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複雑系彼女のゲーム  作者: のらふくろう
第一部『物理学の爆弾』

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9話:前半 ORZLの全容

 春香がタブレットを操作すると、巨大な曲面スクリーンから加速器が消え、代わりに球体が表示された。球体が回転を始めると表面に複雑な線が描かれていく。


 海と陸が線で分けられると、各都市と思われる場所に視力検査のような一部が欠けた円が生じた。円と円の間に幾重ものラインが延びた。あっと言う間に球体ちきゅうぎは光の網で覆われる。


「これは地球を取り巻く情報ネットワーク。簡単に言えばワールドワイドウェブの現在の姿。線の太さは情報通信量に対応している」


 地球規模のネットワークとその間を行き交う大量の情報。ニュースで見たことがある映像だ。


「これに経済活動、物流などのデータを合わせて、私の方程式で各地点の数値を計算する。その数値を色で表すと……」


 地下室のホワイトボードに書かれていたORZL理論の方程式が表示され、その一部である【ゲーム項】が光った。次の瞬間、まるで気象図のように地球の表面に色の濃淡が生じた。


「こうなる。私は情報場と呼んでいる。情報の相互作用の方向性と量、つまり【情報処理量】の場ってわけね。まあ、ある程度リアルタイムで把握できる情報通信量と違って、その他のデータは荒いんだけど。そうだな、【ゲーム項】によって複雑に絡み合ったネットワークの情報幾何学的性質を一種の温度、あるいは質量に擬して計算しているというイメージ」


 そこまで言ってさららは大悟達を見た。これがこの前の土曜日こうぎの続きだとやっと大悟は気がついた。


「地球上の情報処理の性質を表す場を設定すると、その場の中に特別な点が現れる。言ってみればホットスポット。これを私は【情報重心】と呼んでいる」


 さららの言葉に合わせて、地球上の幾つもの場所が赤く光る。ニューヨーク、ベルリン、ニューデリーなど大都市に隣接した場所が多いように見える。


 気象予報の台風などの図に似てなくもないが、まったく意味がわからない。頼りの春香はさららの手伝いだ。


「そしてある日、その情報重心の極端に強いスポットが表れた」


 CGの地球儀が逆回転すると日付が遡っていく。表示が『4月6日』を示した。新聞に載っていた先核研の事故の日付だ。同時に、スクリーンがどんどんと地表へと近づいていく。弧を描く日本列島が画面を斜めに切り、東京湾を抱く関東が広がり、太平洋に面した一県に中心が移動した。


 そこには一際濃い赤点が生じていた。地図が更に拡大して無機的な線画の上に航空写真が重なる。見慣れた街の姿だった。大悟の家はともかく、通っている高校や駅が確認できた。


 そして、赤い点は街の外れ山麓にある広い敷地から、竜巻のように渦を巻いて立ち上がっている。


 その敷地は香坂理大のキャンパス。そして、理学部と工学部の間にある四角い建物は、まさに今大悟達がいる先核研ばしょだった。


「解像度的にぎりぎりだけど、位置からして情報重心の中心はここ」

「情報ネットワークの可視化がなんだって言うの。この点だって理由ははっきりしてるんじゃない? おおかたこのコンピュータセンターが稼働したことで通信量が増えた結果でしょ」


 黙って聞いていた大場が言った。画面上で星形のカーソルがぴくりと震えた。


「まあまあ、次がオーバの知りたいことだから。ハル、事故前後の五分間の動きを出して」


 さららが言うと、画面上の細い竜巻が北東から南へと建物を横切った。


「事故が起こった時刻。情報重心が強さを増しながらこの建物を横切っている。事故の五分前に、加速器の2時のユニットを通過。そして、事故の瞬間には6時のユニットに対応する位置に存在している」

「…………」


 大場の顔が明らかにこわばった。


「さっきのシミュレーション、というよりも事故の五分くらい前の2時のユニットの測定データだね。そこに何か異常がなかった?」


 大場が黙って指を動かす。画面上の地図に重なるように一つのグラフが現れた。微妙に振動しながらも、基本的にまっすぐなグラフが、ある点で僅かに谷を作っている。


「統計的には微妙だけど、続きを……」

「ここからが私のORZLの大事なところ。情報重心のことをさっき質量といったでしょ。質量と同様に空間に作用するの。情報重心が質量と違うのは空間の余剰次元構造にだけ影響すること。つまり、強力な情報重心が存在すると、その周囲の空間の余剰次元がゆがむ。これが局所的空間(Lcz)現象ってわけ」


