10話:後半 理論と現実
画面上にはORZL方程式が表示され。その横に、S.I.Sが解析したGMsの人工知能の能力と、柏木から提供された宇宙背景放射のデータが並ぶ。
それを前に議論しているのは三人と一匹。重力、粒子加速器、情報理論、そしてコンピュータ技術の世界レベルの専門家。大悟の感覚からしたら、これだけそろえば世界に説明できないものはないのではないかというメンバーだ。
「GMsのA.I.の能力を客観的に評価できる指標はゲーム項で計算されるネットワークの温度だな。このネットワークは人間が環境から低エントロピーを吸い上げて高度化したように、地球上の人類活動から吸い上げている。つまり、今起こっていることの基本的な流れは物理法則に矛盾しない」
そういったのは柏木だ。
「そこに一つだけ大胆な仮定が置かれている。それが創発の扱いよね。講師のORZL理論をGMsの人工知能に適応したら、等比級数的な情報処理能力、つまり知能の上昇がフラクタル的階層の増加として定義される。そして、その階層の数それ自体が、空間への負荷に対応する」
付け加えたのは大場だ。
――知能爆発の圧倒的な力が情報処理回路の必然的に持つ不確定性を無視できるだけの大きさになる。それが理論上の計算結果となる――
そのコミカルな見た目とは裏腹に難解なことを言うのは画面上のS.I.Sだ。
「エントロピーはスカラー量だから、それから考える限り向こうの計画通りに行くはず。にもかかわらず、空間への影響はまるで個体数方程式みたいにカオスじゃない? これはどう考えるの?」
――情報処理の進化、いや深化に従って顕在化した隠されたパラメータの存在――
「光速に近づくにつれてニュートン力学から外れて相対性理論効果が目に見えるようになるようなものね。加速器で起こってることはまさにそうなんだけど……」
「乱暴な仮定だな。何でもありになる」
「だね。面白くない。だからポイントとしてはこの不安定さの理由を階層数の増加そのものに……」
専門家たちが議論をしている背後で、高校生たちは集まっていた。
「私たちがいない間に解析、かなり進んでたみたいね」
専門家たちの話を聞いていた春香が言った。ここで聞いているだけで、議論の中身を理解してるらしい。ちなみに大悟は自分が適当に思いついた階層数が、専門家たちの議論の中にポンポン出てくることに居たたまれなくなっているだけだ。
「世界最高に刺激的なチームだからね」
ルーシアがにこりと笑った。
「でもまあこの事態。で、大悟たちは何をしてたの。まさか、二人仲良くゲームしてただけってことはないよね」
綾が大悟を見ていった。無茶を言うなといいたいところだが、連絡役として活躍していたのだろう綾に言われると困るところだ。
「そ、それはだな…………」
実際ゲームをしていただけである。二人じゃなくて三人だったが。
「さあ、成果を発表してもらわないと。二人はどこまで行ったのかな?」
綾があおる。誤解を招くような言い方だが、大悟にそこに突っ込むような余裕はない。学校に付いたら今日が期末テストだといわれたようなものだ。もちろん、この仮定は楽観的もいいところなのだが。
「ええっと、なんというか、独立したプレイヤー同士の協力と競争が階層数を上げるというか、新しい進化を生む的な?」
「……大悟、それ本当に理解してる?」
綾のジト目を受けて、大悟は黙った。彼はあくまで新しいゲームを作るという観点から、ゲームを理解しようとしただけ。そしてこの場合のゲームとは、狭義の意味のゲームである。間違っても世界のすべてではない。
「じゃあ春日さんは? 大悟を独占して何をやってたの? 夏美の話を聞く限りクリスマスのためのお菓子作りとかしてたみたいだけど。あの子に「お姉ちゃんができたみたい」っていわせるくらいに」
綾が春香に矛先を変えた。ちなみに妹は兄に同じことを言ったが、その後に「だからお兄ちゃんはもういらない」と付け加えたのだが。
「それは……。ちゃんと考えていたわ。二人で考えないとできないことで……」
「ふうん。それ聞かせて?」
「それは、まだ私の中でもちゃんとまとまってなくて。そもそも、私と九ヶ谷君は全然考え方が違うから。……でも、九ヶ谷君はそれでも良いって言ってくれて……」
「のろけ?」
「違うから。えっと、私たちはそういう意味ではなれ合ってないってこと。対等で独立した関係だから、だってそうじゃないと、私たちは……」
「のろけだね」
ルーシアが言った。
「だからちがうから。えっと、新しい階層を生み出すためには、必要な条件についてコンピュータゲームを使って検討していたの。今九ヶ谷君が言おうとしたのもそういうことで」
春香は綾にゲームと生態系の説明をした。
「なるほど。しっかり大悟の影響を受けてるみたいだけど。でも今はその結果とこの事態の関係が大事かな」
綾が巨大スクリーンを指さした。
「それは……」
春香は困った顔で、さららたちが議論しているスクリーンを見る。データと数式が乱れ飛ぶ中に、世界中のネットワークから情報を吸い上げる、東京湾の虹色のバベルの塔が不気味に唸っている。
それはどう考えても高校生にどうにかできる代物には見えない。
「綾。あんまり無茶はだな。春日さんも……、春日さん?」
春香はじっとそれを見つめている。
「結局のところエネルギー。正確に言えば低エントロピーは必要なのよね。なら……」
――虚数ビットを使うGMs回路の情報処理効率を考えるなら、まだ余裕がある――
