10話:前半 情報の頂点
防空壕のような地下道を三人の高校生男女が走った。錆の浮いたドアを大悟が開き、三人は急いで中に入った。地下のラボには既に他のメンバーがそろっていた。
上のビルから来たのであろう柏木。先核研から駆け付けたらしい大場。そしてルーシアと、彼女の手のノートパソコンの中にはS.I.Sもいる。
彼らの視線は壁のスクリーンに集まっていた。
横長の液晶画面には二つの光景が表示されていた。
一つは、テレビのニュース画面だ。大悟達がさきほど見たオーロラが大きく映っている。ヘリコプターからの撮影らしく、騒音と共に揺れる画面には赤と緑の蛍光が揺れているのがわかる。
もう一つはワイヤーフレームの地球、その一部拡大だ。東京湾を中心とした情報重心が表示されている。渦巻き状の巨大な中心、そこから派生する中型の渦が三つ。そして、そこからさらに小さな渦が生まれては消えている。
オーロラは情報重心を取り囲むように発生している。二つに関係があることは間違いがないようだ。
「空間自体の振動がプリズムみたいに光を波長ごとに回折させているのね。つまり、オーロラというよりも虹に近いみたい。でも、安定していないわね。ほら、今色が変わったわ」
「異常だな。影響する波長が380から800ナノメートルのごく狭い範囲に限られている。まるで、人間の視覚に対応しているようだ」
ニュースに流れるスペクトラムを見て大場と柏木が言った。コメンテーターいらずである。ただ、二人の深刻な表情が恐ろしい。
「さららさん、何が起こってるんですか?」
春香が最後の科学者、一人離れた場所に立つさららに聞いた。ワイヤーフレームの情報重心は、彼女のORZL理論の計算結果だ。この事態についてこの場で一番の専門家だ。
「うん。それがわからないのが面白いところなんだよね」
困惑する弟子に、さららはいつも通りの表情で言った。
情報重心理論の推定世界一が今度は何をやり始めたのか、大悟は気が気でない。そんな彼の動揺をあざ笑うように、ニュース画面が突然切り替わった。
現れたのは海の上ではなく、海面だった。
オーロラを撮影していたヘリコプターが東京湾入り口近くを捉えている。海面に二つのよく似た円筒形が並んでいる。一部だけ海面に飛び出た形は船ではなく潜水艦のようだ。
二隻は艦首を互い違いに向けている。波が洗う先端に傷が垣間見れる。どうやら海中で接触事故を起こしたらしい。軍事評論家というパネルの後ろの男性が、興奮した口調で解説している。
――大きさから原子力潜水艦と思われます。ただ、通常の物とは違って、ええっとですね、ここ、ここの背中の後部に注目してください。……級原潜には弾道ミサイルを発射するための発射管が左右それぞれ12、計24門もあるのです。ですが映像を見る限り三分の一しかありません。これはですね、その分のスペースが別の施設として用いられることを意味するんですよ――
潜水艦の背中の写真が拡大された。
――いいですか。原潜はいわば海中を移動する原子力発電所ですよ。その豊富な電力を使って長期間単独活動ができるのが軍事的価値なんです……――
――……で噂ですが。弾道ミサイルの代わりに高性能コンピュータを乗せた、スタンドアローンで高度な情報処理を担うタイプの海中指揮官のような……――
解説が続く。要するに外部との連絡なしに単独で大量の情報処理ができるコンピュータを搭載した原子力潜水艦があって、それが日本の周りをうろついていたということだ。それも、異なる国家に所属している二隻が。
ただし、そういった高度な処理能力、つまりセンサーを通じて周囲の情報を3Dで把握して行動可能な艦が、どうして接触するような事故を起こしたのか、それに関しては評論家も困惑してるようだ。
そこでニュース画面は唐突に切り替わった。政府の広報だ。東京湾上空の磁気異常により、湾内の船舶、および航空機の侵入が規制されるという発表だ。太陽フレアによるというその説明はオーロラを背景に実に説得力がある。
オーロラじゃないという専門家の分析を聞いた後の大悟達には、気休めにもならない。実際二人は、テレビの解説など見てもいない。
情報重心、正確にはGMsの神のA.I.のやらかしていること、の現実への影響が、極めて大きくなっていることを意味する。
