6話 実技Ⅰ
「どこまで潜れるS.I.S.」
マンション高層。部屋の中で少女が口を動かす。相手は画面上の、いや画面越しに向かい合っている3Dのネコだ。
―その質問は適切じゃない。アレに潜るなんてできない相談だ。どこまで接近できるか、という質問に変更を―
「了解。方針を威力偵察に訂正……訂正終了。オペレーション・スタート」
ルーシアはバイザーを下すようにHMDを被った。口を結んだ少女の指がキーボード上の速度を上げる。彼女の視界はコンピュータネットワークの乱麻に沈んでいく。
…………五時間後、一人と一匹はパソコン画面にもどっていた。
「接近って言葉もぬるかったね。大物の全力攻撃が威力偵察にもならないのを傍観してる感じかな」
世界的なテクノロジー企業や、大国の情報機関と考えられる複数の存在。それが巨大なコンピューティングパワーを振り回してGMsへ挑む姿。そしてそれが、次々とあしらわれる様を傍らで見てるだけだったのだ。
「S.I.S.があいつらにアドバイスしたら少しは変わった?」
―彼らは能力がなかったわけじゃない。もとは私の設計したセキュリティーシステムだけど、あれほど進化されると手に負えないな。ただ、それを見た後なら少しは違う……―
ルーシアの目の前に、複数のコードの塊が表示される。それらのコードは鎖のようにつながる情報の流れをデザインしていた。
「向こうのクセが少しだけ見えた感じかな。ネットワーク上の同志たちの協力。そして私たちの行動の煙幕として、さっきの大物連中をどう利用してやるか、ってところ?」
デジタル動物が頷く。画面に複数のアカウントネームが表示される。ルーシアの瞳の光は鋭さを増した。
「つまり、えっと要するに低エントロピーの、エネルギーの奪い合いなの」
「どこら辺が要約されてるのかわからないのはともかく、それってプレイヤー同士の関係だけじゃない? ゲームが一つの世界っていう視点は?」
「でも、基本は競争でしょ。赤の女王仮説って言葉があって……」
学校帰り、いつもと違う道を歩く大悟と春香。二人は、熱心に、ただしいささかとげを含んだ言葉をやり取りしていた。
「専門用語使っても、言ってること変わってないんじゃ? ゲームという世界そのものの進化はどうなるかって話がないと“ゲーム”である必要が……」
「……ゲームとするなら、まずこの場合の資源は電気のエネルギー。空間はメモリーだから……」
「それって結局……創発しなくちゃいけないわけじゃない。さっき春日さんが言った、ゼロサムゲームの……」
「それは……。だって、私も創発については納得してない概念だから。本当ならエントロピーの増加だけで世界を説明したいの…………。ちょっと待って少しまとめるから……」
春香が道端でノートを広げた。そこに書かれた複雑な数式と回路のような図。それを二人で覗き込んだ時だった。
「……カップルらしくクリスマスの予定でも話してればいいのに…………」
気が付くと、前に大きな鉄門を開いた洋子がいて、二人を呆れたように見ていた。
二人は黙った。ただ、彼らの名誉のために付け加えるなら、これはある意味クリスマスの予定である。
近藤家は広い庭のある洋式の大きな家だった。格差問題を考えざるを得ない大悟は、いろいろな意味で慣れている春香に促され家に入った。
長女の部屋に入ると、正面の巨大なスクリーンに迎えられた。
流石に大学のコンピュータセンターほどではない。だが、地下室の側面のスクリーンよりは大きかった。
いわゆるホームシアターというやつだ。おそらく、春香がこれまで見た時は、その名称に恥じない用途だったのだろう。普段がどうなのかは、スクリーンの下に最新鋭のハードが控えているのを見たらお察しである。
「格ゲーの練習には大きすぎるんじゃない?」
「そういう場合は、そっちの液晶を使うの。144hzのリフレッシュレー…………んんっ!!」
