7話:前半 講義と実技
「オーケー。このゲームをハッキングして、何をしても二人が勝てるように改造すればいいんだね」
「違う。全然違う」
ルーシアのマンションで、大悟は首を振った。
HMDを被ったルーシアがメインマシンに向かっている横で、大悟と春香はサブマシンにインストールしたマギボンを起動した。春香が天使陣営、大悟が人間陣営を選択して準備完了だ。
「このゲームは前の海戦ゲームよりもずっと複雑。洋子に勝つためにはいくつかの段階を経ていく必要があるわ」
春香は人差し指を立てて大悟に言った。大悟は頷きかけて、あわてて首を振った。
「教えてもらう立場で言うのは心苦しいけど、主旨がずれているんじゃない? 目的はあくまでゲームにおける創発の理解だったはずだよ」
「……大まかな流れは一緒だから問題ないわね。ええっと、まずは、一番の基本を確認しましょう。そう、このゲームのカギは如何にエネルギーを効率よく獲得するか」
一瞬目をそらした春香だが、気を取り直して講義を開始した。エネルギーの獲得効率。それは昨日洋子の家に行く前に話していた内容だ。
「このゲームの世界では、地面から湧いてくる……魔力。地熱のようなものね。これが唯一のエネルギー。プレイヤーはこのエネルギーをいかに多く獲得するかを競うことになるわ。これは、例えば植物が太陽の光を求めて競争するのと同じ」
春香がキーボードを動かす。ゲーム画面上で、魔力スポットを春香のユニットが占領した。ちなみに羽の生えた天使である。
同じ距離から始まったのに、大悟の兵士はずっと遠くを徒歩で進んでいる。ちなみに、彼が握っているのは当たり前のように部屋にあったスティック状のコントローラーだ。
「魔り……エネルギーがたくさんあった方が有利だっていうのは分かるけど……。エネルギーはあくまで勝利のための手段じゃない?」
「エネルギーの獲得を基本にするのは二つ理由があるの。一つは総量が決まっている有限の資源であること。つまり単純なゼロサムゲームとして考えられる。もう一つが今九ヶ谷君が言ったこと、エネルギーの戦力化だけど。これも、目的としてはより多くのエネルギーを獲得するためと言えるわ」
「つまり、エネルギーを獲得するために、エネルギーをどう使うか。その競争をしているって感じ?」
相変わらず春香と話しているとゲームが違うものに見えてくる。
「そういうこと。じゃあ次に進むわね。エネルギーを効率的に使えているかどうか、その基準として『戦力値』というパラメーターを仮定する」
「さっきの戦力化の話かな。『戦力値』の定義は?」
「エネルギー1あたりの戦力として定義する。これが高ければ高いほどエネルギーを効率的に利用できているわけだから、相手に対して有利になる。完全効率は無理だからエネルギー1あたりの戦力値の上限を1として1にいかに近づけるかと定義できる」
「ちょっとわからなくなってきた。というか、そんな簡単に数字にできる?」
大悟は首を傾げた。春香が頷いた。
「条件によるわ。まず、できる例から。さっき言った植物を考えてみて。植物は太陽のエネルギーを葉で受けて生きているでしょ。そしてそのエネルギーを使って自分の体を育てる。この場合、獲得したエネルギーを使って葉を大きくすればするだけ、たくさんの太陽のエネルギーを得られることになる。これを面積戦略と呼ぶことにするわ。この場合、植物がエネルギー獲得競争に勝つ条件は、エネルギーをいかに効率よく葉の面積に変換できるかだけ。これは単純に数値化できる」
「そうだね。次は?」
「別の種類の植物が茎をのばす戦略をとったら。これを高度戦略と呼ぶわ。茎をのばすことは太陽のエネルギーを受ける量を増やすことには直接は繋がらない、でも」
「なるほど、せっかく葉を大きくしても、上に行かれたら意味がない」
影になった葉がいくら大きくても意味がないのだ。
「そういうこと。ゲームに直したら……」
春香は自分の陣営の天使を作り出した。
「この天使は前のよりも移動力が優れている。つまり、相手よりも早くエネルギースポットに到着できる。だけどその代わり……」
大悟の陣営の狩人が天使を攻撃した。
「攻撃に対して弱いから簡単に落とされてしまう」
「つまり、二通りの戦略があれば、戦力値っていうのは固定しないってこと?」
「そう。ただし、戦略が二つの場合はゲーム理論で答が出る。つまり、茎をのばすことと、葉を広げることに獲得エネルギーをどう振り分けるかの最適のバランスを決めることができるということ」