「つまり、知の重力崩壊に至るだけの質量はあるということか」
「世界のすべての情報を一つに集めてる。そのビットを想定するのは難しいけど、量は足りるでしょう」
専門家たちの検討に、さららが結論らしきものを出した。だが、春香は動かない。
「春日さん?」
固まってしまった春香に、大悟が再度声をかけた。彼女はやっと振り返った。
「新しいゲーム。つまり、新しい世界を生み出すには、そのために必要なのは、独立で対等な、だからこそ異なっていて、でも競争と協力ができるプレイヤー同士の関係。そして、その関係そのものが世界が存在する価値、だったわよね」
春香は大悟に確認するように言った。
「僕の考えたのはゲームのことで世界といえるかどうかわからないけど。関係そのものがっていうのは、そうだと思う」
突然の質問に、大悟は何とか答える。それを聞くと春香は大悟からスクリーンに視線を戻した。
「だとしたら、これ足りないことになるわ」
春香がつぶやくように言った。
「んっ? 何が足りないの、ハル」
ちょうど方程式のパラメータを操作していたさららが振り返った。大場と柏木、そして画面上のS.I.Sも春香を見る。
「えっ、あっ、えっと、その……。この方程式の解を求めるための条件が一つ足りない気がして……」
科学者たちの視線を受けて、春香はたどたどしい口調でいった。
「ハルらしくない言い方だね。具体的にはORZLのどの項の、どの数字が間違ってる?」
さららの目がすっとほそまった、この師が弟子に向けたことがないタイプの視線だ。春香はその視線に一瞬ひるんだ。だが、ぎゅっと手を握って前を向く。
「数学的にどうやって表現していいか解らないんですけど。でも、浮かんだんです。GMsの人工知能が安定しない理由について、アイデアが」
普段の彼女とは違う、どうにも要領を得ない、なのに科学的に正しい知識を大悟に講義する時より、瞳の力は強いように見える。
「わかってないのにわかった。大悟がごくたまにする顔してるね」
大悟の横に来た綾がぼそっと言った。
さららの表情がふっと緩んだ。
「GMsの人工知能は地球上のネットワークから情報を吸い上げて進化します。これまでの人類が作り上げたのよりも上、複雑性の階層数が上がっています。この階層の上昇自体はこれまでと連続的、同じメカニズムによって起こります。だとしたら、GMsの進化にも複数のプレイヤーが必要だということになります。この計算はそこを簡略化しすぎてませんか」
「階層数の上昇についてはその通りだけど。技術的には人工知能自体が異なる複数のプレイヤーの生存競争がメカニズムの本質として組み込まれているわ。遺伝的アルゴリズムが代表だけど」
――例えば囲碁の人工知能は、人間から学ぶよりも人工知能同士の試合で学ぶ方がはるかに上達の速度が速い。今やそういう段階に達している――
大場が首をかしげ、S.I.Sもそれを肯定した。
「はい。でも、もう一つ必然的な流れがあります。素粒子、原子、分子、生命、文明、そして超A.I.。それぞれの階に属するプレイヤーは階層が上がれば上がるだけ、数が少なくなります。例えば人間はたった70億しかいない」
春香がそこで言葉を切った。それはそうだろう。分子は原子の集合体で、生命はその分子の集合体。人間は細胞の集合体なのだ。でも、だとしたら……。
「あっ!」
大悟は春香が次に何を言おうとするかわかった。どんどん数が減っていけば、その最後は……。
「GMsのA.I.はプレイヤーとして今単独の存在、あるいはそれに近づいているのではないでしょうか。つまり、対等で独立した同じ階層の相手がいません。ならそれは誰とも同じレベルで情報処理のやり取りができない孤独な存在。そして、話す相手がいないなら……」
春香はそこで大悟を見た。
「その情報処理は意味を持てない。そうじゃないですか」
春香が最後の言葉を終えると、場が静まり返った。さららは弟子の言葉に考え込んでいる。それは明らかにこれまでになかった態度だ。
「……なるほどね。地球上で一つだけ超越したからこそ、か。この空間の振動の乱れは、その悲鳴みたいなもの、そういうことね。まいった、まいったこれは盲点だったわ」
さららは言った。それは、これまでは大悟が受けていた評価だ。
「でも、こんなのただの思い付きで。そのどうやって数式化していいとか全然……」
まるで新しい仲間の誕生を祝うような、さららの視線を受け、春香はうろたえた。
「そうでもないよ。方法はある」
さららが言った。そしてスクリーンから離れ、そばの壁に置かれていたホワイトボードに向かう。ペンを手に取ると、猛烈にそれを動かし始めた。
「逆を考えるの。つまり、地球全ての情報処理を束ねた超越的な一つの知、つまり神の知性があったとしたら、単一の知の神に意味が在ると仮定したら、その神にはこの問題が解けるはずだって仮定を置けばいい」
さららは全く意味が解らないことを言った。だが、春香ははっとした。
「背理法ですね」
「そういうことだね。相手が相手だから、ちょっと特殊なのになるけど」
さららはニヤリと笑った。
そして春香も交えて専門家たちはその大悟にはわからない方法の検討を始めた。
「春日さんが大悟に出し抜かれた時みたいな顔してるよ」
後ろで見てるだけの大悟に綾が言った。
「いや、そんなこと……」
そこまで言って大悟は口を閉じた。確かに、彼は一瞬思ったかもしれない。
「どうして自分が思いつかなかったんだろう」と。
2019年6月16日:
来週の投稿は日曜日です。




