3話 ゲームの魅力?
ベルのカランという音と同時に大悟は店内に入った。テーブル席を見る。珍しくお客さんはいない。背後でドアがゆっくりと閉まった。
「まあ、春香ちゃんいらっしゃい」
カウンターでバインダー片手の母が笑顔を春香に向けた。どうやら在庫の管理らしい。いつもの月よりも早いのは、戦場が近いからだ。
「春香さん。おかえりなさい」
テーブルを拭いていた夏美が布巾を放って春香に駆け寄った。
「えっ、あの、お邪魔します」
「その挨拶はこっちにするべきでは?」
大悟は顔をしかめた。
「いらっしゃい、お兄ちゃん」
妹は兄に顔もむけずに言った。
「それで、あの子に言われたんですよ。あなたとも長い付き合いになるかもなんて、調子いいっていうか……」
「お母さんも注意したし、悪い子じゃないから……」
サービスのコーヒーで足止めされた春香が、夏美と例の中学生のことを話している。
「いつの間に仲良くなってるんだよ」
「んっ? この前も結城先輩かっこいいねって話題で盛り上がったよ」
その後には肉親に対する悪口が続いたのではないかと疑われる。
「春香さんが面食いじゃなくてよかったね。お兄ちゃん」
予想は当たっていたらしい。
「男の子の顔の対称性の高さには興味ないから」
春香が大悟を気にするように言った。フォローのつもりらしい。
「そういえば、お母様からお茶のお誘いがあったのだけど。私が空けれる曜日は火と……」
母も会話に参加した。和気あいあいの女性三人。大悟の知らない間に、彼を放って何かが進行している感じが怖い。大悟は、申し訳の様に出されたコップの水をちびちびと口に運んだ。
母と妹から逃れるように、大悟と春香は家の二階に上がった。
部屋に春香がいるシチュエーションは初めてではないのだが、どうしても意識してしまう。彼らが抱えている問題の深刻さを考えれば不謹慎な感情だが、仕方ない。
「春日さん。まずは何から考えて……」
座布団の上で礼儀正しく正座をしている春香だが、視線があらぬ方向へさまよっている。
「春日さん?」
「あ、うん」
春香があわてて視線を正面に戻した。大悟は彼女の視線が向いていた場所を見た。やたらと分厚い本が並ぶ棚。ゲームの公式設定資料集や、攻略本などで、彼にとってはゲーム作りの為の資料棚という位置づけ。
オタクっぽいといわれればそうだが、彼がそうであることはとっくに知られているのだ。むしろ今日の話題と絡む可能性もある。
ただ、その本棚の後ろはもうちょっと微妙な問題、肌色多めのポスターとか、を含むのだ。
「誰から、何を聞いたのか、聞きたいんだけど……」
「本棚をじっと見てみたらって、妹さんにいわれただけだけど? ……さあ、今日の目的について話し合いましょう」
春香は何かを察したような表情で話題を変えた。尋ねた大悟としても、うやむやにするしかない話だ。本棚の後ろのブツの避難については、今夜の課題になるだろう。
「そうだね。まずは春日さんの……」
父より先にゲームを攻略するといっても、まだその方針すら具体化できてない。
当然、春香がどうしてそんな自分を選んだのか理解していないのだ。何しろ、これまでなら勝負を挑まれるシチュエーションだ。それもどうかと思うのだが。
「まずは九ヶ谷君のことを教えて」
「へっ、僕?」
「九ヶ谷君にとってゲームとは何か。ゲームのどこに魅力を感じているのか。そういうことかな。これまで【ゲーム】の話って、私のことばっかりだったでしょ。だから……」
「ああ、なるほど。確かに【ゲーム】についての認識をそろえておく必要はあるよね」
考えてみれば妥当だ、ゲームという言葉に関して彼と春香には大きな違いがある。これまで、春香のゲーム―情報処理のこと―に合わせてきたが、今回のことはどちらかといえば大悟にとってのゲームに近い。
「じゃあまずは、僕が一番好きなタイトルについてでいいかな」
「九ヶ谷君が一番好きなもの、ね。うん、わかった」
大悟がゲーム機を引き出した。ちょっと埃をかぶっていることにショックを受ける。コントローラーを本体につなぎ、ディスクをスロットに入れた。