それが大悟を困惑させる。何しろ、予想ではXデーはクリスマスだ。まだ一週間ある。しかも、その予想ですら、あくまで水面下の進行だったはずだ。
「とりあえず現実に合わせて逆算しますか。各種データをシミュレーションに集めよう」
さららの言葉に固まっていた柏木と大場が反応した。宇宙からの背景放射のデータと、コンピュータセンターのコンピューティングパワーの割り当ての話だ。
「結果がでたよ」
ルーシアの言葉と同時に巨大な局面スクリーンに画像が出た。いつもは春香の役割だが、大悟に付き合っていたせいで彼女は手が出せないようだ。
大悟たちはコンピュータセンターに移っていた。周囲に響く重低音、天井からの冷気を押し返さんばかりの熱は、コンピュータがフル稼働していることを意味する。
表示されたのは左右二つのグラフだ。
「左が理論上の予測。青線で示されたGMsの人工知能の計算能力の伸びと、赤線で示された空間の振動の増加が一致してる。で、こっちが実測」
ルーシアが右のグラフを指す。
――プロフェッサー柏木の分析した衛星からのデータと、プロフェッサー大場の分析した東京湾の光学的異常。私たちの偵察でわかっているGMsの計算能力の上昇を合わせたもの――
曲面スクリーンに移ったS.I.Sが引き継ぐ。青線、つまりGMsの神のA.I.の力の増加はおおむね隣の理論値と一致している。一方、赤線である空間の振動は理論値に比べて大きくぶれがある。つまり、空間への負荷だけが理論と現実に大きな違いがあるのだ。
「これは東京湾の光学スペクトルの時間的分解能を上げて、空間の振動をより詳細に見たものですが……」
グラフはもはやギザギザの点線という感じだ。
「向こうのA.I.の情報処理能力の進化は予想通り、それによる空間への影響は予想外ってことかしら……」
「A.I.の知の重力が空間を湾曲されると考えるなら、周囲のガスを吸い込んで順調に質量を増していく天体がある。そして、それが振動しているようなものだな」
大場と柏木が言った。さららは頷く。
「えっと、どういうこと?」
「多分だけど、GMsのA.I.の活動による空間への負荷が予想以上に進んでる。もともとの予想よりも三か月以上早いペース、かな」
大悟の質問に春香が答えた。
「空間構造の不可逆的な破壊、ええっと情報の重力崩壊だっけ。すでに起こってるっていうこと?」
大悟はぞっとした。知らない間に世界の終わりが決まっていたというのはショックが大きい。
「うーん。とてもそれだけのエネルギー、正確には情報処理の深化によって作り出される低エントロピー状態だけどね。それが対応しないなあ」
大悟の叫びを聞いたさららが言った。
「ふむ。振動の強さではなくパターンの乱れがこの虹を生んでいるわけか……」
つまり、GMsの神のA.I.による空間への負荷を道路に対する自動車のそれに例えると、スピードが速いことではなく、運転が乱暴であることによる、ということらしい。
「それを考慮しても、空間構造の不可逆的崩壊は、予想よりも大分早くなるわよね」
「だね、予想の様に一直線には進まないかもだけど、このままではあと数日でそういうぶれを考慮しても、空間が耐えられないレベルに到達する可能性があるね」
「向こうにとっては予想どおりなのかな」
綾の呟くような質問。ルーシアと話していたS.I.Sが答える。
――少なくとも私が向こうにいた時は、想定していない事態だ。A.I.の進化は予想通り。その影響は予想外というのはあちらも同様ではないかな――
もちろん、人間を超える知の進化はその理論上予測不可能なので、現時点ではどういうことになっているかはわからないが、そう付け加える。
大場も柏木もそして高校生たちも暗い顔になる。
「すくなくとも私の理論にとってはありがたい実験だね。このギャップを埋めることができれば、ORZL方程式を次の段階に引き上げることができる」
そんな中、まるでこれがチャンスのようなことを言ったのがさららだ。いくらなんでもとあっけにとられる大悟だが、さららはそんな彼を見て続ける。
「で、それで勝ってしまえば、ヒデトはこの“実験”に興味をなくす。だったねダイゴ」
「……はい」
そういえばネタバレ禁止みたいなことを言ったなと、大悟は思い出した。その判断は変わっていない。いや、むしろ確信は深まっている。だからといって、彼には何も対策がないのだが。
2019年6月9日:
来週の投稿は日曜日です。