 春香が画面を切り替えた。碁盤目状のフレームが現れた。


「これが通常の三次元空間だとしたら……」


 交点の一つ一つから上に線が延び、折り紙のような正方形の平面を作った。その折り紙が幾重にも折りたたまれていく。ついに、あの時のテーブルの上のように、鶴の形になった。


「この鶴の形はありえる一例だけど、これを現在の余剰次元の形だとするね。じゃあ、情報重心の値がある一定を超えるとどうなるかというと……」


 折り鶴の群れが休む平面みずうみの中央に情報重心と思われる赤い点が生じた。そこを中心に、円形の領域が一瞬震えた。折り鶴が平たい折り紙に戻っていく。


「余剰次元構造の折り目が強制的にリセットされる。まるで氷が溶けるようにね。もちろん今の宇宙の温度でこんなことは長続きしない。周囲の正常な余剰次元に同調してあっと言う間にもとに戻っていく。だけど、中心に戻りきれない部分が僅かに残存する。この領域では余剰次元の形が情報重心と復元力の間で揺れ動いて、一時的に別の形状を維持する」


 一旦平面に戻った余剰次元の領域、その周囲はあっと言う間に鶴の形に戻る。だが中心部に丸めた紙くずのような形がいくつかのこった。その上に【?】(クエスチョン)マークが浮かぶ。


「この領域では余剰次元の形が今の宇宙と違う形状を取る。つまり、異なる物理法則になっている。情報重心の強さによってはそれがマクロ現象に影響を与えうるくらいの時間持続する。この春に起こったように」


 さららはそこまで言うと無邪気で不敵な笑顔を大場に向けた。


「講師。貴女自分が何を言っているのか解っているの」


 大場はわなわなと肩をふるわせる。大学教授の百分の一、いや一万分の一も解っていないだろうが、大悟もその感情を共感した。


 先週土曜日の講義がやっとその全容が示されたのだ。つまり、さららの理論とは……。


「綾」

「何?」

「いまのって、例えば人間の活動。SNSに書き込むとか、ブログに写真を上げるとかだぞ。それで、物理法則が変わるって言ってないか」

「多分、ね……」


 大悟は綾と顔を見合わせた。絶対のルールである物理法則が変化しうるだけで異様なのに、その原因がスマホだというのだ。


 ファンタジーの魔法、あるいは現代異能物のような話。要するにオカルトにしか聞こえない。百歩譲ってもSFだ。つまりフィクションみたいな話。


 タブレットを操作する春香の表情を大悟は恐る恐る確認した。画面を見ている春香の顔には、一種恍惚とした色があった。彼女はさららの理論を信じているのだ。


「余剰次元自体がまだ実証されていない仮説にすぎないわ。なのに、情報のネットワークそれ自体が特殊な物理的実体を持つ。その上、物理法則が変わるですって。無茶にも程があるわ」


 大場が吐き捨てるように言った。画面上でまたカーソルが跳ねた。


「でも、オーバの知ってる物理法則じゃ、さっきの事故は起こらないでしょ」


 さららは「面白いでしょ」と言わんばかりに笑顔だ。

 画面が戻る。再現シミュレーションの最後の状態。厚い金属が固めに泡立てられたクリームのように螺旋状に変形している像だ。


「現象レベルの話に戻すけど。これ、一番の問題は爆発のエネルギー源よね。特にその密度。ごくごく狭い領域に、言い換えれば極微量の爆薬から、融点の高い合金をこうするだけのエネルギーが解放された。工学的にどうやったら可能?」

「………………そこに太陽中心レベルで濃縮された水素があって、核融合を起こしても無理よ。大体核融合で発生するガンマ線と観測されたそれは似ても似つかない」

「そう、つまり、物理的にありえない現象。少なくとも人間が人為的に作り出せる現象を超えた何かが起こってる。それこそ、熱力学の第一法則が揺らぎかねない何かが」

「どちらも、科学者なら絶対に認めない事よ。特に後者。仮に、万が一、物理法則が変っても、熱力学の第一法則が揺らぐとは思えないわ」


 さららと大場の視線が激突した。大悟には何が何だか解らない。物理法則は絶対だという大場じょうしきさらら(ひじょうしき)が食い違うのは解る。そして、いきなり出てきた【熱力学の第一法則】とはなんだろうか。


「そうなんだよね。後者は私も否定しない。Lczの前後でエネルギーは保存されるはずなの」


 さららの答えに大場は少しだけほっとした顔になった。そして、腕組みをして考え込んだ。


 太い二の腕を自分の人差し指で叩きながら、大場は沈黙を続ける。そして、腕を解くと人差し指を立てた。


「あくまで仮説として、今のように考えるとしましょう。でも、講師の理論を丸々信じたとしても、幾つも疑問があるわね」

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