低い音を立てて読み込みが始まった。
振り返ると、春香の視線がベッド、ではなく微妙にその枕の下あたりにいっていた。「すぐに始まるから」とタイトル画面を映し出したテレビに注意を向けさせる。
「このゲームはRPGで。ちなみに作ったのはフェリクス。ほら、インターンの時にテストしてたゲームの前身なんだ。といってもかなり昔のものなんだけど……」
国民的RPGといわれた名作だ。彼が生まれたころに発売されたものの復刻版の廉価版。お年玉の残りで買えるタイトルを探していて、たまたま手に取ったのだが。
これをプレイした時の衝撃はまだ忘れられない。
「まず、この世界は三重になってて、主人公はその間を行き来しながら各地でクエスト……問題とかかな、を解決しながら仲間を増やしていって……」
…………
「それでね。このラストが感動ものなんだ。主人公にとって両親の敵である魔王を倒すんだけど、実は………………。えっと、解り難かったかな」
自分だけ延々と熱く語っていることに気が付き、大悟は我に返った。女子の前でゲームについてまくしたてる。普通は引かれるパターンだ。
春香がいつも科学でやっていることを、自分がやってしまった。
だが、春香は首を振った。
「私はあまり見ないけど、映画のストーリーをなぞる感じかしら。主人公はプレイヤー自身だから一人称視点で、かな」
理解はあっている。だが、微妙に反応が薄い。
「実際にプレイヤーが操作できるのは……」
大悟は説明を続ける。戦闘シーンや街での情報収集などを見せる。大昔のセーブデータを引き出して、感動したイベントをロードして、春香に操作させたりした。
春香は真面目に聞いてくれるが、やはりどこかぎこちない。
「ストーリーの流れはこういう風にフローチャートになってるんだけど」
大悟は攻略本を広げた。
「ストーリー構造的によくできているのは分かるわ。何となくだけど……でも」
じっとフローチャートを見てから、春香が言った。言葉の続きを聞こうとした時、ノックがした。
「オヤツ持ってきたわよ」
同時に、母が肩でドアを推して入ってきた。
「大悟……」
母は悲しむような目で、同級生女子の前で攻略本のページを抑える息子を見た。
「今日は別に勉強するって話じゃないんだけど……。というか、そんな場合じゃ――」
「あの、私も今日はそういうつもりでしたから」
「春香ちゃんがいいならいいんだけど、お母様に怒れちゃわないかちょっと心配」
母は「今度お会いした時に聞いておかないと」などとつぶやいている。
「このゲームが終わったら、九ヶ谷君の勉強については私が責任をもって教えますから」
「それ聞いて――」
「まあ、それなら安心ね」
母は本当に安心したようにうなずいた。春香の言っているゲームは攻略までかなり時間がかかる。何しろ彼の、いや人類の将来にかかわるのだ。
ついでに言えば、ゲームの対戦相手は目の前の女性の夫である。
「構成で言えばスタートからゴールまで一貫したテーマをもっている。その間に挟まる、えっと……イベントだったかしら、その配置なんかも、私にはよくわからないけどドラマチックになってるんだと思う。それに、お買い物とか戦いを自分ですることで、没入感が増して、ストーリーに入り込めるのよね」
「う、うん」
自分の好きなものが親しい女の子にどう思われるかは気になる。言葉を聞く限り、評価は低くはなさそうだが。
「九ヶ谷君がこのゲームを好きなのは分かった。でも……」
春香はあらためて大悟をじっと見た。整った顔の上の大きな瞳が彼を射る。
「九ヶ谷君とはこれまでいろいろゲームの話をしたけど、何というか九ヶ谷君のこだわってる部分と、今のゲームの解説が何となく合致しないの」
「合致しない?」
「上手く言葉にできないんだけど……。そう、こういうゲームなら私、多分九ヶ谷君よりうまくできるようになると思う。あの格闘ゲーム、っていうのよりももっと早く」
「それは、でも…………」
