1話:前半 ゲームの定義
2019年2月14日:
本日より第四部開始します。
よろしくお願いします。
大学の地下にある、秘密基地のような研究室。その空気は重かった。
大悟が春香を釣るために無理やり作ったアイデア、空間を振動させる重力とは別の軸があり、それは複雑化していく情報処理の階梯であるという仮説という名のでっち上げ。
それを春香がシミュレーションしたら、こともあろうか地球が崩壊するという結果が出たのだ。
それも、コンピュータによる人工知能の高度化に、宇宙空間それ自体が耐えられない、というあまりに想定外の理由だ。
予告編の製作者としては、本編を否定したい。
だが、さらに続きがある。度し難いことに、それは大悟の父親のプロジェクトなのだ。
「さてと。シミュレーションの未来予想について、検証を始めないとね」
凍り付いた空気の檻にとらわれている大悟たちに、さららが言った。彼女一人、早くも氷の監獄から脱出したようだ。
「…………今後の宇宙背景放射の振動の強度やパターンと、シミュレーション結果が一致するかどうか。そういう話になるな」
柏木はそういって携帯電話を取り出した。どうやら、先ほど自分が言った宇宙背景放射の振動に関する最新のデータを取り寄せるらしい。
「春日さん。今後の変化を追うのに、どれくらいのシミュレーションの粒度、時間のメッシュが必要かしら。それに合わせてコンピュータセンターのCPU時間を割り振るわ。最優先で」
「わかりました。すぐ試算します……」
大場が腕組みを解いて、スクリーンの前で立ち尽くしていた春香に言った。春香は慌てて指先をキーボードに戻した。
「情報処理アルゴリズムの進化に、平面ビット回路がついていけるのか、S.I.S.と相談しないと」
ルーシアが自分のノートパソコンに取りついた。「国家が壊れるのならともかく、地球が壊れるのはダメ」とか言っている。
科学的黙示録、現代のバベルの塔の崩壊。特大の衝撃からの立ち直りとしては、十分すぎるほど早い。
そんな彼らを、ただ目で追うしかできない高校生男子が一人いた。
「とんでもないことになったね」
少なくとも冷静さを取り戻している綾が大悟に言った。大悟は黙って首を縦に動かした。彼の思考はまだ凍り付いていた。鏡のような氷壁に映っているのは、
(何やってるんだよ父さんは、これはゲームじゃないんだぞ……)
彼の父の遠い遠い背中だ。
「宇宙背景放射、つまり宇宙のすべての方向から降り注ぐ光子のエネルギーは極めて小さい。この観測には超高感度の光子センサーで長時間をかけて行う。天文学的には、遠くの暗い星の写真を撮るために、地球の回転に合わせて何時間も固定して撮影するのと近い」
スクリーンの前には柏木が立っていて、人工衛星からの宇宙背景放射のデータの性質について説明している。
大悟を放って、事態は進行している。二時間もたたないのに、最新の観測データとシミュレーションの結果が照合されたのだ。
「つまり、リアルタイムに近いデータは取れない」
例えば一秒あたり100個の光子がセンサーにあたるなら、それが110個になったり90個になったりすれば、すぐに判別できる。だが、一秒あたり1個当たるかどうかだと、同じ精度の結果を得るまでに100秒以上かかることになる。
「だが、この観測衛星のセンサーは光子一つ当たりのデータの蓄積が可能になっている。となると、統計的な処理により、その変動を推測することができる」
要するに普通はエネルギー100±10くらいの光子の分布が、100±20になれば、振動は二倍になっていると考えられるということらしい。実際にはもっと複雑な分布になるし、背景放射以外の例えば遠くの星や銀河から来る光子の影響を除いたり大変らしいが。
「というわけで、ここにセンサーがとらえた光子のエネルギー分布がある……」
柏木が側面スクリーンに映し出したのは、様々な周期を想定した場合の光子のエネルギー分布だった。
「シミュレーションから予測可能な振動の周波数と、エネルギーの振幅を出します」
春香が席に着いたままノートを操作する。壁のスクリーンの上で、二つの波が重なっていく。
最初はノイズの海の中、波間を泳ぐサメのヒレの様に、わずかに見え隠れする突起だ。だが、まるで危機感をあおるBGMがだんだんと大きくなるように、時間とともにはっきりと鋭角の姿を現した。
「まだ確定できんが、振動の増加の傾向は、おおむねシミュレーションと一致していると考えた方がよいだろう」
確定できないという割に、柏木の言葉ははっきり深刻さを帯びている。