大悟の探りに、洋子は傍らを指さした。語るに落ちている。ちなみに、スクリーンの横にあるのは大きな本棚。スライド式の前後二段構造で、前の棚は映画のディスク。後ろはゲームパッケージが並んでいた。
目の前で秘密の扉が開かれたのは初めてなのだろう。春香は興味深そうに棚を見ている。大悟はじっと洋子を見た。洋子はバツが悪そうに顔をそらした。
「と、とにかく始めよう。このゲームだから」
洋子が電源を入れたのはパソコンだった。黒い無骨な筐体。電源投入と共に、唸る低音のファンの音。液晶画面に出たのはフェリクスのロゴ。そして、海と大地の世界地図だ。タイトルは『マギステル・エボリューション』。マギボンという略称を聞いたことがある。
確か、かなりマニアックな……。
「ジャンルで言えば……。何だっけ、九ヶ谷……」
「……もう擬態無理でしょ。えっと、戦略シミュレーションかな?」
大悟の目の前で、ゲームが読み込まれている。不穏なのは「●●MOD」とか「××パッチ」とかいう文字が画面を流れるということだ。
「……オリジナルカクテルはオフにするから大丈夫。さあ、二人はそっちのコンシューマーハードでやって。ターン制だからマシンスペックは影響しないから」
「……そうするよ」
大悟はため息をついた。春香は食い入るように見ていた説明書を下した。
陣営の選択が終わった。ちなみにいくつかの質問に答えるタイプだった。ゲーム画面を前に三者三様の表情が並んでいる。
すました表情で説明をスキップしたのは洋子。彼女が“選んだ”のは闇の陣営だ。首をかしげているのは春香。彼女が引いたのは光、天の軍団だ。説明を読んでるうちに表情が曇った。神に従うという陣営理念が気に入らないようだ。
そして、最後は渋い顔の大悟だ。彼に割り当てられたのは人間。ノーマルである。素の人間である。他の二人がチート持ちなのにひどい話だ。
一時間がたった。
「戦略シミュレーションって、こんな簡単に勝負付くものだったんだね」
大悟はコントローラーを置いた。MAPは黒く塗りつぶされていた。世界は闇に閉ざされて、スピーカーからは魔王の高笑いが響いている。
「……戦略シミュレーションだからね。戦闘は簡略化されてるの。えっと、ほら春香の要望を聞く限り、一巡が早い方がいいかなって」
「……そうだね」
「ただ、把握する前に終わってしまうのは困るわ」
大悟はあきらめたように言った。無言で画面を見ていた春香が、趣旨を思い出したように言った。
「じゃあ、ハンデつけよう。春香と九ヶ谷が組んでいいから。私は一人。これでいいでしょ」
一時間半がたった。
「……」「……」
二人の前で、世界は再び闇に閉ざされていた。
「あーあ、二対一でこれかー。何、二人の絆なんてそんなもの。ま、天使とただの人間じゃ道ならぬ恋かもねー」
もう完全にあおっているとしか思えない洋子だった。確かに二人の協力体制は問題があったとはいえである。
「近藤さん。このゲームやりこんでいるよね」
「……最近タガが外れてきたバカップルには負けないくらいにはね。弟の魂くらいはかけてもいいかな」
まるでクリスマスへの恨みで闇落ちした魔王のように、洋子は不敵に笑った。大悟はさっき廊下ですれ違った礼儀正しそうな少年を思い出した。さんざん擬態に利用した上にこれだ。彼女は弟には謝るべきだ。
「とにかく、二対一でもなんでも洋子を打ち破るのよ」
帰り道、春香が言った。何か趣旨が違っている気がするが、大悟としても負けてはいられないという気分はある。ちなみに、二人のスマホには洋子からの試用の招待コードが送られている。
期間限定でPC試用できる体験版の位置づけらしい。
「でも、かなりのコンピュータスペックが必要なのよね」
「そうだね。まあ、あんなMODもりもり設定じゃなければ、そこまでじゃないけど。うちじゃ無理だね」
「まさか、大学のコンピュータセンターを使うわけにはいかないわね」
「となると、彼女に助けを求めるか」
2019年4月7日:
来週の投稿は日曜日です。