大悟は思わずこぶしを握った。RPGで勝負というのはおかしいが、このゲームを同じ条件でプレイしたとして、クリアまでの時間はどちらが早いかと言われれば……。
「えっと、違うの。つまり、九ヶ谷君は私に何度も勝ってるでしょ。私の方のゲームでね。私何度も悔しい思いさせられてるもの。でも、このゲームの説明を聞く限り……」
「で、でも、僕がゲームに本格的に目覚めたのは間違いなく。それに、これを目標にっていうか、そういう形でゲーム作りも……」
春香が言いたいことは何となくわかった。だが、大悟は首を振る。彼にとってこれはあこがれのタイトルなのだ。だが、春香が皮肉で言っているとも思えない。
「どちらかといえば、こっちで勝負する方が怖いかも」
春香がスマホに映し出したのは、彼が春香と初めてゲームをした時の、まだこんなことにかかわるなんて思わなかったときの、あの海戦ゲームだった。
あまりに単純で、そして今や数学的にすら見える。大悟はますます混乱する。
「それこそ、僕が春日さんに勝てないタイプのゲームだけど」
「そうなんだけど。でも、だからって九ヶ谷君は私に譲らなかった。情報って番号の付いた箱の中には何かあるんだって。それに、これまで九ヶ谷君が解いてきたフローチャートはこんな単純じゃなかった」
春香は開かれた攻略本を見た。そこには、現在でも評価される凝ったシナリオが描かれているの。
「なんていうか、九ヶ谷君がプレイして面白いゲームと、九ヶ谷君が作りたいゲーム。それが一致する必要あるのかな?」
春香は自分の言葉をかみしめるように言った。大悟にとってのゲームについてほとんど知らないはずの女の子の言葉。大悟はなぜか反論ができなかった。
「お皿下に持っていくね」
空の皿をお盆に乗せながら春香が言った。
結局あの後、いくつかのゲームを春香に見せた。そして、時間が来てしまった。
大悟はお盆をもってドアを開ける春香に空返事をした。
夕食の席で、せめて玄関まで送れという母と妹の非難を聞いた後、大悟は部屋にもどった。本棚をスルーして押入れをあさる。
段ボールを取り出した。
「これも、これもか……」
途中で途切れたフローチャートが床の上に散らばる。彼がこれまで作った、いや作ろうとしたゲームの企画だ。
それらはすべてゴール直前で止まっていた。複数のシナリオのラインが統合され、彼が決めたゴールへと至ろうとするまさにその瞬間、シナリオが結論を出そうとするその時、世界が途切れているのだ。
彼がこれまで何度も挑んで、そして一度も完成させられなかった企画。その原因を今日初めて彼のゲームを知った春香が見抜いたとしたら。
「ゲームっていうのは一つの世界なんだよな」
大悟は春香的な解釈を口にした。
「宇宙、物理学と同じで、ルールがあってコマがあって、時間が流れて、情報が処理されていく」
それ自体は、そこまで抵抗はない。むしろ、彼がゲームを作りたかった理由は、それが自分の世界だからとわかる。
「僕は自分だけの新しい世界を、自分で作りたかったんだし……」
自分にとっての理想のゲームと、自分が本当に作りたいゲーム。その二つがこれまで一致すると疑わなかった。もし、その二つの間に違いがあるとしたら……。
「ゴールが一つだけのゲーム、それって父さんのゲームだよな」
想定したゴール目指して作り、それがうまくいくかどうかを見守る。GMsの父の宇宙の究極知能へのゲーム。
でも同時に、ゴールがあるからこそゲームなのではないか。限られた単純化された世界だからこそ、ゲームが成り立つのではないか。
それは必ずしも、現実からの逃避ではないはずだ。なぜなら世界はゲームであり、彼の対戦相手は世界全体をゲームにしてしまったのだから。
そして、同時に彼はそんな相手に挑むと決めてしまった。
「何かが足りないってことか。いや、というよりも…………ゲームってなんだ?」
彼の作ろうとしたゲームと彼の間にある空白。大悟は唇をかんだ。
2019年3月7日:
次の投稿ですが、申し訳ありませんが少し間が空きます。
10日後の3月17日(日)の予定です。
よろしくお願いします。