「変化のスピード、つまり振動の周波数と振幅が大きくなっていると考えた方が、シミュレーションと実測が近づくみたいだね」
「後数日で確定するだけのデータが出ると思われます」
さららの予想に、春香が暗い顔で答えた。
「このままいくと、どれくらいで空間の崩壊が始まるのかしら。確か以前の講師の説明だと、ORZLの形の変形というのは、回復することができるのよね」
「氷と水と一緒。情報重心によって部分的に加熱されても、それが冷えれば周囲に連動して形を取り戻す。だけど、限度がある。ハル、そっちの予想を出して」
「空間構造が水蒸気に変わったようにばらばらに飛び散って、二度と戻らないポイント。実際に、空間の崩壊が始まるのは……おそらくこのラインです」
シミュレーション結果を現すグラフの時間軸が伸びていく。そして、そこに一本の真っ赤なラインが入った。
大悟はその下の数字を凝視した。日付は……十一月の後半あたり。約一年後だ。
一年後に地球が滅びるというのはぞっとしない話だが、時間がある。大悟がそう思った時だった。新しい、青いラインがグラフに加わった。
「ただし、実際にはここを過ぎると、不可逆的な結果を生じると考えられます。つまり、空間の振動を止めても崩壊へ向かうことを止められない」
「中性子星にガスが降り積もるとして、あるラインを越えたら重力崩壊を引き起こしてブラックホールになるようなものだな。そうなるとガス、つまり質量の供給がなくなったとしてもあとは一直線だ」
「ポイント・オブ・ノーリターンね」
春香の新しい青いライン。それは、ずっと近い位置にあった。約一月後だ。世界を馬鹿にするように、想定される日は12月25日。
大悟だってクリスマスなんて滅びてしまえと思ったことがないわけじゃないが、クリスマスに地球が滅びることを望んだわけではない。
ちなみに、彼の母はクリスマスに関して深刻な愛憎を抱いているが、今は関係ない。
「逆に言えば、今計算を止めたらこの階層ってのは増えないんだよね」
綾の発言に、春香が頷いた。
「方法は二つかな。一つ目は、世界中のコンピュータネットワークを止める。これは世界経済の崩壊と同じだね。しかも、二度と使えない。となると……」
綾がルーシアを見る。
「GMsの人工知能を見つけ出すことは難しいと思う。移動しているというのもだけど、もともと獲得しているLczのコントロール能力は今も向上してる。S.I.S.の力も借りて追ってるのに、予想範囲が拡大傾向にあるんだ。近いうちにこちらでは認識もできなくなる」
ルーシアの言葉に、画面上のポリゴン猫が頷いた。猫の肉球が翻ると、いつものワイヤーフレームの地球儀が表示された。
北半球、日本列島、関東と拡大していき、そこにGMsのORZL-Dの範囲、そしてその中を移動する車載コンピュータセンターの範囲が示された。
時間を早回しにして、範囲の変化が表示された。時間経過とともに拡大している。現在、東京を中心にすでに関東の半分以上を覆っている。
「今なら警察とかの人海戦術で何とかなりそうじゃないか。このデータを提供すれば……」
大悟は言った。
そのコンピュータの知能がどれだけ高くても、しょせんそれは機械だ。壊してしまえばいい。
もちろん、そこに一緒にいる彼の父親が、どんな罪かはともかく捕まることになるだろうが。
―物理的アクションは有効だが。こちらの反応はすべて、向こうに学習チャンスを与えることになる。それを考えれば、機会は一度。その一度を空振りすれば、同じ方法でのチャンスは永久になくなる―
―また、そういった大規模な作戦を立てようとすればするだけ、人間はどうしてもコンピュータと通信能力に頼らざるを得ない―
ポリゴン猫が言った。
「GMsがもし別の形のORZL-Dを作って、別の場所に移動できるとしたら。ORZL-Dの形だって、こちらが想定しているものから変化していく。範囲すらとらえられなくなる」
さららが言った。つまり、下手に手を出すのは藪蛇いうことだ。ならば、最悪を避けるための物理的結論は……。
まるで世界を管理する悪の組織、ゲームとかでよく出てくる、の人間になったような気分になる。彼らの結論は往々にして、というか必ずといってよいほど、一般人には受け入れられないものになるものだ。
「確実を期すなら、予想範囲を一度に叩くこと、かな」
綾が言った。大悟は思わず画面を見た。
「この範囲を文字通り地図から消す。それが唯一の方法になる可能性があるわね。当然、警告なしで」
そう、人類の科学力ならそれは可能である。ある元素の質量をほんの少しエネルギーに変えればいいのだ。
2019年2月14日:
来週の投稿は木曜日です。




