2話 分業体制
父より先にゲームを解く。画面の中で回転するORZLが照らす地下室。GMs、父よりも先にゲームを解くという大悟の宣言がそこに響いた。
春香がノートから手を放した。大場と柏木も手に持った携帯を下した。全員の視線が大悟に集まっている。
「でも、それってとんでもなく難しいことじゃない。具体的にはどうやるの?」
綾が大悟に尋ねた。
その通りだ。まず解くべき問題がとてつもなく難解だ。彼が渡ったと思った父との間の空白。だが、渡り切った先もまた空白だ。単に見えないという意味の空白ではなく、あまりに深い、まるでブラックホールのような深淵。
しかも、その深淵にはすでに彼の父が強大な力を持った知能を手に攻略中であり、一方、彼が使えるリソースはあまりに小さい。さらに、期限はあと一月程度しかない。
その状況で、彼もまたこのゲームのプレイヤーになり、父と真正面から勝負することを意味する。
これがゲームスタート時の状況だ。綾が彼の戦略を問うのは当然であり、そして彼は……。
「それは、その……わからないけど……。でもやるしかないんだ」
その質問にはっきり答えることができない。彼の空白はまだ形が定まっていないのだ。
解っているのは、その空白の深淵を囲むいくつかのキーワードについてだけ。それは情報であり、ネットワークであり、ゲームであり、そして……それが全てだという春香の言葉への反発だ。
「向こうよりも先にORZLを解く。うん、面白そうだね」
さららはにんまりと笑うと、彼のいい加減な方針を了承した。そして、スクリーンを回転する樅の木を指さした。
「問題の本質はこの階層を上げる力の解明。熱力学の第一法則、つまりエネルギー保存の法則に従って、ただし熱力学の第二法則エントロピー減少に局所的に、ただし継続して逆らって情報処理の複雑さを上げ続ける力。進化の原動力。いわば創発力」
さららは言った。創発力という言葉、それは確かに彼の言いたい何か、いやこれまで春香との議論の中で未解決だった何かに通じているように見える。
「つまり、私のやることは変わらない。今回の新しい軸を含めて、ORZL方程式の中に答えを探す。いわば数学的アプローチだね。創発力の数式化ということになる。私の予想だと、ゲーム項がORZL方程式の中に一体化する形になる」
さららはホワイトボードの暗号を指さした。
「創発力、言ってみればイノベーションパワーだね。じゃあ、私はハードとソフトから。知能爆発を引き起こしている情報処理回路と深層学習のプログラムをS.I.S.と一緒に解析すれば、創発アルゴリズムにつながるはず」
ルーシアがいった。画面の横でポリゴン猫が頷いた。
「宇宙背景放射の振動の監視と分析に関しては引き受けよう」
「となると、私はコンピュータセンターの管理者としての仕事をするしかないわね。ただでさえ向こうに比べて圧倒的な計算能力の差があるんだから、せめて持てる力はすべて活用できないと」
柏木と大場が言った。次々と各人が役割を決めていくことで、停滞していた地下の空気が動き始める。
さららのアプローチはいわば理論だ。彼女は考え方は自由だが、これまで一貫して自分のスタイルを守ってきた。
ルーシアは技術的アプローチ、彼女の得意分野だ。
いわば、問題に対して理論と応用で挟み撃ち。それを支える二人の大学教授。相手を考えれば決して十分とは言えないが、それは現実的に可能な中では最良の体制に見える。
つまり、そこに一高校生の出番はない。
彼がいかに頑張っても理論はさらら、応用はルーシアにかなうわけがない。考えれば考えるだけ、やれることなどないように思える。だが、それでは戦わずして負けることになる。
だが、理論と応用がすべてだろうか。大悟の頭の中にある空白は、その間にある。そんな妄想じみたイメージが消えない。
「僕は……とにかくゲームをするしかない」
数学とかプログラミングとか、そんなものは知らない、できない。だけど、彼もコントローラーを握ってプレイするしかない。
「ゲーム? ゲーム項のことじゃないよね?」
綾が聞いた。大悟は「ああ」と首を縦に振る。
「そうじゃなくてゲーム。えっと、この場で言うとしたら遊戯、遊びの方向から……」
何を不謹慎なことをと思いながら、大悟はそれでも言った。彼の空白に名前を付けるとしたら『彼のゲーム』というしかないのだ。
それがどれだけ高難易度の無理ゲーでも、とにかくコントローラーを握るしかない。何度でも、いろんな方法でアプローチして攻略法を見つけ出すしかない。
実際に攻略できるか、できないかはその後の話だ。ゲームとはそういうものだ。
そこまではいいのだ。だが、そのゲームをプレイするために何かが足りない。それは例えば知識不足だろうか。もちろんそれはある。だが、それだけではない。
もっと本質的で根本的に必要な何かがある、それは何なのか……。
己に足りないものを求めて、大悟が周囲を見渡そうとした時だった。
「ハルはどうするの?」
さららが聞いた。その時大悟は初めて、春香が意思表示をしていなかったことに気が付いた。彼のクラスメイトは、伏せていた顔を上げた。
「私は数学的アプローチでいきます」
決意のこもった表情で春香が答えた。それは師と同じ言葉。至極妥当な結論だ。現状ではどう考えても、さららの手伝いをするのがベストな戦力の分配だ。
だけどなら、春香はなぜ「私は」といったのか?
大悟の疑問に答えるように、春香は挑戦的な瞳を彼に向けた。
「だから、私は九ヶ谷君と一緒にやります」
「えっ?」
大悟は驚いた。数学をするなら、彼は最も頼りないパートナーではないか。春香に教えてもらってやっと虚数やビットの概念を、そのさわりだけ理解しただけの、一高校生だ。
「ふーん、なるほど。いいかもね」
だが、さららはニヤリと笑って弟子の選択を認めた。
「仕方ない。じゃあ私はチーム間の情報伝達役をやりますか。向こうに比べてこっちのリソースは貧弱なんだから、分業間の連携がちゃんと取れないとね」
綾が言った。このチームの連絡役をこなす、それをこともなげに言うのが、綾のすごいところだ。
こうして神の知能を擁する父と、大げさに言えば宇宙の運命をかけた勝負の体制は決まった。
その中でただ一人、大悟だけが自分がこれから何をするのか、それをとらえきれていない。ただ、春香が自分と一緒にやるといったとき……。
彼の空白が震えるのを感じた。
2019年2月28日:
来週の投稿は木曜日です。