「バランス。つまり、どちらかじゃないってことだね」
なるほど、攻撃全ぶり防御全ぶり、どちらも破綻する。もちろん、それはゲームがきちんとバランス調整されていた場合だが。
「戦略が二通りじゃなかったら?」
「そこが問題なの。例えば、森の中では樹木同士が高さ、伸長戦略で競う。でも、下生えの草は生きるために樹木越しの光でも光合成できるように進化する。これがいわば低エネルギー戦略」
「生物の授業で確か習ったことがある。えっと……?」
「陰性植物と陽性植物ね」
「それだ」
「ほかにも寄生戦略と呼べるものもある。例えば、樹木は高度戦略をとるために丈夫な茎が必要になる。そもそも、根も深く張る必要があるわ」
「高い身長を支えるためだね」
「そう、必然的に葉よりも茎や根に多くの資源を配分する必要があるわ。でも、その樹木に巻き付いて伸びる植物があったら?」
「なるほど蔦だね」
蔦は細い茎でも高いところまで登れる。そして広い葉を付けれる。
「ただし、自分より高い樹木がないと生きられない」
「わかってきた。ゲームにいろいろなバランスのユニットがいることと、いろいろな形の植物がいることがつながるんだ」
相変わらずちょっと油断したら深淵を覗かされる。ここまででいくつか引っかかるところがあるが、大悟は納得した。
「ええ、こういう風に多数の戦略が存在したら、計算は極めて複雑になる。さっきの蔦もだけど、たとえば陰性植物が森の下を独占できるのは、陽性植物である樹木が影を作るおかげで、同じ程度の高さの陽性植物が育たないから」
「陽性植物同士、陰性植物同士が競争していて。陰性植物と陽性植物はいわば協力関係にあるってことか」
「そういうこと。もちろん、植物に意思はないから協力しようっていうよりも、競争の結果そうなってる。の方が正しいわ」
「敵の敵は味方みたいな感じだね」
世界は実にゲームである。
「ということは結局…………。必勝法がないじゃん。って当たり前か、あったらゲームが終わって……」
「九ヶ谷君」
「あ、いや、いいんだ。続けて。えっと、今のって要するに三すくみ。格ゲーの打撃、防御、投げとかもっと言えばじゃんけんみたいな感じだよね」
何かが空白にかすった。だが、大悟は春香を促した。
「それでいいわ。必勝法はないけど、たとえばより強いA、つまりグーを作れば相手のグーにもチョキにも勝てる。だから有利にはなるわ。要するに競争。太陽エネルギーの効率的な獲得とそのエネルギーの効率的な利用にすぎないわ」
春香は自然の多様性をそう切り捨てた。
「じゃあ、これをマギボンに当てはめましょう」
「ええっと、この場合のエネルギーは魔力だから。ということはユニットの系統、つまり技術ツリーの中のどこにエネルギーをつぎ込むかだね……」
「そうね。私の陣営は移動力が優れたユニットが多い。そこを強化して序盤によりたくさんのエネルギーを獲得する。そして、そのエネルギーを使って数をそろえることで、欠点である防御を補う。そんな感じに考えるの」
「そうなると、僕の陣営は…………」
人間は他の陣営よりも初期値が弱い。だが、その代わり進化によるスピードが速く、自由度が高く多様なユニットが存在する。
「ええっと、春日さん。ちょっと聞くけど」
「ええ」
「ちなみに、僕と春日さんが一対一で戦うとしたら、春日さんはどうする?」
「今言った通りに、序盤のスピードで圧倒するわね」
「だよね。それでさ、近藤さんの陣営。悪魔陣営は……」
「……前回のゲームを見る限り、とにかく最初から強い、エネルギー効率がいいユニットがそろってるわね」
「つまり、向こうの土俵ってことにならない?」
「そうなのよ。でも、とにかく私たちもエネルギー効率が高めるようにする。これは変わらないでしょ」
「まあ確かに基本は大事だね。わかった、まずはそこを考えよう」
大悟はマギボンの攻略サイトを検索する。気が遠くなるような大量の表が表示される。二人はそれぞれの陣営のユニットの進化のツリーを確認しながら、議論を続けた。といっても、この手の議論は春香の圧勝になるわけだが。
こうして、全くゲームっぽくない作戦会議は終わった。
帰り、大悟と春香はルーシアにお礼を言おうとして、彼女が最初とほぼ同じ体勢でパソコンに向かっているのに気が付いた。自分たちは延々とゲームをしていたことに罪悪感を覚えた大悟だが、こちらも半分生物の授業だったことを思い出す。
2019年4月14日:
来週の投稿は日曜日です。




