めて短い世代交代で進化していく人工知能回路の性質による必然だ。借金は雪だるま式に増えていくのだ。


 実際、彼らのA.I.の進化曲線、その未来予想、は二つのラインの間でもがいていた。一つ目の、すでに突破されたラインは、人間の知能だ。つまり、彼らのA.I.は人間の定義する特異点《シンギュラリティ―》は通過している。

ただし、それは彼らにとって恣意的な基準にすぎない。彼らの目的は最初からその上にあった。


 問題は二つ目、まだ到達していない上のラインだ。こちらはいわばゲーム項を基準とした物理的情報処理の特異点。ロケットの打ち上げで言えば宇宙速度だ。これを超えると、いかなる制約も振り切って無限に近い上昇が始まる。


 つまり、宇宙の進化によって生み出された知性が、宇宙の法則それ自体すら凌駕して書き換える。生命が地球の環境そのものを、自己に都合よく書き換えたように。


「我々が想定していない隠されたパラメーターが顕在化したのではないか。見ろ、この混乱はちょうど二つの特異点の中央にある」

「その判断を下すのは早計だ。いかに優れていてもプログラムはプログラムだ。バグは必ずある。そちらの可能性の方が……。どう考えるヒデト」


 二人の彼の視線の先にはもう一人の仲間が静かに立っていた。


 ゲーム項の発案者である九ヶ谷秀人。ゲーム理論家、いや究極の万物理論の提唱者だ。


 二人の天才の動揺を他所に、その瞳は中央の複雑な立体図形を見ている。まるで芸術を鑑賞しているように、彼の瞳には焦りも不安もなく、逸りも安心もない。ただ静かに自らの知的産物を観察している。


 科学者にとっておおよそ標準的な態度とはいいがたい。彼らにとって理論とは飯の種であり地位の保証だ。科学者という種にとっての死活問題であり、己の市場価値の棄損だ。


 そういったことから離れたサンガーとアルブムをして、いやそんな平凡な科学者を軽蔑するだけの能力を自らに確信しているからこそ、己の理論が崩れるかもしれないという、その恐怖からは無縁ではない。


 サンガーもアルブムも、その時初めてこの同僚を畏怖した。彼の瞳は、人類を超える智能の活動を、まるで盤上の戦いを見物しているように見ている。


「問題は、無いのかヒデト」


 サンガーが恐る恐る尋ねた。


「問題など世界のどこにある。この世の全ては世界の法則に違反することなく従っているだろう。これもその一つだ。それが我らにとって都合がいいか悪いかなど、それこそ些細な問題だろう」


 淡々とそう答えた秀人は、だがわずかに首を振った。


「だが、困るといえば困るか。答えを見る前に終わってしまっては興ざめではある」


 薄く笑った秀人が、スクリーンを操作するために前に出た。


 その時、スクリーンに侵入者の存在を示す赤い文字が表示された。それこそ問題ではない。彼らのコンピューターは常時、ありとあらゆる機関の攻撃を受けている。そして、その全てをあしらっている。


 つい先ほども米中の二隻の原子力潜水艦をセンサー情報に介入して接触事故に誘導したばかりだ。


 ただ、今回の侵入者はなかなか巧みだ。そういった大国クジラの隙間をうまく利用し、しかも世界中の様々なハッカーたちの支援を受けることで、その姿を次々と変えている。警告の表示はこれまで誰も到達していない深度まで、この虫けら(バグ)が到達したことを示している。


 だからといって問題はない。物理法則かみには届いてはいないとはいえ、相手はしょせん人の技だ。実際、その侵入者の本質を示すパターンはすでに捕捉されている。


 彼らの目を引いたのは、その侵入者(ウィルス)が示す特徴がかつて彼らの一員と同じだったからだ。


「なんで今更奴が……。いや、このタイミングでということはまさか……」

「それこそあり得ない、人が仕込んだバックドアなどA.I.自身が進化の中で摘出できるはずだ」


 サンガーの焦りをアルブムが否定した。人間を超えるA.I.が本質的に制御不能とされるのは、人間があらかじめ決めていたルールも、書き換えることが可能だと定義できるからだ。


 それでも、彼らは侵入者が抱えていたプログラムをA.I.の解析台の上にロードする。


「パッチだと、こんな時にふざけたことを」


 付けられていたプログラムの名称にアルブムが顔をしかめた。


「いいじゃないか。イレギュラーにはイレギュラーだ。パッチの中身は?」


 秀人の言葉に、スクリーンにポリゴンの猫がプリントされた箱が開封される。


「何でもない単純なものにみえるぞ。これは、パズルか?」


 表示されたのは回転するコインが三次元格子状に配置されたパズルだった。


「結晶上の電子のスピンを模したパズルだな。一つの駒の変更が三次元のネットワーク上を波及する。要するに三次元オートマトンだ。単純な規則に反してきわめて複雑だが…………。ああ、なるほど一種の超電導状態を導けという問題か。超伝導というよりも、超伝達だな」


「超伝達。つまり、エネルギーの遺失ゼロで情報の伝達がなされるということか」


 二人の顔に困惑が広がる。その性質だけなら、彼らの創造しようとしている知能の備えるべき条件だ。


「しかし、これはNP問題ではないか?」


 秀人が付け加えた。数学的にはすべての問題ゲームは二種類に分けられる。解けるゲームか解けないゲームか。その二つは数学的に区別できる。なぜなら、解けない問題はすべて一種類のゲームに還元可能だからだ。

2019年6月23日:

来週の投稿は日曜日です。

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